漂泊の世界観

デカルトは、「われ思う、ゆえにわれあり」といった。ここでは、「われあり」ということが前提になっていて、それを証明すれば救いになる、という思想がはたらいている。日本列島に住む人間からすれば、ずいぶんかんたんにいってくれるじゃないの、という話です。
「われあり」と認識することは、はたして救いになるのだろうか。死んだら神のいる天国に行ける、われわれは神の一部から派生して死ねば神の一部に戻る、そう思っている人にとっては、そりゃあ「存在」することは救いでしょう。
この世界が存在するということは、そんなにあたりまえのことだろうか。ウィトゲンシュタインは「世界に不思議が存在するのではない、世界が存在することじたいが不思議なのだ」といった。ここでもやっぱり、世界が存在するという認識が前提になっている。しかしわれわれにとって不思議なのは、世界が存在することではなく、世界が存在すると認識してしまうことだ。まあウィトゲンシュタインもけっきょくそういうことを言っているのだろうが、日本列島に住む人間は、「世界が存在する」などという言い方は、そうかんたんにはできない。ウィトゲンシュタインにすれば、世界が存在すると誰もがあたりまえのように思っているが、そんなことはわからないんだよ、といいたいのでしょう。
だが日本列島に暮らすわれわれは、ほんとうに誰もが世界が存在すると思っているのだろうか、と疑ってしまう。もしかしたら誰もそんなこと信じていないのではないか、という気持のほうがつよい。無常観に浸され流れてきたこの国の歴史において、「世界が存在する」という前提などなかったのではないか。
色即是空、世界は存在するのでもしないのでもない。世界にたいするこのタッチ(感触)で、日本列島の人間は生きてきたのではないだろうか。日本列島の中世に、一遍や道元兼好法師世阿弥千利休があらわれて無常やわび・さびを説いたことは、すでに人々のあいだにそういう意識があったということでしょう。彼らは、それを、とくべつつよく自覚した。それだけのことだと思えます。社会はそんなことを自覚させないように動いているから、つい忘れてしまうが、潜在意識として誰のなかにもその自覚はあったはずだし、おそらく現代の日本列島に暮らす者たちのなかにもいぜんとして残っているにちがいない。
自分が生きてこの世界に存在するということなど、考えれば考えるほど「わからない」ことのはずです。そして、「存在」すると自覚すればえらいというものでもない。なんの疑いもなくそう自覚して張り切ってくれれば、共同体にとってこんな都合のいいことはないし、だから自覚せよとたえず迫ってくる。生きてあることの確かな自覚や充実なんて、頭の中を共同体にまるめこまれてしまった人間の言うせりふだ。われわれが生きてあるかどうかなんて、わからないのだ。
わからないから、人は、頭も体も「漂泊」するのだ。
生きてあることなんてわからない、そういう自覚=認識とともに、この日本列島の歴史が流れてきたのだ。
中世の武士たちは「死は案の内、生は存の外なり」といっていたそうだが、そのように、生きてあることなんてわからない、という認識が根底ではたらいているから、切腹や神風特攻隊などというわけのわからないことも起きてくるのでしょう。
しかし、どう考えても、自分がいま生きてあることなんて「わからない」ことであり、わかったからといってそれが救いになるわけでもない。死ぬことがますます怖くなるだけでしょう。だから、天国とか極楽浄土がイメージされてきたのだが、海に閉じ込められた日本列島では、そのイメージが生まれてくる条件があらかじめ奪われている。だからもう、「わからない」ということそれじたいを救いとするしかない。そういう「道(=人間としてのあり方)」をたえず模索してきたのが、日本列島の歴史なのだと思えます。