やまとことばの「たび」の語源は、生まれ変わったような気分のときめきの表出で、おそらく旅そのものを表していたのではない。
「た」は、「立つ・足る」の「た」、「ときめき・充足」の語義。
「び=ひ」は、「秘める」の「ひ」、自分の中の隠されていた気持ち、すなわち新鮮な気分が湧いてくることを「たび」という。そこから、新しい人や景色と出会う体験である「旅」を意味するようになってきた。しかし語源においては、あくまで新鮮な気分になって生まれ変わることを「たび」と言った。つまり、旅などしなくても「たび」という言葉はあったのだ。
それはもともと「旅」という意味ではなく、生まれ変わったような気分のときめきを表す言葉だった。だから「たびたび」とか「そのたび」にという「区切り」を表す表現が派生してきた。
人間が旅が好きだということは、そういうときめきが人間を生かしているということを意味する。言いかえれば、そういうときめきがもてなくなって生きてあることの「けがれ」のようなものを感じたとき、人は旅に出ようとする。
原始時代以降、そうした「けがれ」が生じてくる時代になって旅をする習慣が生まれてきたのだ。
それはおそらく氷河期明けに人口が爆発し、大きくなりすぎた集団の矛盾や混乱が起きてきて、人々がその「けがれ」を感じるようになったことが契機になっている。
7〜3万年前の氷河期は、まだまだそんな矛盾や混乱は起きない集団性の黎明期だった。したがって、人々は旅などしていなかった。「今ここ」を生きる日々の暮らしが、新しく生まれ変わるときめきの旅だった。集団の矛盾や混乱が起きてきたのではなく、集団そのものが切実に模索されている時代だった。そういうときに、旅をするというムーブメントが生まれてくるはずがない。
はじめに「旅」をする行為があって「たび」という言葉が生まれてきたのではない。「たび」という言葉のあとから「旅」という行為が生まれてきた。人類の旅の歴史は、それほどに新しいのだ。
(断わっておくが、この「たび」という言葉の語源解釈は、やまとことばの研究者の説から拝借したのではない。僕が勝手に考えたことだ。少なくとも語源については、拝借するに足る既成の研究などひとつもない。語源の研究もまた人間の根源について考える作業であって、彼らのようなただの言葉遊びですむことではない)
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原始人は、旅などしなかった。少しくらい遠出をすることはあっても、必ず居留地に戻ってきた。言いかえれば、最後には生まれ故郷に帰ってくるのが、人間の旅の基本的なかたちなのだ。
行けるところまで行ってそこに住み着くとか、そんな旅をしていた原始人などいない。人間の本性として、そんなことはあり得ない。ようく考えてみるがいい、人間がそんなことをする生き物なら、国家など生まれてこない。最後には生まれ故郷に戻ってくる生き物だから、国家という大きな集団が生まれてきたのだ。
人間の頭のはたらき(神経回路)のほとんどは、生まれ育った環境によって決定されている。そこにおいてもっともいきいきとはたらくようにできている。だから人は、故郷をなつかしみ、故郷に帰ってこようとする。
人類の文化や文明は、故郷に住み着くことによって進化してきた。
人は、住み着こうとする習性を持っているから際限なく大きな集団になってしまうのであり、そのようにして国家が生まれてきた。
原始人は、旅の楽しみを追求していたのではない。どんなに住みにくいところにも住み着いて集団を模索していたのだ。そうやって住み着いてゆくことによって知能がいきいきとはたらき、原始的な文化や文明が生まれてきたのだ。
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7〜3万年万前にアフリカのホモ・サピエンスが世界中に旅していった、という人類学の定説なんて、大嘘なのだ。
原始人の移動は、せいぜい、まわりの集落と女や物や情報の交換をしていただけであろう。
そして、隣の集落に通じるけもの道のような細い道は、地域住民だけが知っていて、もしも遠いところからやってきた旅人がそこに入り込んでも、すぐに迷って行方不明になってしまうだけだっただろう。それは、旅をする道ではなかったし、原始時代に旅をする道などなかったのだ。
もともと人間の群れは、テリトリーが隣接していれば、合流して一つの群れになる。ネアンデルタールの集団が大きくなっていったのは、このことによる。べつに、人口が増えたからではない。氷河期の北ヨーロッパでは、たとえクロマニヨンの時代になっても、群れの人口が減ることはあっても増えることはなかった。
人間の群れどうしは、たがいのテリトリーのあいだに「空間=すきま」をつくろうとする習性がある。「空間=すきま」をつくって関係し合うのが、人間の生態なのだ。その「空間=すきま」に、道が生まれていった。その森や山の中の道は、そこに住む者たちだけしか知らなかった。
原始人が旅をすることは、たとえば富士の樹海の中に入ってゆくようなことだったのだ。女子供を連れた原始人の大集団が、その先に何があるかもわからないまま道なき道を分け入ってゆくとか、そんなことがあるはずないじゃないか。
原始時代に、見知らぬ土地のよそ者が訪ねてくるということは、いっさいなかった。
アフリカ人が大挙してヨーロッパにやってくるなどということはあるはずがない。
旅をするためには、あの山の向こうにもうひとつの世界があり、人の住む里があることを知っていなければならない。人類がそういうことを知ったのは氷河期明けのことであり、ネアンデルタールもクロマニヨンもアフリカのホモ・サピエンスも、まだ知らなかった。
人は、新しい世界や人と出会うために旅をする。そういうときめきがなければ旅なんかしない。
そしてなぜときめくのかといえば、住み着いていることの「けがれ」のようなものを感じていたからだ。旅は、そういう「けがれ」をそそぐ行為である。そのようにして、「ときめき」が生まれる。これは、日本列島だけのことではない、世界共通であるはずだ。そのようにして人類の旅という風習が生まれてきたにちがいないのだ。
「けがれ」は、住みにくさのことではない。住みにくければ人は、けんめいにそのことを克服しようとして、生命力は活性化する。それは、「けがれ」ではない。
生命力が停滞することを「けがれ」という。つまり、住みやすくなることによって怠惰になり無気力になってゆくことが「けがれ」なのだ。
7〜1万年前の最終氷河期において、ネアンデルタール=クロマニヨンは、絶滅の危機に瀕していた。そういう辛酸の果てに氷河期が明けて一気に暮らしやすくなり、人口も爆発的に増え、そこではじめて人々は定住することの「けがれ」を自覚するようになり、旅をするというムーブメントが生まれてきたのだ。
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暮らしが楽になれば、緊張感がなくなり、生命力が停滞する。そんなところでは、進化は起こらない。知能があって楽に暮らしてゆける能力があったら、生命力は停滞し、進化など起こらない。能力のないものがぎりぎりのところで生きているところで、進化が起きるのだ。
ものを考えることだって、ぎりぎりのところに立たなければアイデアなんか浮かんでこない。ホモ・サピエンスは知能があったから人類の文化を進化させたとか、そういうことじゃないんだよ。そこのところで、人類学者の考えることなんか、ほんとにアホだと思う。
氷河期のすべての原始人は、遠い見知らぬ土地に行って暮らせる能力などなく、誰もがぎりぎりの状態で生きていた。アフリカ人もヨーロッパ人もアジア人も、みんなぎりぎりのところで暮らしていた。だから彼らは、旅をして遠い見知らぬ土地に住み着いてゆくということなんかしていなかったし、まだそれが可能な文明の水準になっていなかった。
何はともあれ、限度を超えて大きく密集した群れをつくってゆく習性ができ上がらなければ、旅をするというムーブメントは生まれてこない。人類にとって最終氷河期は、そこにいたる助走の時代だったのだ。
北ヨーロッパネアンデルタールこそ、もっとも狂おしく絶滅の危機を生きていた人々だった。彼らは、ほかのどの地域よりもたくさんの仲間の死を体験していた。だからこそ、集団がより大きく密集してゆくことをいとわないメンタリティが育っていった。つまり、人がかんたんに死んでゆく社会だったからこそ、他者を生かそうとする心の動きも豊かに湧きあがってくる社会だった、ということだ。なんのかのといっても、人類の集団は、そういう献身性を基礎にして、猿のレベルを突破して大きく密集していったのだ。
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