この生はただのお祭りだということ・神道と天皇(29)

承前
「けがれの自覚」こそが、日本列島の伝統的な精神風土の基礎になっている。「けがれ」をそそいで「みそぎ」を果たしてゆく行為として「祭り」の文化が生まれ育ってきた。
まあ、縄文人の女が夜なべ仕事で土偶や火焔式土器をつくることも、それはそれで旅する男たちの来訪を受けてセックスすることと同様に、「みそぎ」に向かうひとつの「祭り」だった。彼女らは、そうやってこの生の「けがれ」をそそいでいった。それが、彼女らの生きる流儀作法だった。
生きてあるなんていたたまれないことだ……彼女らは、そういうことを骨身にしみて知っていた。
縄文人の生は、われわれ現代人が想像する以上に実存的で哲学的で芸術的だった。現代人はもう、人の歴史も生きものの進化も生き延びようとする動機の上に成り立っているかのように考えてしまっているが、彼らの歴史はそんな「目的」から逸脱したところで流れていたわけで、「いつ死んでもいい」と思わなければ生きていられないような環境条件の中に置かれていたのであり、だからこそ実存的で哲学的で芸術的だったのだ。まあ、それほどに深く「けがれの自覚」を持っていた。
彼らは、「生命賛歌」が大好きな現代人のような、生きてあることに対する執着で生きていたのではなく、目の前のこの世界や他者が輝いているという、その「祭り」のタッチで生きていた。
生きてあることなんか、どうでもいいことだ。
火焔式土器なんて、いったい何に使ったのだろう。それは、土器ほんらいの機能からどこまでも逸脱してゆくかのように、これでもかこれでもかとおそらく無意味な装飾が施されている。つまりそれは、この生から逸脱してゆく、ということでもある。そのとき彼女らの心は、それほどに生きてあることの「いたたまれなさ=けがれ」に浸されていた。
縄文文化は、生き延びるための政治や宗教ではなく、この生の「けがれ」をそそいでこの生かから逸脱してゆく「祭り=みそぎ」のコンセプトの上に成り立っていた。

縄文集落の中央は広場になっており、そこで昼間は子供たちが遊び、夜には男たちと歌い踊ったりしていたのだろう。
「祭り」は、「けがれの自覚」から生まれてくる。この自覚はもう、原初の人類が二本の足で立ち上がったとき以来の、普遍的な歴史の無意識なのだ。そのみずからの身体や心の「けがれ」をそそごうとして人類は、地球の隅々まで拡散していった。
「けがれの自覚」は、宗教が生まれてくる契機になりうるだろうか。
人類は、文明発祥とともに「けがれの自覚」を失ったところから宗教を生み出していった。
「生命の尊厳」などと言い出すのは、「けがれの自覚」がないからだろう。
人類が神の創造物であるのなら、「けがれ」など負っているはずがない。
旧約聖書のアダムとイヴは、神の創造物であることから逸脱してしまったことによって「けがれ」を負い、エデンの園から追放された。
神の創造物であれ、というのが聖書の教えであり、そうなればもう「けがれ」の自覚などない。
安定した家族や国家に守られて存在しているのなら、「けがれの自覚」など浮かんでこない。
人類は、安定した家族や国家を持って「けがれの自覚」を失ったことによって「宗教」に目覚めていった。
人が神の創造物であるための装置として宗教が生まれてきた。この世界が安定した構造をそなえ、人が「けがれの自覚」を持たないための根拠として、そのヒエラルキーの頂点に存在する「神=ゴッド」が見出されていった。
宗教者は、神の創造物であることから逸脱してしまっている異教徒に「けがれ」を見ているだけで、自分たちには「けがれの自覚」などさらさらない。そしてこれは、現代人の全般的な観念の傾向でもある。そうやって人を差別したり優越感に浸ったりしている。われわれは。心のどこかしらに「神との関係」を持ってしまっている。われわれの心は、誰もが多かれ少なかれ宗教に汚染されてしまっている。まあそれは、文明社会に生きているのだから仕方がないことだともいえるわけだが。
心の中に「神との関係」を持っているのなら、「みそぎ」なんか神がしてくれる。だから、「みそぎ」をするという意識も生まれてこない。
神道において「精進潔斎をする」ということは「自分でみそぎをする」ということであって、「神にしてもらう」のではない。「みそぎ」をしてから神に祈る。つまり、日本列島の住民が「神」という概念を知る前にすでに「みそぎをする」という習俗を持っていた、ということだ。
「みそぎ」は、神にしてもらうことではない。キリスト教徒は神に懺悔をして神に許してもらうが、日本列島の住民は自分で「みそぎ」をするしかない。神は何もしてくれない。神なんか知らない歴史を歩んできたのだから、神に何かをしてもらうというような発想は持てない。

縄文人は、安定した家族も安定した集団も持たなかった。その生きにくさに身を浸しながら、ひたすら「けがれの自覚」と、この世界のわけのわからなさとを生きた。世界の調和と秩序など、思い浮かべようもなかった。その、なやましさとくるおしさを生きた。彼らが宗教を持っていたら、そんな生き方をするはずがない。まあ、そんな生き方をするほかない状況に置かれていた。
宗教と「けがれの自覚」は両立しない。縄文人が「けがれの自覚」を生きていたということは「神なき世界」を生きていたということであり、神との関係を結んで生きれば、けがれを自覚する必要なんかないのだ。
宗教すなわち神との関係に身を浸して生きることは、みずからの生の正当性を手に入れることであると同時に、「けがれ」を自覚する存在であってはならないという強迫観念を生きることでもある。つまり、そうやって心の底に「けがれの自覚」をいっぱいにためこみながら正義ぶって生きることが宗教であり「神を信じる」ということなのだ。彼らには「神との関係」があるから、どんなに「けがれ」を自覚するほかない行為をしたり思ったりしても、まるで自覚することなく、心の底をどす黒くよどませながら、ひたすら正義ぶって清らかぶって生きてゆく。
神との関係に身を浸しながら「生かしていただいていることに感謝する」などといっても、そんなことが清らかであることの証明にはならない。みずからの「けがれ」と向き合う心を失って、みずからの「けがれ」を始末する作法を失っているだけなのだ。まあ、神が始末してくれるからその必要もないというか、向き合うことも始末することもできないから神にすがってゆくのだともいえる。
「けがれの自覚」がないから、人に対する憎しみが募る。宗教者および宗教的な人間は、とても憎しみが強い。
「けがれの自覚」は、神を知らないもののもとに宿る。
世の中には自分の中の憎しみを持て余している人がけっこういるらしいが、自己愛ばかり強くて「けがれの自覚」を持っていないからそういうことになる。社会的に成功すれば、その憎しみは心の底に封じ込めて生きることもできるが、敗者になってしまえば、何かにつけて憎しみが膨れ上がり、ときには暴走してしまう。
神にすがってもだめさ、みずからの「けがれ」をちゃんと自覚しないことには、その憎しみはいつでも膨れ上がり暴走してしまう。神との関係を盾にして暴走してしまうのだ。

近ごろは縄文文化を見直すというような傾向も生まれてきているらしいが、しかしそれは、彼らが幸せで安穏な暮らしをしていたということを意味するのではない。
彼らの生は、とても生きにくくしんどいものだった。
その寿命は40年にも届かなかったし、男たちの足の骨は山歩きの日々で曲がってしまっていたし、山の中の小集落で暮らす女たちは、ときにはその閉塞感で気が狂いそうになるような日々を送っていた。誰もが、みずからの生の「けがれ」を自覚して生きていた。
まあ、具体的な生存環境においては、ひどい時代だったのだ。それでもそのひどさを受け入れながら、人と人が他愛なくときめき合い、豊かな芸術表現も生まれてくる社会をつくっていた。
その時代が一万年も続いたのは、衣食住が安定していたからでも文化的に停滞していたからでもない。どんなにひどい生存環境であれ、それはそれで豊かなときめき(感動)が生成している社会だったからだ。
縄文社会に宗教など存在しなかった。神は、彼らを救いはしなかった。そして彼らもまた、どんなにひどい暮らしをしても、「神に罰せられている」とは思わなかった。もしもそういう宗教が機能していたのなら、縄文時代は1万年も続くことなく、とっくに終わっている。そうしてどこかに大集団が生まれ、たちまち日本列島を支配していったことだろう。三内丸山遺跡の例が示すように、彼らは、縄文中期にはすでに大集団を形成する能力も農業をいとなむ能力も持っていたのであり、それでも彼らの「けがれの自覚」は、そのような方向に歩もうとはしなかった。
彼らはもう、ひたすらこの生の「けがれ」を嘆きかなしみながら生き、そして他愛なく豊かにときめき合っていった。
文明発祥以来の人類史において、一度でも人と人が豊かにときめき合う社会が出現したことがあっただろうか。ずっと、人が人を支配したり、憎しみ合ったり、戦争を繰り返したりして歴史を歩んできただけではないか。
それ以来人類は、「神との関係」を結んでこの生の「けがれ」を自覚しなくなってゆき、人を支配しようとしたり憎んだりする心が誰の中にも巣食うようになっていった。
神との関係やこの安定した社会や家族との関係をたしかに結んで「幸せ」に生きているあなたの、その「けがれ」を自覚していない心が清らかであるであると、はたしていえるのだろうか。
縄文時代には、神との関係も、安定した社会も家族もなかった。
人の心は、この生の安定と秩序を求めて病んでゆく。
人の心は、この生の安定と秩序から逸脱してゆく。
だから人の心は、どんな不幸も受け入れることができる。そうやって人は、生きられなさを生きる。心はそこから華やぎときめいてゆく。
縄文人は、神の救済なんか求めなかった。ひたすら、生きられなさを生きた。
日本列島の住民の、この宗教心の薄さはいったいどこから来るのか。
宗教のない時代を思い描くことなしに、日本列島の歴史も神道の起源も語ることなんかできないのだ。