肉体賛歌と姿の美・「天皇の起源」45


人間の美意識を芸術だけの問題として考えるべきではない。
意識はどうしてものが美しく見えるのだろう?
生きるためか?僕はそういう足し算の思考が嫌いなのだ。それは、自分(=身体)を忘れてときめいている瞬間であり、であればとうぜん生きてあることも忘れている。
美しく見えることは、生きてあることを忘れる体験であり、生きてあることを忘れようとして美意識が育つ。生きるためじゃない。
美意識が豊かな人は、生きることも死ぬこともどうでもいいと思っている。そんなことを忘れて美しいものにときめいている。
進化論とか人間のいとなみを「生き延びるため」などという論理で語りたがる言説は多いが、美意識が貧弱だからだろうか。近ごろは、どうしてそんな言説ばかりはびこっているのだろうか。
生き物としての人間的な特性というのはいろいろあろうが、それは生き延びるために獲得されたのではなく、生きてあることを忘れるためだったのだ。
人間ほど生きるとか死ぬということにわずらわされている存在もない。生きてあることを忘れるために人間には美意識がそなわっている。
生命賛歌をしたがるなんて、美意識が貧弱だからだ。生命は美しいとか生命の仕組みは玄妙であるといっても、それでも人間は生命を忘れようとしている存在であり、そこから美意識が生まれてくる。
美意識は誰でも持っているし、じつは美意識の上にこの生やこの社会が成り立っている。
人間のいとなみを生きるか死ぬかのテーマの上に成り立っているものと考えると間違う。生きるか死ぬかの問題などどうでもいいというかたちで生きているのが人間だろう。生きるか死ぬかという問題を知ってしまった存在であるがゆえに、そんなことを忘れて生きようとするのが人間なのではないだろうか。



人間が人間になった最初のエポックは二本の足で立って歩くということをはじめたことにあるのだろうし、言葉を持ったということも、そのあとにやってきた大きなエポックだったのかもしれない。
まあだいたい、人間が人間であることの根拠は、この二つのいとなみを持っているということで語られることが多い。
言葉が伝達の道具であるというのは、生きるための道具だということだろう。
言葉がそのような「道具」として生まれてきたと語っている歴史家は多い。
しかし、おそらくそういうことではない。
言葉は、ただの「おもちゃ」だったのだ。つまり、生きるとか死ぬというようなことを忘れていられているためのおもちゃだった。それが、言葉の原初のかたちであり究極のかたちでもある。
言葉の根源的な機能は、意味を伝えることの満足にあるのではなく、音声を発し、音声を聞くことのときめきにある。昔も今も、いちばんの機能はたんなるおしゃべりのための「おもちゃ」としてあるのではないだろうか。もちろん意味を伝える機能はついてまわるが、それ以前に、純粋に音声を発し音声を聞くことのときめきがある。
何が悲しくてわれわれが国や社会の動きを人間の第一義的ないとなみだと思わねばならないのか。親しい人と楽しくおしゃべりをすることの方がもっと本質的根源的ないとなみだと思ったらいけないのか?
日本人にとって国や社会なんか「憂き世」なのだ。
「あなたと話がしたい」というときに「あなたの声が聞きたい」などといういい方をすることがある。このことが、端的に言葉の根源的な機能を表している。
人間は、他人の声が聞きたい存在であり、このことの上に言葉が成り立っている。
たがいの声の響きを楽しみ合うのが、言葉の起源であり根源的な機能ではないだろうか。
その音声の響きに対する感性=美意識とともに言葉が生まれ育ってきた。人間の集団は、その音声の響きに対する感性=美意識を共有しながら成り立っている。
日本語か英語かということだけでなく、山の手言葉と下町言葉の違いもあれば、男どうしの言葉や女どうしの言葉もあるし、大人どうしの言葉と子供どうしの言葉の違いもある。
親しいものどうしの会話と知らない人との会話では、言葉の選び方が違う。それは、意味の伝達の問題ではない、音声の響きに対する感性=美意識の問題だ。そのようにして人間の集団が成り立っている。



人間の集団は、美意識を共有しながら成り立っている。共有できなければ、棲み分けるようになってゆく。そうして国が生まれ、戦争が起きてくる。美意識を共有しているかどうかは、一緒に暮せるかどうかという大問題なのだ。そして人と人は、意味の伝達がおぼつかなくても会話は成り立つが、美意識を共有していなければ語り合うことができなくなってしまう。
言い換えれば、美意識を共有していない相手と話そうとするなら、意味の伝達だけの機能の言葉になってしまう。奴隷と話をしようとするなら、そういうことになってしまうだろう。ヨーロッパは戦争ばかりしていたから、意味の伝達に重きを置いた言葉になっていった。侵略して美意識の違う相手と一緒に暮らすなら、意味の伝達の言葉になってしまうし、棲み分けて階級ができてしまう。
それに対して海に囲まれた日本列島ではそうした異民族との軋轢がなく、少なくとも縄文・弥生時代は、比較的スムーズに美意識を共有しながら階級も棲み分けもないというかたちの社会と言葉が育っていった。それがやまとことばであり、古代人はそういう感慨で「大和の国はことだまの咲きはふ(=おしゃべりの花が咲く)国」といった。
つまり日本語は、意味の伝達よりも美意識の共有という原初的な性格が濃く、階級や棲み分けが生まれにくい構造を残している。
それでも階級や棲み分けが生まれてくるのが現代社会であるが、われわれが日本語を話すことによって守られているこの国ならではの人と人の関係というのもあるにちがいない。われわれが共有している美意識はきっとある。
美意識を共有してゆくことの形見として、弥生時代奈良盆地天皇という存在が生まれてきた。そういう伝統がある。
弥生時代奈良盆地から天皇が生まれてきたということは、その社会のダイナミズムは階級制度も棲み分けも起きないままひたすら美意識が共有されていたことを意味する。
そういう原始的な意識のまま大きな集団をいとなんでゆくダイナミズムから天皇が生まれてきた。
そして原始的な意識は現代人の歴史的な無意識であり、誰の中にもそういう意識が息づいている。人間集団は、根源的には美意識の共有の上に成り立っている。とくにこの国では、そういう契機で人間関係や集団が生まれたり壊れたりしやすい傾向がある。



何が美しいかなんて人それぞれだといえばまあそういうことなのだが、それでも共通の対象を持とうとするのが人間だ。
赤ん坊は、誰が見てもかわいい。それによって夫婦の関係がひとまず安定する。
母親は、子供のためなら、自分が生きるとか死ぬということがどうでもよくなってしまう。
けっきょく美しいものとは、自分が生きるとか死ぬということがどうでもよくなってしまう対象のことだろうか。それがあれば、生きていられる。
美しいものを祀り上げていないと人は生きられない。
みんなして祀り上げる対象を持っていないと集団は成り立たない。
現代社会は美しいものがあふれているが、けっきょく人それぞれで、みんなして祀り上げるものがない。
戦後社会は、「生きる」とか「生き延びる」などということが価値になって、生きるとか死ぬということがどうでもよくなってしまうような祀り上げる対象を失っていった。
そうやって戦後の家族や学校が崩壊していったのだろうか。
「生きる」などということの価値は子供にはよくわからないことだし、伝統的に日本列島の住民にはよくわからないことなのだ。、
われわれは、生きるとか死ぬということなどどうでもよくなってしまう対象を祀り上げながら歴史を歩んできた民族なのだ。
戦時中は死ぬことに価値があったから戦後は生きることが価値になった、ということだろうか。まあ、そんな風潮もあった。
しかし、美しいものとは、生きることも死ぬこともどうでもよくなってしまう対象のことだ。大人たちがそういう美意識を持っていないと、家族も学校も崩壊する。
子供には「いまここ」があるだけで、生き延びることも死ぬこともどうでもいい。つまり、美意識でしか子供とは向き合えないということだ。いまどきの大人たちは、子供を祀り上げる美意識を失って、子供を教育しようとする支配欲ばかりになってしまっている。そうやって戦後の家族や学校が崩壊していった。教育するという使命感など持たなくても、子供は勝手に学んでゆく。そんな使命感が、子供との関係をつくるのではない。「いまここ」の祀り上げる対象を共有しているかどうかだろう。それがないと、人間の集団は成り立たない。



弥生時代奈良盆地の人々は、まわりの美しい姿をした山なみを前にして「もうここで死んでもいい」という感慨があり、そのようにしてその地に住み着いていった。それだけではないだろうが、そういう何か共通の美しいものに対する感慨を共有していることの形見として天皇が祀り上げられていった。
はじめに美意識の共有があった。それがあったから天皇が生まれてきたのだ。天皇を祀り上げればそれですむという問題ではない。天皇を祀り上げる基礎の美意識が共有されているかという問題がある。
「姿」に対する美意識は、日本列島の伝統である。それは、肉体ではない。つまり、生命賛歌ではない。西洋の絵画表現などの美意識は「質感」にこだわる。しかし弥生時代奈良盆地の人々が愛した山なみの美しさは、山の存在感や重量感ではなく、山の「姿」にあった。
松の木の盆栽の美しさは、松の木の「姿」にあるのであって、存在感や重量感などとりあえず無視しているから成り立つ。まあ「姿」の美しさが存在感であり重量感でもある。
「姿」の美しさは、肉体賛歌ではない。それはつまり、生きるとか死ぬということはどうでもよい、ということだ。
ヨーロッパのギリシャでは裸でオリンピックをしていた時代に、日本列島では肉体を無視した「姿」の美しさが共有されていた。
縄文・弥生時代の人々は、肉体は「穢れ」がたまる場所だと思っていた。肉体を意識することが「穢れ」だった。それは原始的な心性であり、共同体(国家)ができてから肉体賛歌が生まれてきた。古代ギリシャと同じころのインドでも、さかんに肉体賛歌の彫刻がつくられていた。
原始的な心性は、生きることも死ぬこともどうでもいいという心地にある。
身体のことを忘れているとき、意識は身体の外の世界に向いている。人間の二本の足で立っている姿勢は、そのような世界に対するときめきを豊かにする。人間集団では、そういう心の動きが極まってゆくかたちで美意識が共有されている。



原初の人類が二本の足で立ち上がることは、身体にかかる負荷がそのぶん大きくなるという体験だった。しかしそれによって、身体(=自分)のことを忘れて世界や他者ときめいてゆくという心の動きが豊かになっていった。
原始人は、身体に負荷のかかる暮らしをしようとする習性があった。そのようにして棲みにくい住みにくいところへと移住してゆき、とうとう氷河期の極北の地にも住み着いていった。そのようにして人類拡散が起きた。
身体に対する負荷が大きい条件で生きていた原始人の方が現代人より世界や他者に対する感動は深かったはずである。
共同体ができて集団の内にも外にも異民族との軋轢を抱え込むようになってくれば、個人も集団も意識が内向きになり、「生き延びる」ということがテーマになってきて、そこから「生命賛歌」が生まれてくる。
しかし、海に囲まれた島国の縄文・弥生時代には異民族との軋轢はなかったから、「生き延びる」というテーマも「生命賛歌」も生まれてこなかったはずである。
また、弥生時代奈良盆地はまわりの地域と気軽に往還できる環境で、集団どうしの軋轢もなかった。
平城京にすら城砦がなかったのだから、それよりも500年以上前の弥生時代ならもっとまわりの地域とのおらかな関係状況があったはずである。
古代ギリシャの肉体賛歌は、それほどに都市国家どうしや異民族との軋轢が大きかったからだろう。彼らは肉体賛歌をして、けんめいに生き延びようとしていた。
しかし弥生時代奈良盆地の人々は、ひたすらわが身の「穢れ」を嘆きながら、この世界や他者を祀り上げようとしていった。彼らは、そういうかたちの美意識を共有していた。わが身の穢れを思いながら、生きることも死ぬことも忘れて世界や他者にときめいていった。
日本列島には生命賛歌や肉体賛歌をしない伝統があるが、人間に無関心であるのでも人間を否定しているのでもない。
この国の伝統的な人間観においては、美しさは「肉体」ではなく「姿」にある。それは、「生き延びる」というテーマを持たない無常観の上に成り立っている。



しかしこの国の現代人は、戦後社会の「生き延びる」というテーマとともにひどくみずからの「肉体」にこだわっているし、他者との軋轢も大きい社会になっている。
なんだかギリシャ都市国家の住民のようだ。
「生き延びる」ための道具としての「肉体」を価値とする美意識の上にギリシャの市民国家が成り立っていた。現在のこの国との社会制度の違いがなんであれ、どうしてこんなにもこだわり方が似ているのだろう。まあこれが、西洋の美意識の伝統だろうか。そういう美意識に現在のこの国の住民の意識(あるいは観念)が染められている。時代意識というのだろうか。しかしたとえそうでも、心の底には、歴史的な無意識としての「姿」に対する美意識が残っているから、そうした西洋的な市民主義や肉体賛歌が板についていない。
だから、「生き延びる」ということをスローガンにした原発反対運動がそれほど盛り上がらなかった。
いまどきの、なんだか古代ギリシャのような肉体賛歌という市民主義はきっと戦後という時代の一過性のもので、いまの大人たちがぜんぶいなくなれば、また違う時代意識になるのかもしれない。



日本列島の伝統は、「生きる」ことも「肉体」も忘れながら「姿」にたいする美意識を共有してゆくことにある。戦後の西洋かぶれした市民主義は、この美意識を否定して歩んできた。
人間の普遍的な美意識は、西洋的な「肉体賛歌」にあるのだろうか、日本列島的な「姿」の美に対する意識あるのだろうか。
関係があるようなないようなことだが、普遍的というなら、どちらが人間の体の細胞の構造やはたらきと似ているのかと問うてもらってもいい。
「姿」とは何か?
「姿」の美の文化。
やまとことばだって「姿」の美を止揚している言葉である。言葉の「意味=肉体」よりも、音声に込められた「感慨=姿」を表出する機能である。
われわれが体を動かすとき、体を「肉体」として扱っているのか、それとも「肉体」を持たないたんなる「空間の輪郭=姿」として扱っているのか。
たぶん生き物は、身体を「空間の輪郭=姿」として扱いながら動いている。
「姿」に対する美意識とは、「生きる」ことも「死ぬ」ことも忘れている意識である。そしてそれが、生き物の自然な意識のかたちではないだろうか。より生き物としての自然に沿おうとするなら、「姿」に対する美意識になってゆくのではないだろうか。
日本列島のその美意識がより原始的だといっても、観念が未熟だともいえない。
観念(あるいは知能)のレベルなんて、原始人も現代人もたいして変りはしない。日本列島の場合は、その原始的な美意識をそのまま洗練させてきただけである。それはたぶん、海に囲まれた島国で長いあいだ異民族との軋轢を体験しなかったことが大きい。だから「生き延びる」というテーマを持たなかった。
異民族や都市国家うしの軋轢の中で生き延びようとするなら、「肉体賛歌」になる。
古代ギリシャの「肉体賛歌」は、世にいわれるほどおおらかな美意識ではない。それは、他者の肉体に対する緊張感である。戦争ばかりしていたから、そういう美意識になっていったのだろう。
ヨーロッパのルネサンスは、ヨーロッパに紛れ込んできたイスラム教徒を追い払おうとするムーブメントでもあった。だからそのためには、古代ギリシャのような「肉体賛歌」が必要だったのだろう。
まあ日本列島の室町時代ルネサンスだって、大陸からやってきた迷信の思想がはびこりすぎたことの反省だったのであり、そのために縄文・弥生時代の「姿の文化」へと回帰していった。
西洋の近代思想や美意識の基礎がルネサンスによって完成したとすれば、日本列島の和風文化の基礎も室町時代にほとんど完成している。



他者に対する緊張感がなければ、生き物として他者の肉体に対する警戒心がないのだから、自分の肉体も他者の肉体も意識しない。そうして、他者の「姿」だけを見ている。
人間が二本の足で立っていることは、他者の肉体を怖れることであると同時に、肉体であることを忘れてしまうことである。そのような人間性を基礎にして人と人の関係の作法が生まれてくる。
人間は肉体を意識してしまうが、肉体を意識したがる存在ではない。
縄文人の多くは、山で暮らしていた。山の暮らしや山歩きは、身体に大きな負荷がかかる。肉体を忘れるタッチを持っていなければ山では暮らせない。山歩きはできない。
また、これは異民族との軋轢のない島国だからこそであるが、縄文人は、初対面の相手にも警戒心を持つことなく無防備にときめいてゆくメンタリティを持っていた。「肉体」を忘れるのが彼らの生きる作法だった。そのようにして、「姿」に対する美意識が洗練していった。
「肉体」とか「生きる」とか「死ぬ」ということを忘れてしまうのが、彼らが共有している美意識だったし、それがその後の「無常感」の伝統になっていった。
この世界や他者の質感や存在感を消去して、「姿」として見る美意識。これは、現在のマンガ表現や、きゃりーぱみゅぱみゅという歌手のキャラクターやファッションのコンセプトでもある。
ジャパンクールとは「姿」に対する美意識であり、西洋人は、日本人のそれをミステリアス(あるいはクール)だと感じている。
いったい、西洋の「肉体賛歌」とどちらが普遍的であるか。西洋の美意識や思想であれば普遍的だとはかぎらない。
生きることはただの遊びで言葉はそのためのおもちゃであり身体はただの画像(空間の輪郭)である、というのが日本列島の「姿」の文化である。
生きてあることを忘れて世界や他者に他愛なくときめいてゆくのが生き物としての本能というか人間の自然だろう。しかし、人類史がそういう原始的な心の動きのままで推移してゆくのは困難だった。それを捨てて人類は共同体(国家)をつくっていった。
ただ日本列島は、例外的にそういう原始的な心の動きを捨てることなくそのまま洗練させてゆく文化を育ててきたのであり、そのための形見として弥生時代奈良盆地天皇が生まれてきた。それは、まだ階級も戦争も存在しない時代で、みんなが同じように「姿」に対する美意識を共有している時代だった。
ひとまず天皇のことは別にしても、この島国にそういう伝統があることは否定できない。
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