若者論としてのザ・フー・10

人間は、社会を嘆かずにいられない生きものです。
共同体の意志などというものはないし、共同体のアイデンティティというものもまたない。共同体は、人々に嘆きを与える危なっかしい存在であらねばならない。
共同体が存在するのは、人々の望むところではない。すでに存在してしまっているのです。共同体に、みずからを安定した存在であろうとする意志などないし、人々もそれを望んでいない。共同体のあり方は共同体の意志によるのではなく、人々の心との関係で、どうしようもなくそういうかたちになってしまうだけです。共同体が存在することは、共同体の運命であり、あくまで「結果」なのだ。人間生活の「原因」としてではなく、人間生活の「結果」として存在しているのだ。
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たとえば村の神社で五穀豊穣を祈ったり、悪霊を鎮める儀式をするのは、村がそれほどに危なっかしいかたちで存在していることを確認しあう手続きにほかならない。
五穀豊穣なんてなるようにしかならないことくらい、古代の人々だって知っていたはずです。祈ろうと祈るまいと豊作のときは豊作だし、その逆もある。そういうことはもう、たとえ古代人だろうと、経験的に気づくほかないことです。それを勝手に、神に祈ればうまくいくかもしれない、という幻想をみんなしてつくりあげていった。
それは、豊作を得たいという願いではなく、なるもならないも神の御心なのだという不安を共有したいからだ。そういう不安で一年の暮らしをはじめれば、豊作の喜びがカタルシスとなって倍加するし、不作であったときのあきらめもつく。
悪霊を鎮めることだって同じです。悪霊がいることにして、不安になりたかったのだ。というか、いつもなにかの不安に身を浸して生きているから、勝手に悪霊のイメージをつくりだした。悪霊を信じ、悪霊が退散していったと信じる・・・・・・人間は、このカタルシス(浄化作用)という心の動きを体験することの醍醐味を知ってしまったのだ。
はじめに悪霊を発見したのではない。まず、不安からカタルシスにいたる心の動きを体験し、それが悪霊とか鎮魂というイメージに発展していったのだ。たとえば、おいおい泣いたらさっぱりした、そんな体験が始まりだったはずです。
人間が祈れば悪霊が退散するなんて、まったく虫のいい話です。そんなことは、悪霊の勝手でしょう。自作自演じゃなきゃ、こんな話はつくれない。祈れば退散するという範囲で、人間は悪霊を信じていた。たぶん最初は、自分で祈って自分で鎮めていたのだが、より大きなカタルシスを得ようとして、とくべつな人間でなければそれができないというサーカスにエスカレートしてゆき、神社や寺の儀式になっていった。
共同体は、人間に安心をもたらす装置ではなく、不安からカタルシスにいたる体験を生み出す装置だったのだ。いや、今でも、それこそが共同体の本質であろうと思えます。
安心なんて、ただの空虚な心の状態に過ぎない。
心が動くことによって、はじめて人は生きた心地を得る。
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人間は、嘆く生きものです。
良くも悪くも、嘆きと浄化作用(カタルシス)との往還運動として、生きるいとなみがなされている。そういうふうにしか心は動かないのだ。
われわれのこの社会は、嘆きを排除しようとするかたちで動いているが、排除しようとするがゆえに嘆きは必要なのだ。
愚劣な大人たちは、「幸せになる」ことよりも「幸せである」状態そのものに価値があるかのように思い込んでいる。そうやって「嘆き」を無意味なものとみなした結果、浄化作用(カタルシス)そのものまで喪失してしまっている。そうやって醜い顔を晒して生きている。若者を愚かな存在だと決めてかかっているから、自分たちの醜さに気がつかない。いい気なものです。そしてそれが、近代合理主義とやらのたどり着いた地平なのだ。
しかし内心では、誰も共同体を維持しようなどと思っていないし、人類の歴史において、維持の機能が発達してきたのでもない。現在のグローバル資本主義の世の中においては、史上もっとも共同体が不安定な時代になっているではないか。
ほんとうは大人たちだって、この社会にも大人であることにもうんざりしている。うんざりすることを紡いで生きた心地を得ている。なのにそんなふうに思っていない顔をして生きようとするから、よけい浄化作用(カタルシス)を失って醜くなるし、EDや鬱病やボケ老人にもなる。
うんざりして嘆くことを手離したら、生きた心地=カタルシスもまたなくなってしまうのだ。
ザ・フーは、うんざりして嘆くことばかりしている。うんざりして嘆くことがロックをすることだ、という姿勢でこの40年間を活動してきたようにさえ見える。それは、より深いカタルシスを提供し続けてきたことでもある。
ロックは怒りだ、なんていう人もいるけど、ザ・フーの音楽に、怒りの要素はほとんどない。大音響で演奏してはいるが、いつだってうんざりして嘆いているだけです。しかし、その先にこそ、よりダイナミックなロックのカタルシスがあるのだ。
「マイ・ジェネレイション」は、「年とる前に死にたいぜ」という嘆きのロックであり、その姿勢は一貫して変わらない。
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近代合理主義は、大人たちの若者に対する嫉妬を正当化し、それを消去する装置として機能している。若者は愚かだなんて、社会に丸め込まれた大人の、ただの短絡的な感想に過ぎない。その意識の底に、どうしようもなくグロテスクな嫉妬がうごめいている。
大人たちにとって若者が気に入らないのは、社会に参加しないで社会にうんざりしながら、しかも大人以上に確かな生きた心地をむさぼっているからです。若者こそ、この世でもっとも直接的に効率よく、もっとも豊穣に生きた心地を収穫している人種なのだ。
そして若者たちは、大人のそういう暑苦しい嫉妬や劣等感を見抜いているから「みんな俺たちをへこまそうと躍起だ」というのだし、それがいえるほどの確かな生きた心地こそ、60年代イギリス労働者階級の若者のアイデンティティだった。これはまぎれもなく社会に出る前の社会と向き合っている若者の普遍的な意識であり、そういう普遍性が露出するほどに60年代イギリス社会は停滞し、世代間のラディカルな緊張があったということでしょう。
若者が本気で社会に反抗すれば、社会そのものを拒否するのだから、社会を変えようとする運動にはなりえない。変えようとすれば、あのころのフランスや日本のようにときに「大センセーション」になるが、それゆえにこそ世代間の相克は、ともに社会に執着するというかたちであいまいなまま温存されている。だからこの国のビートルズ世代すなわち全共闘世代は、そのあとすんなり社会の構成員に収まっていった。
世代間の相克はむしろ、全共闘世代とその子供たちであるニート世代とのあいだのほうが、より本質的で深刻ではないかと思える。
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60年代のイギリスにおける大人たちと若者とのジェネレイション・ギャップは、戦争を体験しているかいないかにあった、といわれています。とくに支配階級の大人たちは、階級制度や不況といった社会的矛盾も、戦争がないということですべて帳消しにしようとした。だから、「この国の大人たちは腐っている」という意見も多かった。
戦争体験のあるなしでは、日本も同じだったはずです。しかし日本には、階級制度も不況もなかった。その代わり、古いものを否定するという社会的な気運は、大いに盛り上がっていた。
たとえば、古い町名や文化などがどんどん消えていってしまう時代だったのだから、それで大人という古い人種を否定するなといっても無理な話です。当時の社会が、全共闘運動を盛り上げる構造になっていた。若者は、大人を否定したのではなく、大人と同じように古いものを否定していたに過ぎない。世代間の対立など、じつはなかったのです。
若者はもちろん戦争を知らなかったが、大人たちもまた、戦争などなかったかのような顔をして生きていた。学校の授業で、戦争のことなど、ほとんど教えなかった。戦後の日本国憲法がどうたらこうたらということは、けっこう熱心に教えたが。
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余談ですが、僕は、憲法9条戦争放棄の理念を守れと叫ぶことなど傲慢だと思う。戦争をせずにいられないほどの屈辱や悲しみを味わっている人たちに、戦争をするなということなど、僕はよういわない。中国や韓国は日本に戦争を仕掛ける権利があるし、そうなったら日本だってやり返す権利がある。もうそういうことは、認めるしかないと思う。おたがいにそういうことを認め合って仲良くしていければ、と思う。認めないと、仲良くできないと思う。相手の自分を殴る権利を認めないで仲良くしようなんて、虫が良すぎるし、傲慢だと思う。僕は、人を傷つけないことを誓えるほど立派な人間ではない。
しかしだからといって、憲法9条をなくせ、といっているのではないですよ。そんなものがあろうとなかろうと、僕は国のやることなど一切信用しないし、関わりたくない。そんなことより、いつも行く喫茶店のウェイトレスがにっこり笑ってくれるかどうかということのほうが、ずっと気がかりだ。