人類拡散の契機について考える

人類は、食料を求めて拡散したのではない。
「スペース」を求めたのです。
これが、直立二足歩行する人間の本質です。
二本の足で立つということは、おたがいが体をぶつけ合わなくてもすむ「スペース」を確保する、ということです。
手に物を持つために立ち上がるということなど、猿でもしていることです。
しかし人間は、何の必要もないときでも二本の足で立っているようになったのであり、そこのところの必然性を説明できなければ、どんな仮説も説得力を持ちえない。
何のためでもない、立ち上がるために立ち上がったのです。
「他者との関係」において、立ち上がったのです。そういう「関係としてのスペース」にこだわっていったのが、人間性の始まりであり、本質であろうと思えます。
サバンナのホモ・サピエンスの家族的小集団における「スペース(居住空間)」は、他者との関係がなく、孤立しています。したがって、他者から押されてずれてゆくということがない。あるいは、その移動地域をひとまず居住区間とするなら、彼らはつねに、その内側へ内側へと移動していった。その家族的小集団は、それじたいで自立して完結することはできない。他の群れと出会って関係してゆくことによって、はじめて暮らしが成り立つ。彼らは、あらかじめ「関係としてのスペース」があるのではなく、それを求めてゆく。そしてそれは移動地域の内にしかないから、半永久的に内へ内へと動きつづける。内側にしか「関係」がなかったのです。
だからホモ・サピエンスに拡散という現象は論理的に起きるはずがないし、彼らは彼らなりの、内へ内へと向かってゆく「関係としてのスペース」にたいするこだわりがあった。
人類の群れの生息域は、他の群れとの関係で決定される。
たとえ原始時代であろうと、ひとつだけぽつんと離れて存在している群れなどどこにもなかった。なぜならそれは、群れとしてのアイデンティティを喪失することだからです。
関係においてアイデンティティを持つから、群れとして結束することができるのです。
おそらく、ぽつんと離れていたら、たちまち結束力を失ない、いくつにも分裂するなどして解体してしまうでしょう。
逆にいえば、ネアンデルタールが100人から150人の群れを組織できたのは、他の群れとの「関係としてのスペース」を確保しようとする衝動がはたらいていたからだ、ということでもあります。
ネアンデルタールの祖先は、べつに北を目指したわけではない。もともと南方種である人類が北を目指すはずがないわけで、ただもう他の群れとの関係において、北へ北へとずれていっただけでしょう。
南方種である人類が極寒の地に住み着いたということは、人類拡散の契機が、住みよい土地を目指したものではないことを意味します。
どこでもいいから、住み着きたかったのです。
好奇心があったから、なんてくだらないことを言う研究者は許せない。原始人は、自分たちが住んでいるところ以外にも土地があるということを、知らなかったのです。
住み良くなくても、みずからのアイデンティティのために、そこに住み着こうとするのが、人間です。
したがって、食い物のためでもない。
研究者の説明するような、いなくなった獲物を追いかけて、などということはありえない。いなくなったものは、いなくなったのです。消えてしまった、ということです。僕が原始人なら、そうとしか思いようがない。自分たちがいるところの外に土地があることを知らないのですからね。
現代の狩猟民族が獲物を追いかけて移動するのは、そこに土地があることを知っているし、獲物がそこに行くことを知っているからです。サバンナのホモ・サピエンスだって、そういう範囲で移動していただけです。
人類は、好奇心や食い物のために拡散していったのではない。「関係としてのスペース」を確保しようとして、その生息域がずれていっただけです。そして食い物のためでも好奇心でもないからこそ、もっとも住みにくい極寒の地にも住み着いてしまったのです。
またこのことは、ヨーロッパネアンデルタールがクロマニヨン化を始めた4万3千年前には、アフリカから北ヨーロッパにいたるすべての地域に人類が棲息する群れがあった、ということを意味します。
つまりそんな状況で、群れの移動などあるはがずなく、あるのは、群れを飛び出す旅人だけだったはずです。そしてその旅人が、ホモ・サピエンスの遺伝子を運んでいった。
食い物のことに関連付ければ人間の行動がもっともらしく説明できると思うのは、研究者たちの迷信であり、考古学の世界のいわば抜きがたい制度性であろうと思えます。
猿が人間になったということは、食い物のことだけでは説明のつかない存在になった、ということです。
言い換えれば、研究者の短絡的な脳みそでは説明のつかない存在になった、ということでしょうか。

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