ストレスが脳を発達させた

1・・・・・・・・・・・・・・・
「違う!」という反応。これが、人間の脳を発達させてきたのだ。
知能がどうとかという問題ではない。
生きものが生きてあることの根源は、この「違う!」という働きの上に成り立っている。
たとえば、「息苦しい」という反応、これは、息苦しくないところの生のあるべき常態に対する、「違う!」という反応です。「腹が減った」というのは、腹が減っていないらくちんな状態ではない、という自覚(反応)です。「寒い」というのは、寒さを感じない快適な状態に対する「違う!」でしょう。
人間のように環境からどんどんずれてゆく生き物は、他の動物よりはるかにこの「違う!」という反応が発達している。この反応が、脳を発達させた。
「違う!」という拒否反応を自覚したことが、やがて「ゼロの発見」につながっていった。
「違う!」という拒否反応をつよく持ってしまう生き物だから、人殺しだってしてしまうし、コンピューターを生み出しもした。
イヌやネコは、気温が2、3度上下したって、たいしてさわがない。しかし人間は、敏感に反応して、着るものを足したり脱いだりする。つまり2、3度上下しただけで、「違う!」という反応=ストレスが生じてしまう。
そしてこのことには、とてもややこしい問題が含まれています。それは、2、3度上下した環境に対する拒否反応であると同時に、それを感じてしまう身体を拒否している反応でもあります。つまり、みずからの今生きてある状態そのものを拒否して、新しく生きてある状態をつくり出すこと・・・生きものの「生きる」という行為は、「生きる」ことそれじたいの拒否の上に成り立っている。そうしてそのもっともラディカルな表現として、人殺しや自殺が生まれ、さらには「生きることの拒否」そのものを拒否してこの生に幻滅したり、怠惰になったりもする。考え始めるときりがない哲学的な問題なのです。
ようするに人間は、「違う!」と反応してしまうストレスを食べて生きている、ということです。
茶店に入ってコートを脱ぐのは、そこでコートを着ていることのストレスが発生するからです。ストレスが発生すれば、それを処理しなければならない。ストレスを処理するためには、脳の働きが必要であるし、脳の働きが高度になれば、たくさんストレスを感じてしまう。この循環構造によって脳が発達する。
現代人は、脳が発達しているから、喫茶店でコートを脱ぐ。僕のような原始人は、脱がない。めんどくさいもの。それしきのことをストレスと感じるほどの上等な脳は持ち合わせていない。
2・・・・・・・・・・・・
「違う!」という反応は、ひとつのストレスであり、それが、人間の脳を発達させた。
もともとアフリカ育ちの南方種である人類が、なぜ地球の果ての極寒の地まで住み着くようになったかといえば、ストレスを処理する能力が発達したからでしょう。そしてそれはつまり、ストレスを処理することそれじたいがこの生のいとなみであり、そこでストレスが発生するからこそそこに住み着いてしまう、という一種の「業」を人間は背負ってしまった。
南方種が北に行けば、それだけ多くのストレスが発生する。しかしそれは、それだけ多くの生命力が働く、ということでもある。これは、僕の勝手な屁理屈ではないですよ。現在の「進化論」や「経済学」から提出されてきている先端的なパラダイムから学んだこととして、そういっているだけなのです。
新しいマーケットは、「荒野」において発生する・・・これは、現在の経済学における箴言のひとつなのだとか。
エスキモーであれ、おそらくネアンデルタールであれ、極寒の地に適応した体になったから、極寒の地に住み着いたのではない。基本的には、われわれと同じひ弱な生きものである人間の体です。白熊やアザラシとは違う。極寒の地のストレスを処理する能力を、人間として持ってしまったからです。ストレスを感じない体になったのではない。
寒さがストレスじゃなかったらそんなところに住み着いたかどうかわからないし、ストレスじゃなかったら、ネアンデルタールの脳は大きくはならなかった。原始人が氷河期の北ヨーロッパに住み着くことは、ネアンデルタールの脳容量をあんなにも多くしてしまうほどの、圧倒的なストレスがあったということであり、彼らはその脳容量でそのストレスを処理していた、ということです。
研究者は、ネアンデルタールの体は氷河期の北ヨーロッパの気候に適応していた、という。適応していたら、脳容量は多くならないのです。彼らは、ネアンデルタールのことを、白熊かアザラシのように思っている。まったく、失礼な話です。
白熊やアザラシは、体重に比べて、とても脳は小さい。それが北に適応した体です。脳が大きいということは、脳にどんどんカロリーを消費されてしまってすぐ寒くなってしまう、ということですよ。脳は、体の中でも、けた違いにカロリー(熱量)を消費してしまう臓器なのです。北で生きてゆくためには、ほんらいいちばん発達させてはいけない臓器なのです。
ネアンデルタールは、寒さが平気だったのではない。つらくてたまらなかったのだ。ただ、そのつらさを文化的生態的に処理してゆく生き方を持っていたから、そこで生きてゆくことができた。
人間は、ストレスを処理しながら生きているのです。人類の脳の発達を問おうとするなら、知能がどうとか石器がどうとかといっていても始まらないのです。
それは、ストレスをどう処理してきたか、として問われなければならない。
そしてこれは、とても現代的な問題でもあるはずです。
直立二足歩行の発生だって、ストレスをどう処理したか、という問題だと思います。人類とストレスの関係は、ここから始まっている。このことだって無限に語ってみせる自信があるけど、まあ、ここではやめておきます。

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