穢れと差別・「天皇の起源」48


天皇は、弥生時代奈良盆地で、内乱が起きないための装置として生まれてきた。
べつに内乱が起きそうになっていたからというのではなく、内乱が起きないような状況だったから天皇が祀り上げられていった、ということだ。
つまり、みんなして同じ美意識が共有されていた。人間集団は、基本的にはそのようにして成り立っている。
日本列島の住民が共有しているところの、弥生時代以来天皇を祀り上げてきたことの基礎になっている美意識とはどのようなものだろうか。
それは「穢れをそそぐ」という美意識である、と前回に書いた。
日本列島の住民は、この生やこの身体に「穢れ」を意識している。「肉体賛歌」や「生命賛歌」などしない。
しかし現在のこの国では西洋流の「肉体賛歌」や「生命賛歌」が広がっていて、「穢れ」など他人のもとにあるものだと思っている人も多い。
「穢れ」という言葉は差別するために生まれてきた言葉ではない。戦後の一時期、天皇制のもとで差別が生まれてきて、差別するために「穢れ」という言葉が生まれてきた、という言説が流行した。
今でも、天皇制をなくせば差別もなくなると思っている人がいるが、そうかんたんなものではないだろう。べつに天皇性がない外国に差別がないというわけでもないのだし。
天皇はべつに差別する装置として生まれてきたわけではない。
差別や階級は共同体(国家)の成立以後に生まれてきた制度意識であって、天皇は、大和朝廷が成立する以前の弥生時代奈良盆地にすでに存在していた。
差別は国家制度がつくってきたものであり、国家制度は権力者がつくったのであって、天皇がつくったのではない。
天皇がいなくなれば差別の構造はなくのかとのかといえば、そうはいかない。よその国と同じような差別構造になるだけだろう。
おそらく、もっとあからさまに差別するようになる。
天皇がいるからこの程度ですんでいる、ということもあるかもしれない。日本列島には西洋やインドほどの階級制度がなくて、ときに世界でもっと共産主義的な国家だなどといわれたりするが、それはみんなして天皇を祀り上げているからかもしれない。
なんのかのといってもこの国にはみんなして共有している美意識の伝統があり、それがこの国の集団を成り立たせている。
もともと天皇は、差別などない社会の形見として生まれてきたのだから、その天皇を祀り上げる美意識を失ったら、もっと節操がなくなってしまう。
いまさら歴史は引き返せないのである。
西洋の人々は、7千年のあいだ国家をどのように運営してゆくかということを試行錯誤してきた。
天皇がいない国家運営をわれわれが今からはじめてどうなるかということを、天皇のいない国家など体験したことのない民族であるわれわれがちゃんとイメージできるのだろうか。
あなたたちは、天皇がいないよその国がそんなにもうらやましいのか。
自分たちがイメージした通りの国家がつくれるとでも思っているのか。
日本人には日本人の美意識がある。その美意識の上にしか集団など成り立たないのである。
もしも日本人の美意識が少々特異だとしたら、ほかのどんな国も参考にはならないはずである。われわれには、西洋人のような「肉体賛歌」や「生命賛歌」や「共同体(国家)賛歌」はできない。われわれにとってこの生は「けがれ」を負ったものであり、この世界は「憂き世」である。良くも悪くも、これがわれわれの美意識だ。
日本人の美意識が天皇を生み出したが、天皇が日本人の美意識を生み出したのではない。
戦後社会は、欧米を模倣しながら国の制度づくりをしてきたのだろうが、その市民主義はいまひとつ身につかないままあれこれのほころびが生まれてきている。
われわれの美意識は、欧米のそれとは少し違う。欧米の市民主義の「生命賛歌」や「肉体賛歌」はこの国の伝統の美意識になじまない。いまさら「生命賛歌」や「肉体賛歌」の美意識をを持とうとしても、われわれにはそういう歴史がない。
そしてこの社会を「憂き世」と思い定めて生きている民族は、「成熟した市民」にはなれない。
戦後社会の市民主義は、「成熟した市民」というスローガンを叫びながら、けっきょく美意識の欠落した大人たちをあふれさせた。
しかし、美意識の伝統がなくなったわけではない。現在の若者たちの美意識は、大人たちのそれよりはるかに洗練している。現在の若者たちは、大人たちのような「生命賛歌」や「肉体賛歌」はしないし、この社会を「憂き世」と思い定めて生きている。彼らは、現在の大人たちの若いころよりずっと子供じみて「成熟した市民」になる素養を欠いているが、その彼らの中で、伝統の美意識がよみがえりつつある。
もともと日本人なんか、みんな子供じみていたのだ。
戦前までのこの国には、「成熟した市民」などいなかった。マッカーサーの目から見れば「子供みたいな大人」ばかりの国だったらしい。
われわれは、その「子供みたいな大人」の美意識を共有しながら歴史を歩んできた。



この国ならではの美意識の伝統がある。それを無視して天皇制をやめ、欧米的な市民主義でやっていこうとしても、おおいに無理がある。戦後は、そういうスローガンで生きてゆこうとして、けっきょく西洋的な美意識は身につかず、日本列島の伝統的な美意識も失っていった。
そうして、何か垢抜けない大人たちをあふれさせた。
天皇制をなくせということは、みんなそういう美意識の欠落した大人になれということである。いまどきの大人たちは、天皇制をなくせばどうなるかということのいいサンプルである。
戦後の一時期、「天皇制をなくせ」という左翼知識人がオピニオンリーダーになっている時代があった。まあ、そういう状況から、全学連全共闘学生運動が生まれてきた。
そのころ、多くの若者が、やがて天皇制がなくなるだろうことを信じていた。
しかし実際のこの社会は、そうはならなかった。これは、大きな教訓ではないだろうか。
あれこれ絵にかいた餅のような未来の社会像を描いて見せても、とくにこの国では政治的なスローガンの通りにはならない。
人間の集団は美意識の共有の上にしか成り立たない。
そしてこの国の美意識の基礎は「穢れをそそぐ」ということにある。
「穢れ」という言葉は、もともと他人を差別するための用語ではなかった。「穢れ」は、あくまでわが身のことだった。
日本列島の古代人は、誰もがみずからのこの生やこの身体の「穢れ」を感じていた。
日本列島の美意識は「穢れ」を自覚することの上に成り立っているのであり、「穢れ」を自覚することが美意識なのだ。
「穢れ」の自覚を持っていることを「センスがある」という。しかしそれは、自分の中に凶悪な部分が潜んでいることを自覚している、というようなことではない。ほんらい人間の心にはそんな「善」とか「悪」というようなものは潜んでいない。潜んでいるという前提でそれを打ち消しながら人格者ぶったり清らかぶったりすれば、それはもう「穢れ」を自覚していないということだ。それは「穢れをそそぐ」ということではない。彼は「穢れ」とは何かということがわかっていない。
「穢れ」とは、自分の中に不正なものや凶悪なものが潜んでいるというようなことではない。生きてあることのかなしみやいたたまれなさやくるおしさで胸がはちきれそうになって心が身動きなってしまうことであり、いつも人格者でいられるのなら、そういう体験がないということだ。つまり、「穢れ」を自覚していない。
日本列島においては、生きてあることそれ自体が「穢れ」なのだ。そしてその「穢れ」を赦してゆくのが日本列島の美意識であり、それを赦さないという人格者は、共同体(国家)の成立以後にその制度性の落とし子として生まれてきた。神や共同体の制度性はそれを赦さない。
もともと日本列島に、清らかな人格者などいなかったし、そういう「赦さない」制度性を持つのが大陸よりも何千年も遅れた。それは、誰もが「穢れ」を自覚して生きている社会だったからだ。
「穢れ」を自覚し、「穢れ」を赦し合う社会だった。そういう美意識の形見として、弥生時代奈良盆地天皇が祀り上げられていった。



死んだら仏になる、という。人は、死ぬことによってはじめて清らかな存在になる。
生きていることは「穢れ」だからだ。
まあ葬式のときは、世界中どこでもそのように死者を追憶しながら涙しているのだろう。
日本列島ではことに生きていることに対する「穢れ」の意識が深いから、死者はなおさら清らかな存在になる。
清らかな存在は、この世界のものであってはならない。この世界の外の「他界」の存在であらねばならない。
弥生時代奈良盆地で巫女たちが人里離れた山の中で暮らしていた習俗は、この生は「穢れ」であるという意識から生まれてきた。この生が「穢れ」であれば、人が住む里もまた「穢れ」の地である。
彼らにとって山は清浄な場所だった。山をそのような場所だと思うのは、この生を「穢れ」だと自覚していたからだ。
「穢れ」の自覚なしに、清浄な場所(=他界)のイメージが湧いてくるはずがない。
その清らかさが自分の中にあるのなら、清浄な場所などイメージする必要がない。
しかし弥生時代奈良盆地の人々にとっては、どうしてもそのような場所が必要で、他界や他者の中にしか清らかさはなかった。そうして、この世界のすべてを赦すという心地になっていった。
清らかな人格者になってしまったら、もうそんな境地はない。しかし彼らが山を清浄な場所だと思う意識が切実で誰もがそうだったということは、誰も自分を清らかな人格者だとは思っていなかったし、そのように振舞おうともしていなかったことを意味する。
彼らには、清浄な他界のイメージがどうしても必要だった。それほどに深くこの生の「穢れ」を自覚していた。
山の中に住む巫女は清浄な他界の住人で、その巫女がやがて天皇(=きみ)として祀り上げられていった。
まあ巫女は舞の名手だったのだが、ただ踊りが上手いということだけでなく、清浄な存在だということもあった。人々は、その舞に清浄な他界性を見ていた。
天皇は、人々の「穢れ」の自覚から生まれてきた。
もともと「穢れ」は、自覚するものであって、他者の中に見るものではなかった。誰もがそのように思っていなければ天皇は生まれてこなかった。
天皇は、他者の中に「穢れ」を見るための装置として存在しているのではない。



「穢れ=けがれ」という言葉はおそらく縄文時代からあった。それは、共同体(大和朝廷)の成立以後に生まれてきたのではないし、ましてや差別のための言葉であったのでもない。
日本列島の歴史は、「穢れ」の自覚とともにあった。
「けがれ」の語源は「気枯れ」、すなわち気が枯れることだ、などといわれている。
つまりぼんやりしてしまうことか?そうではあるまい。女の月経期間を「けがれ」といったりするが、それは鬱陶しい気持ちが胸に満ちているときであり、ときにヒステリー状態にもなる。そういう過剰な気持ちを洗い流すことを「けがれをそそぐ」というのだから、「けがれ」は「気が枯れている」状態だとはいえない。
生きてあることのいたたまれない気持ちが胸に充満してしまうことを「けがれ」という。
ともあれ語源としては、意味ではなく、その音声の響きに込められた感慨が問われなければならない。
まあ、いまどきの「意味」で説明する語源論に関しては、僕はぜんぶ不満なのだ。
おそらく「けがれ」は、ネガティブな感慨を表す言葉だったのだろう。いたたまれなさやうんざりする気持ちを表す言葉だったのだ。
「けがれ」は「けがる」という動詞の体言として生まれてきたかといえば、そうともいえない。最初に「けがれ」という言葉が独立してあったから「けがれる」という動詞が生まれてきたのだろうし、汚れるという意味の「けがる」と、「けがれ」とでは、また別の言葉だったのかもしれない。
「けがれ」は、「汚れる」というのとはちょっと違う。
「けがれ」の「れ」は、「これ」「あれ」「それ」「だれ」の「れ」、「方向」を表す。
関西の一部の地方では、「勝手に泣いていろ」というときの「泣いていろ」を、「泣いてけつかれ」といったりする。この場合の「けつかれ」は、「突き放す」気持ちが込められている。この言葉は、最初はおそらく「けかれ」だったのだが、「け」と「かれ」を切り離すように「けっかれ」になってゆき、さらにはその切り離し方にだめ押しするように「けつかれ」になったのかもしれない。
「けがれ=けかれ」の「け」は、「蹴る」の「け」、「分裂」の語義。「け」と発声するとき、息は口から出てゆき、声は頭の方に抜けてゆくような感じがある。そうやって声と息が「分裂」してしまう発声。「けっ!」といってふてくされる。気持ちがここになくなってしまうこと。
「がれ=かれ」の「か」は古語の「離(か)る=離れる」のニュアンスを含んでいるのだろう。「か」と発声するとき、声は口の中にとどまって、息だけが外に出てゆく。
だがそれに「れ」がつくことによって、ただ「離れる」というだけでなく「離れてゆく」という方向性を表しているのではないだろうか。
たぶん最初は「かれ」あるいは「がれ」といっていただけで、あとになってそれを強調するように「け」がくっ付いていったのかもしれない。
「がれ」とは、役に立たなくなった邪魔な心や物。鬱陶しい心や物。うんざりして気持ちがここから離れてしまっていることの表出。
「瓦礫=がれき」は、「役に立たなくなってしまった木」のことをいったのが語源かもしれない。「瓦礫」という漢字は、壊れた瓦が邪魔になってきた後世の当て字にすぎない。
とにかく、「がれ」という、うんざりすることやいたたまれない気持を表す言葉があった。
「けがれ」とは、気持ちがここから離れて持て余してしまうこと。その「持て余す」気分をこめて「け」が付け加えられたのかもしれない。
気持ちが世界や他者から離れてというか、世界や他者に対するときめきを失って「自分=身体」に憑依してしまうこと。それはべつに気持ちが枯れてしまうことではないが、この世界の現実との関係を失ってしまうことではある。そうして狂おしく「自分=身体」に憑依してしまっている。
生きていれば、どうしても「けがれ」という状態を体験してしまうし、生きてあること自体に「けがれ」が付きまとっている。「けがれ」は、古代人のそういう感慨から生まれてきた言葉なのだ。
「けがれ」はもちろんネガティブ状態だが、それを嘆きつつ自覚してゆくことこそ日本列島の美意識の基礎になっているかたちなのだ。



「けがれ」は誰にとってもわが身のことであり、自分は清らかな存在で他人は穢れているというようなことではない。
他人のことを「気味が悪い」と思うことは、誰にでもある。不潔っぽくて変な匂いがするとか、何を考えているのかわからないとか。
まあ古代以前においてはそれなりにだれもがみすぼらしい身なりをしていたのだろうから、身なりが薄汚れているということに対する差別はなかっただろう。
差別がどのようにしてはじまったかといえば、いうことやすることがよくわからないという気味悪さととともに棲み分けをするようになっていったことからだろうか。
古代の日本列島の住民は、村の外からやってくる旅人に対しては、基本的に「異民族ではない」という前提があるから拒否するということはしなかった。
逆に、村の中で「異物」のようになってしまった存在は、一緒に暮らせなくなって村外れの原っぱや山の中に掘立小屋を建てて暮らすようになる。
また、巫女のような清浄な存在も山の中に暮らしていた。
村=共同体の外の存在は、村民にとっては自分たちとはちょっと違う存在であると同時に、穢れをそそいでいる存在でもある。そんなものたちを「無用」の階級として差別していったのは権力者がつくった社会制度だろうが、もとはといえば村から出ていったものであり、村の秩序を侵害し否定するものとしてみなされていたのだろう。
彼らは、村の外の存在ではなく、村の最下層の存在とみなされた。もともと村の一員だった、という意識があるから差別されるのであって、よそ者であれば差別されない。
しかしそのような制度ができ上がってきたのは江戸時代以降のことであり、どうして天皇制と結び付けてしまうのだろう。べつに天皇制ととも生まれてきたのではなく、江戸時代の支配制度が生み出したことだ。
古代や中世においてそのような人たちは村で暮らすことの「けがれ」から解放されている存在であり、そこのところで天皇とは同じ存在だった。だから、楠正成のように天皇と主従関係を結んでいる部落集団もあった。彼らは、暮らしの困難と引き換えに「けがれ」から解放されていた。そのことは、村人も認めていた。たとえ薄汚れた格好をしていても、それはもう旅の僧だって同じであり、薄汚れているということに対する差別はなかった。むしろ、その薄汚れているということが「けがれをそそいでいる姿」にもなっていた。
古代や中世の祭りは、彼らの参加によって盛り上がっていった。それは、彼らが穢れをそそいでいる「ハレ=非日常」の存在だったからだ。
それが江戸時代に反転して、彼らを日常的な「けがれ」の存在としてみなすようになっていった。



穢れが多いと書いて「穢多=えた」などという。
では、やまとことばの「穢=え」とは「けがれ」のことか。
「ええっ」と驚く。
「ええ、まあそうです」とあいまいに頷く。
「え」という発声は、口の中で声が反響して、声の発生源がよくわからない。つまり「わからない」という感慨から「え」という音声がこぼれ出る。
「た」は、「足る」「立つ」の「た」、「まさにそうだ」というような感慨の音声。
「穢多=穢れが多い」というのはたんなる当て字で、「まったくわけがわからない」とか「不思議な」とか「制度に縛られていない自由な」人たちだという感慨からそう呼ぶようになったのかもしれない。あるいは「世間から隠れて暮らしている人たち」というような意味だったのか。それが差別用語になったのは江戸時代からだろうが、もともと村人には彼らに対するそうした畏れと羨望があったわけで、その心理が差別意識へと反転していった。
木の「枝(えだ)」や苗字の「江田(えだ)」は下賤な言葉か。そうではあるまい。これらがやまとことばであるなら、「えた」と共通のニュアンスを持っているはずだ。「枝」は、木の幹からあちこち無原則に自由奔放に伸びてくるからか、あるいは葉の群れの中に隠れているものだからそういうのだろう。そして「江田」さんの場合だって、「自由な発想ができる人」とか「慎み深く謙虚な人」というような意味があるのかもしれない。
「けがれ」の「け」は、「え」とは違う。「けがれ」のことを「け」という一音で表すことはあるが、「え」とはいわない。まあ「わけがわからない」という感慨が胸に満ちてくることを「けがれ」というが、それはあくまでわが身のことである。
江戸時代の身分制度のことを「士農工商穢多非人」などということがある。虐げられた農民たちが自分たちよりももっと卑しい存在としてそうした差別をしたとすれば、彼らをそういうところに追い詰めた江戸幕府の支配制度のことを問題にしないで、どうして天皇制ばかり問題にするのか。それは、純粋に権力支配の問題であって、天皇があずかり知らないことだろう。天皇は歴史的に、そういう人たちとの親密な関係を結んできたのであって、差別してきたのではない。
ただ、武士道などといって権力機構の中枢にいたものたちが先導して差別してきただけではないのか。
武士道などという人間にかぎって天皇に寄生したがる。それはもう、大和朝廷の成立以来の権力者の伝統である。だから天皇制がここまで続いてきたともいえるのだろうが、彼らはなぜ天皇に寄生したがるのか。天皇が差別をつくっているのではなく、天皇に寄生しているものたちが差別をつくっているのだ。



人間は誰もが「けがれ」を負っている存在であり、古代人には(先験的な)けがれている存在とけがれていない清らかな存在という区別はなかった。
ただ「けがれをそそいでいる」存在がいただけだ。
この国では、天皇だって儀式の前には「けがれをそそぐ」ということをするのである。それはつまり、天皇だって「けがれ」を負った存在である、ということだ。
古事記イザナギという神だって、黄泉の国を覗いてしまった「けがれ」をけんめいにそそぐということをした。
神だって「けがれ」を負ってしまうのだから、人間が負っていないはずがない。
古代人は、自分は「けがれ」を負っていないけどあいつは負っている、というような差別的な視線は持っていなかった。「けがれ」は、わが身のことだった。
「けがれ」という言葉は、差別用語でもなんでもなかった。
そして、「けがれ」という言葉の語源を「意味」で語ってもしょうがない。それは、「意味」として生まれてきた言葉ではなく、「鬱陶しい」とか「いたたまれない」というたんなる感慨の表出だった。
誰だってそういう思いを抱えて生きている。
とにかく、共同体の制度性が発達して人間が自分の正当性とか優越性を意識するようになって差別が生まれてきたのであり、それは天皇のせいではない。
天皇制をなくせといっているあなたたちに、そうやって自分の正当性や優越性を欲しがる気持ちがないといえるか。それこそキリストじゃないが「そういう気持ちがないものだけが天皇制をなくせと言え」ということだ。
また、天皇に寄生する右翼が、さかんに自分や自分の国の正当性や優越性に執着するのは、天皇がそうさせているのではなく、彼らの制度的な意識によるのだ。そうやってどうしようもなく制度的になってしまった人間が、天皇を免罪符にしているわけで、天皇がいなくなっても彼らのその性根がなおるわけではない。たぶん、もっとあからさまになる。
たぶん、天皇がいなくなれば、もっと差別がひどくなる。なぜなら「けがれをそそぐ」ということをしなくなるからだ。
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