「漂泊論」・53・人と人が連携するということ

   1・なりゆき
人間というのはかんたんにはわからない。
ふだんは人懐っこく親切な人がいざとなると案外冷たかったり、いつもは傍観者のようにしている人がほんとうは頼りになったりする。
人懐っこく親切な人は、自分は自然のままに生きていて、傍観者のように振舞う人間は演技をしているのだ、という。
しかし、どちらが自然かということは、そうかんたんには決められない。
愛にあふれた人格者ぶった態度を見せていても、おまえの愛なんて自分に向けられているだけなんだよ、といいたいときはある。ようするに愛にあふれた人格者だと人から思われたいという欲望が旺盛なだけである。その欲望で演技して生きているんじゃないのか。
おまえら、そんなにも人に好かれたいのか。まあ、好かれるためには、とりあえずそれがいちばんいい方法だろうよ。共同体の制度に毒された人間は、人に好かれようとする欲望が旺盛だ。みんながそんな欲望をたぎらせていれば、共同体の結束は安泰だ。そしてその欲望をたぎらせることによって人は、第三者を差別し排除しいじめようとする欲望も肥大化させてゆく。
誰とでも仲良くできる人格というのは、じつはあんがい凶悪で冷淡だったりする。つまり、家族だけはそれを知っていて、傍(はた)が思うほど平和な家族ではなかったりする。
それに対してふだんは傍観者のような顔をしている人は、冷たいのではなく、彼らのようなそうしたスケベ根性を持っていないだけだともいえる。
愛にあふれた人格者だと思われたいということは、ようするに「愛されたい」ということであり、幼児体験として愛に飢えていたトラウマを抱えている場合が多い。そういうトラウマを抱えている人間が、この社会で人格者のポジションに立とうとする。内田樹先生は、きっとこのタイプだ。
しかし彼らは、どうしてあんなにも確信的な態度で「正義」を標榜できるのだろう。われらの内田先生はもう、このごろますますそんな態度のいいざまになってきている。先生だけじゃなく、反原発の人たちしかり、柄谷行人だろうと大江健三郎だろうと、どうしてそのことの正義とか悪とかを確信できるのだろう。
なんか知的じゃないんだよね。脳が動脈硬化を起こしているんじゃないかと思ってしまう。
彼らはそうやって「悪」と見なす対象を差別し排除しようとしている。
どうしてそれを「悪」と確信できるのか、僕にはわからない。
まあ僕は、自分が世の中の一員だという意識はあまりない。世の中に寄生させてもらっているだけだ。だから、世の中と自分では、正しいのは世の中の方で、たいていのことは自分が悪いと思う。
僕には、世の中の一員として何が正義か悪かと決める能力はない。
しかしつらつら考えてみるに、日本列島の住民はもともと正義か悪かを判断する能力が希薄な民族なのではないだろうかとも思う。共同体の制度とはそれを決めてゆくシステムである。だから、共同体(国家)の発生が、大陸と比べると何千年も遅れた。大陸では5千年も6千年も前からその歴史がはじまっているというのに、この国ではせいぜい千五百年か2千年くらいのものである。
それは、正義か悪かを判断する文化が育たない風土だったからだろう。あるいは、共同体(国家)をつくらなかったからその文化が育たなかった、ともいえる。
太平洋戦争の戦犯たちは、どうして戦争遂行に賛成したのかという問いに対して、口をそろえてこう答えていた。
「まわりの空気がすでにそうなってしまっていて、そういうなりゆきだったからそれにしたがった」、と。
江戸時代や中世の村の寄り合いだって、まあそんなような感じで物事の相談が決まっていったのだろう。
だから、日本人は自分の意見を持たない、とよくいわれる。
それはつまり、正義か悪かの判断がうまくできないということであり、誰もが世界に対して「第三者=傍観者」の立場に立っている、ということである。自分が「世界の一部」だとは思っていない。
「空気を読む」といっても、誰もが当事者になることではなく、誰もが第三者の立場で当事者にはならない、ということかもしれない。正義か悪かで決めるのではなく、「なりゆき」で決める。
日本列島の住民は、正義か悪かという物差しを持たない、「なりゆき」が物差しである。
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   2・何が正義かなんてわからない
日本列島の住民は、誰もが「自分は孤立した存在としてこの世界と向き合っている」という思いをどこかしらに抱えている。いや、人間なら誰ってそうだろう。
ただ、この社会の制度性がその思いを覆い隠し、誰もがこの社会の一員として正義か悪かを判断しながら生きる存在にさせられてしまっている。
しかしそういう歴史が大陸では五千年か六千年あるのに、この国では千五百年か二千年しかない。
だから、この国では「公共心」というものが成熟していない。つまり、「自分はこの世界の一部である」という意識が希薄なのだ。そしてこのことは、原始的ではあるが、人間として間違っているということではない。
このような心性は、世界中の誰の中にもある、人間存在の実存的な感覚である。学問や芸術やスポーツは、このようなところから生まれてきた。学問や芸術やスポーツは、共同体のガス抜きの役割を果たしている。
いや、このさい学問や芸術やスポーツはどうでもいい。ここではいま、人と人の連携はどのようにして生まれてくるかと問うているのだ。
みんなが「自分は世界に一部である」という意識を持たずに「なりゆき」に任せるのも一つの連携だし、誰もが世界の一部として正義か悪かを問い合ってゆくこともまた近代的な連携のかたちではある。
ともあれ、人と人の連携の原始的で根源的なかたちを問うなら、正義か悪かという物差しはないはずである。
現代人はどうも、正義か悪かで人間の本性を語ろうとする。人と人は「鏡像関係」になることによって自我に目覚めて心(=愛とか欲望とか意思とか)を共有してゆくとか、身体と身体は「運動共鳴」して同じ動きを共有してゆくとか、まあおおよそこのような論理である。
しかしこれは、共同体の制度とともに生まれ育ってきた連携のかたちであって、原始的でも根源的でもない。そしてこの連携のかたちが現代社会ではすでに機能していないかといえば、そうではない。今だろうと昔だろうと、人間的な連携は、つまるところこの根源のかたちの上に成り立っているのだ。
ひとまず戦後の日本経済が奇跡的な成長を遂げたのも、よその国よりもそうした原始的根源的な連携のかたちを残していたからだろう。
なぜ日本人の集団はみんなが同じ方向を向くことができるかといえば、良くも悪くも、みんなが正義か悪かを問うことなくひとまず「なりゆき」に身を任せてしまうからだろう。
身体と身体は鏡像関係で共鳴してゆく、などということは大嘘なのだ。
他者の身体を前にすると、誰もが自分の体を消してしまおうとする原始的根源的な衝動がはたらく。おそらく日本的な連携はそういうところから起きてくる。みんなが「なりゆき=世界」に対して「傍観者=観察者」になってしまう社会だからだ。
そして原始人だって、誰もが自分を消して「なりゆき」に身をまかせながら連携し結束していったのだ。
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   3・気がついたら連携していたのだ
じつは、自分が世界の一部だと思っている馴れ馴れしい人よりも、この世界の外に立っている孤立した「傍観者」の方がずっと連携し結束してゆくことが上手なのである。
みんなが孤立した存在として「なりゆき」を共有し、「なりゆき」に反応してゆくことを「連携」というのだ。
いや、二人だけの状況においても、である。そういう「孤立」している人の方が信用できる場合が多い。
いちいち他者を説得しわかり合うというような手続きを踏んでいたら、スムーズの連携などできるはずがない。わかり合うまでもなく、指図を待つまでもなく、誰もが「なりゆき」を読んでみずから動いていった方がずっと効率的であるに決まっている。
自分がどう動くかは、他者の言葉や身体よりも、「なりゆき」が教えてくれる。みんなが同じ「なりゆき」のイメージを持っていれば、コミュニケーションも身体の「運動共鳴」も必要ない。
たぶんこれが、日本列島の伝統的な連携の流儀であり、人間の原始的根源的な連携のかたちなのだ。
一般的には、言葉によって人間的な連携が生まれてきたようにいわれているが、そうではない。言葉は人間的な連携の「結果」であって「原因」ではない。言い換えれば、人間的な連携を持っていなければ言葉なんか生まれてくるはずがない。そこのところを、多くの歴史家が誤解している。
原始人が石器のつくり方を子孫に伝えてゆくのも江戸時代の職人が大工仕事などの技術を弟子に教えるのも、いつもそばで見ていればいいだけで、言葉なんか必要なかった。
ネアンデルタールの集団が大型草食獣の群れを窪地や崖に追い込んで狩をすることにしても、いちいち言葉で指示していたら間に合わないのである。みんながそれぞれの持ち場で「なりゆき」に反応しながら動いていった。それは、たがいの身体が「運動共鳴」して同じを動きなんかしていられない状況だったのであり、誰が後ろから追うか、横から追うか、前で進路をふさぐか、等々、つねにそれぞれが違う動きをしなければならないし、しかもその状況はつねに流動的だった。そのとき自分がどう動くかは、他者の身体ではなく、「なりゆき」が教えてくれたのだ。
つまり彼らは、そういう連携プレーを身につけてゆくことによって、自分たちの発するさまざまな音声に意味が共有されていることに気づいていったのだ。それは、連携が生まれてきたことの「結果」なのである。
原始人は、連携しようと思ったのではない。ここが大事なところだ。人間はもともと現代人のような作為的な生き物ではなかった。
多くの歴史家はこういう。
原始人は協力しないと生きられない状況に置かれていたから、けんめいに協力の仕方を追求して言葉を生みだした、そして言葉によって協力の仕方が高度になっていった、と。
こういう論理は、ぜんぶ嘘だ。
ネアンデルタールの狩では、連携しようと思って連携していたのでは間に合わないのである。言葉で意思の疎通をしている時間の余裕も心の余裕もない状況からその集団の狩という連携が生まれてきたのだ。
連携の仕方は、「なりゆき」が教えてくれた。意思の疎通なんかほったらかして、誰もが勝手に「なりゆき」に身をまかせていった。
そのとき彼らが共有していたのは、その「なりゆき」そのものであって、連携しようとする意志ではなかった。
その狩りは、「手をつないでいる」余裕なんかないのである。誰もがこの世界の裂け目に立つ「孤立」した存在として、「なりゆき」を感じ「なりゆき」に反応していったのだ。
気がついたら連携していたのだ。
人間は連携しようとする生き物だから連携しなければならない、さあ連携しよう……などというのは支配者の論理である。人を支配して自分の意思で人を動かしたがる人間が、そういうことをいいたがる。しかし、連携しようとしてする連携など、たいしたことはないのである。
もっともダイナミックな連携は、気がついたら連携していた、というかたちで起こる。それが、連携の起源であり、究極のかたちなのだ。
だいいち、連携したことがない段階で、どうして連携が発想できよう。原理的にそういうことはあり得ないのだ。
連携しようとして連携が生まれてきたのではない。
気がついたら連携していたのだ。そしてなぜそういうことが起きたかといえば、そのとき誰もがこの世界の裂け目に立つ「孤立」した存在として「なりゆき」の「観察者」になり、「なりゆき」に「反応」していったからだ。
原始人は、そういう「なりゆき=状況」に「反応」していったのであって、「なりゆき=状況」をつくろうとしたのではない。
起源というのはいつだってそのように起きてくるのであって、人間が作為して起きてきたのではない。
そこのところで、ほとんどの歴史家は嘘をいっている。まあ、彼らのいうことを安直に信じることができるのなら僕の探求ももう少し楽になるのだが、いちいち自分で考えないといけないから、こうして書きざまももたもたしてしまう。
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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
よかったら。

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