古事記の世界観Ⅳ

さすらいびとがさすらう心で定住してゆくこと、これが、弥生時代以来奈良盆地で始まった定住の歴史だった。彼らは、古事記において、さすらう心を表現した。奈良盆地に住みよい条件など何もなかった。さすらう心をいざなう景観だけがあった。彼らは、さすらう心だけで住み着いていった。
いい暮らしができるという希望がなくて誰が住み着いたりするものか、という解釈は、堕落した現代人の勝手な思い込みです。四方をたおやかな山なみに囲まれていること、それこそが、彼らが奈良盆地を「まほろば」と呼ぶ理由であり、住み着いてゆくときの希望であったのだ。
住みにくさをぜんぶ引き受けて住み着いていった心だったからこそ、「まほろば」という感慨が生まれてきた。いい暮らしをしたいという願いで人間の歴史がつくられてきたのではない、いい暮らしができるようになったから、いい暮らしがしたいと願うようになったのだ。
奈良盆地は、いい暮らしがしたいという願いで住み着けるような土地ではなかった。それでも彼らは、懸命に住み着いていった。そこを考えなければ、古代の奈良盆地の歴史は見えてこない。
彼らは、「願い(=欲望)」があって住み着いていったのではない。世界の果てとしてのたおやかな山なみに「いざなわれた」のであり、願いなどもたないさすらい人だったからこそ、住み着くことができたのだ。
古事記は、奈良盆地に住み着いた人々のさすらう心の表現だった。彼らは、さすらう心で住み着いていた。
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人は、さすらう心をもっていないと住み着いてゆくことができない。人間存在の、そういうパラドックスがある。住み着いて仕事に励めば、食うことの心配がなくなってゆく。これは、昔も今も同じです。住み着くことは、食うことの心配がなくなってゆくことです。しかし、たとえ住み着いても永久に住み着くことはできない。すなわち、人はかならず死ぬ、ということに気づかされる。死んで、この地を去らねばならない。食うことの心配がなくなればこそ、この問題がよりつよく気になってくる。けっきょくこの問題を解決することが住み着くためのもっとも大きな課題なのだ、と知らされる。
人は、未来を信じて住み着くのではない。「今ここ」を受け入れるからだ。「今ここ」でこの生を完結してしまおうとして、住み着くのだ。いい暮らしがしたいなんて、二の次の問題です。いい暮らしができるようになってから、もっと、と望み始めるのです。そんなことではなく、何はさておいても「この地」で死んでゆくことを覚悟して住み着いてゆくのだ。明治時代以来、南米の荒地に移住していった人たちに聞いてみればいい。また、百万年前のネアンデルタールの祖先が氷河期の北ヨーロッパに住み着いていったことにしても、そこは、いい暮らしがしたいという望みで住み着けるような土地ではなかったはずです。ここで死んでゆく、と腹をくくったからだ。そうやって腹をくくることができるから、人類は地球上の隅々まで住み着くことができたのだ。研究者の言う「好奇心」とか、「獲物の草食動物を追いかけて」とか、ちゃんちゃらおかしいですよ。
死んでこの地を去るということは、さすらうことです。そうやってさすらうほかないことを受け入れなければ、人は住み着けないのです。住み着くということじたいがさすらうことだから、住み着くことができるのだ。
けっきょくさすらうほかないこの生のかたちをどう認識してゆくか、これが、古事記という物語が荒唐無稽な話になっていったときの、人々の心の動きだった。
古代の日本列島においては、死んだらどこに行けるというような観念の合意はなかった。死の世界への入り口はもう、イザナミが千引石(せんびきいわ)で塞いでしまった。であれば、この生そのものをさすらうかたちにしてゆくほかない。
奈良盆地の人々は(おそらく古代における日本列島の人間の誰もが)、根っからのさすらいびとだった。さすらう心は、どんな荒唐無稽な世界であっても、それを世界の果てとして信じてしまうことができるし、この世界と別の世界、というような区別はしない。
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古事記は、日本列島をさすらっていた人たちが奈良盆地に住み着いていった歴史の上に成り立っているのであり、そういうさすらいびとの心性の表現として「神々の系譜」がつくられていった。
彼らにとって、神とは、人間であって人間ではない存在だった。超越者であって、超越者ではない存在。神は、向こうがわの別の世界にいるのではなく、あくまでこの世界の「果て」にいる。この世界の果てとしての遠いむかし、神は人間だった。究極の人間が、神なのだ。
さすらいびとに、もうひとつの別の世界、というようなイメージはない。どこにも行かない定住者が、どこにも行かないことの慰めとして、そういうイメージを浮かべる。さすらいびとは、この世界の果てを信じ、この世界の果てからいざなわれながら、さすらい続ける。古事記における神々の物語は、この世界では起こりえないもうひとつ別の世界の出来事ではなく、あくまでこの世界の果てで起こったこととして信じられていた。
それは、この世界で起きたことではない。あくまでこの世界の「果て」で起きたことだ。したがって、そうした神々の話を、合理化しつつ史実に引き寄せて類推しようとするのはナンセンスであろうと思えます。
彼らは、その物語を史実にのっとった話として語り合ったのでも、信じたのでもない。自分たちの力の及びがたい世界の果てを信じたのだ。それは、空を飛ぶ鳥を、神の姿だと納得するようなことです。あるいは、神の力を授けられて飛んでいると認識する。彼らは、人間の及びがたい力(現象)を畏れ敬った。そういう感慨が、「カミ」という言葉になった。
「カミ」の「カ」は、「かしこき」の「カ」でしょうか。「ミ」は「見る」。彼らにとっての「カミ」とは、「かしこきものを見る」体験(感慨)のことであり、観念によってこの世ならぬものを想定しているのではない。この世ならぬものは唯一絶対であるが、彼らの体験(感慨)としての「カミ」は、無数にある。そして、そうやって日常的にこの世界の果てと遭遇する体験(感慨)をしていれば、どんな荒唐無稽な話も、この世界の果てで起こったこととして信じてゆくこともできるはずです。
日本列島では八百よろずの神が信じられているということは、われわれ現代人のなかにも、どんな荒唐無稽な話もこの世界の果てで起こったことと信じてしまう感性が残っている、ということです。
古事記を語り継いだ人々は、この世界の果てを信じても、この世界とは別の世界など信じていなかった。未来という「あの世」を信じて死の恐怖をいたずらにふくらませている現代人のほうが、よほど迷信深いともいえる。