古事記の世界観Ⅴ

古代の奈良盆地の人々は、天皇を神とあがめていた。
しかしそれは、それほどに天皇の権力が絶大だったからではない。人々が、勝手に神とあがめていたたけのことだ。どんな絶大な権力の持ち主でも、自分のことを、民衆に神だと思わせることはできない。権力しかもっていない支配者を、誰が神だと思うものか。そういうことは、民衆が勝手にあがめるというかたちでしか成り立たない。権力なんか持っていなくても、神は神なのです。権力のことを、神と思うのではない。中世から近世にかけて、天皇が権力とはまったく無縁の存在でしかなかったときでも、やっぱり神として君臨していたのであり、信長も家康も、天皇と同格の神にはなれなかった。
古代の民衆は、なぜ天皇を神とあがめたのか。あがめずにいられない生の不安というか、生きてあることにたいするある種のいたたまれなさのようなものが切実にあったからでしょう。
ただの、無邪気で原始的な心性から「神」という概念が生まれてきたのではない。原始的だから、太陽や鳥を見て神だと思うのではない。生きがたい暮らしの中に身を置き、われわれはなぜ死んでしまうのだろうかとか、どこからやって来たのだろうかとか、そういう実存的な不安を持ってしまったからでしょう。
とくに弥生時代以降の奈良盆地の人々は、食うものも居住地の心配もしないで生きていた縄文時代よりずっと生きがたい状況を体験し、山野をさすらっていたころにはたいして気にもしなかった「われわれはどこから来たのか」という問題もさらにつよく意識するようになってきた。彼らが不幸だったというのではない。彼らは、その困難や不安に見合うだけの、奈良盆地の景観にたいする親しみを得ていたのだ。つまり、そうした不安(嘆き)とカタルシスの振幅がよりダイナミックになってきたところで、神の物語を語り合い、天皇をみずからあがめていったのだ。
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新井白石は、「(古事記においては)神は人なり」といった。そして本居宣長は、古代人には「カミ」が見えていた、といった。
では、古代人が鳥を見て神だと思うとき、人間の姿に見えていたのかといえば、そうではない。古代人にとっても、鳥は鳥でしょう。ただ「神だ」と思うくらい、それを見て畏れおののいた。その畏れおののく心が、「カミ」という言葉になって発せられた。
人間だろうと鳥だろうと草木だろうと太陽だろうと、すべては自然の一部です。そして、それじたいが、自然のすべてとして完結した存在でもある。まわりの山なみを眺めながら、ここが世界のすべてだ、と認識する感慨。この身体がこの生のすべてだ、という感慨。そういう感慨の延長で鳥を見れば、鳥だって、それじたいで自然=世界のすべてとして完結した存在であるはずだ。すなわち、それじたいで自然=世界として完結した存在であるように見えたときに、「神だ」という感慨が生まれてきた。
人間は、不完全な存在である。この身体がこの生のすべてであるはずなのに、そう思い切れない不安や迷いがいつもある。だからこそ、完璧なフォームで空を飛んでいる鳥を見れば、ああ神だ、と思ってしまう。それは、神であると同時に、完璧な人間の姿でもある。それじたいで自然=世界として完結している存在は、神であると同時に、完璧な人間でもある。アマテラスという太陽は、完璧な自然であり、完璧な人間でもある。
ようするに、「畏れおののく」こと、その心のかたちが「カミ」という言葉になって発せられるのであり、古代人は、そういう言葉がわれしらず口から洩れてしまうくらいダイナミックな心のはたらきをもっていた。つまり、われわれ現代人よりも、古代人のほうがずっと「実存の不安」を深く体験していた、ということです。
現代人がその不安から逃れられないのは、深く体験しているからではない。それをカタルシスに消化させる心のはたらきが希薄だからだ。古代人はその不安を受け入れ「嘆き」としてちゃんと表現していったが、現代人はそこから逃れようとすることしかしていない。現代人の実存の不安など、じつは古代人よりもずっと底の浅いものなのだ。