拡散の能力とは

ネアンデルタールの前歯は磨り減っていて、それは彼らが前歯で皮をなめしていたからだ、と研究者は言っています。これもおかしな説明です。そんなことしなくても、もっと楽に効率よくできる方法ぐらい、石器を使いこなす知能を持っていた彼らだって見つけるでしょう。それに、誰もが年中皮をなめしていたわけでもない。ようするに、知能が劣った原始人だ、という先入観から、そういう解釈が生まれてくる。
それはきっと、寒さに震えながら歯を食いしばっていたからでしょう。彼らは、それくらい苛酷な環境を生きていた。
それはまあともかくとして、アフリカのホモ・サピエンスには、長距離移動=拡散の能力も習性もなかった。
だから、それぞれの部族が、地続きの同じ地域で暮らしながら、数万年のうちに、二グロ族、コイサン族、ピグミー族など、さまざまな形質の種族に分かれていった。
つまり、近くにいても、それぞれの種族が、まったく遺伝子の交換をしなかった。
こうして分かれてゆくことを「ボトルネック現象」というのだが、こんなことはほんらい、遠く離れるとか、孤島に置き去りにされるとか、そういう条件から起きてくることです。
ところがアフリカのホモ・サピエンスは、そう離れてもいない地続きのところでそういう分化を起こしている。
すなわちホモ・サピエンスは、それほどに拡散しない、したがらない人種だった、ということです。
まわりに肉食獣がうようよいるところで暮らしている彼らにとって、遠くまで行くことは、死を意味した。
それにサバンナは、芝のグラウンドではない。ときには丈の高い草をかきわけていったりするのだから、長身だから有利だというわけでもない。
有利であるのは草の上から頭だけ出して遠くを見るときとか、瞬間的な移動をするときです。すらりと背が高い体型は、瞬間的な移動や障害物を飛び越えたり遠くを見晴らしたりするのに有利な体型なのです。
また、彼らが部族内のネットワークを持ち、ネットワークに頼って暮らしていたということは、ネットワークの外に出ることのできない生き方をしていた、ということです。
ネットワークの外に出れば、女を交換することもできないし、どこに食料資源があって、どこが危険な場所かもわからなくなってしまう。
彼らは、ネアンデルタールのように高地に住んでいたわけではないから、あまり遠くを見晴らすということもなく、自らの行動範囲で出会う同じ種族以外の、基本的にはほかの部族の存在そのものをよく知らなかったのでしょう。
それに家族的小集団が行動の単位だったから、よそ者が入り込むことはできず、言葉も違えば、ネットワークの一員として認めてもらうのも難しかったにちがいない。
一方ネアンデルタールは、つねに群れん個体数の減少に不安を抱えている集団だったから、他の群れからとび出してきた者はわりあいかんたんに受け入れていったし、受け入れるからこそよその群れを目指して飛び出してゆくものも生まれやすい構造になっていたはずです。
そうして、クロマニヨンのヨーロッパ拡散前夜である四万五千年前には、ヨーロッパから中央アジア西アジア北アフリカまでの広い地域に遺伝子と文化を拡散させていた。
ネアンデルタールの分布は、ホモ・サピエンスとは逆に、すべての地域で同じような文化で同じような個体の形質になっていた。それほどに、血も文化もたえず交換されていた、ということです。
ホモ・サピエンスはネットワークで情報を交換し合っていた。だからこそ情報の得られないネットワークの外にはけっしてでてゆこうとはしなかったし、出て行く場所がないと思ってしまえば、それじたいが安心感にもなったはずです。そういう停滞と安定から、ボトルネック現象が生まれていった。
アフリカのホモ・サピエンスに、拡散してゆく能力などなかったのです。
ただ、その遺伝子だけが拡散していった。なぜならそれはもっとも長生きするもっともモダンな遺伝子だったからであり、その遺伝子が群れに混じりこんでゆけば、その遺伝子が混じった個体ほど長生きし、最終的にはその遺伝子のキャリアばかりになってしまう。

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