祝福論(やまとことばの語源)・「かわいい」24・「おに」1

近ごろの若者は、「おに=鬼」ということばを、形容詞を強調する機能として使う。
「おに美味い」とか「おに早い」とか。
「ものすごい」というような意味らしい。
そしてギャルが「きもかわいい」などともいう。
「ちょいと気持ちわるい感じがかえってかわいい」というようなニュアンスだろうか。
彼女らにとっては、「鬼」もまた「かわいい」対象なのだ。
そのように彼らが、「鬼(おに)」ということばがもともとそなえていた「怖いもの」という意味をすっかり変質させてしまった、といっている学者もいる。
そうだろうか。
彼らのそうしたことばの扱い方は、やまとことばを踏みにじっている態度だろうか。
彼らは、この世界の「違和感」にときめく。この世界や生きてあることそれ自体の「違和感」を大切にしている。
そして「おに」ということばは、違和感の表出のほかならないのであり、それはもう、その発生段階から現代まで、ずっとそうなのだ。
「おに」とは、大いなる違和感のこと。
「大(おお)いに」と「おに」は、同じ語源なのだ。
その語源においては、「おに」という音声がこぼれ出てくる感慨があっただけのこと。「おに」という怪物をイメージしていたのではない。
「意識」とは、この世界の「違和感」である。古代人と同じように、現代の若者もまた、そういう根源を生きようとしている。
違和感のないのっぺりとした世界やこの生の調和や秩序なんか、おもしろくもなんともない。
彼らは、みずからの心の「カオス=混沌」と向き合おうとしている。「カオス=混沌」を生きようとしている。
だから「俺たちバカだから」といい、さらには、人格者ぶった大人や知識をひけらかす偏差値自慢の連中の「秩序」という名のアイデンティティ信仰を「くだらな」というのだ。
それはたしかにくだらないのであり、彼らは、だてに「バカ」をやっているわけではない。
そして彼らがなぜ「違和感」を大切にしているのかといえば、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いがあるからであり、そういう思いを生きようとしているからだ。そういう思いを共有しながら生きていいるからだ。
そういう思いにある「癒し」を与えてくれるものを「きもかわいい」といい、「おに」といっているのであり、それこそがじつは、やまとことばほんらいのタッチでありこの国の歴史の水脈にほかならない。
このタッチは、そのへんの知識をため込むしか能のないおバカな学者連中にはわかるまい。
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「おに」ということばは、古いやまとことばだろうと思う。
奈良時代にはすでにあったらしい。
中国の「死霊=鬼」という概念が伝わってそこから「おに」ということばが生まれてきた、といっている研究者もいるが、この解釈は説得力がない。
そのとき古代人が、なぜ外来の「鬼(き)」という字を「おに」と読んだのか。すでに「おに」ということばがあったからだろう。でなければ、「おに」と読むはずがない。
大陸から伝わっただけのものであるなら、今でも「鬼(き)」といっていることだろう。
「おに」ということばの語源を考えるとき、研究者たちはまず、そのような怪物のイメージがあって、それを「おに」と名づけた、というような解釈をしている。
そうじゃない。
はじめに「おに」という音声がこぼれ出てくる感慨があった。これが語源のかたちであり、そののちに、その感慨を具現化するイメージがつくられていった。で、そのとき中国伝来の「鬼(き)」のイメージが助けになった、というだけのこと。
「鬼(おに)」という怪物のイメージは、あとの時代につくられたのだ。
「おに=をに」。
「お=を」と発声するとき、音声が体の中を響き渡るような心地がする。「うおっ」と驚く感慨からこぼれ出てきた。
「に」は「似る」「煮る」の「に」。「接近」「切迫」「沸騰」「出現」の語義。
「うおっ」という驚きが「沸騰」し「出現」するすることを、「おに」といった。おそらくこれが、語源のかたちなのだ。
とすれば、現代の若者が「ものすごい」という意味で「おに」ということばを使っているのは、語源のかたちをよみがえらせていることになる。
先代の若乃花のことを「土俵の鬼」といったり、将棋の升田幸三のことを「将棋の鬼」といったりするのも、そういう鬼気迫るさまから来ている。
日本列島の住民なら、「おに」という音声の響きのニュアンスを無意識のうちに感じ取る。そういう歴史の水脈から、いまどきの若者の「おに美味い」という言い方が生まれてきたのだ。
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折口信夫は、「まれびと」論の中で、秋田の「なまはげ」などを例に引きながら、「おに」の原初的な姿を、次のように説明してくれている。
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「まれびと」なる鬼が来た時には、できる限り歓待をして、悦んで帰って行ってもらう。この場合、神あるいは鬼の去るに対しては、名残惜しい様子をして送り出す。すなわち、村々にとっては、良い神であるが、長く滞在されては困るからである。だから、次回に来るまで、ふたたび、戻って来ないようにするのだ。こうした神の観念、鬼の考えが、天狗にも同様に変化していったのは、田楽に見えるところである。
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折口信夫もまた、はじめに「鬼という怪物」のイメージがあって「おに」ということばが生まれてきた、と無造作に考えている。だから、こういう無造作な「なまはげ」の解釈になってしまう。
なまはげ」がもっとも原初的な鬼のイメージを残しているということに異論はないが、しかし古代人にとっての「おに」が、このように「ご利益」があるとかないとか、そういう通俗的な動機でつくり出されていったと、どうして考えてしまうのか。
まったく、古代人をバカにしているし、折口信夫自身の思考の通俗性をもさらけ出している。そんな習俗は、もっと後の時代になってから生まれてきたのであって、そんな態度や心の動きが第一義的な「おに」のイメージや古代のかたちをあらわしているのではない。
「ご利益」という問題意識だけで「おに」を語ろうなんて、人間に対する視線が俗っぽいのだ。
村人が「なまはげ」という鬼の来訪に際して第一義的に願っているものは、五穀豊穣や富なんかではない。彼らが何がなんでもそんな「ご利益」ばかりを願っている人種だと決め付けるのは、差別意識であり、なめているのだ。
折口信夫は生きてあることのかなしみを格調高く歌った歌人でもあったのだが、そういう心の動きは何も彼のようなインテリだけのものではない。
村人にだってある。そしてその「かなしみ」を癒そうとして生まれてきたのが「なまはげ」という祭りなのだ。
なまはげ」は、「悪い子はいないか?」といって家々を訪ねてゆく。
そしてその怪異な姿で驚かせながら子供を泣かせて去ってゆく。
思い切り泣けば、悪い心はさっぱり洗い流される。
それは、子供だけの話ではない。
村人の誰もが、「けがれ」の自覚を抱き、それを洗い流したいという「みそぎ」の願いを持っている。そういう定住民の生きてあることの「かなしみ」から「なまはげ」という鬼がイメージされていった。
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人が定住すれば、「けがれ」の自覚からは逃れられない。
そうして「自分はここにいてはいけないのではないか」という問いが生まれてくる。
その思いをを共有しながら住み着いてゆく。
その思いさえあれば、むやみに人を追い払おうという気持ちも生まれてこない。この思いがあればこそ、定住できる。この思いで人類は、際限なく大きな群れをつくってきたのだ。
この思いから人や世界にときめくという浄化作用(カタルシス)をくみ上げてゆくことを、「みそぎ」という。
定住して人間関係が煮詰まれば、いがみ合いも生まれてくるし、何もかも飽き飽きしてときめく心も希薄になってしまう。
とくに、雪に閉じ込められて家の外に出られない日が続く冬の雪国では、なおさらだろう。
夫婦喧嘩は起きてくるし、子供だって怠惰で横着になってくる。
そういう「けがれ」を洗い流してくれる神=鬼として、「なまはげ」がイメージされていった。
五穀豊穣のご利益を願ったのではない。
泣いて涙を流すことは、水をかぶって「みそぎ」をするのと同じ行為になる。
泣くことの浄化作用(カタルシス)、村人は、それをせつに願った。
なまはげ」を見れば子供は本気で泣く、その姿に村の浄化(みそぎ)を託した。これが、この習俗の第一義的なコンセプトだ。
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なぜ鬼は怖い姿をしているのか。
それは、村人による、ここが自分たちの居場所だと安らいでしまうことに対する自己処罰である。
そういう装置として「なまはげ」という鬼を呼び寄せるのだ。
あの山には鬼が棲んでいるという話は、自分たちの生はけっして赦されているわけではない、という思いから生まれてくる。
べつに、山に行かせないためではない。
山のそばで暮らしていれば、山に入ってゆく機会はいくらでもある。山を越えて近在の村に行くこともあれば、山から木を切り出して家を建てたり、狩に出かけたりもする。そして、山で暮らす人々との交流だってある。
古代の道は、山の中につくられていた。日本列島の暮らしが、山とは無縁で成り立つはずがない。村人にとっては、山もまた自分たちの暮らしの一部だったのである。
村人は、ここが居場所だと思い定めるために、山には鬼が棲んでいるといったのではない。
ここが居場所だと思う横着な気持ち(けがれ)を自己処罰するためだった。
自己処罰して、誰もが「自分はここにいてはいけないのではないか」と問う存在になったとき、はじめて人と人がときめき合う関係が生まれ、村の結束もたしかなものになる。
古代の人々は、神に対して「ご利益」ばかりを願っていたのではない。
神の名を借りて自己処罰してゆくことも大切な信仰だったのであり、そのために怖い「鬼」がイメージされていった。
村人は、「おらが国さ」のお国自慢ばかりしたがる人種だったからこそ、自己処罰も必要だった。そんなふうに浮かれてばかりいたら、人にときめくことも、まじめに働くという気も起きてこなくなる。
彼らは、「自分はここにいてはいけないのではないか」と問い、その思いをなんとか癒そうとして、けんめいに土を耕し、寄り集まって祭りを盛り上げていった。
「ご利益」という問題だけで村の祭りや鬼や神を語ろうなんて、考えることがあまりにも薄っぺらで俗っぽいではないか。
人間を生かしている根源の意識は、「ご利益」を願うことではない。人間の歴史は、「ご利益」を求めて流れてきたのではない。
生きてあることのかなしみは、誰の中にもある。自分だけのオリジナルだと思うな。