若者論としてのザ・フー・1

タイトルを変えて出直しです。
このあたりで、ザ・フーのメンバー4人のキャラクターについての、いささか独断的な感想を書いておきます。
まず、もっとも中心的な存在は、曲作りのほとんどを一身に担っている、リードギターピート・タウンゼント。音作りのセンスもさることながら、作詞の、ポップでしかも文学的でもあるニュアンスの豊富さや深みにおいては、ビートルズのジョンとポールのコンビよりはるかに上です。しかも非凡なアレンジャーでもあるのは、両親が音楽家である環境で育ったからかもしれない。まあ、ロックの世界でこれだけ多彩でレベルの高い才能を持ったアーティストは他にいないでしょう。また、その演奏する姿は、体ごと音に憑依しているような迫真性がある。そういうところが、テクニックを披露しているという自意識がまだまだ垣間見えるエリック・クラプトンジミ・ヘンドリックスやジミー・ページとは一線を画するところであるし、ザ・フーのライブの凄みでもある。つまり、テクニックはともかく、ロックスピリットにおいては、この三人よりピートのほうが断然上なのだ、と僕は思う。そんなピートのたまに傷は、鼻が大きくてあまり美男子とはいえないこと。若いころは、けっこうコンプレックスに悩んだのとか。
ベーシストは、ジョン、エントウィッスル。イギリス的な怪奇趣味の寡黙な人柄だが、ベースギターの演奏のセンスのよさとテクニックでは、黒人ジャズ・ミュージシャンも一目置くほどで、ロック史上ぴか一だともいわれている。この人は、ふだんなにごとにも無関心なところがあったらしい。そういうところが、ピートの嫉妬深さや上昇志向が行き過ぎてしまうことのブレーキになっていたのかもしれない。ザ・フーは、ワイルドではあったが、けっして下品で通俗的ではなかった。それは、この人のいかにも気のきいたベーステクニックと無関心な姿によって、知らず知らず洗われていたのかもしれない。故人。
ドラムは、31歳で急逝したキース・ムーン。アル中の変人。そのキャラクターの幼児性はよく言われるところだが、誰もまねできない軽やかに転げまわるドラム・テクニックは、天才の名をほしいままにし、もう神の領域だった。また、酔っ払って宿舎であるホテルの部屋を壊しまくるのは、いつものことだったらしい。幼児性と獣性と神性、つまり、もっとも祝祭的な人間だった。ピートは後年宗教への関心を深くしていったが、この人は、存在そのものが宗教だった。
リードボーカルは、ロジャー・ダルトリー。デビュー当時の一本気なシャウトマシーンぶりもそれはそれで若々しく魅力的であったが、歌唱そのもののテクニックも、キャリアを積むごとにどんどんうまくなっていった。金髪の美少年で、とにもかくにも無名のザ・フーがデビューのチャンスを得て、やがてアイドル的な人気も獲得していったのは、この人のルックスと声のよさに負うところが大きい。「マイ・ジェネレイション」は、この人が、そのルックスと、黒人ぽくもなくかといってハイトーンの美声でもない、なんだか若者の不安や苛立ちが滲んだような声で歌ったから、レコードの商品力を高めたのだともいえる。ロンドンのストリートで、獣のような鬱屈を抱えて生きている美少年。そんなイメージを、みごとに体現していた。
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ロックスターは、才能よりも、なんたって声のよさと美しさだ。それがなければ、どんなにがんばってもアーティスト以上にはなれない。そういう意味で、ロジャー・ダルトリーは生まれついてのロック・スターだったし、うまづらで鼻が大きくしかも女のヒステリーみたいな歌い方しかできなかったピート・タウンゼントは、どう見てもその柄ではなかった。そのあたりのところで、ピートに屈折した嫉妬の感情がなかったとはいえないでしょう。だから、ときどきソロをとって歌いたがったのだろうし、たくさんのソロアルバムも出している。しかしその満たされない心と才能が、あんなにもすばらしい楽曲を生み出したのだから、まあそれでいいのかもしれない。
才能のある人間は、その性格のどこかしらに、避けがたく通俗的な部分を持ってしまっている。これは、ビートルズのジョンとポールもそうだったが、ピートの場合はもっと才能を持っていたがゆえに、もっと通俗的でもあった。上昇志向、というのだろうか。そういう臭みのある発言や行動が、しばしばあらわれる。
いつも、自分ひとりでザ・フーを背負っているようなことを言いたがるし、ロジャー・ダルトリーのルックスと声がデビュー当時のザ・フーの人気のクオリティになっていたということは、ぜったいにいわない。女の子までキャーキャー言っていたのは、けっきょくロジャーがいたからだ。それはもう、認めるしかないのですけどね。けっして認めようとしない。自分たちの演奏テクニックと、自分のギターを壊すパフォーマンスが人気の要因のすべてだというような口ぶりをする。
ピート・タウンゼントには、芸術志向、宗教趣味がつねにあった。しかし、他の三人は、つねにそれに知らんぷりした。とくに、キース・ムーンロジャー・ダルトリーは、性格こそ違え、ふたりとも根っからのストリート・ボーイだった。大人なんか関係ない、という傾向は、この二人がとくに強く持っていた。
ほんらいのピート・タウンゼントは、気難しいところはあるにせよ、有能なこの社会のエリートとして悠然とセレブな生活を送ることもできる、わりと通俗的な人間だったはずです。しかし、いちばん多感な思春期にあの三人と出会って音楽活動していたことが、彼の人生観や世界観を大きく屈折したものにしてしまったのでしょう。もともとひといちばい敏感だった若者が、あんな三人や、キット・ランバートのような変態のマネージャーと一緒にやっていれば、そりゃあ、すんなり大人になってしまうような生き方はできない。そして、有能な「ロック・アーティスト」ではなく、あくまで奔放で自由な「ロック・スター」に、どうしてもなりたかったのではないでしょうか。そのえげつない上昇志向からして、ない、とは言わせない。
つまりピートは、他の三人にたいして、つねに嫉妬とコンプレックスと親愛感の混じったような感情を引きずっていたのではないだろうか。だからこの40年間で、何度もくっついたり離れたりということを繰り返してきた。
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初期のザ・フーのレパートリーで、「シャウト・アンド・シミー」はR&Bのカバー曲であるが、僕のお気に入りのひとつです。
ロジャー・ダルトリーの一本気なシャウトマシーンぶりがうまく生かされ、聴いていていて心地好い気分させてくれる。ひとくせありそうな金髪の美少年に、こんなふうに熱くひたむきに歌われたら(しかも、音程とピッチが安定している)、そりゃあストリートの少女たちがキャーキャー騒ぐだろうな、ということがよくわかる。
この演奏姿は、「ザ・キッズ・アー・オールライト」というザ・フーの歴史を綴ったビデオにも収められていて、当時のロンドンにおける若者たちの風俗や生態の一端がうかがえます。
ロックバンドは、ただ上手いだけじゃいけない。フロントマンに、場の空気を支配する勢いとしてのカリスマ性や聴衆との共感性が備わっていなければならない。ことに新人バンドが、クラブシーンやライブ会場で他のバンドと競争しながらのしてゆくためには、何よりもそれが必要です。初期のザ・フーの躍進には、やっぱりロジャーというフロントマンの存在は、とても大きかったと思えます。
ちなみに、ザ・フーは、デビューしてすぐにもう内輪もめを起こし、ロジャーひとりを外してしまおうとしたらしいのだが、マネージャーがどうしても承知しなかった。それはたぶん正解だったのです。当時のザ・フーの人気に、ピート・タウンゼントが思うほど、ロジャーの存在は小さくなかったはずです。