団塊世代に人気がなかったザ・フー・2

ビートルズデビューの3年後の1965年、ザ・フーをブリティッシュロックの表舞台に引き上げ、彼らの生涯最大のヒット曲にもなった3枚目のシングル「マイ・ジェネレイション」は、もちろんアメリカでも発売されたが、ヒットチャートの隅に登場することすらなかった。
ビートルズの登場のあとは、堰を切ったようにイギリスの音楽が、アメリカをはじめとする世界に進出していった時代だった。
そのような時代で、人気も実力もイギリスでは当時もっとも注目されていた新人バンドだったザ・フーに、新しものずきのアメリカ人がどうしてとびつかなかったのか。これは偶然ではないでしょう。ようするにアメリカには、「マイ、ジェネレイション」が歌う、大人になることを拒否するような気分に共感する若者はほとんどいなかった、ということだ。
とうぜんです。自由とアメリカンドリームの国に、この歌が表現するような階級社会におけるラディカルな世代間の断絶といったものはない。
またサウンド的にも、音楽と騒音の境目を駆け抜けてゆこうとするようなザ・フーの演奏に対して、そのころのアメリカの若者をとりこにしていたビートルズは、バロック音楽やスタンダードジャズのテイストも巧みに取り込みながら多彩で洗練された音づくりに傾いて行きつつあった。それは、ヨーロッパ的洗練にたいするコンプレックスをぬぐいきれないアメリカを満足させるための表現であると同時に、そのアメリカ資本主義が世界に進出してゆこうとしている時代の波にみごとに乗っかった戦略でもあった。
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「マイ・ジェネレイション」のサウンドは、あくまで過激なパワーロックそのものだった。
ビートルズが、聴衆の嬌声がうるさいという理由で演奏活動をやめていったのにたいして、ザ・フーは、その嬌声すらも圧倒してしまうほどにボリュームを上げて聴衆を引きずり込んでいった。最大限にボリュームを上げてもまだ音楽として成立する音を生み出すなんて、誰にでもできることじゃない。というか、それまで誰もできなかったことなのです。ビートルズでさえできなかったのだ。
ビートルズが、クラシックやジャズの音楽通までもはっとするほどの新鮮なコード進行を生み出したとすれば、ザ・フーは、エレキサウンドのボリュームそのものを音楽の域にまで昇華させた最初の革命者だった。
白人中心のアメリカ社会にとって、黒人の一部が社会に進出してきたことは、ひとつの「たたり」であった。だから、白人のプレスリーが黒人に憑依して神(カリスマ)へとメタモルフォーゼしてゆくという「祭り」の現象が生まれ、それによってそのたたりをしずめようとした。そのときのアメリカ社会には、そういう「祭り」が必要だった。そして、憑依の過激さを失いつつあったプレスリーに代わって、ビートルズが登場してきた。
その三年後、「祭り」はもう終わった、ということでしょうか。
ザ・フーは、エレキサウンドのボリュームという、現代文明そのものを「たたり」として、それに憑依していった。そこに、けっしてビートルズにはない、ザ・フーのラディカリズムがあった。こんな屈折してややこしい憑依の仕方を、のうてんきな顔をして現代文明に抱きすくめられていた日米の若者に理解できるはずがないし、共感できるはずがなかった。
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ただやかましかっただけではない。ザ・フーのリードギタリストでソングライターでもあるピート・タウンゼントは、ある面ではそのころのビートルズよりもずっと実験的なことにトライし、キャッチーでポップな音にたいするインスピレーションの豊かさやバンドのアンサンブルをアレンジするセンスにおいても、けっしてひけをとらなかった。だからこそイギリスではヒットしたのであり、「マイ・ジェネレイション」ではビートルズのスタンダードジャズの趣味にたいして、当時のポップミュージックではほとんどなかったベースギターのソロを多用するなど前衛的なフリージャズの要素がとり入れられている。そうしてリードボーカルであるロジャー・ダルトリーの吃るようなシャウトも、若者の苛立ちや不安を表現して新鮮であるとの評判にもなった。彼の歌声や歌唱はリリックでありながらつねにどこかしら若者らしい不安を滲ませており、それがザ・フーのレコードの表情を際立たせ、商品価値を高めてもいた。
だが、ビートルズの音楽とともにひとまずの落ち着きを取り戻していたアメリカの若者には、「マイ・ジェネレイション」は、それでもやっぱり耳障りなだけだったらしい。
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牛や馬を殺して神にお供えするという祭りの儀式は、古代から盛んにおこなわれていた。
「屠(ほふ)る」とは、「祝(はふ)る」でもあったらしい。
生きものを殺すことの祝祭性、そういう歴史的な観念というか衝動は、現代人といえども、誰のなかにも受け継がれている。だから、戦争が止揚されたり、死刑が肯定されたりするわけで、いわゆるむごたらしい殺し方ほどそれは祝祭性を帯びているともいえる。
十七歳の少年がお母さんの生首を切断し、腕を鉢植えのオブジェにしたことも、ひとつの祝祭性の表現だったのでしょう。
祝祭は、共同体の行事であると同時に、その日常(ケガレ)を離れた非日常(ハレ)の行為です。
17歳の少年の意識は、共同体の外に立っているから、つねにそういう非日常的祝祭的な衝動が疼いている。彼らが、みずからの生において、それをどう表現してゆくか、そこが問題です。
生首少年が、もしすれっからしの悪ガキだったら、仲間とつるんで輪姦なんかを平気でやって憂さ晴らしをしていたことでしょう。それだって、非日常的祝祭的な衝動のなせるしわざだ。そしてそんな17歳なら、世間にごまんといるし、みな当たり前のスクールボーイの顔をしてのうのうと暮らしている。それは、ある意味で、生首少年事件よりももっと怖くて気味悪いことかもしれない。
しかし生首少年は、孤立していた。その誇り高い純潔性が、人殺しに走らせた。なんか、たまらないじゃないですか。
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若者とは、この社会におけるいわば「異人」です。そして、統合失調症分裂病)の若者はその典型である、といえるのかもしれない。彼らの意識は、社会の外に立っているから、社会に飼い馴らされている大人からすると、ずいぶん異様に見える。だから、統合失調症を、生理学的な脳内分泌の異常によるのだ、というような納得の仕方をしようとする。
しかし、その納得の仕方に、確かな科学的根拠など何もないのです。それは、頭の薄っぺらな心理学者と社会が結託した、共同体のイデオロギーなのだ。
統合失調症が、脳の異常などであるものか。それは、彼の「思想」であり、「世界観」なのだ。社会に飼い馴らされた大人たちの醜悪な正義づらより、はるかに高度で純潔な、彼の「思想」であり、「世界観=身体観」なのだ。
その高度で純潔な「世界観=身体観」が、この社会とどう折り合いをつけてゆくか。折り合いをつけなければならないのか。それは、僕にはわからない。しかし、そういう「世界観=身体観」が追いつめられたら、そりゃあいろんな悪夢も見てしまうでしょう。
健全で純潔な精神だからこそ、悪夢を見てしまうのだ。異常だから、ではない。健全で純潔な精神が追いつめられるから、悪夢を見てしまうのだ。
あなたたちみたいに社会に飼いならされたグロテスクな豚でいられるなら、そりゃあ世界は平和だろうさ。
おそらくロックとは、そうやって社会の外に孤立して存在している若者の、その「思想」や「世界観=身体観」を代弁する表現として機能しているのだと思えます。
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あのころ、僕のまわりには、平気で輪姦を繰りし返しているグループがいくつもあった。なにしろ団塊世代のチームワークのよさは、図抜けていますからね。もともとのメンタリティにおいても、行動性においても、そういう若者が生まれやすい世代だった。そして、その彼らはみな、いまやいっぱしの小ずるい大人になってのうのうと市民生活を送っている。
そりゃあ、しなかった団塊世代のほうが圧倒的に多いに決まっている。しかししようとするまいと、大人になった団塊世代は、僕も含めて、あたりまえの顔して市民生活を送れるようなずるくて鈍感なところを誰もが持っている。
ない、とは言わせない。薄汚い大人になったことを恥じているなら、あのころはよかった、なんてうそ寒い自慢ばかりするなよ。
社会の外に立つ17歳が、誰がおまえらみたいな大人になるものかと思いながら殺人の研究に没頭してゆくことを、僕はよう否定しない。気味悪いとも、異常だとも思わない。
ザ・フーは、若者が持つそういう祝祭的な凶暴さを否定しなかった。というか、それをロックの音として表現していった。
けっきょくザ・フーの実験的なパワーロックは、七十年代に入ってからのレッド・ツエッペリンを筆頭とするハードロックや、そのあとのセックス・ピストルズが大暴れしたパンクロックのムーブメントとして引き継がれていったのだった。