閑話休題・「かわいい」の流行

そのムーブメントは、日本で生まれ、いまや世界中に広がりつつあるのだとか。
「かわいい」とは、ようするに小さいものを愛惜する心の表現でしょう。
世界中の人々のあいだで、小さいものを愛惜する心が共有されつつある。
現在のこの世界は、ひたすら膨張化を続けている。資本主義のグローバル化とともに、地球規模の環境が問題になりはじめ、さらには宇宙への関心も高まる一方です。
80年代以降、「スター・ウォーズ」や「未知との遭遇」など、宇宙を題材にしたSF映画が盛んにつくられるようになってきた。日本でも、「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」をはじめとして、そうしたアニメがつぎつぎにヒットした。
しかし、そうやって人々のイメージ空間が際限なく膨張してゆけば、とうぜんそれにともなって、なにやら茫漠とした不安も生まれてくる。
で、その反動として、小さいものへの関心が生まれてきた。
無限大=0・・・・・・まあ、そんなようなことで、人の心は、無際限に広がってゆくことに耐えられない。無際限に広がってゆくためには、どうじに小さな世界を愛惜しつづけていなければならない。
「かわいい」のムーブメントは、そのような無際限に広がってゆこうとする近代合理主義に対する、ひとつのカウンターカルチャーだと思えます。そこから、「癒し」だの「萌え」だのという流行も生まれてきた。
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では、なぜ日本から始まったのか。
日本列島で暮らす人間は、無際限に広がる空間をイメージすることに対する不安というか拒否反応がことに強いからだろうと思えます。
氷河期が明けて縄文時代がはじまったころ、日本列島は、海面の上昇にともなって陸続きだった大陸と切り離され、海に閉じ込められてしまった。それいらい縄文人はもう、水平線の向こうを想像できなくなっていった。想像すれば、まるでわからなくて、不安になるばかりだった。
だから、今ここの、この日本列島だけを世界のすべてだと納得して生きてゆこうとした。さらには、自分がいま見渡すことのできるこの景色だけが世界のすべてだと納得していった。茶室というたった2畳の空間を世界のすべてだと認識してゆく茶道の文化も、そういう伝統から生まれてきた。
じつは、太平洋戦争の敗戦によって、この国は、そういう歴史(伝統)をいったん清算したところに立って国土の復興を成し遂げてきた。
だからこそ、無際限にグローバル化してゆこうとする高度資本主義も苦もなくみずからのものとしてゆくことができたのだが、90年代になってから、そういう戦後のスローガンに汚染されていない団塊ジュニア以降の若者が現れ、彼らの意識に歴史的伝統的な感性がよみがえってきた。
たとえば江戸時代の小物とか、彼らは「かわいい」という。
「かわいい」という言葉にこめられた彼らの感性は、ただの無邪気さだけではかたづけられない。
それは、無際限にグローバル化してゆく現代の高度資本主義社会や、戦後の復興にまい進してきた大人たちの無国籍的な現実主義に対する拒否反応なのだ。無邪気な顔をして「かわいい」といいつつ彼らは、大人たちが捨ててきた歴史(伝統)を生きようとする態度を身にまといつつある。
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「面映(おもは)ゆい」とは、照れくさいこと。頬が赤く染まって照り輝くことです。
「かわゆい」のもともとの言葉は、おそらく「小映(こは)ゆい」でしょう。光り輝く小さなもの・・・・・・たとえば、竹の中できらきら光るかぐや姫、このあたりが「かわいい」の原点だろうと思えます。縄文時代のヒスイの勾玉、でもいい。何しろ天照大神の太陽信仰の国だから、照り輝くものに対する愛着は深い。しかもそれが小さなものであればあるほど、いとおしくなる。
「かわいい」とは、その小さなもので世界が完結していることの感動であり、それじたいが神であるような存在を指す。
日本列島で暮らす者にとって、「玉=霊魂(たま)」とは照り輝くものであり、照り輝くものが「霊魂(たま)」だったのだ。
そして、昭和天皇崩御のときに、天皇のことを「かわいい」人だと表現した若い女性エッセイストがいたそうだが、もともと天皇は、この国の「霊魂(たま)」の体現者として存在していたのです。したがって、その表現は保守的な大人たちを驚かせたかもしれないが、彼女こそもっとも歴史的伝統的な親愛感を表現したのだともいえるわけです。そのとき彼女は、テレビに映る天皇の表情やしぐさに、むやみに膨張していかない(欲望の少ない)心の、玉のような輝きを見ていたのかもしれない。
「かわいい」という言葉には、そういう照り輝く感じがあるじゃないですか。現代のギャルたちは、そういうニュアンスを、いち早く直感的にとらえていた。
「ビューティフル」という言葉がしっとりした美しさのニュアンスを持っているとすれば、「キュート」も「かわいい」も、なにか乾いてきらきらしている。
きらきら光るアイシャドーや口紅の先駆者は、なんといっても「やまんばギャル」たちでしょう。彼女らは、世界基準(つまり、共同体の基準)の美しさなどに興味はなかった。あくまで自分たちの心を揺さぶる「かわいい」ものを模索していた。彼女らは、そこに「霊魂(たま)」の輝きを発見したのであり、世界基準よりも、ひたすら自分たちの身体感覚としてしみついた歴史=伝統を表現していったのだ。彼女らこそ現代のかぐや姫だと、僕は思っている。
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頭が薄っぺらで子供じみているから「かわいい〜」を連発すると思ったら、不用意すぎます。そんな単純なものじゃない。それは、神にたいする感動でもあるのだ。
「かわいい」ものを愛惜することこそ、日本列島1万年の歴史=伝統なのです。その言葉には、「はかなし」も「もののあはれ」も、無常感も、「数奇(すき)」や「わび・さび」の芸能の伝統も、ぜんぶつまっている。
たとえば、能の創始者である世阿弥は、「花伝書」の中で、花=美は「花の萎(しお)れたるところ」にある、といっています。咲き誇った真っ盛りの花より、萎れかかっているところの余情余韻にこそ美の本質がある、というところでしょうか。とすれば、やまんばギャルの干し草みたいな髪は、まさに「萎れたる花」の表現そのものです。
彼女らのあの素っ頓狂な化粧だって、世界基準の美に対する拒否反応を表現している。それは、歌舞伎を生み出した「数奇」の精神に通じているはずです。室町時代の、織部焼や辻が花みたいじゃないですか。
彼女らにとっての花=美とは、霊魂(たま)を表現することであって、共同体の基準にしたがって表面的な形を整えることではなかった。彼女らのアイデンティティ(存在理由)や友情は、霊魂(たま)として存在し、霊魂(たま)としてつながりあうことにあった。大人たちにあれだけ胡散臭い目で見られても堂々とそれを表現してみせたのは、その行為から充実した「生きた心地」を汲み上げていたからでしょう。
彼女らには、学校の落ちこぼれだとか、家族がうまくいっていないとか、あるいは女であることそれじたいの生きにくさとか、そういう共同体の外に立たされていることの嘆きがあった。彼女らにとっては、美しく見られることよりも、みずからの嘆くほかない霊魂(たま)を表現し輝かせることのほうが大事だった。嘆きの表現じゃなければ、あんな化粧にはならないし、大人の女たちは共同体にフィットして嘆かないために化粧をする。
やまんばギャルたちは、共同体にフィットしている安らぎよりも、そこからずれてしまっていることの嘆きを共有して生きていた。嘆きを表現してカタルシスをくみ上げてゆく。おいおい泣いたらすっきりした、というようなことです。それは、「はかなし」や「もののあはれ」を知っている、ということです。彼女らは、戦後の日本において、そういう霊魂(たま)の輝きに最初に気づいた者たちだったのです。
彼女らは、仲間のやまんば化粧を見て、霊魂(たま)の輝きを感じ、「かわいい」と思った。だから、自分もそういう化粧をした。彼女らは、誰もが相手の霊魂(たま)の輝きに反応していたし、自分を見せびらかそうというような意識は希薄だった。見せびらかす気持でできる化粧ではない。見せびらかすつもりなら、松田聖子大塚愛みたいにする。仲間のそういう化粧をどうしようもなく「かわいい」と思ってしまうから、自分もせずにいられなかったのだ。
共同体の基準で生きている人たちになんとさげすまれようと、彼女らには彼女らだけの世界とカタルシスがあった。
中世の、一遍上人ひきいる踊念仏の集団と同じです。共同体にフィットしていた者たちからは乞食集団だと思われようと、誰もが、仲間の踊る姿に、霊魂(たま)の輝きを見ていた。
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身をやつす、という。むかしのバンカラ学生だろうと、中世の旅の僧だろうと、やまんばギャルだろうと、いまどきの女子高校生が太い足を隠そうともせずにミニスカートをはくのも、この社会の片隅で嘆いている「小さなもの=はぐれもの」たらんとする衝動の表現です。ニートや引きこもりの若者にだって、おそらくそういう衝動はあるにちがいない。
そうしてキリストは、乞食姿に身をやつしながら、「聖なるもの=霊魂(たま)の輝き」をそなえていった。
人間の身をやつそうとする衝動は、誰にも止められない。差異を生み出すことによって成り立っている共同体の構造そのものが、身をやつそうとする者を生み出してしまう契機をはらんでいる。世の中は、人の上に立ちたい、人よりいい思いをしたいと願う者ばかりじゃない。身をやつすことのカタルシスを抱きしめてしまう者もいるのです。そしてそれは、「歴史」と出会う、ということだと思えます。
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共同体が国境を持ち、内部と外部を措定しているかぎり、外部に立とうとする者、立たされてしまう者は、どうしても出てくる。資本主義が、たえず他の共同体に入ってゆきながら増殖してゆくガン細胞のような運動であるとすれば、身をやつす者たちの心は、ひたすら外部(あるいは周縁)に立ち尽くしている。平たく言えば、無国籍的な心と歴史的伝統的な心の違い、ということでしょうか。
無国籍的資本主義的な運動こそもっとも内部的であり、もっとも内部的であることはもっとも無国籍的資本主義的なことでもある、というパラドックス。よく「商人=外部=異人」というパラダイムが提出されるが、他の共同体に入り込んでゆく商人こそもっとも内部的な存在なのです。他の共同体に入り込んでゆくことができるくらい内部的である、ということです。
そのとき、その共同体においてもっとも内部的な常民が、商人を受け入れてゆく。なぜなら商人は、共同体のアイデンティを高めるものを持って、そこに入ってゆく者だからです。武器商人が、その典型です。
身をやつして共同体の周縁を漂泊する旅の僧は、つねによそ者として通り過ぎるだけだが、商人はそこに住み着いてひともうけする能力を持っている。商人は、内部の者よりもっと内部的であるということにおいて、「異人」なのです。
しかし旅の僧や旅芸人は、共同体に閉じ込められてあることの鬱陶しさから一時的に解放してくれる存在として、共同体にあらわれる。そのとき共同体の人々もまた、共同体の外部(=非日常)にみちびかれるのです。
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人々は、共同体のアイデンティティだけで生きているのではない。みずからの共同体の鬱陶しさを嘆きながら生きている。だから、お父さんは夜の街の飲み屋に吸い寄せられてゆくのだし、誰もが恋という個人的な体験に身を焦がす。共同体のアイデンティティなどというものに閉じ込められてしまったら、鬱陶しくて生きてゆけない。飲み屋で冷たいビールをあおったり、恋人と抱き合ったりして、むしろ共同体から離脱することに生きた心地=アイデンティティを確かめている。
ところが商人は、共同体のアイデンティティに依拠しながら、それを強化する役目を担って生きている。だから、富裕な商人の家では、古来から、狐憑(つ)きとか、そういう共同幻想的な精神病者を生みやすい傾向がある。アメリカのユダヤの商人が積極的にホワイトハウスを動かそうとするように、無国籍的な商人こそ、もっとも内部的な存在なのです。
しかし常民である人々は、共同体の外に立ちたがっている。そして、そこでカタルシスを汲み上げる。
社会の異端児であったやまんばギャルは、だからこそもっともカタルシスを汲み上げている者たちだったのです。まただからこそ、もっとも歴史的伝統的なメンタリティの持ち主だった。
やまんばギャルも、若い娘たちの「かわいい」を連発したがるムーブメントも、あくまで歴史的伝統的な現象であって、そこから遊離して発生してきたのではない。
無国籍的な商人はもちろんのこと、とくに無国籍的な現実主義で戦後復興を果たしてきたこの国では、共同体にフィットしている者こそ、歴史や伝統から遊離してしまっているのです。
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歴史は、共同体の外にある。歴史とは、死者の物語です。江戸時代以前の人なんか、みんな死んでしまっている。死者は、墓場とか闇夜の国とか、共同体の外に去ってゆく。つまり、歴史と出会うとは、共同体の外をのぞいてしまうということです。共同体から置き去りにされたものとして、共同体の外に立ったとき、はじめて歴史という死者の物語が見えてくる。
共同体の中にいながら共同体の外の人間になろうとするなら、ふらりと共同体にあらわれた乞食姿のキリストになることです。それが、「身をやつす」という行為であり、やまんばギャルもミニスカートの女子高生も、乞食姿のキリストなのです。
「異人とは、歴史を持たない人間である」・・・・・・これが、現在の異人論の常識です。
たしかに歴史とは共同体で起こったことであるが、それが死者の物語であるかぎり、共同体の常民の誰も歴史の証人になることはできない。歴史とは、すでに共同体の外に去っていった物語のことです。
歴史の証人になることができるのは、墓場に立ち闇を見つめている人間であり、それが、「異人」です。共同体が歴史を持っていることの証人は、共同体の外の「異人」でなければならない。
歴史の語り部としての琵琶法師が盲目の漂泊民であったことには、深い意味がある。死者は、闇の国にいる。そして闇を見つめ、死者(あるいは幽霊)と語り合うことができるのは、めくらだけです。めくらであることは、歴史の証人であるための、とても大切な資格なのです。
共同体の外に立った異人こそが、「歴史を持っている」のです。
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この国に「かわいい」の歴史(伝統)があるということは、状況の外に立った者でなければ気づくことはできない。なぜなら現在のこの国は、ひたすらグローバル化してゆく高度資本主義の論理で動いているのであり、その状況の外に立ったときにはじめて、日本人として自分の中に「かわいい」に気づく感性がはたらいていることと出会う。
若者は、現在の共同体の動きとは別の論理で自分たちの世界をつくってゆく。それは、大人たちのいう「宇宙人」の集まりになることではない。大人よりももっと、歴史的伝統的な感性に浸されてゆくことです。宇宙人だから「かわいい〜」を連発するのではない。大人よりも、もっと日本人的だからです。とくに女は、女というだけですでに多くの部分を共同体の外に立たされている。
戦後日本は、歴史(伝統)を捨てて高度経済成長に邁進してきた。その状況の外に立った若い娘が、日本人として「かわいい」に気づいた。戦後50年以上たって、「かわいい」に気づく日本的な感性がよみがえってきた。新しいものがつぎつぎに生まれてくる世の中にあって、古ぼけた土蔵の鍵や江戸の千代紙を「かわいい」と思う感性が生まれてきた。
彼女らこそ、現在のこの国において、もっとも「わび・さび」を知っている者たちなのです。
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吉本隆明氏と中沢新一氏は、ある対談の中で、観念の本質は無限に上昇してゆくことにある、誰も人間の無際限な好奇心や資本主義のグローバル化の動きは止められない、と語り合っていました。
止められないでしょう。止められるのは、たとえば石油がなくなるとかの「状況」だけです。しかしわれわれの心は、無限に上昇しつづける観念だけに身を任せて生きてゆくこともできない。誰だって、そのうち死んでしまわねばならないのです。そんなことばかりやっていたら、怖くて死ねないじゃないですか。それは、死ぬわけにいかない生を生きるということですよ。
われわれの観念は、「無限に上昇しつづける」ことに対する怖さや拒否反応も持っている。「資本主義の運動はらくらく国境を越えてゆく」からといって、それが自由で外部的であるということにはならないのだ。人間は、そんな観念の運動を繰り返すことを拒否して、歴史(伝統)に身を浸しつつ片隅の小さなものに「かわいい」と思ってしまう観念のはたらきも持っているし、それこそが真に自由で外部的な精神として、最終的に死と和解することの切り札にほかならないということを、世界はいま気づきはじめている。
だから、時代錯誤的な民族紛争も起きるのです。
だから、ナショナリズムがむき出しになるサッカーのワールドカップが流行るのです。
だから、エコロジーの思想は、どんなに短絡的で矛盾だらけでも、そうかんたんには滅びないのです。
この世界は、「らくらく国境を越えてゆく」という資本主義の論理だけで動いているわけではない。資本主義はむしろ、人々のそうした情況、すなわち時代に寄生するように動いている。資本主義がこの世界を動かしているのではない。資本主義が動かされているのだ。
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「かわいい〜」と感じることのカタルシスがある。それは、観念の上昇をストップさせるはたらきであり、したがってその対象は、かぐや姫やキューティー・ハニーだけじゃなく、おじいさんでも天皇でも古ぼけた土蔵の鍵でもいいのです。むしろそうした「萎れたる花」こそ「かわいい」のであり、そういう「花」に気づく歴史的伝統的な感性を、いま日本人が取り戻しつつあるのです。
何が「かわいい」か、ではない。誰が「かわいい」か、でもない。「かわいい」と感じる霊魂(たま)の輝き=カタルシスを、彼女らは体験しているのです。
「かわいい」ものがあるのではない、「かわいい」と感じる心があるのです。片隅の小さななものにそう感じないではいられないほど、世界はいま、無際限な膨張を続けているのであり、だから日本で生まれたその心の動きが世界中に伝染していっている、ということではないでしょうか。