祝福論(やまとことばの語源)・「かわいい」25・「おに」2

古代の神は、「存在」するのではなく、「出現」する対象だった。
日本列島の住民は、「出現」するものにときめく。
「出現」するものを、「かわいい」という。
「出現」するものを「鬼(おに)」という。
鬼は、実在するものではなく、われわれのイメージ空間に怪しく出現する対象である。そういう不在性、そして、いわばまがいものの「神」であるというキッチュな味わい、それを、いまどきのギャルは「かわいい」という。
日本列島の神=鬼は、出現して消えてゆく。この国の歴史の水脈においては、存在しないことが世界のセオリーなのだ。出現して消えてゆくものとの、その、出会いの瞬間のときめきが浄化作用(カタルシス)になる。
つまり、いまどきの若者は、そういう浄化作用(カタルシス)のタッチを持っている、ということだ。
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「国文学の発生・まれびとの意義」の中で折口信夫は、「なまはげ」の「なま」は「海鼠(なまこ)」の「なま」で、追い払う、というような意味だ、といっている。
海鼠(なまこ)は、色もかたちも鼠に似ている。だから、祭りのときに海鼠(なまこ)を供えるのは、家の鼠を追い払う儀式だ、という。まあそんな言い伝えもあるかもしれない。しかし、語源的には、海鼠(なまこ)の「なま」にも、「なまはげ」の「なま」にも、「追い払う」とか「懲らす」というような意味はないはずで、こういう強引で短絡的なこじつけをしてくるから学者のいうことが信じられなくなるのだ。
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小正月あるいは元日に、妖怪の出て来るのは、主として奥羽地方である。「なもみはげたか」「なまはげ」「がんぼう」「もうこ」などいう名で通有点は蓑を着て、恐ろしい面を被って、名称に負うた通りの唱え言、あるいは、唸り声を発して家々に踊り込んで、農村生活のおける不徳を懲らすかたちをして行くのである。私は、地方地方の民間語源説はどうあろうとも、「なま」「なもみ」は、「海鼠」と語源をひとつにしたもので、「おとづれ人」の名でなくば、その目的として懲らそうとする者の称呼ではないかと思う。
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「なまこ」の「な」は、体の力が抜けていくような感覚の発声。「なよなよ」「泣(な)く」の「な」。
「ま」は、体がゆったりと安定してゆく心地の発声。体がこの世界の「間」に安定して収まっている充足している心地から「ま」という音声がこぼれ出る。
ゆえに「なま」とは、安定した「間」にまだうまく収まっていない状態。つまり「生(なま)」である状態。
「こ」は、「こぼれ出る」というニュアンス。「子供=こ」は、母親の胎内からこぼれ出た存在。
「なまこ」とは、「間」に収まることができないでこぼれ出ているもの。原始人は、「なまこ」を見て、サメか何かの赤ん坊(あるいは、胎児)だと思ったのではないだろうか。つまり、大きな魚の胎内という「ま=間」からこぼれ出たもの、というようなニュアンスで「なまこ」といった。
「鼠」という漢字を当てたのは後世のことで、語源とはなんの関係もない。
したがって「なま」ということばが、折口氏のいうような「懲らそうとする者の称呼」である根拠など何もない。そんな解釈は、ただのこじ付けなのだ。研究者ともあろうものが、そんなただの当て字に惑わされてどうする。
「なま」とは、この世(共同体)という「間」にうまく収まっていない状態のこと。すなわち、煩悩や幼さのこと。「けがれ」のこと。
海鼠(なまこ)がなぜ神前に供えられたかといえば、「なま」な心の「けがれ」を洗い流したこと、すなわち「みそぎ」の形代(かたしろ=証拠品)としての意味があったのだろう。
そして、「はげ」は「掃(は)ける」の東北訛り。
なまはげ」とは、共同体の安定のために「生(なま)」な煩悩や幼さ(けがれ)を一掃しにやってくる神=妖怪のこと。
「なもみはげたか」とは、「<なまみ=生味>掃(は)けたか」というような東北訛りの言い方だろう。
いずれにせよ「なまはげ」の「なま」は、折口氏のいうような「懲らしめる」というような意味ではない、「間」におさまることのできない未熟で怠惰な状態のことをいうのだ。
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人が、この世の「間(ま)」におさまって(定住して)生きてゆくことは、「自分はここにいてはいけないのではないか」と畏れ嘆きつつ暮らすことである。そういう体験をもたらすために「なまはげ」がやってくるのだ。
雪に閉じ込められてじっとして暮らしていると、感覚が鈍って、日々の暮らしが退屈になってくる。とくに子供は、手持ち無沙汰になる。そういう子供の気持を覚まさせてやるのは、よろこばせるよりも、畏れ嘆かせてやることだ。
空の青さが目にしみる感慨は、深い嘆きを持っている人にもたらされる。嘆くことによって、感受性が目覚める。
誰がいい子かわるい子かなんて、いちいち「なまはげ」に報告するわけではないのだ。そんなことはわかるはずもないのであれば、懲らしめるもくそもない。懲らしめるためではなく、子供の感受性を覚まさせてやるために、「なまはげ」がやってくるのだ。
なまはげ」の「なま」に、「懲らしめる」という意味などない。
雪に閉じ込められると、子供は、共同体の秩序からこぼれ出て「なまこ」になってしまう。その「生(なま)」な部分を一掃するために、つまりそうやって情緒が不安定になったり停滞したりしている村びとの心の動きを活性化さてやろうとして、「なまはげ」がやってくるのだ。
雪に閉じ込められて暮らしてきた人びとがそろそろ春を迎えようとする時期に、もっともありがたい「来訪者=まれびと」として「なまはげ」がイメージされていった。
「神」や「鬼」のイメージに規定されて村の暮らしがあったのではない。村の暮らしに沿って「神」や「鬼」のイメージが生まれてきたのだ。
「鬼」のイメージから、「おに」ということばが生まれてきたのではない。「おに」ということばから、「鬼」のイメージが生まれてきたのだ。
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「おに」とは、出現するものに大きく驚きときめくこと。
「鬼(おに)」は、どこからやってくるのでもない。「今ここ」において「出現」する。誰もそれを避けることはできない。しかし、かならずどこかに立ち去ってしまう。それは、どこかに存在すると同時にどこにも存在しないという、「不在」の対象である。
「不在」だから、「出現」する。すでに存在するものは、出現しない。
そのへんが、いつまでも付きまとう妖怪や悪霊とは根源的に違うところだ。
鬼は、あくまでそのときだけ畏怖を与えていなくなってしまう。
鬼は、「存在」するのではない、「出現」するのだ。
どこかにいるかもしれないけど、祭りのとき以外は、けっして姿をあらわさない。
「鬼」が持つその「不在性」が、人々に、そのときその場かぎりの根源的な「畏怖」を与える。
その畏怖の体験によって、村も人びともたちまち浄化される。
「鬼」は、「けがれ」の浄化装置なのだ。
村びとは、「鬼」と出会うことによって、村とみずからの「みそぎ」を果たしていった。折口信夫がいうような「幸福を運んでくれるけど怖いから早く去ってくれ」などという茶番を演じるためにそうした村の行事が長く大切に引き継がれてきたのではない。
それは、「畏怖」することによって、村の暮らしの「けがれ」を祓う行事なのだ。
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古代人の神に対する畏怖の感情は、「怖いから早く立ち去ってくれ」というようなものではない。畏怖それじたいが、ひとつのカタルシスだった。
神社の境内に立つと「身が引き締まる」という。それだって、畏怖の感情だろう。それは、みずからの身体の輪郭がよりたしかになり、それによって中味の肉体としての身体の鬱陶しさから解放されるという体験だ。身体が空っぽの透明な空間になること、それが「けがれを祓う」という体験である。
「鬼」の、あのありえない形相は、「不在性」をあらわしている。どんな人間の顔も「鬼」よりはましだと思えるレベルで形象化されている。「ありえない」から、その畏怖がカタルシスになる。
「ありえる」、と思ったら、その畏怖はあとを引いて心を縛ってしまう。妖怪や悪霊は、「ありえる」姿で出現する。そこが、「かみ」としての鬼と、「もの」としての妖怪との違いだろう。
まあ、「鬼」の立場は、微妙だ。神そのものではなく、神の「仮の姿」としてあらわれる。だから、話の成り行きで、ありえない「かみ」にも、ありえる「もの(妖怪)」にもなってしまう。しかしもともとは、「かみ」の仮の姿だったから、具体的にどこからやってくるとういう話はあまりない。ただもう村の「外部」なる存在として、突然あらわれ、村人を怖がらせる。そして村人は、その畏怖のカタルシスによって、みずからの心と身体の「けがれ」を祓うことができる。
べつにどこということではない、どこかに「おに=かみ」の棲む国がある、というだけのこと。
「おに」は「かみ」ではないが、その向こうに「かみ」を感じることによって、その体験がその場のカタルシスになる。どこからともなくあらわれるからいっそう怖いのであり、しかも「かみ」の仮の姿であると了解することによって、その場かぎりの体験として完結する。
その祭りが毎年繰り返されているということは、つねにその場かぎりのカタルシスの体験になっている。
「おに」は「かみ」の仮の姿であるということ。かみは「不在」であると同時に出会う相手でもある。このコンセプトの上に日本列島の「おに」が成り立っている。したがって「不在」であるためには、どこにいると決めてしまうわけにはいかない。「どこかにいる」のであり、「どこにもいない」のだ。
折口氏は、鬼の来訪に際して村人は次のような態度をとるという。
「神あるいは鬼の去るに対しては、名残惜しい様子をして送り出す。すなわち、村々にとっては、良い神であるが、長く滞在されては困るからである。だから、次回に来るまで、ふたたび、戻って来ないようにするのだ」、と。
村人は、「なまはげ」に対して、こんな損得の駆け引きばかりをしているのか。ばかばかしい。
鬼は、「長く滞在されては困る」相手ではなく、村人のイメージにおいてすでに鬼自身が長く滞在しない存在として描かれているのであり、長く滞在しないのが鬼の鬼たるゆえんなのだ。
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折口氏はまた、神に対する畏怖は「忌み=けがれ」の体験であるという。
そうじゃない、畏怖によって、日常生活に倦んでしまった心や身体のけがれが洗い流されるのだ。
怖がることは、敬虔な心の動きである。何を俗っぽいことをほざいてやがる。怖がらない横着な心の動きこそ「忌み=けがれ」なのだ。
古代の村人は、怖い神との関係を、自己処罰するカタルシスとして生きていた。
古代の「かみ」は、「畏れ」の対象として発想された。それが、「なまはげ」という祭りが教えてくれているところだ。
蛇に睨まれた蛙のもっとも理想的な逃れるすべは、「今ここ」で消えることだ。畏怖は、「今ここ」で消えようとする衝動をもたらす。すなわち、「自分はここにいてはいけないのではないか」問う者による、「不在」に向かう心の動き、これが古代人の信仰のかたちだった。
折口氏をはじめとして多くの研究者は、古代人の信仰はひたすら不死に憧れ五穀豊穣と富を願うことにある、というようなことばかりいっているが、そんなものは近代人の自意識(=欲望という制度性)に過ぎない。少なくともそれは、プリミティブな信仰のかたちではない。
古代の祭りのコンセプトの多くは、自己処罰してそこからカタルシスをくみ上げてゆくことにあった。それが「鬼」の発生であり、人間の歴史は、「自分はここにいてはいけないのではないか」という問いとともにはじまっている。
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人間は、自己処罰する生きものである。
自己処罰して、そこからカタルシス(浄化作用)を汲み上げてゆく生きものである。
なぜ自己処罰するかといえば、「自分はここにいてはいけないのではないか」、と問う生きものだからである。そしてこの問題は、ほかのところに行くことによって解決されるのではない。どこに行っても「自分はここにいてはいけないのではないか」と問わずにいられないのであり、であればもう、今ここで自己処罰して消えてゆくしかない。
その契機となる装置として、「鬼」という神がイメージされていった。
自己処罰することに、人間の人間たるゆえんがある。自己処罰することに、人間として生きることの醍醐味も苦しさもある。自己処罰することのストレスによって人間の知能は発達し、深く人にときめく心の動きも生まれてきた。
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現在、自己処罰のタッチを持たないでアイデンティティばかりにこだわっている大人たちと、「俺たちバカだから」といって自己処罰しながら生きている若者との溝は、大人たちが考えているよりもずっと深い。
あのころの全共闘世代の若者たちが大人たちに反抗したとすれば、現在の若者たちは、反抗しないで深く追いつめられている。それは、彼らが、「自分はここにいてはいけないのではないか」と問いながら、自己処罰の衝動を持ってしまっているからだ。
べつに全共闘世代の若者たちより意気地がないからでも考えが浅いからでもない。むしろ現在の若者のほうがずっと深く人間の根源を問うているのである。
そしてその「けがれ」の自覚こそ日本列島の歴史の水脈であり、かつては誰もが共有していたが、現在の大人たちはそれを失っている。
そんな大人たちの、浅ましくみずからのアイデンティティを守ろうとするサディズムが、自己処罰の衝動を持った若者たちを追いつめている。
皮肉な社会だ。
大人たちのアイデンティティは、若者という「他者」から承認・尊敬されることによってしか得られない。
しかし、すでに若者から幻滅されている大人たちは、アイデンティティの危機に陥り苛立っている。そうしてますますアイデンティティにこだわってサディスティックになり、若者はますます「自分はここにいてはいけないのではないか」という不安と自己処罰の衝動を募らせ、追いつめられている。
いたちごっこだ。
現在のこの国の不幸は、大人と若者が、この国の歴史の水脈である「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いを共有できていないことにある。
近代合理主義かぶれしてみずからのアイデンティティに執着する現在の戦後世代の大人たちには、「なまはげ」の祭りを生み出した古代の村人のような自己処罰の衝動はないし、若者たちはそういう歴史の水脈をくみ上げている。
この国の歴史の水脈においては、自己処罰の衝動がないことこそ病理なのだ。自我にしがみつくばかりで自己処罰して生きてこなかったから、うつ病になったり、インポになったり、ボケ老人になったりしてしまうのだ。