団塊世代に人気がなかったザ・フー・6

ビートルズアメリカでの人気を決定づけたのが「プリーズ・プリーズ・ミー」だとすれば、ザ・フーのイギリス本土での人気を沸騰させたのは、なんといっても3枚目のシングル「マイ・ジェネレイション」だった。
前者が、世界中の若者の恋する気分の一断面をスケッチしたものであるとすれば、後者は、あくまでイギリスという階級社会における都市の若者に向けたメッセージだった。
ビートルズが港町の若者の無国籍的なしたたかさを持っていたのに対して、ザ・フーには、イングリッシュ・キッズとしての誇りがあった。
その対比はもう、両者のデビュー曲からすでに際立っていた。
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ザ・フーのオリジナルデビュー曲は「アイ・キャント・エクスプレイン」。これは、彼らのデビュー前からのフェイヴァリットだったリズム&ブルースのタッチで、「ラブ・ミー・ドゥ」よりもはるかに堂々と自分たちのスタイルを貫きながらポップで弾んだ曲調に仕上がっている。
彼らはすでにリズム&ブルースバンドとしてロンドンのクラブシーンで名を馳せていた実力派であり、そのレコードセールスのターゲットもそうした傾向の音楽が好きな「モッズ」といわれるストリートの若者たちに向けられていた。
「モッズ」のポリシーは、社会に背を向けて、生きかたも趣味も「クールに決める」ということにあった。だから俗っぽいバブルガム・ミュージックなどお呼びではないし、かといって単純で汗臭いファンキー・ロックンロールもいまいちぴんとこない。そういう若者たちに向けたデビュー曲がヒットしたこのとき、ザ・フーもまた、「ストリートの鏡としてのロックの力を意識させられた」といい、その後どんな音楽的な変貌を見せようともこのスタンスが変わることはなかった。
デビュー以後の彼らのオリジナルはもうリズム&ブルースの枠をこえてよりポップになっていったのだが、曲の印象そのものやライヴ演奏は、つねにほかのどのバンドよりも過激でストリート的だった。それはまあ彼らの社会にたいする意識のスタンスと心意気の問題であったわけで、ピート・タウンゼントは「ロックとは、ストリートの真中に立って大音量でプレイすることだ」と言っている。
ことにライヴ演奏における彼らは、それぞれが相応の実力者でありながら、誰もナルシスティックに音をまさぐるということはしなかった。あくまで四人の音と声が交差するアンサンブルで、濃密で過激な空間をつくり上げていった。
ピート・タウンゼントはまた、こうも言っている。
「そこで音が生まれるのであって、われわれがつくり出しているわけじゃないんだ」と。
この即興性こそストリートのタッチであり、たとえばもともと3分ていどの曲を、コンサートでは興に乗って30分以上続けたりするのは、いつものことだったらしい。
デビューまえからの彼らのライヴの売り物であった最後にギターを叩き壊すパフォーマンスにしても、そうやって演奏する側も聞く側もそれが「一回きりのものだ」という確認をしていたのだ。
そしてこの、ライヴでのテンションの高さは、ビートルズとはまったく対照的であった。デビューしてたちまち大スターになって以後のビートルズは、もう毎回判で押したような同じ演奏しかしなくなり、数年で演奏活動そのものをやめてしまった。それは聴衆の叫び声がうるさすぎて本気で演奏する気にならないという理由によるらしいのだが、一方ザ・フーは、だったらもっと大きな音を出してやればいいという流儀で演奏し続けた。しかしこの違いは、ただたんに両者の意識や人気の差だけの問題ではない。ビートルズには、聴衆のうるささに勝てるだけの演奏の技量がなかった。つまり、ザ・フーのような刺激的で魅力のあるライヴ空間をつくりだす能力がなかった、ということだ。デビュー当時のビートルズは、コーラスは秀逸だったが、バンドのアンサンブルや個々の演奏技術はわりとオーソドックスで平均的だった。
大きい音を音楽にできる技量とセンス、ザ・フーにはそれがあったし、ビートルズにはなかった。
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俺たちには俺たちの世界とテリトリーがあるのだ、という主張。自分たちを支持してくれる若者がそれを手離さないためにも、ライブ活動はやめちゃいけないんだ。これが、「年とるまえに死にたいぜ」と歌ったザ・フーの、ロック・ミュージシャンとしてのいわばポリシーだった。
ビートルズに、そんな切羽詰った人生にたいする勝負があったか。なんにもない。彼らには、この世の若者に対する「反応」なんか、何もなかった。ただもう自分たちの音作りで、こちらから若者をたらしこむことばかり考えていたのだ。
そうして、60年代の団塊世代をはじめとする日米の若者に、そんな自分たちだけの世界があったか。何にもない。ひたすら社会との関係に身を置こうとしていただけである。そうやって、全共闘運動に熱中し、平凡パンチやらなにやらの、ものめずらしい情報を享受していただけであり、つまり、ビートルズからたらしこまれるのをいつも待ち構えていたのだ。