日本的な身体観の源流

われわれの社会生活は、みずからの身体を支配してゆく手続きの上に成り立っている。歩くことは、つまるところ、そういう欲望を洗い流してしまうことにほかならない。歩くことは、身体が、観念の支配から解放されることだ。生きやすさを求める観念の支配から解放されることだ。たとえ生きにくくても、これが世界のすべてだ、と納得して受け入れてゆく。人は、そうやって住み着いてゆき、そうやって漂泊してゆく。念仏の旅は、村に住み着くことをやめて、日本列島に住み着いてゆく行為だった。漂泊とは、「出てゆく」行為ではなく、あくまで「入ってゆく」行為なのです。
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ヨーロッパ的、あるいは大陸的な生命観が、生きてゆこうとする意志=観念にあるとすれば、日本列島における伝統的なそれは、そういう未来を拒否(もしくは断念)して生きてあることにさすらってゆく(=入ってゆく)ことにある。
大陸では、観念が身体を支配しながら観念が望むとおりに生きてゆこうとすること、それが生きてあることだという生命観で歴史が動いてきた。そこから「本能」などというわけのわからない概念が生まれ、近代合理主義が形成されてきた。
生きものが生きてゆこうとするのはあたりまえじゃないかと誰もがいうのだろうが、じつは、誰もが思っているほどあたりまえではない。
それは、観念の流儀であって、身体の流儀ではない。
身体は、「息をしよう=生きてゆこう」として、息をしているのではない。息をしないと息苦しくなるからだ。身体は、身体の異変に対する「拒否反応」を持っている。べつに生きていきたいからじゃない。息苦しいという事態から、息をすることをうながされてしまうからだ。
身体は、「息苦しい」と知覚する意識とセットになった、そういうはたらきを持っている。いずれにせよ、息をすることは、身体が勝手にやっていることで、息苦しいという意識は、息苦しさのいわば「目盛り」のようなものです。意識が勝手に持っている息苦しさではない、あくまで身体の息苦しさです。身体の息苦しさの「目盛り」として、意識が発生するだけのことです。
すなわち、生きるということは、身体が勝手にやってくれていることであって、観念がどうこうできることではない。それを認めるかどうか。認めるのも観念だし、認めないのも観念のはたらきです。
うまいものを食いたいと思って食ったとしても、それを消化するのは純然たる身体のはたらきであって、観念でできることではない。生きることは、上手いものを食うことか。それとも食ったものを消化することか。
生きてゆこうとする衝動なんて、ただの観念の働きにすぎない。身体は、ひたすら身体の異変を「拒否反応」とともに処理し続けている。だって身体は意識ではないのだから、生きてゆこうなんて、思うはずがないじゃないですか。
身体は、ただの構造=システムです。いかなる衝動も持っていない。ただもう、そのときどきの事態に「反応」し続けているだけです。
そして身体のそういう働きにともなって発生してくる意識は、いつだって、苦しいとか、暑い寒いとか、痛い痒いとか、空腹だとか、そんな「嘆き」ばかりです。
生き物としてのわれわれは、べつに生きてゆこうとなど思っていないが、生きてあることが困難になったときの嘆き(拒否反応)にせかされて生きている。裏返せば、生きてゆくことは、身体のそういう嘆き(拒否反応)に耳を傾けることであって、生きてゆこうと思うことではない、ということです。
観念が食おうと思って食ったって、身体が消化してそれを血や肉にしてくれなければ、生きてゆくことなどできないのです。しかしわれわれ現代人は、身体の空腹という嘆き(拒否反応)など置き去りにして、あくまで「美味いものが食いたい」という観念の主導で済ませようとしている。そういう生き方の流儀が、生きものは生きようとする衝動を持っている、という論理を捏造している。そうやって我田引水しながら、みずからのすけべ根性を正当化しているだけのことだ。
生きものは「すでに生きてある」のだもの、生きてゆこうとなんか思いようがないじゃないですか。言い換えればそれは、「すでに生きてある」という現在を消去して、「生きてゆく」という未来を獲得しようとする観念にほかならない。
現在を消去するとは、身体を消去する、ということです。
身体こそが、われわれが生きてある「現在」です。そして意識は、つねに身体から一瞬遅れて発生する。その一瞬の遅れに苛立って、観念は、未来を先取りして、そこから身体を引きずりまわそうとする。そういう観念が、生きものは生きようとする衝動=本能を持っている、と言い出す。
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身体からの声は、つねに「嘆き=拒否反応」としてしかやってこない。「もののあはれを知る」とは、つまるところ、そのような身体からの声に耳を傾けることであろう、と思えます。
原初の日本人は、日本列島に閉じ込められていた。そして縄文人は、つねに山に囲まれて暮らしていた。われわれのこの生は閉じ込められてある、という意識、いや、われわれはこの生に閉じ込められて存在している、という意識、そして、この生は身体に閉じ込められてある、という意識。それは、閉塞感ではない。閉塞感は、外を知って外に出たいという意識です。しかし原初の日本人は、「外」を知らなかった。「外はない」と思っていた。海に囲まれるとは、そういうことです。海は、陸地ではない。陸地はもうここだけだ、と思っていた。ここが、陸地の「果て」だ、と思っていた。
つまり、じっさいには、「閉じ込められてある」とは、さらさら思っていなかった。ここが「果て」だ、と思っていただけです。
大陸に住んでいたら、誰も「果て」にはたどり着けない。大陸人は、「果て」を知らない。
しかし、原初の日本人は、ちゃんと「果て」を見届けていた。この世界の果て、この生の果て、そういう「果て」を知っている意識は、この生は身体において完結している、という認識を持ったはずです。
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身体の働きは、「嘆き=苦痛」としか表出されない。そしてその声に耳を傾けることは、身体という世界の「果て」を見届けることです。
根源的な意識においては、現在そのものにすでに「果て」を見届けて、未来を「ない」ものと認識している。われわれは、そういうかたちで身体の「嘆き=拒否反応」に耳を傾けてながら生きている。
身体の「嘆き」は、未来ではない。現在そのものです。現在の「果て」からの声です。原初の日本人は、身体を支配しつつ未来を先取りしてゆくのではなく、現在の果てとしての身体の嘆きと和解してゆくというかたちで生きていた。おそらく、そこから日本人の言葉や文化や行動性のもととなる感受性がつくられていったのだろうと思えます。
日本人にとって、生きることは、未来に向かって生きようとすることではなく、ひたすら生きてある現在の「果て」をさすらい続けることにあった。すなわちそれが、「無常感」なのではないでしょうか。