反「日本辺境論」・日本男子の価値観

内田樹先生にとって「子供」とは、次のような生きものらしい。
<日本男子が血肉化してる「小学生時代の価値観」とは「競争において相対的に優位に立つことが人生の目的である」というものである。>
「日本男子」というからには、奈良時代の子供も江戸時代の子供も明治・大正の子供も、みんなそうだった、ということだろうか。
悪いけど先生、僕は、子供のころ「人生」などというものはよくわからなかった。僕の中で人生について考えることは「血肉化」していなかった。
内田先生は子供のころからいつも自分の人生のことを考えていたらしいが、僕は、そんな話を友達としたことがなかった。高校になっても、語り合った記憶がない。
われわれの話の中心は、いつだって、今われわれの前で何が起きているかということだった。小学生時代は野球やマンガのこと、そして高校生になってもやっぱり目の前の恋愛ごっこビートルズのこと以上にわれわれの心を動かすものはなかった。
しかし内田先生は、どうやら小学生時代にすでに、「競争において相対的に優位に立つことが人生の目的である」という「価値観」を「血肉化」しておられたらしい。そのころからもう、大学教授になった自分を空想していた、といっておられる。
僕にもそんな人生観があったら、もう少しましな人生を歩むことができたかもしれない。
まあ団塊世代はたくさんの同級生がいたから、そんな価値観を親から持たされている子供も中には少なからずいたことだろう。
しかし僕の小学生時代は、祖母に育てられて親の権力の影響下の外にいたから、そういう考えを「血肉化」するチャンスががなかった。
だいたい、「競争において相対的に優位に立つことが人生の目的である」というような権力志向は、母親の影響である。
内田先生は、お母さんっ子だったのだろう。
そして僕は、三文安いおばあさんっ子だった。しかもそのおばあさんにも、けっこうほったらかしにされていた。なぜなら独身でまだ50歳前後だったそのおばあさんには、愛人がいたからだ。夜中にふと目が覚めて隣の蒲団におばあさんがいない、ということがよくあった。だから僕は、子供なのに、暁(あかつき)から曙(あけぼの)に至る空の変化を知っていた。
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内田先生は、小学生時代からすでに「競争において相対的に優位に立つことが人生の目的である」という「価値観」を「血肉化」しながら、現在の書きざまのような「他人をさげすむ」という視線を身につけていったらしい。
日露戦争以後に積極的に大陸に進出していった時代における南満州鉄道は、進出の象徴だった。そのとき満鉄の社員たちは、「自分たちは日本を背負ってこの地に来ている」という自負があった。同時に、広い世界との関係を知らない本土の人間たちを「あいつらの意識は遅れている」とさげすんでいた。良くも悪くも、そういう優越感こそ満鉄精神であり、そういう満鉄エリートの息子が、内田先生である。
内田先生の父親は、戦後に日本に戻ってからも鉄道会社の幹部社員として戦後の復興をリードする立場についていたわけで、そんな家庭の子供にどんな意識がはぐくまれていったかは想像に難くない。
内田先生はまったくもう、人をさげすんで優越感に浸っていないと生きられない人種であり、それは病的であるとさえいえる。しかし、だからといって、内田先生ひとりを責めるわけにはいかない。先生の場合は、そういう子供が育つような家庭環境だったし、戦後社会は、国を挙げてそういう意識を培養しながら高度経済成長に突入していった。
人をさげすんで優越感に浸っていないと生きられないのは、団塊世代から現在の40前後の世代までの、世代的な特徴である。彼らは、そういう病理を共有している。
日本男子が血肉化してる「小学生時代の価値観」とは「競争において相対的に優位に立つことが人生の目的である」というものである……だなんて、信じられないくらいニヒルで卑しい発想である。そこに、内田教授の精神の荒廃が透けて見える。
われわれは、子供がそこまで小ざかしくグロテスクな存在だとは思っていない。
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子供とはほんらい、目の前の「今ここ」の世界に全身で反応している存在ではないだろうか。他人よりすぐれているとか劣っているというような自意識は薄い。
ただ、自意識が薄いから、かんたんに親の意識が乗り移ってしまう。親の権力欲が強ければ、どうしてもそういうことを言いたがったり考えたりする子供に育っていってしまう。
縄文以来、日本列島では母親だけで子供のしつけをして、男はあまり子育てに干渉しないという伝統がある。ある人によれば、とくに戦国時代以来の武家社会では、女の権力欲が子供の人格の乗り移るという傾向が顕著になってきたのだとか。
いみじくも内田先生が「日本男子」といったように、この国の支配階級や知識階級などのエリート社会では、母親の権力欲によって、「競争において相対的に優位に立つことが人生の目的である」という「価値観」が子供の中に「血肉化」される仕組みになっているらしい。
内田先生は、「下流志向」でもそうだが、どうしてもそういう目で子供を見てしまう。それは、まさしく自分がそんな子供だったからだろう。この国のエリートの家ではそんな子供が育つような空気をおそらく母親がつくっており、その空気はいまや、一般的な庶民の家庭にまで浸透してきている、ということだろうか。
しかしいつの時代も、そういう家庭もあれば、そうでない家庭もある。そしていつの時代も、子供の意識の基層に「血肉化」されてあるのは、そのようなものではけっしてないにちがいない。
いつの時代も子供とは、生きてある「今ここ」に体ごと反応している存在であり、まだそんなに長く生きていないから、「人生」の時間というものをうまく実感できない存在ではないだろうか。
われわれのように長く生きてくれば、そういう「時間」を切実に思うようにもなるわけだが。
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さらに先生は、こんなこともいっている。
<人類史のほとんどの時期、人類はそれほど豊かでも安全でもない社会を生き延びねばならなかった。そういった状況においては「競争において相対優位を勝ち取る能力」よりも「生き残る能力」の方が優先する「競争に勝つこと」よりも「生き残ること」の方が大切だということを学び知るのが「成熟」の意味である。>
つまり「大人」とはそういう「愚かさ=幼さ」を克服して成長した人間である、と教えてくれている。そして現在は、「競争に勝つこと」のみに躍起になっている幼児化した大人ばかりの世の中になってしまっている、と嘆いておられる。
そうやって大衆自身の「俺はあいつらとは違う」という思い込みに食い込み、その優越感を共有してゆく。他人をさげすんでいないと生きられない人たちなのだ。
子供をさげすみ、大衆をさげすみ、そんなことばかりしている。
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人類が生きにくいところ生きにくいところへと世界の隅々まで拡散していったのは、「生き延びる」というテーマなど持っていなかったからだ。「生き延びる」ということがテーマなら、住みやすいところ住みやすいところに集まってゆく。しかし五万年前の氷河期、世界でいちばん人口密度が高かったのは、極北のいちばん住みにくいところだった。
人類は「生き延びる」というテーマなど持っていないから、世界の隅々まで住み着いていった。
「生き延びる」というテーマは、つねに異民族からの侵略の脅威にさらされていた氷河期以降の大陸の歴史で生まれてきたのであり、だからどこにも城砦があるのだが、そういう脅威のなかった日本列島では、支配者の住居すら城砦がなかった。
この国には、「生き延びる」というテーマがない。太平洋戦争では、「生き延びる」というテーマを捨ててとことん戦ったあげくに原爆まで落とされてしまった。そのとき戦争の当事者たちの脳裏にあったのは、いったん滅びてしまわないことには再生もない、というイメージだった。
生きて帰ってくることのできない無謀な出陣を強いられた戦艦大和の乗組員の若手リーダーだった吉田満大尉は、そのとき船の中で仲間たちにこう語った。
「敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちは、その先導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る。まさに本望じゃないか」
この国の歴史の水脈として流れているのは、「生き延びる」ことではなく、このような「滅びと再生」のイメージである。春が滅びて夏が再生するように、そして正月は、新しく生まれ変わる「再生」の祭りである。正月になれば、今でも誰もが、なんだか新しく生まれ変わったような心地になる。上の吉田大尉の宣言は、まさに日本列島の歴史的な文化のかたちに則っている。
この宣言についての感想を、年中「生き延びる」「生き延びる」と連呼しまくっている内田先生がこう述べておられる。
「戦後の平和と繁栄は、彼らから私たちへの死を賭した「贈り物」であると思っております」
まったく、笑わせてくれる。「平和と繁栄と<生き延びる>スケベ根性」が彼らからの「贈り物」だというのか。彼らは、「生き延びる」ことを断念したのだぞ。その心意気は引き継がなくていいのか。口先だけで「贈り物」だのなんだのときれいごとをいって平和と繁栄の甘い汁だけを吸いながら、「生き延びる」ということばを錦の御旗のように掲げているおまえが、いちばん彼らの「心意気」をコケにしているんだぞ。
平和と繁栄なんか、さし当たってどうでもいい、われわれはその「滅びと再生」という世界観の底に流れる歴史の水脈を彼らと共有していることにいまさらながら驚き、いささかの連帯感を感じないではいられないだけだ。
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子供とは、日々生まれ変わって生きている存在である。そして氷河期の極北のような生きにくい地に住み着いていった原始人は、生きにくさを生きているがゆえに、日々生まれ変わったような心地で生きていた。目が覚めて「ああまだ生きている」というときめきは、現代においては病に伏したほんの一部の人しか知らない。と同時に、いずれは誰もがそういう体験をして死んでゆく。
日本列島の文化の基層は、そういう原始的な心性の表現をそのまま洗練させていったところにある。つまり日本列島において「大人になる」とは、「滅びる」という意識に目覚めてゆくことだ。日々滅びて、季節ごとに滅びて、年々歳々滅びては生まれ変わってゆくのが、日本列島の文化なのだ。
何が「生き延びる」か。あんまり的外れな空々しいことばかりいって善男善女をたぶらかさないでいただきたい。そんな意地汚さは、あなたひとりでたくさんだ。