内田樹という迷惑・生き延びる

人類は、つらい状況を解消することができたからここまで生き延びてきたのではない。つらい状況と和解して、そこからカタルシスを汲み上げることができたからだ。
つらい状況を生きることの醍醐味を見つけることができたからだ。
そこには幸せで安楽な暮らしにはないこの生のダイナミズムがある、ということを発見したからだ。
というわけで、人類史で最もつらい状況を生き延びていったネアンデルタールを、そう簡単に滅びたことにしてしまわないでいただきたい。
滅びてなんかいないのだもの。
研究者たちの薄っぺらな思考が滅びたことにしてしまっているだけなのだもの。
人類は、住みにくいところ住みにくいところへと拡散していった。
住みやすいところを目指して拡散していったのではない。
50万年前から1万年前のあいだに、氷河期は何度もやってきた。その極寒の極北の地に、なぜネアンデルタール=クロマニヨンは住み着くことができたのか。
研究者たちは、何か住みやすい条件があったのだろうと議論している。
そんなのもの、何もなかったのだ。ひたすら耐えがたい寒さに耐えて生きてきただけである。ろくな文明も持たない原始人にとって、それがどれほど苛酷な環境であったかということくらい、ちょっと考えたら誰にでもわかることのはずです。
南北アメリカ大陸に人類が拡散していったのは、1万3千年前の氷河期明け以降のことだといわれている(多少はそれ以前から住み着いていた人類もいたらしいのだが)。とにかくこのことにしても、氷河期が明けて暖かくなったから、という説明ではつじつまが合わない。
彼らは、シベリアとアラスカを結ぶベーリング海峡の島伝いに、まだ氷がとけ切らない期間に渡って行ったのです。
氷河期明けでも、寒いに決まっている。彼らだってやっぱり、住みにくいところ住みにくいところへと拡散していったのです。
日本列島の縄文時代だって、最初は住みにくいはずの北のほうにばかり人口が集中していた。
住みにくいところに住み着いてゆく醍醐味を知ったことが、人類拡散につながった。
氷河期の極北の地を生き延びてきたという、ネアンデルタール=クロマニヨンの実験が、今日の人類繁栄の基礎になっている。
それは、「危機」を回避する能力ではない。「危機」を生き延びる能力なのだ。
寒ければ、大勢で寄り集まっていないと生きていけない。まずそこで、共同体へと発展してゆく基礎がつくられた。そうして、どうしようもない人恋しさを募らせながら、「抱きしめあう」ことの醍醐味が止揚されていった。
つらい状況を生きていた彼らは、誰もが「あなたを救いたい」という願いを持っていた。その願いで抱きしめあって生き延びてきた。
江戸時代の農民や、下町長屋の住民だって、誰もが貧しかったからこそ、誰もが「あなたを救いたい」という願いを抱いて暮らしていた。
「あなた」の嘆きを「私」の嘆きとする体験、そこから、「あなたを救いたい」という願いが生まれてくる。そういう体験によって人類は、地球の隅々まで拡散していったのであって、幸せや安楽な暮らしを抜け目なくつくってゆく能力によるのではない。
人間は、「もらい泣き」する生き物なのだ。そこから「あなたを救いたい」という願いも生まれてくる。
人間は、幸せを願う生き物であるが、幸せを生きることはできない。幸せなんか、退屈なだけだ。
「願う」ということ、そこにカタルシスがある。
幸せを振り捨てて、幸せを願う立場に立つこと、そういうかたちで人類は地球の隅々まで拡散していった。
それは、集団が幸せを求めて移住していったのではない。幸せと安楽な暮らしを振り捨てて集団から逃げていったものたちが、住みにくいばかりの新しい土地で暮らしていったからだ。住みにくいばかりの土地で暮らすことの醍醐味があったからだ。
言っちゃなんだけど、人類学者の皆さん、あなたたちは、原始人の心の動きに推参しようとする思考態度がなさ過ぎる。現代人である自分の物差しで見ているだけじゃないか。
人間が、ただ幸せと安楽な暮らしを求めるだけの存在なら、内田氏の言うように危機回避の能力が生き延びることであるのなら、いまごろ人類は、住みやすい土地ばかりにひしめき合っていることだろう。
現在の都市化現象とはまあそういうことであるのかもしれないが、それはあくまで現代人の習性であり、人類をここまで生き延びさせてきたのは、危機回避の能力ではなく、危機それ自体を生きる能力にあったのだ。
ろくな文明を持たない原始人が氷河期の極北の地で暮らすなんて、危機以外の何ものでもないでしょう。