祝福論(やまとことばの語源)・「かわいい」23・自分の居場所

朝青龍は、どうしてあんなに、いつもいつもモンゴルに帰りたがるのだろうか。
モンゴルこそが彼のいるべき場所で、日本では「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いから逃れられなかったのだろう。
その思いに耐えられないことが、彼のハングリーな強さになり、日ごろの行動のサディスティックなこらえ性のなさになっていた。
この国の大人たちだって、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いを心の奥に封じ込め、会社や家庭やこの国をひとまず自分のいるべき場所と思い定めて生きている。
そして朝青龍だって、国に帰ればいい子であり、モンゴルの伝統を大切にする人格者なのだろう。だから彼の親は、なぜ彼が責められるのかわからない。
モンゴルの大草原に立って地平線や星空を眺めていれば、誰だってひと恋しさが募るだろう。
大草原を旅しながら家族的小集団で暮らしている遊牧民族は、海に囲まれた日本列島の住民のような、狭い地域でたくさんの人間が群れ集まって暮らしてゆくことのうっとうしさを知らない。
遊牧民族は、熱っぽい人恋しさと同時に、他者に対するサディズムも強い。人恋しさが高じてサディズムになる。異民族に対しては、徹底的に残酷になる。
移動して暮らす彼らには、固有の土地に対する愛着はない。したがって、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いも希薄である。その人間としての煩悶は、彼らの無意識の底に封じ込められてある。そうして「自分の居場所」を守るために、相手を抹殺せずにおかない。
彼らは、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いを喪失しているから、ときにそのサディズムにブレーキがかからなくなってしまう。
彼らは世界の中心に立っている。そこから自我が育ってくる。彼らが家畜を支配飼育するためには、「自我」で圧倒してしまわなければならない。西洋人が奴隷や植民地を支配するのも同じだろう。彼らは、他者を圧倒する「自我」を育てる歴史を歩んできた。
日本列島とモンゴルの大草原とでは、生きてあることの実存感覚がちがうし、人と人の関係のタッチも大きくちがっている。
朝青龍は生粋のモンゴル人で、ジンギス・ハーンの末裔のような男だから、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いとともに暮らしている日本列島の住民のメンタリティや伝統文化は、なかなか理解できなかったらしい。
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定住民の土地への愛着は、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いの上に成り立っている。そういう思いとともに生きてあるものは、どこに行ってもそう思ってしまう。だから、どこにも行けない。その思いは、今ここで消えてゆくことによってしか癒されない。人々はそうやって定住し、その閉塞感から「小さきもの」の出現にときめく心の動きが生まれてきた。
朝青龍に理解できなかったのは、このことだ。
横綱の品格」とは、日本列島の住民のそういう思いの表現としての、ひとつの「禁欲」の作法にほかならない。
狭い地域に人がたくさん寄り集まって暮らし、しかも、海に囲まれた島国だから邪魔な者もどこにも追い払えないという地理的条件だから、誰もが自分は邪魔者ではないだろうかという思いを抱いてしまう。
原初の森で直立二足歩行をはじめた人類だって、そういう条件の中でそういう思いを抱きながら二本の足で立ち上がっていったのだ。
すぐ体をぶつけ合う窮屈な密集状態の中で、誰もが「自分はここにいてはいけないのではないか」と思い、もう四本足で立っていることができなくなっていた。その思いにせきたてられるようにして二本の足で立ち上がっていった。
つまりそれは、「ここにいてはいけないのではないか」と思いつつもどこにも逃げて行くことなく、「今ここ」でその思いが癒される体験を見つけていった、ということだ。その体験は「今ここ」にしかなかった、ということだ。
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「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いを抱くことは、人間であることの根源のかたちであり、その思いによって原初の人類は定住していった。
したがって人類の歴史において、国とか会社とか村とか家族は、「自分の居場所」としてつくられていったのではない。それらもまた、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いと和解する装置として生まれてきたのだ。
人類史の最初の大きな集団としての共同体は、氷河期の極北の地で暮らしたネアンデルタール=クロマニヨンによってつくられた。
彼らは、住みよい「自分の居場所」を確保していったのではない。そんな目的があったのなら、気候の穏やかなもっと住みやすい土地に移動していっている。
彼らは、そこが安定した「自分の居場所」ではないから住み着いていったのだ。
一休禅師は「地獄こそ自分に与えられた棲家である」といったが、彼らもまたそういう気分だったのだろう。いてはいけない場所に住み着いていれば、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いが癒される。そういう思いとともに生きてあることができる。人間は、そういう思いとともに生きてあろうとする生きものなのだ。
そういうところに住み着いたものは、もうどこにも行こうとしない。そうやって人類は、住みにくい土地にどんどん住み着いてゆき、地球の隅々まで拡散していったのだ。
住みやすいところが人間の住処なら、今ごろシベリアやアラスカやアマゾンの奥地に人間が住みついていることはない。
氷河期においては、もっとも住みにくい極北の地である北ヨーロッパが、もっとも人口密度が高かったのである。
そしてそこでは、大きな集団をつくってたがいの体をあたため合っていないと生きてゆくことができなかった。
彼らにとってその大きな集団は、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いと和解し、そういう思いとともに生きてゆくためのものだった。
人間というひ弱な熱帯種の猿にとっての極北の地が、「いてもいい」場所であるはずがない。「いてはいけない」場所だったから、住み着いていったのだ。
人間は「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いとともに生きてゆこうとする生きものであり、そういう思いとともに生きてゆくために共同体という大きな集団が生まれてきたのだ。
だから、共同体の制度は、個人が生きてある論理と逆立している。人は、共同体の中で、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いとともに生きている。
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家族は、氷河期が明けてから生まれてきた。それまでのヨーロッパ人は、家族を持たない乱婚社会で暮らしてきて、子供は集団で育てていた。
極寒の環境のために乳幼児の死亡率が高いその社会では、子供は次々につくってゆかなければ集団の個体数を維持できなかった。だから、お母さんが5年も10年もつきっきりで自分の子の面倒をみるというような余裕はなかった。
母親がつきっきりで子育てをするようになったのは、1万3千年前に氷河期が明けてからである。そしてその母子関係に「父」が挿入され、「家族」が出来上がっていった。
母子関係は、安定した関係である。しかしそこに安住してしまったら、子供は、巣立ってゆけない。
そこは、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いが生まれる空間であらねばならないのであり、そこに「父」が挿入されることによって、子供は「父=母=私」という三角関係の第三者の立場におかれてしまう。
いや、家族とは、誰もが三角関係の第三者になって、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いとともに生きてゆかねばならない空間なのだ。そういう空間になる機能を持って「父」が挿入されたのだ。
家族が「自分の居場所」だと思うのは、不自然で倒錯した心の動きなのである。ただ、父もしくは母との一対一の関係を結ぶときにおいてのみ、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いが癒されている。またその関係が、夫婦関係に対する子供、母子関係に対する父、父子関係に対する母、というように、つねに「第三者」を排除するかたちで成り立っているところに、家族という空間のやっかいなところがある。
いずれにせよそこは、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いとともに生きてゆく空間であり、人間は、そういう思いとともに生きてあろうとする存在なのだ。
言い換えれば、ここが「自分の居場所」だ、と思うとき、人はつねに、無意識のうちに誰かを第三者として排除している。
自己のアイデンティティは、他者の承認によって確認される。そしてそうやって他者と親密な関係を結ぶとき、つねに誰かを第三者として排除している。
親密であるとは、第三者を排除しているということであり、第三者たちから排除されているということだ。
つまり、大人たちの親密さは、社会から逸脱しているのもたちを第三者として排除してゆくことの上に成り立っており、それに対して若者たちの親密さは、社会の中心である大人たちから排除されているという自覚を共有してゆくことの上に成り立っている、ということだ。
思春期という第二反抗期における家族に対する疎外感、それによって家族の外の他者との関係に目覚めてゆく。
家族の根源的なコンセプトは、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いを育てる機能にある。
子供だけではなく、お父さんにとってもお母さんにとっても、家族は、その起源と本質において、「自分の居場所」にはなりえない空間だったのだ。
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しかしその後の人類の歴史は、この本質から逸脱しながら「自分の居場所」として家族や共同体を発展させてきたわけで、ヨーロッパ近代合理主義はそうした観念運動のひとつの達成だった。。
そして、日本列島だけがその起源と本質を熟成さてきたのだが、戦後においては、そうした近代合理主義の洗礼を受けて自我を肥大化させた大人たちがたくさんあらわれてきた。
彼らは、朝青龍と同類である。「自分はここにてはいけないのではないか」という思いに耐えられない彼らには、「自分の居場所」が必要だ。
それは、人間として倒錯した心の動きである。
彼らは、サディストだ。
彼らは、自分の居場所(アイデンティティ)が危うくなったとき、それを修復しようとしてサディスティックになる。
サディズムとは、自分の居場所(アイデンティティ)を確保しようとする衝動である。その衝動によって、相手を「ここにいてはいけない」場所に追いやろうとする。相手を追いやることによって、自分の居場所を確保する。ときには、あの世まで追いやろうとする。
この世を「自分の居場所」だと思い定めることは、とても危険なことなのだ。
彼らには、自分の居場所(アイデンティティ)が必要で、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いとともに生きることができない。
しかし人間とはほんらい、「自分はここにいてはいけないのではないか」という思いとともに存在している生きものである。そして、それこそが日本列島の歴史の水脈であり、われわれの「かわいい」論は、そこからはじまる。