古事記の世界観Ⅱ

奈良盆地にあらわれた濠のある前方後円墳は、列島中のいろんな地域の要素が混じっている。奈良盆地特有の要素といえるのは、まわりを濠で囲むということくらいで、それは、いろんな地域から集まってきた人たちのアイデアが集まってできたのだ。
同様に、古事記の物語もまた、いろんな地域から集まってきた人々が在来の村人になり、そして今やってきたばかりの旅人もいっしょになって集まり、語り伝えられていったのだろうと思えます。だから、どんな意想外の話も、誰もが「へえ、そうか」とうなずき、信じていった。意想外の話を嫌う根っからの土着民の、常識的な話ではないのだ。なんと言うか、誰もが、どんな話にも感心して信じてしまうようなある種の熱狂と興奮が、その語らいの場にはあった。
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粟(あわ)の茎に弾き飛ばされるような小さな神(スクナビコナ)が、あるとき神の国から遣わされ、オオクニヌシを助けて日本列島を統治していった。古事記にそんな話があり、江戸時代の上田秋成というという人は、そんなことを誰が信じるものかと、古事記の研究者である本居宣長に噛み付いたのだとか。
しかし古代の人々は、それはもうほんとにそうだったのだ、と信じていた。人が考えついたことは、世界の果てにおいてすべてあったことだ。われわれは、ありえないことを考えつくことはできない。考えつけないことだけが、ありえないことである・・・そのようにして彼らは、すべてをまるごと信じていったはずです。
古事記が伝えていることは、この世界のことでもないし、この世界ではないところのこの世界の向こうがわのことでもない。あくまでこの世界の、「果て」の物語です。
そこは、この世界であらねばならないと同時に、この世界であってはならない。そこを信じてゆくのだから、ただの原始人じゃできないし、われわれ現代人にだってできないそうとうアクロバティックな心のはたらきです。
心が清(す)む・・・という状態、われわれだって、自分でも信じられないくらい素直に「うん」とうなずいてしまうときというのはある。そういう心で、古代人は、そんな小さき神の活躍を思い描いていたらしい。米粒をじっと見つめていて、ああ神だ、と思う体験は、僕はようしないけど、ありうることだとうなずくことはできる。「スクナビコナ」はミソサザイの羽を衣服にしたというのだから、米粒よりは大きいのかもしれないけど、まあそんなようなことでしょう。
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たとえば、橋の上に立って、死にはしないから飛び込んでみろ、と言われ、それを信じて飛び込むことができるか。できるときもあるし、できないときもある。できるときは百メートルの高さでもできるし、できないときは、三メートルでも足がすくんでしまう。古事記は、それができるときの心の上に成り立っている話だ、ということです。
ブスでどうしようもなく気がきかない女を死ぬほど好きになれば、馬鹿なやつだとみんなが笑うだろうが、その男が東大教授である場合もある。
粟の茎に弾き飛ばされて神の国に去っていった神、という話を、われわれだって信じることができるし、われわれはもう信じることができない。
それは、知能の問題ではなく、その人の置かれた状況や社会の構造の問題なのだ。
古代人が抱いていた「世界の果て」という概念は、われわれ現代人の意識がとらえるそれより、ずっと深く確かなものだった。われわれは、どこかしらですでに、世界には果てがない、と思ってしまっている。だから、「ありえる」ことと「ありえない」ことを選別してしまう。
しかし古代人には、そんなことはできない。彼らは、世界の果てを確定しないと生きてゆけないような精神的状況を生きていた。彼らにとってのありえないことは、考えつけないことであり、考えついたことは、すべてありえることだった。自分が考えついたのではない、神が知らせてくれたのだ。なぜならわれわれは、神の意図の範囲でしか考えられない。だから神は、「世界の果て」なのだ。
そういう思考を現代人はもう持つことができないのだが、しかし信じるとはつまるところそういうことであり、じつは現代人だって原理的にはそういう思考回路で自分を支えて生きている。自分は今生きてある、という認識は、あくまで「信じる」ことの上にしか成り立たない。それは、事実ではなく、信じられていることなのだ。
自分が今生きてあることなんか、誰にもわかりゃしない。ただ、どうしようもなく人はそれを信じてしまうのだ。
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僕だって、この世界のはじめには神々がいて、そこかから日本列島や人間が生まれてきたのだという話を信じることができる。日本人なんだもの、かなりリアルに、信じている。
ビッグ・バンとか、チンパンジーような猿から進化した人類700万年の歴史とかいうのは、たんなる僕の知識だ。知識と信じることとはちがう。信じることは、僕の生き方や感受性をつかさどっている原理のようなものです。知識は、僕が生きてきた結果に過ぎないのであって、僕を生かしているものではない。
町を歩いている人々の姿が、ただの立体映像ではないと、どうしてわかるのか。それは、触ってみないことには絶対わからないことです。それなのにわれわれは、あたりまえのように生きた人間だと思って、すこしも疑っていない。それは、「信じる」という心がはたらいているからです。
目の前の道路は、中が空洞の落とし穴かもしれない。そうではないと、いったい誰が保証してくれるのか。それなのに誰もが、平気な顔をして歩いている。それは、観念が「わかっている」からではない。心が「信じている」からです。
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古事記のリアリティは、古代人の生きかたや感受性をつかさどっている原理の表現としてある。彼らは、米粒を見て、神だ、と信じることができた。現代人と違って知識や情報に惑わされないで、自由にそういう表現をしてゆくことができた。そして聞く人たちも、そういう荒唐無稽な話でもやすやすと信じてしまえるくらい、この生をこの世界において完結して納得しようとする切実さを持っていた。
漂泊するとは、未来にたいする用心深さを捨てることです。というか、そんなものがないから、漂泊できる。あの山の向こうに何があるかということなどいちいち気にしていたら、どこにも行けない。研究者や小説家はよく「あの山の向こうに対する好奇心」などというのだが、そうじゃない、漂泊する者は、あの山の向こうに何があるのかなんて、いちいち問わない。ここにじっとしておれないから、というだけのことだ。高い橋の上から、飛び込めといわれて、何も考えずに飛び込んでしまう心でさすらっているのだ。そして古代の奈良盆地の人々もまた、そういう漂泊の心性で、「スクナビコナ」の活躍を聞いていたのだ。
漂泊する心が、住み着くことと和解しようとするもの狂おしさ。そういうもの狂おしさで奈良盆地の人々は古事記の神話を信じていったのであり、そういう荒唐無稽な世界観によって彼らの生が支えられていた。
彼らは、奈良盆地が住みよい土地だったから住み着いていったのではない。おだやかな山なみに囲まれた奈良盆地の景観にいざなわれ、立ち去りがたくなってしまったからです。誘惑されてしまえば、ぶすやぶ男でも世界一の美男美女であり、その女(男)が、女(男)のすべてです。同じように、奈良盆地の景観がこの世界のすべてだと深く感慨する体験をしている者であれば、そういう境地になることの醍醐味をよく知っているし、そういう境地を保たなければ生きてゆけない。彼らにとって古事記を語り合うことは、おそらくそういう境地になる場に居合わせることであり、そこで「スクナビコナ」の活躍を聞き、ごくあたりまえのように納得していったのだ。