神の視線は存在するか?・「天皇の起源」36


人間は「祀り上げる」ということをする存在である。
弥生時代奈良盆地の巫女は何をしていたかということ以前に、なぜ彼女らは人々に祀り上げられていったかという問題がある。
呪術をして利益をもたらしてくれるから祀り上げられていったのか。
そうじゃない。
原始社会の人々はそんな「利益」を欲しがるような「欲望」は希薄だった。そんな欲望で原始社会が動いていたのではない。
「古代以前の人々は自然と調和して生きていた」と歴史家は口をそろえていっている。自然と調和していたら、呪術など必要ないではないか。自然のあるがままを認識し受け入れていただけだろう。
呪術とは、自然に干渉し、自然を支配しようとする観念行為である。原始社会にそんな制度性というか作為性が機能していたのか。だったら「原始人は自然と調和していた」などというべきではない。自然と調和していたら、自然に干渉してゆく行為である呪術など発想するはずがない。
柳田國男折口信夫中山太郎も、この国の民俗学の大家はみんな原初の巫女は呪術師だったといっているし、今でも多くの歴史家はそれが疑うまでもない真実のつもりでいる。
人間社会の呪術はどのような状況から生まれてきたのか。そこのところを考えるなら、日本列島は呪術が生まれてこないようなというか、呪術が生まれてくるのとは対極の集団性で長い歴史を歩んできたと解釈するしかないのである。
呪術がなかったからこそ、それに代わる集団運営のよりどころとして天皇が祀り上げられていったのだ。
日本列島の土着の呪術などというものはない。呪術などというものは、大和朝廷成立以後の外来文化の洗礼を受けて生まれてきたにすぎない。
日本列島の住民は、「穢れ」をそそいで祀り上げるということをする。それは「呪術」ではなく「美意識」なのだ。その違いを、歴史家の多くは混同している。
原始社会における穢れは、祭りの娯楽芸能によってそそいでいたのであって、呪術によってではない。
人類は、呪術よりも歌い踊る祭りの習俗を先に身につけていった。
縄文人弥生人はお祭り好きだったのであって、呪術などというものはまだ知らなかった。
原始神道の巫女は、人々の穢れをそそぐために人々の前で歌い踊って見せる存在だった。
弥生時代は、農業生産の本格化とともに集団の密集状態が加速して、人々がそのことの鬱陶しさ=穢れをより深く自覚していった時代である。そういう状況から巫女が生まれてきたのであって、呪術のためなんかではない。
彼らにとっての生きてあることの第一義的な願いは「穢れをそそぐ」ことにあったのであって、「生き延びる」ことでも「よりよい暮らしをする」ことであったのでもない。



原始社会は文明が未熟だったから、よりよい暮らしをしようと思ったら呪術にたよるしかなかった……いまどきの歴史家はこんなことをいう。
原始人がよりよい暮らしをしようとあくせくしていたと、どうして決めつけるのか。
彼らエリートの中には、貧乏人とはそういういじましい人種である、というお定まりの差別意識がある。いまどきの貧乏人はそうかもしれないが、原始人もそうだと決めつけられては困る。
いまどきは、社会からの視線によって貧乏であったら人間の範疇に入れてもらえないようなプレッシャーを負っているが、それは戦後社会で急速に肥大化してきた差別意識であり共同幻想であって、みんなが貧乏で貧乏があたりまえの原始社会にそんなプレッシャーがあるはずない。
よりよい暮らしをしたいと発想するのは、すぐそばによりよい暮らしをしている人間がいるからである。みんなが同じような暮らしをしていたらそんなことは思いようがないし、だいいち誰もよりよい暮らしなど知らなかった。
病気になったら健康に戻りたいと思うではないか、という。しかし原始時代は、病気になったら死んでゆく確率の方が高いのだから、死んでゆくことを覚悟する方が切実なテーマになる。
原始人や古代人は、死んでゆく人をたくさん見聞きして生きていたのだ。
死を知ってしまった原初の人類がまず何を考えたかといえば、死と和解することだった。
現代人のように「死にたくない」というさもしい欲望を募らせたのではあるまい。
彼らは、死と和解しなければ生きることができなかった。原初の人類は、そのテーマと向き合っていたのであって、呪術で無理やり治そうと欲望したのではない。
古代人や原始人にとって死は受け入れるものだったのであり、その「死に対する親密さ」の上にこの生のいとなみが成り立っていた。
苦しければ、苦しみを和らげようとした。そうして、苦しみを和らげるための「文化」が生まれてきた。
身体という自然を支配して苦しみのない状態にしようとする「呪術」を発想するようになったのは、ずっと後の時代のことだ。
呪術とは自然を支配することだ。それは、原始人の発想ではない。共同体(国家)が発生し、自然を支配する神という概念が見い出されることによって呪術が生まれてきた。



この世界を支配している神が存在する……などということは、原始人が考えることではないだろう。そういうことは、自然の仕組みがあれこれわかってくるこることによって発想されてきたことだ。
現在の最先端の科学者だって神を信じている人はたくさんいるし、そういう人の方が信じてしまいやすいともいえる。
自然は、あまりにもうまくできすぎている。しかしそんなことは当たり前だ。自然にかなっているものしか存在しないのだもの。
べつに神の仕業でなくてもいいではないか。
この世界は驚くことばかりだが、原始人はそれを神の仕業だとは思わなかった。
言い換えれば、神の仕業だと思うことは神に支配されて神を「怖がっている」だけのことであって、「驚いている」のではない。ちゃんと「神の仕業だ」とわかっている。
驚くとは、「なにがなんだかわけがわからない」という反応のことだ。人間の思考はそこからはじまって「神の仕業だ」というところにたどりつく。だから、自然の仕組みがよくわかっている科学者ほど神を信じやすいということも起きてくる。
「神の仕業だ」なんて、現代人の思うことだ。
「神に生かされている」とか「神に罰せられている」などとよくいうが、それは「神に支配されている」という意識であり、「神に見られている」という意識だ。
この「見られている」という意識こそ人間存在の基底になっているのであり、ここから人間的な文化が生まれてきた。そして、この「見られている」ということの飢餓感から「神」という概念が発想されていった。



共同体(国家)は、外部=異民族の視線を遮断することによって成り立っている。共同体(国家)は、神の視線を設定しないことには「見られている」という意識が持てない。
人間は、「見られている」という場に立ちたがる存在なのだ。
西洋の集団性は、都市において発達してきた。それは、氷河期明けのすぐのころから異民族や他の集団との緊張関係が生じていていたから、あるていど大きな集団として結束していないとかんたんに滅ぼされてしまう状況があった。
共同体(国家)は、「異民族=他者」の視線を排除することによって結束している。そして、都市の住民はたがいに無関心になりやすく、人に「関心を持たれたい=見られたい」という欲望が募ってくる。そのようにして自分が「見られている」存在としての他者を喪失しているところから、自分に関心を持ち見てくれている絶対的な他者としての「神」がイメージされていった。
西洋人はそんな「神=絶対的な他者」を持たないといけないほど孤独が深い、ということだろうか。それほどに都市国家の伝統を分厚く持っている。
人間は、見られていることを鬱陶しがると同時に見られていないと落ち着かない存在でもある。西洋人にとっての神は、そういう二律背反を超越した「外部」から自分を見ている「絶対的な他者」という存在であるらしい。
神という概念を設定してまで「見られている」という場に立とうなんて、いつも他人から見られることにうんざりしている日本人にはよくわからない心理である。
日本列島の集団性は「村」として発達してきた。異民族との緊張関係がない土地柄だから、集団は「村」という単位でじゅうぶんだった。そして村では誰もが「すでに見られている」存在だから、「見られたい」という欲望は発生しない。今さらダメ押しのように自分を監視している「神」なんかイメージしない。
まあ日本人もさまざまで、意外と田舎の農民の方が罰当たりな意識や行動習性を持っていて、平気で村の規則を破って密猟をしたり、まるで公共心というものがなかったりする。それに対して都市の人間の方がかえって迷信深くて、「罰が当たる」と怖れたり、「都市伝説」を生み出したりしてしまうところがある。
いまどきの「スピリチュアル」のブームだって、いわば都市伝説のようなものだ。「生まれ変わり」があるとかなんとか、ようするにそのような「神の設計」を信じているのだろう。
僕は罰当たりな人間で、「神の設計」なんか信じられないし、「生まれ変わり」などということはまったくわからない。あるとかないとかという以前に「わからない」のだ。
おまえら、「わかっている」のか?ご立派なこった。
古代以前の日本列島の住民は、現在の田舎の農民以上に神も仏も知らない罰当たりな存在だったはずである。であれば、そこから「神」という概念が発生してくることは原理的にありえない。



日本列島の住民は、神に見られる以前のもっと根源的なところですでに「見られている」という意識を持っていた。
それは、人間としての実存感覚である。
何に見られているということでもない。みずからの身体そのものがすでに「見られている」というかたちで存在している。
人間が二本の足で立っているとは、そういうことなのだ。それは、「すでに見られている姿勢」である。誰が見ているわけでなくても、先験的に「見られている」というかたちで存在しているのだ。
二本の足で立ち上がれば、視界が広がる。つまり、「見る」という機能が発達する。
人間は、「見る」という心の動きが発達している生き物だから、「見られている」という意識を持ってしまう。
二本の足で立つ姿勢は、前のめりに倒れやすい不安定な姿勢で、しかも胸・腹・性器等の急所を外にさらしているとても危険な姿勢でもある。
その姿勢は、たがいに向き合い見つめ合うことによって安定する。目の前に他者の身体が存在し他者の視線を受けているという、その「圧力」がその不安定な姿勢を安定させている。
われわれは、目の前に他者が存在しなくても、無意識のところでそういう先験的な「圧力」を受けながらみずからの姿勢を安定させている。
それは、胸・腹・性器等を外にさらして攻撃されたらひとたまりもない姿勢である。だから、目の前の他者の視線は大きな「圧力」になる。そしてその「圧力」が姿勢を安定させる。であればそのとき向き合った二人は、相手のことを大いに怖れ「見られている」と意識しながら、しかも相手に対して攻撃しようとする意志を放棄してひたすらときめいている。
相手から受ける意識と相手に向かう意識が正反対である。相手から「愛されている」と思えば「圧力」にならない。しかし合いしていなければその関係は成り立たない。
人は、相手の気持ちなどわからない。それでもときめき愛してゆく。わかってしまったら、おたがいの姿勢は安定しない。人と人の関係は、根源において一方通行なのだ。一方通行であるときめきと怖れを共有しながら、たがいの姿勢を安定させている。
人類の言葉は、そういう一方通行の怖れやときめきから生まれてきたのであって、伝達し合ってたがいの愛に気づき合い共鳴してゆく関係をつくる行為として生まれてきたのではない。たがいの身体の「孤立性」を止揚し合うかたちで言葉になっていったのだ。
「共鳴」して「一体化」してゆくのではない。たがいの「孤立性」を止揚してゆくという連携プレーなのだ。
人と人は「伝達の不可能性」の上にときめき合っているのであり、言葉の根源的な機能もそういうところにある。
人と人は、たがいに一方的に見つめてときめき合い、たがいに一方的に「見られている」と怖れている。



日本的な「村」の文化はまあ、「見て見ぬふりをする」文化である。なぜなら、誰もが「見られる」ことを鬱陶しがっているからだ。だから、見つめてはいけない。しかし見られていなければ人間の二本の足で立つ姿勢は安定しない。
西洋の哲学では、人間はこの二律背反(ダブルバインド)を「命がけの飛躍」によって克服する、などという。それは、「神」の思想だ。彼らは、「神」という概念によって「命がけの飛躍」をしてコミュニケーションを達成する。
しかし日本列島では、その二律背反(ダブルバインド)それ自体を生きようとする。
日本語では、「見える」とか「見かける」などという。これは、西洋の言葉にはないニュアンスを含んでいる。これは、ダブルバインドそれ自体を生きようとする表現である。
「山が見える」というとき、「山を見ることができる」という能動的な「can」の意味だけではなく、何か「なりゆき」まかせの受動的なニュアンスが含まれている。「見えてしまう」という感じ。そのとき主体は、山から「見られている」のだ。
たんなる「I can see」ではない。「山が私を見ている」というニュアンスも含んでいる。だからこの場合の「主語」は何かといえば、英語のようにかんたんには決められない。必ずしも「I」とはいえない。「私は山が見える」といったら、何か変ではないか。それでは日本語になっていない。
日本語で主語が省略されがちなのは、「すべての存在はすでに見られている」という思いがあるからだ。げんみつには「省略」しているのではない。主語をつけることができない、あるいは主語をつけるわけにいかない世界観がはたらいている。
「命がけの飛躍」によって主語を設定する西洋を基準にすれば「省略している」ということになるのだが、じつは省略しているのではなく「主語がない」のだ。
西洋人からすれば「日本人は命がけの飛躍ができない」となるのだが、日本人からすれば「西洋人はダブルバインドそれ自体を生きる醍醐味を知らない」ということになる。
西洋人がなんでもかんでも主語をつけたがるのは、神が介在しないかぎり「見られている」という意識が希薄な民族であるからだろう。良くも悪くも彼らの孤独の深さは、そんなところにもある。彼らが夜中ひとり部屋にいれば、自分が自分を見つめている。そういう孤独。孤独とは「見つめる」意識であり、その意識が強すぎて彼らは、「神」を設定しないことには「見られている」という意識が持てない。
それに対して日本列島の住民は、「見つめる」ということをしない。深くお辞儀をして挨拶するのは、「あなたを見つめることはしません」という態度である。しかしそれでいて「見られている」と思っている。「見られることの怖れ」が強すぎるからそういう挨拶の作法が生まれてきたのだ。そのようにして日本列島の住民は、ダブルバインドそれ自体を生きている。
われわれは、孤独を感じることのできない民族であるのかもしれない。ひとりで部屋にいても、すでにまわりのコップからもテーブルからも壁からも「見られている」。
「村」社会の歴史を歩んできた日本列島の住民は、「神」という概念の手続きなどなしに、先験的な「見られている」という意識を持っている。
何はともあれ、「見られる」ことの怖れを失ったら人間は人間であることができない。人間的な文化はその怖れから生まれてくる。
だから西洋人は、「見られる」ことの怖れを抱く対象として「神」という概念を見つけ出した。
人間は、「見られる」ことの怖れなしに生きてあることはできない。その怖れが、二本の足で立っている姿勢を安定させる。これが、人間的な文化の基底なのだ。
「見られる」という受動性。人間は受動的な存在なのだ。受動的な存在であろうとして、彼らは「神」という概念を生みだした。
日本列島の住民は、「異民族に見られる」という苦労なしに歴史を歩んできた。だからこそお気楽に原初的実存的な「見られることの怖れ」を残しながら文化をはぐくんできたし、大陸の人々はそれどころじゃない苦難の歴史を歩んできたから「神」を設定するしかなかった。



西洋人には、この世界をつくった「主語」としての「神」がいる。彼らが「it is rain」というときの「it」は「神」を指している。
しかしわれわれ日本列島の住民は、この世界の現象に「主語(=神)」など存在しないと思っている。
言い換えれば、この世界の現象の「主語」は「神」ではなく「この世界」だと思っている。
それはこの世界の「なりゆき」であって、べつに「神」が動かしているわけではない。
「なりゆき」は「なりゆき」であって「神」ではない。
この「なりゆき」という言葉が西洋人にはわからなくて、われわれには「神」という言葉がわからない。
日本列島の住民が、歴史的に、いかに「神」という言葉を誤解し解釈しあぐねてきたか。
まあ日本列島はやおよろずの神で「神道の神とはこれこれこのようなものである」などという解説がよくなされるが、そうじゃないのだ。もともと神道に「神」などという概念は存在しなかった。
「神」が存在しない「なりゆき」の世界観があっただけだ。そうして古代人は、その「なりゆき」に外来の「神」という概念を当てはめていった。
「やおよろずの神」といっても、「神」という概念に対する誤解の産物にすぎない。



「かみ」は「かむ」という動詞の体言である。「なりゆき」がうまく進むことを「かむ=かみ」といった(現在でも、「接続する」ことを「かむ」とか「かませる」などという)。それを、外来の「神」という概念に当てはめていった。神とはこの世界をつくった存在なのだから、その解釈は間違ってはいなかった。しかし日本列島の住民は、「神」すらもこの世界の現象の「なりゆき」としてあらわれてきたものだ、と考えていった。だから、最初のうちは、「かみ」は「神」ではなかった。古事記の神は、「神」とは記述していない。「かみ」である。
日本列島の古代は、外来の「神」という概念をどのように受け入れ咀嚼してゆくかということに試行錯誤している段階だった。だから、奈良盆地という一地方の伝え語りである古事記にたくさんの神が登場してくることになった。この世界をつくった神は存在しないが、細部のあれこれは神がつくった。つまり、「神」もまたこの世界の「なりゆき」の中の存在だった。
「なりゆき」が「神」だった。「なりゆき」を祀り上げるようにして「神」という存在をイメージしていった。
日本列島の住民は、「神」という存在を祀り上げているのではない。「なりゆき」を祀り上げているだけである。
「なりゆき」に「主語」は存在しない。
「山が見える」ことは、「私」が見ているのではない。「私」はそういう「なりゆき」の中に置かれている、ということを表している。その「なりゆき」を「表現する=祀り上げる」ためには「私」という「主語」を使うわけにはいかない。
日本語は、「主語」を「省略」しているのではない。「主語」を使うわけにはいかない「なりゆき」に対する思いがあるのだ。そのとき日本列島の住民はこの世界の「なりゆき」を祀り上げている。
この世界をつくった「神」を祀り上げているのではない。この世界の「なりゆき」を祀り上げているのだ。これが、わざわざ「神」などという概念を設定しなくても原初的な身体存在の実存のレベルにおいてすでに「見られている」という感慨を持ってしまっている民族の世界観であり、原始人は普遍的に世界中どこでもそのように存在していたのだ。
世界を祀り上げつつ世界を怖れている……これが、人間の二本の足で立っている姿勢であり、そのようにして原初の人類は住みにくい土地住みにくい土地へと地球の隅々まで拡散していった。彼らは、その住みにくさの中で世界を祀り上げていった。人間は、根源に置いてそういう存在の仕方をしている。
見られることの怖れ……これが、人間の二本の足で立つ姿勢を成り立たせている。そしてこれが、人間的な文化の基底である。
日本列島の住民は、神に見られていなくても、原始人と同じようにすでに存在そのものにおいて「見られている」という意識を持っている。ここからは、神という概念も呪術も生まれてくるはずがない。
人類の文化は「見られている」という意識から生まれてきた。そして、西洋の「神に見られている文化」に対して、神という概念を持たない日本列島では「原初的な見られている文化」として洗練してきた。そういう違いはたしかにあるわけで、そういう違いの歴史から「天皇」が生まれてきたのだ。
天皇の起源は、大陸的な「神」だの「呪術」だのという概念で説明することはできない。
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