祝福論(やまとことばの語源)・「神話の起源」26

現代社会において、大人たちは、何によって「連携」していっているのか。
お金によってか。
基本的には、まあそういうことだろう。
しかし、お金以外のところでの連携や信頼関係もある。
酒場などでは、お金なんかどうでもいい、ということがつながりになったりしている。
お金によってつながっているのではない。お金は個人が「所有」するものであり、お金はむしろ人と人の連携を断つものでもある。「金の切れ目が縁の切れ目」ということばもあるくらいだし。
この社会の連携は、お金それ自体ではなく、「お金(貨幣)に対する信憑」を共有してゆくことによって成り立っている。
そういう「心の動き」を共有することの上に、連携が成り立っている。
人類の歴史は、お金に対する信憑を持ってしまったことによって、人の心の動き方もずいぶん変わってきたに違いない。
弥生時代古墳時代は、お金(貨幣)などなかった。
では、人々は、何に対する信憑を共有していたのか。
食い物に対する信憑か。食い物をちゃんと確保してゆくことがわれわれの幸せである、という信憑によって彼らは連携していたのだろうか。
空腹のときは、それでいい。しかし、満腹になれば、食い物のことなんかどうでもよくなってしまう。生きものはみんなそうだ。食い物のことだけで生きている生きものなんかいない。
それは、お金のことだけではこの世の中は成り立たない、というのと同じことだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
古代社会における人と人の関係を成り立たせていたものは、食い物に対する信憑というより、おそらく「神」に対する信憑だろう。
現代社会だって、「お金という神」に対する信憑の上に成り立っている。
人間は、「神=神話」を共有しながら連携してゆく生きものらしい。
人間の直立二足歩行は、きわめて不安定で危険な姿勢である。それは、人と人が「連携」してゆくことによってはじめて成り立つ姿勢だった。その起源において、ひとりひとりが勝手に立ち上がっていったのではない。群れのみんなが一斉に立ち上がったのだ。
そのとき、「直立二足歩行という神話」が共有されていった。
人間は、先験的に「連携」していこうとする衝動を持っている。直立二足歩行は、「連携」しないと生きていけない姿勢なのだ。お金に対する信憑があろうとなかろうと、食い物の心配があろうとなかろうと、「連携」しようとするのが人間である。
連携しようとする衝動を先験的に持っているから、その結果として共同体が生まれてきたのであり、その連携を約束するものとして「神話」が語られていった。
「神話」を共有してゆくことによって、共同体が成り立ち、発展していった。
食い物とか土地とか、そういう「もの」を共有していったのではない。「心の動き」すなわち生きてあることの嘆きとか、神に対するときめきとかおそれとか、そういう心の動きからカタルシスを汲み上げてゆく体験を「神話」として共有していったのだ。
直立二足歩行は、意識が超越的な世界に逸脱してゆく体験としてはじまった。そして、そういう体験として神話が語られていった。人間は、先験的にそういう心の動きを持ち、そういう心の動きを共有してゆこうとする衝動を持っている。それが「連携」になってゆくのであれば、食い物のことは、原初の歴史を考える上であまり大きな問題ではない。それを、第一義の問題とするべきではない。
原初の人類は食い物のために連携していったのではなく、連携することが人間の本性だったからだ。連携しようとして連携した。人間は、連携しようとしなくても連携してしまうようにできている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
では、そんな人間どうしが、なぜ「対立」してしまうのか。
それは、仲間内の連携を強化しようとして、第三者を排除してゆくからだろう。
連携しようとする生きものだから、激しい対立も起きてしまう。
戦争の起源。このことを語るときに、世の人類学者は、じつに安直に「食い物」や「土地」をめぐる対立として問題を設定してしまっている。
そんなことがあるものか。
人間どうしの「連携」が食い物や土地のことではじまったのではないように、「対立=戦争」だって、そういうことが第一義の問題としてあったのではないはずだ。
ようするに、戦争をしたかったから戦争をしたのであり、欲しいものは、土地や食い物ではなく、戦うことのぞくぞくする興奮だったのだ。
生きものは、必ず死んでしまう。そういう与件と和解できなければ、安心して生きていることもできない。
戦争をすれば、いやでも和解しなければならない。戦争とは、人が必ず死んでしまうという与件(=運命)と和解させてくれる体験にほかならない。
われわれは、必ず死んでゆくほかない生きものとしての与件(運命)と和解できるか。男にとっては、これこそ人生最大の問題なのだ。女はわりとかんたんにその問題を解決してしまっているが、男にとっては、けっしてかんたんではない。絶望的なほど、かんたんではない。だから、戦争によって、一挙に解決してしまおうとする。
男が戦争に向かうときの一番のテーマは、いかにして死を覚悟するかということであって、いかにして相手を殺すかということではない、少なくとも起源としての戦争においては。
女は、戦争をしたがる男の気持ちがわからない。
土地や食い物を欲しがる気持ちは女にだってあるのだろうが、それでも女は戦争に興味がなく、男はむきになってその渦中に飛び込んでゆこうとする。
原初の戦争は、食い物のためでも土地のためでもなかった。
共同体が生まれ育ってきて、男たちは死の問題を解決できなくなってきた。その問題を一挙に解決しようとして、戦争が起きてきた。
人類の戦争の歴史は八千年か九千年くらい前にはじまり、農耕牧畜を覚えた6千年前ころから本格化してきた、といわれている。このことは、初期の戦争は土地をめぐる争いから起きてきたのではないことを意味している。そのとき彼らは、好んで戦いの場面を壁画にしている。つまり、戦いたくて戦ったのだ。戦うことのカタルシスが、男たちを戦争に駆り立てた。食い物のためでも、土地のためでもなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
原始人にとって、食うものは自分たちが食うぶんだけあればよかった。誰もが自給自足で、食い物を生産しない階層がいたわけでもないし、食い物の商売があったわけでもない。それに、もともと人間は、食うものなんかなんでもいいという雑食主義の生きものだ。
だから、食い物のために戦争になるということなどちょっと考えられない。
また、そういうわけで、耕作のための土地は有り余っていた。人類が農耕を覚えたということは、それによって狭い土地でもたくさんの人間が暮らせるようになったということであり、土地が余るようになっていったのが農耕の起源である。
では、奴隷狩りをして、奴隷に働かせて収穫を得るためか。それも違う。戦争をしたことによってそういうシステムが生まれてきたのであって、それが、戦争が生まれる契機になったのではない。
起源としての戦争は、おたがい「殺されてもかまわない」という覚悟で戦っていた。しかしそれは、殺そうとする意志は希薄だった、ということを意味する。だから、殺さないで奴隷として使うという関係が生まれてきた。
彼らは、生死の問題を解決するというテーマで戦ったのであり、生死の問題を乗り越えたということの証しとして、勝ったほうが奴隷を獲得した。
土地をめぐって争うというようなことは、さらにそのあとの、農耕が本格化してきてからの話だ。
起源としての戦争は、いわば男たちの「娯楽」だった。
命のやり取りをする……これほど興奮する遊びは、ほかにはあるまい。
人類が「命」という問題を強く意識するようになったから戦争が起きてきたのであって、土地をめぐる争いとしてはじまったのではない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
原初においては、戦争だって、ひとつの「連携」だった。
彼らは、「命」の問題を解決したいという願いを共有して戦った。
では、何がきっかけでそういう事態が起きてきたのか。
集落と集落のあいだに「市(いち)」が立ち、歌垣などの交歓が催されていれば、そんなことは起きないだろう。
そういう場がなく、それぞれに集落が自己完結していったときに、命の問題が解決できない閉塞感が生まれ、ヒステリーが起きてくる。
そのヒステリーをぶつけ合うというかたちで、おそらく集落と集落のあいだの空間で衝突したのだろう。あたかも「市(いち)」の催しのバリエーションであるかのように。
原初の戦争は、「怨念」とか「欲望」というような心の動きから起きてきたのではない。
共同体が自己完結しながら膨張していったときの自家中毒として、戦争への衝動が起きてきたのだろう。そういう自家中毒を起こしている共同体どうしが出会ったとき(隣り合っているとき)、戦争になる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きっかけは、いろいろあったに違いない。山の狩場で出くわしたとか、自分たちの集落の娘がおもちゃにされたとか、まあ、そんなことはどうでもいい。彼らは、戦争がしたかったのだ。今の世の中でも、多くの若者が、その気持ちはわかるにちがいない。
したがって問題は、共同体が自己完結して膨張してくるとそのぶん個人のストレスも肥大化してくる、ということにある。現代人も、そういう社会構造の中で生きている。
世界中と交易している、といっても、そんなことは「連携」ではない。連携に見せかけて、連携ではないのだ。
売るものと買うもの、貨幣と商品、たがいに非対称の関係になり、価値を「共有」するのではなく、対立する価値の「差異」の上に立っている。
りんごなんか豚のえさだと思っている地域に行って、安くりんごを買ってくる。そうして東京に持って来て、高く売りさばく。
このような行為で、相手と理念や価値観を共有していたら、何も成り立たなくなってしまう。貨幣経済の社会の中に身を置いているかぎり、理念や価値観を共有してゆくことなんかできない。誰もが、知らず知らずのうちに、「差異」をつくろうとしてしまう。
いつの時代であれ、人と人が共有できるのは、理念や価値観ではなく、生きてあることに対する実存的な感慨だけだ。そこにおいて人類の歴史がはじまり、けっきょくはそこに行き着く。そこにおいて共有できなければ「連携」の場はつくれない。
そして原始時代の戦争においては、そういう感慨が共有されながら命のやり取りに発展していったのだろうと思う。
まあ、「思う」としかいえないが、「土地を奪うため」とか「相手を奴隷として使うため」とか、そんなことはありえないとも思う。そういうことは、戦争が起こったことの「結果」であって、起源としての戦争の「契機(原因)」であったのではない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
彼らは、戦いたかったのだ。
それだけのことさ。
彼らは、生と死の問題を解決したかった。
その問題を解決できなくて閉塞感に浸されるなんて、人類の歴史において初めての体験だった。
共同体の発生は、そういう問題を人類に与えた。
彼らは、おおいに戸惑った。
それはまあ、現代の高度資本主義社会にまで引き継がれている問題であるが、われわれは、それを解決しているだろうか。じつは、問題を永遠に先延ばしにしているだけではないのか。資本主義とは、そういう運動ではないのか。
しかし彼らは、戸惑いつつ、率直にその問題と向き合った。
そうして、一挙に解決しようとした。
それが、戦って命のやり取りをする、ということだった。
そのとき彼らは、共同体に閉じ込められ、この生に閉じ込められてあるという閉塞感(=嘆き)を、生きてあることの実存的な感慨として共有し合っていた。そこから、戦うことのカタルシスがくみ上げられていった。
認めたくはないだろうが、それが、戦争の起源だったのだ。
彼らは、「土地を奪うため」とか「奴隷を調達するため」とか、そんなすれっからしの現代的損得勘定で戦っていたのではない。純粋に、そして究極において、戦うことそれ自体を止揚していったのであり、それはまた、この生の「嘆き」を共有し、「連携」してゆくことでもあった。