研究者が「それは、謎である」というとき

ミトコンドリア遺伝子の値がどうのという固定観念をひとまず捨て、素直にその生態と文化を考えてみれば、アフリカのホモ・サピエンスとクロマニヨンとのあいだに連続性など何もない。
南の民は南でしか生きてゆけないのであり、南の民は、南にしか移動しない。
北の民が、北に移動する。
こんなことは、至極あたりまえのことじゃないですか。
もしもアフリカのホモ・サピエンスが4万年前にヨーロッパに上陸していったと言うなら、そのときどうして住みよい西アジアを素通りしてわざわざ住みにくい北ヨーロッパまで遠征していったのか、このことをきっちり説明していただきたいものですね。
獲物を追いかけて、なんて説明は、何の説得力もないですよ。獲物なんか、西アジアにうようよいたのだから。
「それは、謎である」と言い方をしている研究者もいます。
よくそんな横着なことが言えるものだ。古人類学は、仮説がありの世界なのだから、いくらでも仮説を立てればいいだけです。
それを補強する資料が足りない・・・冗談じゃない。自分の信じるところを発表して、資料が出てくるのを待てばいいだけではないか。そのうち出てくるに決まっている、と胸を張って言える信念くらい、仕事として研究しているなら、自然に生まれてくるでしょう。
ようするにあるはずのないことを、最終決定でもない遺伝子のデータに引きずられて、あるように考えようとするから、「謎である」などという言い方をしなければならなくなるのでしょう。
遺伝子のデータが最終決定されるのは、おそらく何十年もあとのことでしょう。いや、それが原始人の行動そのものまできっちり計量するなんて、永久にないでしょう。
サバンナで暮らしてゆける優秀なホモ・サピエンスは、サバンナを出てゆかないですよ。これもまた、至極あたりまえのことです。
暮らしてゆけない半端な連中が、逃げ出すか追い出されるかして出て行っただけでしょう。
したがってそういう連中が、ヨーロッパに乗り込んでネアンデルタールの群れを凌駕してしまうなんて、あるはずないじゃないですか。
おそらく、氷河期の気候のせいで北アフリカあたりまで広がっていたネアンデルタール的形質の群れに吸収されていっただけでしょう。
しかし、そのネアンデルタール的な群れも、北アフリカていどの寒さなら、すこしくらいホモ・サピエンスの遺伝子が混じってもなんとかしのげた。しかもホモ・サピエンスの遺伝子には長生きするという特性があったから、その群れでは、ホモ・サピエンスの遺伝子が混じった個体がどんどん多くなってゆき、最終的には全員がそうなっていった。
家族という単位を持たないネアンデルタールの群れは、旅人を迎え入れる習性があった。
ホモ・サピエンスのように家族的小集団の場合、血縁ではない者を受け入れることは、したくないし、できないことです。
しかし家族のないネアンデルタールの群れでは、もとより「血縁」という概念はなく、だから、旅人を拒まなかった。とくに北にいけばいくほど狩などの共同作業の規模が大きくなってくるし、群れの人口減少の不安をつねに抱えてもいたから、なおその傾向は強かったはずです。
というわけで、そのころヨーロッパ全土から西アジア、おそらく北アフリカまでの地域では、すべての群れで、つねに少数の旅人を吐き出し、そして旅人を迎え入れるという生態になっていたのでしょう。
そういうかたちでたえず遺伝子の拡散や交換がなされてゆき、やがて北ヨーロッパネアンデルタールも、ホモ・サピエンスの遺伝子を加えても生きてゆける文化のレベルに達していった。
クロマニヨンとは、そういうかたちでホモ・サピエンスの遺伝子を加えたネアンデルタールのことであって、そのときアフリカを出たサバンナのホモ・サピエンスなど、ひとりもいなかったはずです。
そのときホモ・サピエンスの遺伝子が、ファッションの流行のようにひろがっていった。そしてすべての地域の在来種が、ホモ・サピエンス遺伝子のキャリアになっていった。
ようするに、それだけのことでしょう。アフリカのホモ・サピエンスはどこにも行かなかったし、ホモ・サピエンスに追い出されたネアンデルタールの群れもひとつもなかった。
追い出すとか追い出されたとか、そういう安手の劇画みたいなことを、よく恥ずかしげもなく考えていられるものだ。

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