「生き延びる」だなんて・「漂泊論B」15


     1・「生き延びる」だなんて、どうしてそんな卑しい物言いを平気でするのか
「霊魂」などというものは人間の心がつくりだしたイメージというか概念にすぎない、と頭でわかっていても、われわれはどこかしらでその存在を信じている。
「どこかしら」どころか、正面きって信じ込んでいる人も多い。宗教者はもちろんのこと、世界中の年寄りのほとんどは当たり前のようにその存在を信じ込んでいるのだろう。
しかしそれはあくまで表層的な意識(観念)であって、心の奥底のことはわからない。
たぶん、心の奥底では誰も信じていない。ただ、信じてしまう観念と信じない観念の両方のはたらきがあって、信じてしまう観念のはたらきの方が大きい人がたくさんいる、ということだろうか。
霊魂を物質として科学的に証明しようとした学者もいるらしい。
よくもまあ、そんな途方もないことを、とも思うのだが、物質ではないという証明ができるわけでもないのだとか。いずれにせよ、霊魂なるものが存在するということを前提にした話だろう。
自分が今ここに生きてあると思う心の住みかというか、よりどころとして、霊魂という概念が設定されているのだろうか。
まあ、よくわからない話だ。
霊魂などというものは存在しない、という証明をどうすればいいのかということも、僕にはよくわからない。
正直にいえば、僕自身は、霊魂が存在するということも存在しないということも、深く考えたことがない。ただ、心の底のどこかしらでそれを信じ込まされているような気配が、なんとなく感じられる。
そしてそれは、僕にとって「好ましく大切なもの」ではなく「怖いもの」であるらしい。それは、僕の中の恐怖心の中に巣食っている。
僕の心は、それを思うと、混乱する。たぶん、信じていない心も一緒に持っているからだろう。霊魂をめぐって僕の心は葛藤している。
霊魂は、僕の心の先住民ではなく、侵入者であるような気がする。
われわれは、それを信じてしまうような状況の中に置かれて生きている。
どう考えてもそれは、存在するか否かと問うべき対象ではなく、信じるか否かの問題だと思うのだが。
俺は信じていない、というつもりはない。たしかに、どこかしらで信じてしまっている。仏教伝来以来の1500年の歴史は、僕の中にもたぶん流れている。
ただ、信じるような心を持ってしまってやっかいだなあ、という思いがある。
僕の心は、僕がつくったのではなく、僕の中に流れる人類の歴史や日本列島の歴史によってつくられているにちがいないわけで。


     2・「他界」という意識
意識などというものは脳から生まれてくるものだということくらい誰でもわかっているのに、それでも誰もが、この胸の中に霊魂が宿っている、という思いをどこかしらに抱え込んでしまっている。
また、意識はたしかに脳から生まれてくるにちがいないのだが、そのことが実際にわかるわけではない。
意識は、脳=身体の外ではたらいている。脳=身体の外でしかも環境世界の内側でもあるというか、脳でも環境世界でもないというか、そういうなんだか異次元の空間ではたらいているように感じられる。
で、「他界=あの世」がイメージされてゆくのだろうか。
われわれは、「他界=あの世」をイメージすることのできる存在である。
意識はすでに「他界=あの世」をさまよっている。「自分という意識」は、「他界=あの世」からこの身体やこの世界を眺めている。そういう「自分という意識」が「霊魂」としてこの胸の中におさめられてある、ということだろうか。
「霊魂」は他界からやってきて、ひとまず私の胸におさまり、また他界に帰ってゆく……ということだろうか。
いったん「霊魂」という概念を持ってしまったら、天国や極楽浄土や輪廻転生がイメージされてゆくのは時間の問題だ。
人類は、どこかで「生き延びたい」という欲望を持つようになった。生き延びるためのよりどころとして「霊魂の永遠」というイメージが生まれてきた。
では、原始人も「霊魂」という概念を持っていたのだろうか。


     3・身体に執着しているから、身体から離れた「霊魂」にも執着するのだ
「自分という意識」が死を怖がる。
原始人がそれほどあからさまな「自分という意識」や「死の恐怖」を持っていたとも思えない。
現代社会においても、死に対する親密さとともに生きて、悪あがきすることなくスムーズに死んでゆくことができる人もいる。時代をさかのぼればのぼるほど、そういう人たちが多くいて、原始時代はもう、誰もが「自分という意識」や「死の恐怖」が希薄だったにちがいない。
この世の弱いものは比較的スムーズに死んでゆくことができる。社会制度に順応して生きてきたものほど悪あがきする傾向が強い。女に比べると男はなぜ悪あがきするかといえば、それだけ社会制度に順応し踊らされて生きてきたからだろう。
人は、社会制度に順応し踊らされながら「自分という意識」や「死の恐怖」を募らせてゆく。
だからここでは、原始人はなぜ「自分という意識」や「死の恐怖」が希薄だったのだろうと問うてゆきたい。
ようするに、原始時代には共同体(国家)というものがなかったからだろう。
現代人の心が観念的であるとすれば原始人の心は身体的だった、などとよくいわれる。しかしそれは、彼らが身体に対して親密だったかというと、そうではなく、彼らにとって身体は、うとましい対象だった。
現代人の方がずっと身体に執着して生きている。死ぬことは身体が存続できなくなることだから、死が受け入れられないのだろう。
現代人は、観念によって身体を支配して生きている。とすれば死ぬことは、身体が観念の支配の及ばないところに行ってしまうことである。観念が身体を生かしているのだから、身体が勝手に死んでしまうことなど納得できない。それは、観念のアイデンティティを失うことだ。
現代人は、観念のアイデンティティとして身体に執着している。
原始人は、身体を支配しようとする意識は希薄だった。身体を生かすことのできる医療技術など持っていなかったから、ちょっとしたけがや病気で死んでしまうことも日常茶飯事で、身体を支配するという発想はもてなかった。
彼らにとって身体は、あくまでうとましく支配の及ばない対象だった。であれば、ただもう、身体のことを忘れて身体が消えてゆく感覚を体験するときに生きた心地を覚えた。
原始人の身体的な意識とは、身体のことを忘れ身体が消えてゆくカタルシスを汲み上げる意識だった。身体が消えてゆくことがカタルシスになるほど、身体がうとましかった。
現代社会の快適な暮らしは、身体のうとましさを忘れさせ、身体を支配しようとする意識ばかり肥大化させる。そうなったらもう、死ぬのが怖くなってしまうに決まっている。
死ぬのが怖いとは、死ぬことが納得できない、ということらしい。
それに対して原始人は、身体が自分の観念の支配の及ばないところで死んでしまう存在だということを納得して生きていた。そうして身体が消えてゆくことにカタルシスを覚えるほど身体に対するうとましさを持っていたのなら、身体が死ぬことも怖くなかっただろうし、死ぬことはむしろ救いであったにちがいない。


     4・二本の足で立ち上がることは「霊魂」の発見であるのか
人類の歴史は、身体に対するうとましさを自覚してゆくところからはじまっている。
四本足の猿が二本の足で立ち上がることは、不安定で、しかも胸・腹・性器等の急所をさらすという極めて危険な姿勢でもあった。つまりとても居心地の悪い姿勢なのだ。
だから猿がその姿勢を取るときは、少し前屈みになって安定を保ちつついつでも戦闘態勢に移れるように準備している。
しかし人間は、まっすぐ立っている。まっすぐ立てば、すぐこけるようになるし、急所をさらす危険もさらに増す。まっすぐ立てば立つほどその姿勢は居心地が悪くなってしまう。
だからわれわれは、電車に乗ればすぐ座ろうとする。
人間は、まっすぐ立つことの居心地の悪さを支払っているから、そこから歩いてゆくことに、身体(=足)のことを忘れてしまうカタルシスを体験する。そういう快感があるから、どこまでもあるいてゆくことができる。それは、二本の足で全体重を支えているのだから疲れないのではない。四本足で歩くよりもっと疲れる。それでも、快感があるから、いつまでも歩き続けることができる。身体のことを忘れながら、疲れてもまだ歩き続けることができる。
猿は、そういう快感を知らないから、二本の足で歩くことに飽きてすぐやめてしまうし、必要なときしかその姿勢を取らない。
人類の歴史は、身体のうとましさをより深く自覚しながら身体を忘れてゆく(身体が消えてゆく)快感を紡いでゆくというかたちではじまった。
直立二足歩行する人間は、基本的にはそういう存在なのだ。
いったん身体のうとましさを引き受け、そこから身体を忘れ身体が消えてゆくカタルシスを汲み上げてゆく。これが、人間の自然としての生きる作法である。
原始人は、そのようにして生きていた。だから、住みにくいところ住みにくいところへと地球の隅々まで拡散していった。そうやってネアンデルタールは、身体のことを忘れ身体が消えてゆくカタルシスを汲み上げながら氷河期の極北の地に住み着いていた。
原始人にとって氷河期の極北の地は、もっとも身体を支配することの不可能な、人がかんたんに死んでしまう土地だった。彼らの乳幼児は、半分以上が成人する前に死んでいった。大人だって、30数年の寿命しかなかった。死ぬのが怖かったら、そんなところには住みついていられなかった。
彼らの生には「生き延びる」というスローガンはなかった。


     5・それは、共同体(国家)の歴史とともにはじまった
「自分という意識」は、身体を支配しようとするかたちで肥大化してくる。
あるいは、「自分という意識」が肥大化して、身体を支配しようとするようになってゆく、ということだろうか。
「霊魂」とは、「自分という意識」が温存される場である。そうやって人は、「霊魂」によって身体を支配している。
原始人は、身体が消えてゆくカタルシスで生きていた。それはつまり、自分が消えてゆくカタルシスでもある。
原始人だって「自分という意識」を持っていたが、それは、自分が消えてゆくカタルシスの上に意識されていたのであり、「自分という意識」を温存する場としての「霊魂」をイメージすることはなかったはずである。
二本の足で立って歩くことは身体=自分が消えてゆくことなのだから、人間性の自然においては「霊魂」というイメージが浮かんでくるはずがない。原始人は消えようとしていたのであり、消えることが生きることだった。
彼らの精神生活においては、消えない「霊魂」なんて、どう考えても矛盾である。
「霊魂」という概念が生まれてくるためには、「身体=自分」が消えない精神生活が必要である。
人類は、共同体(国家)の発生以来、つねに「身体=自分」を意識している精神生活になっていった。
たとえば、隣接する他の共同体との緊張関係に置かれている共同体は、つねにその共同体という「身体=自分」を意識している。
家族だけの団欒=結束が大切な家族は、つねに家族という「身体=自分」を意識している。
自分が他者との競争にさらされているなら、つねに「身体=自分」を意識している。
1万3千年前の氷河期明け以前までの人類は、集団どうしは離れており、たがいのテリトリーのあいだに空白地帯=緩衝地帯を持っていた。だから、緊張関係はなかったし、その空白地帯=緩衝地帯に人が集まってきて「祭り」のような友好の場をつくっていた。現在の「市=バザール」の起源である。
しかし6,7千年前ころから農耕生活が本格化すると、集団の人口もテリトリーも大きくなり、境界を接するようになってきた。そうやって人類はつねに緊張関係の中に置かれ、共同体(国家)を組織し、仲間ではない第三者を排除しようとする「自分という意識」を肥大化させていった。
共同体(国家)の存在するかたちが、人の心をそのようにしていった。
制度的な「自分という意識」は、三角関係の第三者を排除しようとするかたちではたらいている。
今やわれわれは、いろんなかたちで三角関係の中に置かれている。人類は、そのようにして「自分という意識」とともに「生き延びようとする意識」を募らせながら「霊魂」という概念を生みだしてきた。
少なくともそれは、原始人の「自分という意識」ではない。原始人のそれは、「生き延びようとする意識」ではなく、「自分=身体が消えてゆく」という意識である。それが彼らの生きる作法であり、死んでゆく作法だった。
共同体という身体、家族という身体……原始人にはそんな身体意識はなかった。氷河期明け以降に共同体が生まれ一夫一婦制の家族が生まれ、そこからそういう「身体」を存続させようとするかたちで「霊魂」という概念が生まれ育ってきた。
共同体という身体の霊魂、家族という身体の霊魂、そんなものの究極のかたちとして、個人のこの身体に宿る「霊魂」がイメージされていった。
共同体や家族のアイデンティティすなわち制度性、そんなものを強く意識したところから身体に宿る「霊魂」がイメージされていったのだろう。
天皇は、日本という国=身体の「霊魂」だった。だから神風特攻隊の兵士は、「天皇陛下万歳」といって死んでいった。「日本万歳」ではなかった。
アメリカ人なら、「大統領万歳」といわずに「アメリカ万歳」というだろう。
つまりわれわれは、霊魂の永遠を信じても国家の永遠など信じていない民族なのだ。天皇陛下さえ永遠なら、国家などどうでもいいらしい。どうでもいいというか、国家という意識そのものが希薄なのだ。
だから、日本人の「霊魂の永遠」という意識もあいまいである。自分の身体の霊魂のことなどよくわからなくて、「天皇陛下」というかたちでしか「霊魂」をイメージできない。
それは、われわれが「いまここ」で消えてゆくことを生きる作法にし、死んでゆく作法にして歴史を歩んできた民族だからである。そういう原始的な心性を無常感として洗練させながら伝統的な文化をはぐくんできた。
というわけでまあ僕は、「生き延びる」などというスローガンを振りかざすことがいちばんたちが悪いんだ、と思うわけですよ。そういうことを正義のように振りかざすのはほんとに卑しい。それは、日本的な美意識の欠如だともいえる。
身体が消えてゆくカタルシスを知らない鈍くさいインポおやじにそういうことをいわれると、ほんとにむかむかする。
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