定住するということ

「人類史のなかの定住革命」(講談社学術文庫)の著者が説く直立二足歩行の起源、「いつも手に棒や石を持っていたからだ」という仮説がいかにくだらないかということについて、ひとつ書き忘れていたことがあったので、まずそれを書いておきます。
「拇指対向性」というのがあります。サルと違って人間の親指の関節は、物がつかみやすいように、人差し指の方向にねじれている。鉄棒にぶら下がるときのことを考えればわかります。サルは、人間のように、親指を下から回して握るということができない。親指と人差し指で、OKのOがつくれない。考古学の資料によれば、人間の手のこの構造が完成したのは、直立二足歩行をはじめて300万年以上経った、およそ250万年前の、原人の段階になってからだろう、といわれています。ここから一挙に知能が発達していった。
それまでの猿人の段階では、サルといっしょで、今の人間ほどにはうまく物がつかめなかった。もし、直立二足歩行をはじめたときにいつも棒や石を持っていたら、すぐに「拇指対向性」が生じてきたはずです。300万年以上かかるなんてことはぜったいにあり得ないし、その構造になるまではうまく棒を振り回したり石を投げたりすることはできなかったはずだ、ということです。
もしチンパンジーが、いつも棒や石を手に持っていても、ふだんは、おそらくそのままナックル歩行をしているでしょう。なぜなら、それが類人猿にとってはもっとも安定した歩行姿勢であり、必要なときだけ立ち上がればいいだけです。
しかしこんなことをいっても、この本の著者には馬耳東風なんでしょうね。悔しいけど。
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いや、今日書きたいことは、そんなことではない。
なぜ縄文時代が8千年も続いたのか、ということです。
停滞していたのではない。停滞が、8千年も続くはずがない。停滞すれば、かならずそのあとに変革の時代がやってくる。停滞しないでダイナミックに動いていたから、その生態と文化が8千年も続いたのです。
それまで遊動生活していた人々が一ヶ所に定住してゆけば、やがて停滞がやってくる。定住に停滞はつきものだ。だから、かならずそのあとに変革の時代がやってくる。定住するから、時代はめまぐるしく変わってゆく。
研究者によれば、定住してなおかつ8千年も時代が変わらなかったのは、世界史的に見てもかなり特異なことであるらしい
人類600万年の歴史で、599万年は、変ることのない遊動文化の歴史だった。ブッシュマンなどのアフリカにおける一部のサバンナの民は、いまだに200万年前とそう大差のない遊動生活を続けている。
とすれば、縄文時代が8千年続いたことも、厳密な意味での「定住」ではなかったことを意味しているのかもしれない。
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「人類史のなかの定住革命」の著者は、人類にとって定住することはひとつの革命だった、という。
まあ、あたりまえに考えればそうでしょう。しかし、定住することが600万年のうちのたったの一万年だということは、定住することもまた遊動生活の続きに過ぎない、ということかもしれない。
この著者のように、いともあっさりと「遊動と定住」という二項対立にしてしまっていいのだろうか。そんな問題じゃないだろう、そんな安直でステレオタイプな論理ではすまないだろう、と僕は思う。
遊動といっても一定の地域をぐるぐる回っているだけだし、暮らしぶりもえんえんと変わらないのであれば、それは定住よりももっと定住的でしょう。そして定住してどんどん時代が変わってゆくのであれば、遊動よりももっと遊動的だともいえる。
定住することの弊害として、著者は、おもに次のようなことを挙げています。
1・天変地異から逃げ出すことができない。
2・ごみや排泄物や死体が蓄積する。
3・群れの仲間どうしの不和や他の群れとの緊張が、大きくなったり恒常化したりする。
1にたいする対策としては、丈夫な家を建てること。あるいは、洞窟や崖の下を棲家とする。
2にたいしては、高いところに住めば、風が吹き飛ばしたり、雨水が洗い流してくれる。そして死体は、埋葬する。
著者は、縄文人の定住は海や川のそばの水産資源を得られる地域からはじまっている、というが、上記のような条件を考えるかぎり、高地(あるいは台地)からはじまっているのでなければつじつまが合わない。ネアンデルタールは、そうやってすでに数十万年前から定住していたのです。
著者は、人間の行動原理は食い物=経済にある、と当然のように考えている。その考え方が卑しく、短絡的でもあるのだ。
けっきょくいちばんやっかいなことは、3の事柄でしょう。しかし人間は、もともと他の動物以上になかよくしようとする衝動を持っている。なかよくできない者は、追い出せばいいし、勝手に出てゆけばいい。そして出ていって、他の群れが引き取ってくれるのなら、なお出てゆきやすいし、他の群れにとっても、それによって仲間どうしの和が再構築されたり、血の活性化にもなったりする。そういう連鎖関係がうまく機能してゆくことによって、定住化が起きてくる。定住化は、定住できないで遊動してゆく者を生み出すことによって成り立っている。このパラドックスによって、人類は、地球の隅々まで拡散していった。
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ネアンデルタール縄文人も、群れどうしはおたがい没交渉無関心でありながら、しかし群れからとび出してきた者を他の群れがよろこんで受け入れる、という文化を持っていた。
他の群れとの緊張関係は、もともと遊動生活しているからこそ、そのあげくにばったり出くわしたりして起きるのであり、そういう事態が解消されてゆくかたちで原始時代の定住化が生まれてきたのだ。
遊牧民のほうが戦闘的であるのは、例をあげるまでもないことでしょう。原始時代の戦争は、相手の群れの人間を殺すためだったのであり、土地を奪い合う緊張関係など、ずっとあとの時代になってからのことです。すなわち定住したから戦争をするようになったのではなく、定住して一時的にそういう緊張関係がおさまったのです。まあそのあと、なお残虐な殺し合いの歴史に突入していったとしても。
人類の歴史は、農耕を覚えて定住していったから戦争をするようになったのだ、というのが一般的な解釈ですが、じつはそうじゃないのです。世界史的に農耕がはじまったのは6千年前で、殺し合いは、9千年前からはじまっている。これは、考古学の常識です。つまり、とにもかくにも人類は、群れどうしの緊張を収拾するかたちで定住し、農耕をおぼえていったのです。
縄文時代草創期にしても、氷河期が明けて大型草食獣が減り、狩猟民の遊動生活のエリアも広がってきて群れどうしの緊張関係が生まれてきた、ということがあったわけです。
原始時代の定住化は、他の群れとの緊張関係が終息してゆく現象だったのです。
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チンパンジーの生態からもわかるように、群れどうしの殺し合いなど、猿の時代からやっていることです。直立に足歩行は、その事態を収拾してゆくかたちで生まれたきたのであり、あくどい戦争をしては、それを収拾してまた仲良くなる、人類の歴史は、その繰り返しとして流れてきたのだ。
仲よい者どうしほど、ひどい殺し合いをする。近ごろのバラバラ殺人など、みなそうじゃないですか。仲のよい群れだからこそ、険悪な関係や幻滅も生まれて、追い出されたりとび出したりする者も生まれてくる。遊動生活が、移動の際の共同作業や景色を変えることでその事態を解消してゆくとすれば、定住生活では、共同作業を日常化してその事態が起きないようなシステムが生まれてくる。そして、起きてきたときの邪魔者は排除されるか、邪魔者みずからが群れをとび出してゆく。
いずれにせよ、共同作業が日常化する、これが原始時代に定住化が生まれてくるときのポイントなのでしょうね。著者がいうような、水産資源を備蓄できるようになったからだとか、だから海のそばや川のそばからはじまったのだとか、そんなことは本質とは無縁のまったく的外れな議論にすぎない。定住したから、水産資源を備蓄する群れも生まれてきた、というだけのことでしょう。結果でしかないことを、原因であるかのように吹聴する、たいていの研究者はそういう習性と限界を持っている。
べつに定住したからといって、どんな革命があったのでもない。それは、遊動生活の延長、あるいはバリエーションに過ぎない。
また、縄文時代の定住の文化が8千年続いたということは、その定住は遊動生活の要素を多く含んだものだった、ということを意味する。この本の著者の短絡的な思考で説明しきれるような、そんな単純なことではないのだ。