「鬼」の文化・「漂泊論B」7


昼寝する眉に来世が止まりおり(犬犬)
ああアホくさいわが人生、鬼に笑われるぞ……蛇足


     1・人間は鬼の心を持っているか
日本列島の伝統文化といっても、「もののあはれ」や「わび・さび」だけではすまない。
スサノオ」や「ヤマトタケル」のような「荒ぶる魂」の神話もある。そしてこのような神は世界中の神話に登場してくるし、日本列島においても「鬼」とか「悪趣味」の文化は現在まで綿々と受け継がれてきている。
江戸時代は歌舞伎とか巨大なペニスの浮世絵とか装飾過剰の日光東照宮とかがあらわれ、現在でも「ヤンキー」とか「きもかわ」と呼ばれるマスコットとか、「けがれ」そのものを「美」とか「聖性」とするムーブメントは起きている。
「鬼」の文化。
誰の中にも鬼の心はある、という。
しかしそれは、サディズムとはちょっと違う。
キーワードは「混沌」だ
混沌とともに消えてゆくこと、すなわち死の衝動。
古事記において、スサノオヤマトタケルのような荒ぶる魂の神が登場して残酷な殺しの場面を描いたのは、人間はあっけなく死んでしまう存在だということを表現したかったのだろう。われわれのこの生は、そういう運命の神の手の中でほんろうされている。
古代人は、人間なんかあっけなく死んでしまう存在だということと和解していた。そういう死に対する親密さから、あのような「荒ぶる魂」の造形が生まれてきた。
そういう残酷な人間がいる世の中だったわけではあるまい。神や鬼だからそういう殺し方をするのであって、人間がするわけではない。
人間なんか運命の神にあっけなく残酷に殺されてしまう存在だ。古代においては、そういうあっけない死が日常的に転がっていた。
そういう残酷な殺しの場面をイメージすれば、むやみに生き延びようとする心を持つわけにいかない。
べつに、人間の心にはそういう残酷なサディズムが巣食っている、といいたかったわけではあるまい。あくまで神や鬼の行為なのだ。神や鬼だからこそ、そういう行為が起きる。
この生はそれほどあっけなくはかないものだということを表現したくて、そういう神や鬼を登場させた。
人間にそういうサディズムがあるといいたければ、人間として描けばいいだけである。
やまとことばの「おに」とは、「(死が)目の前に迫っている」という感慨をあらわす言葉だった。そういう驚きやおそれを「おに」という。
人間の心は、そういう驚きやおそれを持っている。そういう驚きやおそれを呼び覚ましてくれる対象を「おに」といった。
それは鬼のなんたるかを説明している言葉ではなく、鬼に対する感慨を表出している言葉なのだ。
やまとことばの本質的な構造は、意味の伝達ではなく、感慨の表出にある。
驚きやおそれで打ち震える心が、人間の「鬼の心」であり、人間の心の「混沌」である。
言い換えれば、人間は「鬼の心」を持っているのではない、「鬼と出会っている心」を持っているのだ。
そして、驚きやおそれで打ち震えている心は、「いまここ」に消えてゆこうとし、「いまここ」に消えてゆくことのカタルシスを知っている。知っているから、鬼に対して親密な感慨を抱く。
そうやっていまどきのギャルは「きもかわ」のマスコットを愛玩している。まあそれを前にして軽く心が揺れて、自分が消えてゆくような心地になる。彼女らは、いまどきの大人たちよりも生きてあることの「けがれ」を自覚しているから、そういう自分が消えてゆくことのカタルシスを体験することができる。
「鬼に対する親密な心」は、死を怖がらない。そうやって人間は、冒険に挑んでゆく。
冒険者は、あんがい驚きおそれている繊細な心の持ち主である場合が多い。
生き延びようとあくせくしている憶病な人間の方が、ぞっとするような残酷なサディズムを持っていたりする。
死を怖がるのが人間的な心であるのではない。そんなことをいっちゃいけない。
死を怖がらないのがほんらいの人間の心であり、それは、「鬼の心」ではなく、「鬼に対する親密な心」なのだ。
われわれの中の「キッチュ」な趣味は、「鬼に対する親密な心」の中で疼いている。鬼に対して驚き怖れながら「いまここ」に消えてゆく心、その「いまここ」に消えてゆく体験のカタルシスが「鬼に対する親密な心」になっている。
古事記語り部たちが「スサノオ」や「ヤマトタケル」のような「荒ぶる鬼の心」を造形していったのは、そういう「鬼に対する親密な心」によるのであって、べつに「鬼の心」を持っていたからではない。
鬼はあくまで鬼であって、人間ではない。


     2・死ぬことは、「いまここ」に消えてゆくこと
日本人が「もののあはれ」や「わび・さび」の美意識の一方で「鬼」や「悪趣味」の造形を好むのは、そういう対象を前にして驚きふるえながら「いまここ」に消えてゆくカタルシスとしての「死に対する親密な心」を持っているからであり、それ自体が「もののあはれ」の感慨でもある。
「死に対する親密な心」が、「わび・さび」の洗練にもなるし、悪趣味な「鬼」や「きもかわ」の造形にもなる。
いずれにせよそれらは、「いまここ」に消えてゆくカタルシスから生まれてくる。
日光東照宮の陽明門は、あんなにも悪趣味で騒々しい造形でも、基調となっている色彩は白と黒のモノクロームで、「わび・さび」の美意識も微妙に融合している。したがってその景観の印象は、中国大陸の同じような建物の赤や緑や黄色を塗りたくったものとは、ずいぶん趣が違うはずである。
中国大陸のそれが、見ているものの体中の血がたぎってみずからの実在を強く意識させる効果があるとすれば、日光の陽明門は、なんだかめまいをしながら自分が消えてゆくような心地にさせられる。
日本列島のそういう消失感覚の文化の原型は、縄文時代につくられた。
死に対する親密さの文化。
仏教伝来以前の「死んだら何もない黄泉の国に行く」という死生観にしても、ひとつの消失感覚である。
日本列島の住民は、天国や極楽浄土を信じることがとても下手な民族である。
だから中世には、「死んだら極楽浄土に行けるかどうかということなど考えたらいけない、ひたすら阿弥陀如来にお任せして<なむあみだぶつ>と唱えるだけでよい」というような説法が生まれてきた。
死んでもどこにもいかない、今ここに消えてゆくだけだ、という死生観こそ日本列島の伝統の本流であり、けっきょくそのような説法の仕方をするしかなかったし、それがもっとも有効だった。
縄文時代以来の日本列島の伝統においては、未来を思わないでひたすら「いまここ」に消えてゆこうとするのが生きる作法になっていた。それが日本的な「無常観」であり、「悪趣味」や「鬼」もまた、それを前にしたときの驚きやおそれから「いまここに消えてゆく」体験を紡ぐためのアイテムとして生み出されていった。
たとえば東北の「なまはげ」という鬼の祭りなど、まさにそのようにして「いまここに消えてゆく」体験を紡ぐ行事であろう。そうやって雪に閉じ込められた暮らしの「けがれ」をそそいで生まれ変わり、もうすぐやってくる春を迎えるのだ。


     3・「土偶」という鬼
縄文人の「土偶」は、一種の「きもかわ」のマスコットだ。どれもこれも、なんであんなにもへんてこなかたちをしているのだろう。
彼らは、リアルな造形ができなかったわけではない。精緻な細工の火焔土器などを見れば、そういう技術や感覚をちゃんと持っていたことがわかる。
それでもあえて、あんなにもへんてこなかたちにした。
世の歴史家はそれを、「おおらかな生命賛歌」などという。
まったく、人をバカにした話だ。幼稚園児の粘土遊びと一緒のように思っていやがる。
そうじゃない。縄文の女たちは、そこに、山に閉じ込められてある暮らしの「けがれ」をこめていった。「けがれ」の表現なのだ。
「生命賛歌」であるなら、ちゃんとヨーロッパ・ルネサンスのようなリアルな造形をする。
キリスト教では「神はみずからの姿に似せて人間をつくった」という。ヨーロッパ・ルネサンスは、神の似姿として人間を造形していった。
そういう意味でいうなら、土偶のあのへんてこなかたちは、神の似姿であることに対する冒涜である。神の似姿につくれなかったわけじゃない。
彼女らは、「生命賛歌」をしようとしたのではない。
それをつくって家の中のどこかに飾っていたのではない。一部をわざと壊して土に埋めていた。つまり、そのへんてこなかたちに山に閉じ込められて暮らすみずからの「けがれ」を表現し、それをそそごうとする祈りを込めて土に埋めたのだ。
だから、一部をわざと壊した。発掘される土偶は、なぜか必ず一部が壊れているそうである。それが「けがれ」のかたちだから壊したのだ。
神の似姿の生命賛歌としてつくったのなら、そんなことはしない。
山の中で暮らしてきた歴史も伝統もない民族が、氷河期明けの縄文時代になって仕方なくそういう暮らしをはじめたのだ。閉塞感という「けがれ」を感じないはずがない。
山間地で女子供が動き回れる場所なんか限られているし、山に囲まれた景観そのものが人の心を圧迫している。
しかも、女ばかりが狭い場所に寄り集まって暮らしていれば、気持ちはどんどん煮詰まってきて、つまらない諍いなども起きてくる。
それでもみんな、どこに逃げ出すわけにもいかないと思い定めて暮らしていた。
だったらもう、「けがれ」をそそいで「いまここ」に消えてゆくカタルシスを汲み上げてゆく以外に、ほかにすべはなかった。
彼らは、お気楽な生命賛歌で生きていたのではない。
生きてあることは「けがれ」がたまってゆくばかりだ、と嘆いていた。
しかし、そうやって嘆いているからこそ、花が咲いたとか暖かい風が吹いたとかの季節のことや旅人が訪ねてくることに対するときめきもひとしおのものとして体験される。
彼らがどれほど深く豊かに人や世界にときめいていったことか。それは、彼らが深く「けがれ」を自覚して生きていたからだ。
土偶には、縄文女の嘆きがこめられている。「おおらかな生命賛歌」などではない。
日本列島の「鬼」や「荒ぶる魂」や「悪趣味」の造形は、「けがれの自覚」から生まれてくる。
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