団塊世代に人気がなかったザ・フー・5

ビートルズアメリカを席巻して以後、続々とリバプールのバンドがアメリカに上陸していった。もちろん日本にもこの現象は波及してきて、「リバプールサウンド」とか「マージービート」などと呼ばれていました。
おおむね、女の子受けする舌触りのいいロックでした。リバプールのバンドは、ちゃんとアメリカのニーズに合わせて曲作りができるしたたかさを持っていた。
いっぽうロンドンは、イギリス一の大都会で首都であるのに、いつまでたってもアメリカで通用するロックバンドが現れなかった。
もちろんロンドンの音楽シーンもつねにアメリカの影響を受けながら動いていたし、リバプールのバンドよりレベルが低いということはまったくなかったのだが、そこでは白人主導のロックよりも、当時はまだまだマイナーだった黒人のリズム&ブルースの人気が高かった。白人どうしの競争ならアメリカとイギリスにさほど差はないだろうが、イギリスの白人が、最先端の黒人音楽を咀嚼しながら自分たちの音楽をつくっていこうとすれば、それなりの困難はともなう。そういうところに、ロンドンの音楽シーンが出遅れた理由があるのかもしれない。
ロンドンは、もっとも本格的な都市であったがゆえに、バンドも聴衆も、新興国の日米の若者より、ずっと屈折していた。より知的でありつつ、より動物的でもあった。
60年代中ごろのロンドンにおける若者が集まるクラブでは、どこも毎晩リズム&ブルースが演奏されていたらしい。そしてザ・フーも、こういうところで腕を磨いてきたのであり、現在いわれている「ブルーアイド・ソウル」というジャンルは、ここがスタートだった、という人もいる。
ロンドンの若者は、港町リバプールの若者ほどしたたかな楽天性はなかった。イギリス社会に厳然と残る階級制度の歴史に浸されながら、もっと鬱屈していた。そういう状況から「マイ・ジェネレイション」という曲が生まれてきたのであり、とにかくロンドンは、良くも悪くもリバプールよりはるかにイギリス的だった。そしてイギリス的であるということは、日米の若者とは明らかに異質な若者がそこで暮らしていた、ということだ。
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若者が社会を変えようとするのは、変えられそうな社会が目の前にあるからだ。そうやって変えられそうな社会に執着し、取り込まれてしまっただけのことだ。若者が「原因」となって全共闘運動の「大センセーション」を起こしたのではない。「大センセーション」が起きそうな社会が若者を引き寄せた「結果」にすぎない。
古いものは否定して新しいものを目指そうというスローガンで子供を育てていった社会だったのだもの、たやすくそのスローガンにまるめこまれて育った若者ほど「大センセーション」を起こそうという気になってゆくでしょう。
アメリカだって、建国いらいそういうスローガンで国づくりをしてきたから、いつまでたっても自国の「歴史」にたいするアイデンティティの自覚があやふやで、コンプレックスの裏返しのような空威張りばかりしている。
たとえば、彼らは、自国の古い建物をがんばって残そうとするが、歴史のある国では、そんなものは勝手に残ってしまうのです。根っから新しものずきな国民に、本格的な歴史意識が定着するはずがない。
歴史意識とは、あのころはよかったなどと懐かしがることではなく、その流れてきた時間をもはや取り返しのつかない運命として受け入れることです。
日本だろうとアメリカだろうと「大センセーション」を起こしたがる若者があらわれてくることなんか、大人たちにいいように飼い馴らされてしまった結果なのだ。
それにたいして、人間の長い歴史において、いつの時代にも生まれてくる若者が抱く普遍的な社会に対する反抗は、ひとつの拒否反応として現れてくる。
いつの時代も、若者は、社会からも家族からも離れたところにみずからのテリトリーをつくって棲息している。それが、人間の歴史なのだ。
また、そういう習性が、人類が地球の隅々まで住み着いてゆく現象を生んだのであるが、このことへの言及は、話が長くなるからいまはやめておきます。
ほんらい若者は、社会に触りたくないのだから「大センセーションを起こす気なんかない」のであり、ただもう「年とるまえに死にたいぜ」と嘆き、「消えちまえよ、みんな」とうんざりして呟くだけだ。
このことを団塊世代は知らなかったし、今の若者は、ちゃんと知っている。ちゃんと、人間の歴史を実感している。
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誰しも会社に行きたくない朝はある。そういう人として避けることのできない社会の制度性にたいする拒否反応を、もっともラディカルなかたちで抱いているのが若者です。
しかもそれが当時あんなにも若者が元気だったはずのニューヨークや東京にではなく、近代的でありながらより深く制度と伝統がしみこんで停滞するイギリスの都市にあったところにも意味がある。あのころ革命を起こすべき理由とチャンスなら、イギリスの若者にこそあったはずです。彼らは、他の都市の若者に比べて元気がなかったのでも無知であったのでもない。ビートルズトップランナーとしてある部分では世界のどこよりも熱っぽい若者たちであったに違いなく、パリや東京の若者のようにかんたんに社会に取り込まれて革命の熱にうなされるほど純情でも短絡的でもなかった。
彼らはただ「若者」としてより本質的だっただけなのだ。
社会を拒否することは、それじたい社会の存在を肯定してしまっていることでもある。そして皮肉なことに社会(共同体)もまた、人びとが若者をまねて社会(共同体)にたいする拒否反応をもつことによって存在している。この世にお金があるからこそ「お金の話なんかよそうよ」といって友情を確かめあうことができるように、大人たちにとっても、社会を拒否するために社会はあったほうがいいのだ。
貨幣は、人びとの貨幣にたいする拒否反応によって社会に流通してゆく。もしそれがなかったら、誰もが守銭奴になるほかない。
また人が抱く健康でありたいという何よりも切実な願いは、それこそまさに若者のようでありたいという願いにほかならない。大人たちは、若者の社会にたいする拒否反応を否定しつつ、じつは若者のように生きようとしている。若者のようでありたいと願うから、若者が目障りなのだ。なぜなら若者は、すでに若者であるがゆえにそんな願いは持っていないからだ。
若者こそ、若者のようでありたいという願いで連帯できない唯一の人種なのだ。
彼らが「年とる前に死にたいぜ」と嘆きつつ「俺たちのこと理解しようとするなよ」と訴えるとき、そういう根源的な断絶を直観している。そのけもののように無垢でありながらどこか老成したようでもあるやるせない表情を熱いサウンドとシニカルな歌詞に乗せてみせるところが「ザ・フー」の真骨頂であり、都市に暮らす若者の気分とはこういうものかと、われわれは今、ようやく気づきはじめている。