赤色オーカーの幾何学模様と、クロマニヨンの壁画

文化=知能を語るのなら、石器などたいした問題ではない。石器にこだわるのは、想像力が貧困で、それでしか語れないからでしょう。
前回に赤色オーカーの幾何学模様のことをちらと書いてしまったから、ついでにもう少し付け加えておきます。
7万5千年前の南アフリカの遺跡から見つかった赤色オーカーという顔料のやわらかい石に、網の目のような斜めの直線を交差させた模様が彫りこまれてあった。
研究者たちはこれを、人類最初の絵画であるといい、「象徴化」の知能はこのときに獲得されたのだといいます。そして言葉も、この「象徴化」の知能によって、ただの唸り声からひとつの言葉らしいかたちを持ってきたのだと説明しています。
学校のテストで、言葉は7万5千年前にはじまったと書けば正解になるのだそうです。
人類は、言葉を話せる喉の構造を、すでに200万年前には持っていたらしい。だったら、どこから言葉らしいかたちになってきたかなど、わかるはずないじゃないですか。「象徴化の知能」とやらをもっていなくても、200万年もぺちゃくちゃやっていたら、人間の知能がどうこうしなくても、言葉のほうで言葉になってゆくでしょう。
言葉は、知能がつくるのではない、言葉は言葉がつくるのです。
たとえば「ご」という唸り声が「んご」になり、やがて「りんご」になったとしたら、それは、のべつぺちゃくちゃやっていたら、勝手にそうなってゆくのです。気がついたら、いつのまにかみんなが「りんご」としゃべっていた。それだけのことでしょう。知能で「りんご」というのではない、いつのまにか、勝手にそうなってゆくのです。その、勝手にそうなってゆく状況が言葉を生むのであって、知能ではないのです。
そしてそういう人が集まってぺちゃくちゃやる状況は、アフリカのホモ・サピエンスではなく、ネアンデルタールの社会にこそあった。言葉は、「社会」が生むのであって、「知能」ではない。そのへんのところを、研究者たちは、まるでわかっていない。
まあいい、このことを突っつくと、きりがない。
赤色オーカーの幾何学模様の問題です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
そのやわらかい石の表面の平らになっている部分にナイフのような石器で引っかいてみるということは、ネアンデルタールでもすることはあったでしょう。何も考えないで、なんとなくやってしまう行為です。
ただ、その引っかいたあとが直線になっているのを見たときに、ネアンデルタールは、ホモ・サピエンスほどにはときめかなかった。
直線は、木や草や山や川や雲など、自然にはないかたちの線です。その自然に対する異和感が、ホモ・サピエンスの心をとらえた。
極寒の空の下のネアンデルタールは、自然=環境と和解してゆくことによって生き延びていた。
一方サバンナのホモ・サピエンスは、自然=環境から逃れるようにして、自分たちの世界つくってゆこうとしていた。彼らの居留地は、自然=環境の一部ではない。一部であるなら、すぐ外敵に見つかってしまう。見つからない「別の世界」をつくろうとした。
シマウマやガゼルや鳥などは、いかにも不自然な派手な模様を持っている。それらは、外敵から逃げる速い足や空飛ぶ羽を持っているから、堂々と自分たちだけの世界をつくってゆける。ホモ・サピエンスは、おそらくそのことに憧れて、自分たちもビーズのアクセサリーなどで体を飾っていったのでしょう。それは、自然=環境に対して、自分たちだけの世界を持っていることの証しだった。
たとえば、ネズミやウサギなどの小動物のように、弱い生きものほど自然=環境に紛れ込んで生き延びようとする。しかし、シマウマや鳥のように自然=環境から遊離してゆく能力を持った生き物は、自然=環境に対する異和を持って生きている。
ホモ・サピエンスは、自然に対する「異和」であることに、アイデンティティを見いだしていった。そのメンタリティが、思いがけなくあらわれた赤色オーカーの上の「直線」にときめいたのではないでしょうか。いや、最初は、土の上に書いていたのでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・
アフリカで発達した打楽器(および黒人独特のリズム感)は、自然ではない自分たちだけの世界を表現する、いわばノイズ=異和であり、ひとつの幾何学模様にほかならない。
一方ヨーロッパでは、自然=環境と和解し、それを模倣するような楽器が発達した。ネアンデルタールは、熊の骨に穴をあけて、フルートのようなものを作っていた。それはおそらく、鳥のさえずりを模倣するところから始まったのでしょう。またヨーロッパのダンスの歴史は、バレエに極まるように、自然を模倣する動きを基調としている。
が、アフリカのダンスは、直立二足歩行する人間にしかできないような、不自然なステップの踏み方とリズムの取り方が目指されている。
アフリカのホモ・サピエンスは、自然から遊離し、「異和」であることを目指した。べつに「象徴(抽象)化」の知能がどうとかということではない。あくまで「直線」に魅入られただけでしょう。そういう「直線」にたいする志向性を持ちながら、土にいたずら描きしていたら、知能などというものとは関係なく、そのうち自然に、あんな単純な幾何学模様くらい生まれてくるのです。
それが、人類史のエポックになるような画期的な表現だったなんて、研究者の考えることは短絡的すぎます。そんな風に、歴史を予定調和的な図式にしてしまって、何が面白いか。ほんとうに、そんなことが真実なのか。
そして、ホモ・サピエンスの直線模様にたいして、ネアンデルタールから進化したクロマニヨンの描いた壁画には、眠たくなるような点の行列が描かれていたりする。寒差で神経がとがっているところでは、そういう模様で気持を和らげようとするし、ただでさえ眠たくなってしまうような気候と家族的小集団の停滞した人間関係の退屈な暮らしをしていた南では、眠気を覚ますような直線や派手な色に気持を刺激されていった。ま、そんなようなこともあったのかもしれません。
いずれにせよ、クロマニヨンの壁画には、ほとんど鋭い「直線」は使われていない。

人気ブログランキングへ