途方に暮れる・神道と天皇(142)

この世の中は、神との関係を生きる人と、神に見捨てられている人の、二種類の人間がいる。
日本人は、神に見捨てられた民族であるらしい。
だから、宗教心が薄い。
多くの歴史家は、古代以前はとうぜんのように「原始宗教=呪術」で社会をいとなんでいたかのようにいうが、そんな下地があったのなら、仏教伝来とともにますます宗教的になっていったはずだし、今でもしっかり宗教心を持った民族であらねばならない。
多くの歴史家は、日本人は戦後になってから宗教心が薄くなってきたという。
冗談じゃない。そうかんたんに「歴史風土=伝統」が消えてなくなるものか。
戦前だって宗教的な習俗は色濃く残っていたものの宗教心そのものは薄かったし、古代から江戸時代までだって、宗教なんかたんなる生活習慣だったのであって、本気で神や仏を信仰してきたのではない。日本列島の宗教は日本人の宗教心の薄さによってどんどん変質させられてきたのであり、アメリカやイスラムユダヤのように、いまだに原理主義が幅を利かせている地域とはわけが違う。
たとえば、仏教の「戒律」は、民衆社会に広まってゆくにつれてどんどん骨抜きになっていった。宗教の本質は「善悪で裁く」ことにあるのだが、日本列島の精神風土の伝統は古代以来ずっと「善悪で裁くことはしない」ということにあり、その象徴として天皇を祀り上げてきた。
文明社会の「法制度」は「神の裁き」を基礎にして発展してきた。それに対してもともと宗教心のない日本列島の民衆社会は、そうした法制度から離れて、裁くことをしないまま語り合いの「なりゆき」によって着地点を見つけてゆくという調停の方法を取ってきた。神を超えたというか神の範疇から逸脱した「神聖なもの」を祀り上げているものたちは、「裁く」ことに対するためらいがどうしてもあるし、それこそが縄文・弥生時代以来のこのくにの伝統にほかならない。。
「裁く」のではなく「祝福する」ということ。この国の民衆文化の伝統は、宗教=神の「外」にある。

親子のあいだでお金の貸し借りの関係はほとんど起きない。文明制度においてはそれをそのまま社会的な関係に広げてゆくことはできないわけだが、もともと「裁く」とか「契約」ということを知らない日本列島の民衆社会では、そのままで社会的な関係もやりくりしようとしてきたのであり、それが宗教心を持たないものたちの集団運営の流儀になってきた。
たとえば、村の誰かが禁猟期間中にこっそり猟をしたとする。そのとき村のものたちは、誰もそれを告発しない。その代わり、誰もが同じようにこっそり猟をする。一度だけなら見て見ぬ振りされるし、するしかしょうがない。これが、縄文・弥生時代以来続いてきた日本列島の村の流儀であり、それによっていちばん最初にしたものは二度としなくなるかもしれないし、またすれば、だんだん村八分になっていったりする。
農繁期に人出が少ない家の手伝いをしてやっても、日当なんか要求しないし、貸し借りの関係にもならない。それはもうおたがいさまで、助けてもらった家だっていつかは逆の立場になる。この関係を「結(ゆい)」といったりするらしい。それは、「せずにいられない」ところのたんなる「なりゆき」の関係であって、「しなければならない」という「契約」の関係ではない。
まあ古代および古代以前においては、この「結」の関係のダイナミズムで道路や橋や巨大前方後円墳をつくったりしてきたのだ。
ただそれは、村が家族のような関係になっているというよりも、家族が村の関係のようにっているということで、そこにはあまり家族のプライバシーはないし、家族そのものが村であるかのような大家族構成になっていたりする。
宗教心の薄い日本列島の民衆は、制度規範の薄い集団をいとなんできたし、制度規範を持たないことが制度規範になってきた。誰もそれをしろとは命令しないが、せずにいられなくなるようななんとなくの空気が醸成されている。まあこのことが村のしがらみの後進性とか鬱陶しさのようにいわれたりもするが、それは、「せずにいられない」衝動に対する信憑が共有された「性善説」に上に成り立っており、よかれあしかれ「神聖なもの」をみんなして祀り上げているわけで、そうやって鎮守の森の祭りが長く守られてきた。
日本列島の村は、裁き合うことをしないからけっこうバラバラで「結束」しているわけではないが、「神聖なもの」をみんなして祀り上げながら、それなりに豊かに「連携」してもいる。だから、鎮守の祭りの際には、近郷近在の村人も、旅の僧や乞食や旅芸人なども続々集まってくるし、古代・中世にはフリーセックスのような乱痴気騒ぎになったりもしてきた。そういう「無主・無縁」の集団性は、「神聖なもの」をみんなして祀り上げてゆく伝統の上に成り立っている。
西洋人は、日本列島の女の下半身の緩さにかなり驚いたりしているが、「姦淫するなかれ」の宗教戒律が機能していない国だからしょうがない。江戸時代には、娼婦である吉原の花魁が女神のように崇拝されていた。そしてそれは、ただ「無節操」というというよりも、「すべては許されている」という「神よりももっと神聖なものを祀り上げる」心が共有されているからだ。

不幸であるということは、「神に見放されている」ということだ。不幸にもいろいろあるが、何よりもまず人がこの世に生まれてくるということそれ自体が、まぎれもなく不幸な事態であり、人間として二本の足で立っているということだって、両足にとても大きな負荷がかかるし、不安定だし、胸・腹・性器という急所を無防備にさらしているし、とてもストレスフルで不幸な姿勢なのだ。
人間存在の先験的な「受苦性」というものがある。
その「受苦性」を生きることが、人間であることの証しなのだ。
つまり人間は誰もが生まれながらにして神に見放されているともいえるわけで、宗教心の薄い日本列島の文化の伝統はそのことの上に成り立っている。この生の「嘆き=かなしみ=喪失感」を抱きすくめてゆくこと。
知ったかぶりのインテリによる底の浅い「生命賛歌」よりも、演歌の泣き節のほうがずっと人間性の本質にかなっている。
身体障害者は、この世のもっとも神に見放された人のひとりであるのかもしれない。生まれながらにそうであるならなおさらだが、それでもその人が生きてあることができるのは、彼らなりに深く切実に「世界の輝き=神聖なもの」に気づきときめいているからだろう。「世界の輝き=神聖なもの」は、彼らのもとにこそある。だから人は彼らを生きさせようとする。
人は、生きられないものと一緒に生きようとする。そうやって、この生の外の「神聖なもの」に対する遠い憧れを生きようとする。
人は、この生の外の「神聖なもの」から見られている。「神聖なもの」は、この世界のすべてを許している。生きられないものと一緒に生きることは、一緒に「許されている」存在になってゆきたいと願うことだ。
生きられないものと出会えば、彼らこそ「許されている」存在であることが、胸にしみて知らされる。赤ん坊がかわいいのも、まあそういうことだ。
すれっからしの正義ぶった大人たちがこの世のもっとも正当な存在であるはずがない。神との関係を結んでいるものたちは、自分には生きる権利があると思っている。それはつまり、この生の最大の謎である「自分とは何か?」という問いをすでに放棄していることを意味する。
「許しを乞う」とは、「自分は『悪』である」と思うことではない、「自分とは何か?」と問うことであり、そういう意味で人は死ぬまで許されていない存在なのだ。この生は、「許されていない」ことを生きることだ。「自分とは何か?」ということがわかっていないのだから、「許されている」となんか思いようがない。
「生きられないもの」だけが、許されている。というか、「生きられないもの」が生きてあることは「許されている」ことの証しであり、それが人類の希望になっている。だから人は介護をするのだし、生と死のはざまに立って生きられなさを生きるような無謀なことをしたりもする。そうやって原始人は、生きられるはずもないような極北の地まで拡散していった。
原初の人類が二本の足で立ち上がることは、生きられなさを生きる体験だった。
「生きられるもの」が生きることは、自分で勝手に生きているだけのことであり、「許されている」ことの証明にはならない。
生きられなさを生きることにこそ「許し」があるわけで、「許し」が欲しいのは「神聖なもの」に対する遠い憧れがあるからだ。人の心の底には、この世界のすべてを許している「神聖なもの」と出会いたいという願いがあり、それは、この生に執着することではなく、この生を超えてゆくことだ。人類だけでなくすべての生きものはそうやって進化してきたのであり、この生はこの生の「外」にある。

人類の「神聖なものに対する遠い憧れ」は二本の足で立ち上がったときからすでに芽生えていたのであり、そうやって心=思考が「異次元の世界」に飛躍・超出してゆくダイナミズムとともに知能が進化してきた。それは、「神」や「霊魂」という概念とともにある「宗教=呪術」ではなかったが、「神聖なもの=異次元の世界」を意識していることにおいて宗教よりももっと宗教的だともいえる。
この生のいとなみは、この生を超えてゆくことにある。そうやって心は「異次元の世界」を夢見ている。
この生を超えてゆくことは、この生の「外」に飛躍・超出してゆくことであり、それはまた、生きることができない存在になってゆくことでもある。
生きることができないものは、この生の「外」にいる。生きることができないものは、そういう神のような存在なのだ。人類普遍の介護の精神は、赤ん坊や老人や病人や障害者を神のような存在として祀り上げてゆく。まあ鳥だって自分の命を削って雛を育てようとしているし、ウミガメだって死にものぐるいで砂の中に卵を産み付けている。そういう意味で、「神聖なもの」を祀り上げてゆくことは生きものいとなみの普遍だともいえる。
自分が生き延びることが大事なのではない、「神聖なもの」が守られることが大事なのであり、鳥や魚やウミガメだってそうしている。
「神聖なもの」とは「自然の摂理」のこと、それをどう解釈するかの解答は宗教にはないし、原始人はすでに知っていた。なぜなら原始人はそれに逆らって生きられるはずもなかったのだから。
生きものは必ず死ぬのだから、生き延びることがいちばん大事だというような生態にはならない。必ず死ぬ、という前提に立った生態になっている。だから、「自分の命を削る」ということをするのであり、それは「生きられなさを生きる」という行為にほかならない。
生きられなさを生きようとするのは、人間だけでなく生きものの自然なのだ。そのようにして生物進化が起きてきた。

誰もが生きられない存在になって、誰もが他者を生きさせてゆく……これが、人類の集団性の、二本の足で立ち上がって以来のダイナミズムになってきた。生き延びようとする欲望が人類の集団性を進化発展させてきたのではない。
誰もが生きられない存在になってゆくことによって、人間的な「連携」のダイナミズムが生まれてくる。高度な「連携」はそれぞれの「自己犠牲」をつなげてゆくことの上に成り立っているのであり、鳥や魚やウミガメだってそうしている。
「自己犠牲」とは、生きられなさを生きること。
あなたは生きられなさを生きているか?……日本列島の村の習俗だって、誰もがそのように問われている存在になってゆくことの上に成り立っているのだし、それが日本列島の集団性の伝統なのだ。
日本列島では、宗教以前の、そして宗教を超えた「神聖なもの」に対する遠い憧れがひとつの集団の無意識として息づいている。
宗教にたどり着くことが人類の知能の進化であるのではない。文明社会が宗教を生み出していったことは、ひとつの「退化」だったともいえる。原始時代は人殺しや戦争などしない社会をつくってどんどん猿の集団性のレベルを超えていったのに、文明社会になって猿よりももっと陰惨なレベルで人殺しや戦争が起きるようになってきたのだ。その矛盾を収拾するようなかたちで、宗教が生まれてきた。それが大陸の5・6千年前ころのことで、日本列島でははそれからさらに3・4千年のあいだ、なおも宗教以前の原始的な集団性の文化を洗練発達させてきた。そのためにその文化は、仏教伝来の1500年前にはもう、宗教を超えるレベルに達していた。つまり、原始人においては無意識的本能的だった「神聖なもの」に対する遠い憧れを「自覚」するレベルになっていた。
そのとき日本列島では、大陸の「善悪」で裁く文化に対して、善悪を超えたレベルの「神聖なもの」を祀り上げながら、「清浄」か否かの「けがれ」と「みそぎ」を意識する文化になっていた。
古代の日本列島の民衆にとっての仏教伝来は、「仏」よりももっと「神聖なもの」に改めて気づいてゆくきっかけになったのであり、そのようにして「神道」を生み出していった。
神道の祭神は、宗教の神や仏のように人を裁くわけでも救済するわけでもなく、ただもう一方的に祝福し祀り上げてゆく対象だった。そのとき彼らは、一方的に祝福し祀り上げることを本格化させていっただけであり、「裁く」とか「救済する」というような宗教意識に目覚めていったわけではない。
彼らは、誰も裁きたくなかったし、誰からも裁かれたくなかった。こういう気持ちは、日本列島がはじまってから現在にいたるまでの伝統的な精神風土だ。だから、誰も裁かない天皇が祀り上げられてきたのだし、生々流転、すべての森羅万象は移ろい流れてゆく。たしかなものなど何もない。何を好き好んで神や仏の裁きにひれ伏さねばならないのか。われわれは、「すべてを許している」ところの「神聖なもの」を祀り上げてゆく。
宗教だから清らかだとか立派だというようなことはいえない。宗教者は俗物だ、と僕は思う。