団塊世代に人気がなかったザ・フー・3

「マイ・ジェネレーション」は、「ザ・フー」の代表曲です。シンプルな歌詞だが、社会に出てゆくまえの社会と和解できない若者の普遍的な気分がじつに的確に表現されており、もしかしたらこれでもうすべてが言い尽くされているのではないかとさえ思える。
 
   話そうぜ 俺たちの世代のこと

   たむろしてるってだけで
   みんな俺たちをへこまそうと躍起だ
   あいつらのやってることってすごく冷淡さ
   年とるまえに死にたいぜ
   これが俺たちの世代

   消えちまえよ、みんな
   俺たちの言うこと理解しようとするなよ
   大センセーションを起こす気なんかないさ
   これが俺たちの世代
   俺たちの、ベイビー

このやる気のなさと社会にたいする拒否反応こそ、普遍的な都市の若者の気分にほかならない。だてに階級制度が部厚くたれこめたイギリスの古い都市で生きているわけではない。口調ははすっぱだが、内容は知的です。
この歌詞で、発表当時も今も、もっとも問題にされているのは、「年とるまえに死にたいぜ」というフレーズです。
大方の解釈は、いつまでも子供でいたい、年をとりたくない、ということだが、僕はそうじゃないと思う。子供でいることなんか、金もないし自由も制限されているし、いいことだけじゃないのだ。さっさと子供なんか卒業してしまいたい、という気分は誰の中にもある。それでも、大人になるよりはましだ、大人なんてうんざりだ、という嘆きの表現なのだ。
じっさいザ、フーのメンバーたち(すでにふたり死んでしまったが)は、年をとっても、つねに、社会と結託した大人になんかならないという姿勢のバンド活動を見せてくれている。
大人になって社会をどうこうしようなんて気はないんだから、ほっといてくれよ。俺たちに偉そうなことを言っても無駄だぜ・・・・・・おそらくこの気分は、やる気満々だったビートルズストーンズには表現できなかっただろうし、そのころ全共闘運動による「大センセーション」を起こしつつあった団塊世代の若者たちにもわかるまい。わかるのはむしろ、彼らの子供たちである近ごろのニートとかフリーターといった連中なのかもしれない。
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まあ、「大センセーションを起こす気なんかないさ」というフレーズだけでもう、いかに団塊世代(とくに全共闘世代)とは異質な社会意識であるかがわかる。
大人をやっつけて大人に取って代わろうとする意識は、歴史のない国の若者に共通するものです。社会制度が固まっていないから、若者にも大いにチャンスがある。敗戦によって歴史を清算した戦後日本は、そういう国だった。
またそのころの日本は、世を挙げて青春賛美の風潮があり、若者が甘やかされ、若者じしんいい気になっていた。古いものを壊して新しいものをつくってゆく、これが、戦後の国づくりのコンセプトだった。そういうコンセプトで育った子供たちが、ようやく社会と対峙する年頃に育ってきて、古い大人たちをやっつけて何が悪い、というわけです。
大人たちが、「大センセーション」を起こしたがる若者に育てたのです。
若者たちは、大人たちからいいように洗脳されて育ったから、そのぶん大人や社会に対するなれなれしい感情を持っていた。そのなれなれしさで、「大センセーション」を起こそうという気になっていた。
全共闘学生たちは、気に食わない教授をみんなでつるしあげ、その研究室を好き勝手に踏み荒らして喜んでいた。しかしそんな行為は、ただの大人に対する甘えにすぎない。幼い子がママの胸を叩いて駄々をこねていることの延長なのだ。
すくなくとも「マイ・ジェネレイション」が表現するイングリッシュ・キッズたちには、そのような大人に対するなれなれしさはなかった。
イングリッシュ・キッズの「俺たちのこと理解しようとするなよ、消えちまえよ」という社会に対する疎外感と孤立感は、どうがんばってものうてんきな日米の若者には理解できなかった。