ホモ・サピエンスのストレス

これまで、「生きる」とはストレスを処理する行為である、ということを、ネアンデルタールを中心に書いてきました。
では、およそ7万年前のアフリカのホモ・サピエンスにはどんなストレスがあったのか、ということを考えてみます。
文科系でかつ体育会系でもあったネアンデルタールに対して、アフリカのホモ・サピエンスは、新しい石器などを作り出す理科系の資質を持ち、あまり動きたがらないちょいとオタクっぽいミーイズムの傾向があったようです。
アフリカのサバンナは、ライオンなどの大型肉食獣がうようよいる。むやみに歩き回ることはできない。狩などは手近なところでさっさと済ませ、じっと身を潜めているのが、人間のように特別な身体能力のない生き物が安全に生きるためのもっとも有効な方法であったはずです。
彼らは、家族的小集団で移動生活をしながら、家族どうしのネットワーク(部族)で女や物や情報を交換していたらしい。これも、身を潜めたり逃げたりするための、もっとも効率的なかたちで、長い歴史のあいだに自然にそうなっていったのでしょう。
で、そういう小さな集団であれば、見る顔はいつも同じだし、それぞれが家族的なつながりだから仲良くするための手続きなどとくに必要もなく、知らん振りしていても後ろめたくもないしとがめられることもない。
仕事がなければ、それぞれが自分の世界に入ってしまう。そういう生活だったのでしょう。しかしだからこそ、そんな暇なときに石をあれこれいじっているうちに新しい薄片の石器が生まれてきたし、ダチョウの卵の殻を小さく削ってビーズをつくるという作業に熱中していったりもした。
寒風吹きすさぶなかで暮らしていたネアンデルタールがそんなちまちましたことをしていたら、たちまち凍え死んでしまう。ネアンデルタールには、そうやって自分の世界に入り込むことができるような状況はなかった。
家族という空間では、ミーイズムが育つ。これは、現在の日本社会で核家族化が進んでミーイズムが顕著になってきたことでもわかります。家族、それも小さい単位の家族であればあるほど、たがいの関係をやりくいする煩わしさがない代わりに、やりくりして語り合ったりする楽しみもなくなってしまう。そういうところで、ミーイズムが培養されてゆく。ホモ・サピエンスの家族的小集団も、まさにそんなふうだったはずです。
ホモ・サピエンスの脳を発達させたもっとも大きなストレスとは何かと言えば、おそらく肉食獣対策はあるていど解決していたのだろうから、むしろこの家族という停滞する人間関係にあったのだろうと思えます。
彼らがビーズのネックレスをはじめとする身体装飾に熱心だったのは、「見つめられたい」という衝動のあらわれだったと考えられます。彼らにとって移動中に他の家族と出会うことがどんなにたのしみであったことか、そのための身体装飾でしょう。現在でも、アフリカ系黒人は、ド派手な装飾品が好きですよね。
しかしそれは、家族の中での見つめあう必要も見つめあう気にもならない関係が、いかにストレスになっていたかということのあらわれでもあります。つまりそういうストレスが身体装飾を熱心にさせたのであって、研究者の言うような「象徴化」がどうとかというような「知能」の問題とはちょっと違う。
ホモ・サピエンスの社会には、人間関係のダイナミズムがなかった。子供たちは、ほとんどの時間を家族の中で育ちながら大人になっていったから、家族の外の者との関係をうまくつくってゆくトレーニングができていない。だから、せいぜい家族間のネットワーク(部族)で関係しているだけで、けっしてその外には誰も出てゆこうとしなかった。
そのころのアフリカがさまざまな地域でボトルネック現象を起こしていることは、研究者はあまり言いたがらないのだが、それほどにホモ・サピエンスは家族的関係に停滞して拡散できない人種だったということを意味します。
また彼らが身体装飾に熱中したことのもうひとつの理由として、それもまた他者との関係をつくるための言葉に変わる道具として機能していたからでしょう。そして家族というのは「順位」の上に成り立った関係であり、おそらくそれが、彼らの人間関係の基本的なスタンスだったのでしょう。であれば、その身体装飾によって相手の家族より上位に立とうとする意図もあったにちがいない。
しかし、身体装飾を見せ合って、どちらが上位かと争っている人種に、あかの他人の土地に行って人との関係をやりくりしてゆく能力なんてあるはずないでしょう。
ホモ・サピエンスの家族的ストレスは、新しい石器や身体装飾を生み出したが、彼らを、アフリカの地のみならず、ネットワーク(部族)の外にも出られないほどに停滞させてしまった。
それは、すべての地域で遺伝子や文化がシャッフルされていったネアンデルタールとはきわめて対照的であり、おそらくそれがそのままその後のヨーロッパとアフリカの歴史との明暗を分けた要素になっているのだろうと思えます。

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