閑話休題・山姥の原像

研究者というのは、どうしてこうもあほなんだろう。僕がそういうと、たいていの人は、あからさまに不快感を示し、僕の人格を軽蔑してきます。僕からすれば、「おまえらの不快感や人格なんてどうでもいいんだよ。不快だというのなら、研究者の説明が、俺の考えることより正確に本質をとらえているということの根拠を、きっちり示してくれよ」といいたいところです。それも示せないくせに自分の不快感だけを正当なこととして主張してくるなんて、傲慢もいいとこじゃないですか。何様のつもりでいやがる。
研究者をあほだといわないで尊敬することが、そんなにご立派で清潔なことなのか。そんなものは、清らかな心でもなんでもなく、社会の仕組みにしがみついて自分の正当性を守ろうとする強迫観念であり、ただの薄汚い俗物根性なのだ。
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一般的な山姥像とは、次のようなものです。
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山中に住む女の妖怪。多くは老女で、背が高く、色は白くて髪は長く、口が裂けて、目がらんらんと光っていたりする。旅人を殺して食べてしまうこともあるが、ときにひと恋しくなって山小屋を訪れ、炉の火にあたっていたりする一面もある。また暮れの「市」の人里に現れた山姥が使った金には福がある、ともいわれていた。
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民俗社会の人々は、どうしてこんな妖怪をイメージしていったのか。
古代における山の神に仕える「巫女」が、中世以降に恐ろしい「山姥」のイメージに変質していった、ともいわれています。
現在の民俗学をリードする研究者であるらしい小松和彦氏は、「異人論」(ちくま学芸文庫)という著書の中で、山姥のイメージは、「女」とか「母」という存在の本質と関わっている、といいます。それは、「女は男を産み、男は文化を創造する」というこの社会の関係から生まれてきた文化現象であるのだとか。
つまり、山姥というイメージは、男がつくり出した、と言っているわけです。
そうでしょうか。
文化は男が創造する、なんて、無知で傲慢もいいところです。男が牛耳っているのは、共同体の政治とか経済の活動だけであって、文化は、男と女の関係の総体です。男は女に反応し、女は男に反応する。この世で暮らす人びとのそういう「心の動き」から生まれてくるのが、文化というものでしょう。べつに、男だけでつくっているのではない。
政治や経済が文化をつくっているのではない、文化が、政治や経済のかたちを決定しているのだ。
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人里離れた山に住む山姥は、すなわち共同体の秩序から放逐された、あるいは逃げ出した存在です。老女で、大女で、男なんか食い殺す・・・・・・昔の「貞淑な女」とか「楚々とした女」というイメージとはおよそ正反対です。つまり山姥は、共同体の秩序に不要な女を象徴している。
そして、基本的には子供のいない女なのだから、「母」のイメージからも逸脱した存在である、ということになります。村の女が子を産むことを嫌っている・・・・・・これも、山姥に与えられた属性のひとつです。
昔は、子供が生まれない女は、嫁に行った家から追い出された。であれば山姥は、そういう女も象徴している。つまり山姥とは、「女」であることや「母」であることのアイデンティティを喪失した女である、ということになります。女ではない女、それが山姥です。
したがって、山姥のイメージに、「母」という存在の本質論をまじえて語ろうとすることは、邪道のはずです。いわゆる「産まず女」のほうが、山姥のイメージに近い。
ようするに、男も女も含めた民俗社会の人々は、そういうタイプのそういう立場に立たされた女をどう見ていたか、ということが、「山姥」のイメージでしょう。
まあ、「文化を創造している」つもりの傲慢で単細胞の男やその母親である姑をはじめとするいけ好かない女たちが結託してそういう女を共同体から追い払うわけで、いつの時代も、世の中なんておおむねそういうものだ。
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ところで僕は、女が子を産むことは知っているが、目の前にいる女を、子を産む存在であるという目で見たことはほとんどない。女房が妊娠している時だって、でっかい腹だなあと思っても、その中に子供がいるという実感は、ほとんどなかった。生まれてきて、はじめてわかったようなものだ。
小松氏はさかんに、「女が子を産む性であることに、男は多大の不思議と畏敬の念を抱いている。そこから山姥のイメージが生まれてきた」というのだが、僕にはどうもぴんとこない。
女が子を産む性であるという認識は、女の自意識であって、男とはあまり関係ないような気がする。そりゃあ社会的ないとなみとして、女に子を産ませるという意識は持つだろうが、あくまで個人的な立場のひとりの男として女を見るなら、そんなことは、二次的三次的なことに過ぎない。
この世に「できちゃった婚」とか「堕胎」という現象が、いかに多いことか。それは、ただ「快感の追求」というだけのことではなく、それほどに男は、女が子を産む性であることを意識していない、ということを意味している。意識していれば、「できちゃった婚」も「堕胎」も、ほとんど起きてこないはずです。
僕だって、女のおっぱいがふくらんでいるのはとてもエッチなかたちだと思うが、それが子を産むためのものかどうかなんて、知ったこっちゃない。
山姥のイメージと、女が子を産む性であることとは、ほとんど関係ない。むしろ子を産まない女のこととして考えるべきなのだ。
女にたいして「子を産む性である」と見ているということは、女を女として見ていないことの証拠なのだ。最近、どこかの国の大臣が「女は子を産む機械だ」と語ったそうだが、小松氏をはじめとしてそういうことをいいたがる男の研究者なんて、みなその大臣と同じレベルだと僕は思う。彼らより、女に堕胎させたばかな男のほうが、ずっと女の本質と向き合っている。
女が子を産むことなんか、ただの社会的な役割であって、そんなことを第一義として女の本質を語ろうなんて、女に対して失礼だ。子を産むか産まないかが、女であるか否かを決定しているわけでもないでしょう。それは、女じしんの問題であって、男が関知できる問題ではない。
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子を産まない女としての山姥、共同体から疎外された存在としての山姥、そこにこそ、民俗社会の人々が抱く山姥のイメージがある。
小松氏の語る山姥像なんて、現代の知識人という人種じしんが抱くそれに過ぎない。たとえば、ユングの言う、「子供の自立を阻む『呑み込む母』のイメージが投影されている」とか、そんな説明を付け足して山姥像の本質に迫ったつもりでいる。まったく、笑わせてくれる。そうやっておためごかしの本質論を説いて、この国で差別され続けた女たちの怨念を隠蔽してゆく。というか、見失っている。
古代において、山に棲む女は、山の神に仕える「巫女」であった。
しかし中世以降になって、共同体の中心にいる支配層の者たちは、年とった女や、子を産まない女や、大女や、気の強い女を、まるで当然のように自分たちの社会から放逐するようになっていった。
放逐するだけでなく、手討ちにしてしまった例もたくさんあるでしょう。
したがって、そういう自分たちの身分に固執する階層の男や姑や小姑たちは、つねに追い払ったり手討ちにしてしまった女たちの復讐におびえている。知らん振りしても、意識の奥底のどこかで追いつめられている。中世という時代における、そのような制度性からもたらされる強迫観念とともに「山姥=鬼」というイメージが生まれてきた。山には、そうやって追い払われた女たちの怨念が住み着いている。
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小林秀雄は、「現代人には、鎌倉時代のどこかのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない」といった。
無常とは、変わってゆく、ということです。中世は、そういう人間観や世界観がとても強い時代だった。世阿弥が「萎れたる姿こそ、花なり」というとき、世界は変転してゆく、誰も同じであることはできない、という感慨があった。狂った女が鬼と人間の中間である般若の面になることを「生(なま)成り」というらしい。次の瞬間、鬼になるのではない。だんだんそうなってゆく(萎れてゆく)。山姥は、生まれたときから山姥だったのではない。共同体に追われて山に逃げ込んだ女が、「山姥になっていった」のだ。山姥とは、鬼になってゆく女の「萎れたる姿」なのだ。
小松氏の分析なら、最初から山姥という妖怪がいるかのように人々が考えていたことになる。しかし中世の人々は、そんなふうには考えはなかった。山姥になってゆく、のだ。彼らは、現代の研究者のように、安っぽい本質論で「分析」をすれば世界のことがわかるとは思っていなかった。世界は、変転してゆく姿としてわれわれの前にあらわれる、と考えていた。小松氏も「鎌倉時代のどこかのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない」らしい。
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共同体の住民は、小松氏のいうように、根源的に外部の異人にたいする「恐怖心や排除の思想」を持っているのではない。内部において「異人」をでっち上げるのだ。だから、そこから「恐怖心や排除の思想」が生まれてくる。山姥の負のイメージは、自分たちが内部から排除したものに対する恐怖心という強迫観念から生まれてきたのだ。
それにたいして、山姥が「市」にやってきて使った金には福がある、という信仰は、そうやって共同体から追い払われた女たちを救出しようとする「民俗社会の人々」の心性がはたらいている。つまり、山姥とは、山の神のそばに行ってそういう「嘆き」からカタルシスを汲み上げるというかたちで浄化されていった存在である、と見ていた。だからその金には福があるわけで、そのとき民俗社会の人々は、そういうかたちで、かつて山の女が巫女であった「歴史」を取り戻していったのだ。
とりあえず、そう言っておきます。
このさい、安っぽい本質論なんて、言わないほうがいいのだ。当人は本質論のつもりでも、内実は、ただの一般論以上でも以下でもない。