口に出してはいえないこと・ネアンデルタール人と日本人・41


人間は言葉によって社会をつくっているのか。
まあ、一般的にはそういわれている。
彼らによると、言葉とは未来を構想するための道具なのだとか。
しかし、そうじゃないのだ。言葉は、「今ここ」から置き去りにされて存在している人間の、「今ここ」にたどり着こうとする切実な思いの表出なのだ。
人間は、根源的には、未来に向かって言葉=音声を発するのではない。「今ここ」から置き去りにされてあることの不安やいたたまれなさ、そしてそれゆえの「今ここ」の世界や他者に対するときめきから思わず言葉=音声を発してしまうのだ。
未来を構想することは、人間の自然でも本質でもない。
原始社会は、誰も未来の計画など立てなかった。誰もがみずからの人間としての自然にしたがって生きていた。誰もが、みずからの生をつくろうとするのではなく、みずからの生を追跡して暮らしていた。
意識は、「今ここ」に反応するというかたちで発生し「今ここ」を追跡してゆくはたらきである。意識は、「今ここ」の一瞬あとから「今ここ」を追跡し続けている。
飯を食うことは、食ったものの味を追跡する行為であって、食っている最中に食おうとする衝動が起きてくることは論理的にありえない。食ったものの味を追跡しようとする衝動が「食う」という行為を成り立たせているのであり、食おうとするから食うのではない。
根源的には、意識のはたらきにも身体のはたらきにも「未来」という時間は組み込まれていない。
人間の自然は、生をつくろうとするのではなく、生を追跡してゆくことにある。
人類が猿よりも大きな集団を運営できるようになっていったのは、リーダーがいなかったからであり、計画性など持たずに一人一人がその場その場のなりゆきで連携してゆける能力が育っていったからだ。
軍隊などでも、リーダーの統率で動けるのは150人が限度だといわれている。それ以上になれば、なりゆきでなんとなくうまく動いてゆく関係がなければ成り立たない。
人間は、なりゆきでなんとなくうまくやってゆける素養を持っているのだ。
原始人は、集団運営の方策など模索していなかった。そんなことはなりゆきでなんとなくうまく動いていたのだ。イワシやマグロや渡り鳥のように。
したがって原始社会に、集団運営のための法制度のような規則はとくになかった。
まあ、「暗黙の了解」のようなものがあっただけだ。それは、ことさら口に出していうようなことではなかったが、誰もが共有していた。それはもう、言葉を持たなかった時代から共有されていたことだから、口に出す必要も、口に出そうとする意欲もなかった。
「暗黙の了解」で動いてゆくのが人間の集団運営の基礎である。すでに共有している「暗黙の了解」で動いてゆくのが人間の集団であり、根源的には集団運営の方策を新しくつくり出そうとするような衝動は持っていない。そんな計画性が人間の集団運営の能力を発達させたのでなければ、文化のイノベーションをもたらしたのでもない。
人間としての自然状態において先験的にそなえている集団性というものがある。そしてそれは、言葉を持つようになっても口に出されることはなかった。口に出す必要がなかったし、口に出そうとする衝動も起きなかった。
人間はたしかに言葉を話す存在ではあるが、人間の歴史には口に出さないまま「暗黙の了解」として引き継がれてきたものがたくさんある。それは、集団運営の方策だけのことではない。人間には、口に出す気にならないことがたくさんあるのだ。言葉だけが人間であることの証しではないし、言葉が持っている「意味の伝達」という効用だけで人間の文化が進化発展してきたのではない。
むしろ、言葉にしないことの中にこそより根源的な人間存在の証しがあるわけで、そこにこそ人間の文化を進化発展させた契機が潜んでいる。
「意味の伝達」の機能でこうしろああしろと指図するのではなく、無意味なおしゃべりを交わしながらうまく機能してゆく人と人の関係もあるではないか。それはまあ、ワンランク上の人と人の関係であると同時に、根源的な関係でもある。
いいかえれば、現代社会は、「意味の伝達」という言葉の効用にもたれすぎて、人間性の根源=自然の上に成り立った関係が衰弱してきている。



言葉の上に人間存在や人間社会が成り立っている、などと軽々しくいってもらいたくない。言葉にできないことはたくさんある。
まあ人間は、言葉だけではすまない存在だから、絵を描いたり音楽に親しんだりするのだろう。言葉は、絵や音楽と同様に、言葉にならないものを探求する道具になりうるが、言葉が人間性をつくっているのではない。人間性が言葉をつくっているだけのこと。
「はじめに言葉ありき」と、かんたんにいってもらっては困る。このフレーズが文明社会にまき散らした害毒は計り知れないものがあるのかもしれない。このフレーズによって、言葉が人間性をつくっているという倒錯した思考が蔓延してしまっている。このフレーズを踏襲するのはかんたんだし、このフレーズは便利だ。言葉が人間性を決定しているといえば、言葉という証拠によって人間性をぜんぶ解き明かせることになる。
しかし、言葉として浮かび上がってこなかった人間性の歴史もたしかにあるのだ。
言葉を持たないまま培ってきた人間性の歴史はあるし、言葉がなくても機能することができた人間性なら、あらためて言葉として浮かび上がらせる必要もない。そういう人間性も、われわれの心の底にはたくさん潜んでいるのだ。
日本列島の職人の技術は、言葉の関係の外で伝承されてきた。見よう見まねとか、技を盗むとか、そしてそこでの師匠と弟子の信頼関係もあった。
言葉にできる人間性もあれば、できない人間性もある。
たとえば人間は、したくないとかしてはいけないということを自覚的に持っている。猿でもそういう行動様式思考様式は持っているが、人間のように「自覚的」ではない。
人間の歴史には、あえて言葉にしてこなかったものがたくさんあるのだ。
原始人は、言葉によって集団運営をしていたのではない。言葉以前のレベルですでに集団になっていたのだ。
たとえば一般的には、言葉がなければ集団的な狩りはできない、などというのだが、こんなのは大嘘だ。狩りの最中はもう、指示を待っている暇などない、誰もが自分で判断するしかない。言葉など交わしている余裕はないのだ。そして狩りの全体的なコンセプトはだれもが狩りに参加しながら自分で覚えてゆくのだし、それは狩りをしながら自然につくられていったコンセプトなのだ。
狩りをしている最中の緊急事態においては、「こうしろ」と指図するよりも「がんばれ」と声をかけるだけの方がずっと有効な場面はいくらでもある。もっと早く動けと命令されるより、「がんばれ」という声を聞いて湧いてくるみんなと一緒に戦っているのだという思いの方がずっと体が早く動くためのきっかけになりうる。
彼らは、言葉の意味で狩りのコンセプトをつくっていったのではない。人間としての本能的な連携の衝動の上に集団が成り立っていた。
ネアンデルタール人が言葉を持っていたとしても、それは言葉の意味の問題ではない。言葉という音声を交わし合うことの醍醐味があったのだ。
言葉はまず感慨の表出として生まれ育ってきたのであって、原始時代は、現代のような意味の伝達一辺倒の使い方ではなかった。



身体性は、言葉の問題として説明してしまうことはできない。言葉にできない身体性というものがある。
原始人の集団は、言葉以前の身体性の上に成り立っていた。
彼らは、言葉によって連携していたのではない。ときめき合うことが彼らの連携だった。
それはつまり、この身体は他者の身体とのどのような関係性の上に成り立っているか、という問題なのだ。
人間の二本の足で立つ姿勢は、他者の身体とのあいだに「空間=すきま」をつくるための姿勢であり、そういう関係を持つことによってこの姿勢を安定させることができる。「空間=すきま」を挟んで向きっていることによって安定する、これが基本だ。
日本列島の昔の職人が言葉で技術を伝えようとしなかったのも、弟子の人格や技術が言葉に囲い込まれて新しい展開を失ってしまうということもあった。言葉を離れて見ているだけの関係の方が弟子の集中力が増すし、新しい展開を生みだす余地も持てる。
言葉の枠にはめて師匠の雛型のような弟子をつくってもしょうがない。そんなことをしているうちに技術が停滞し、ときには衰退していったりする。
人と人は、対称的な関係にあるのではない。弟子は、師匠に足りないものを見つけ出し、それを工夫してゆかないといけない。
言葉による意味の伝達の機能は人と人を対称的な関係にすることができるが、それだけが人と人の関係の本質でも理想でもない。
笛を吹く人と太鼓を叩く人がいる。両者は全く違う行為をしているが、連携しながらひとつの音楽を奏でている。たがいに違うことをしてゆくのが人間的な連携の作法なのだ。
向き合って立っていて、たがいの身体の「空間=すきま」を一定に保つためには、相手が前屈みになれば、こちらは背を反らしてゆく。同じことをしていたらぶつかってしまう。相手が右手の方に動けば、こちらは左手の方に動く。それで、向き合った関係が保たれる。道を歩いていて人とぶつかりそうになったら、よけようとする。そういう関係性が発達して、笛を吹くことと太鼓を叩くことの役割分担が生まれてきたわけだし、相手が泣いていればこちらには慰める役割が発生するという関係にもなってきた。死にそうな人がいれば介護をしてやるということだって、役割分担の連携である。
連携という非対称性、非対称性の連携。
ハイエナやオオカミは、獲物を挟み撃ちにする。これも非対称性の連携であり、彼らの集団性のたまものだ。
連携とは、同じ行動をすることではない。人間は、「二本の足で立って向き合う」という関係性を持ったことによって、非対称性の連携の意識が特化していった。
そして男と女という非対称の関係性が特化して一年中発情している生き物にもなっていった。
集団の中でみんながちょうどいい按配の「空間=すきま」を保ち合うためには、それぞれが違う動きをして調節してゆかないといけない。それはもう、一人ひとりが自分で判断してゆくしかないし、自分の体に聞くしかないことである。自分の体が落ち着くところが、ちょうどいい按配の「空間=すきま」なのだ。
二本の足で立ち上がった原初の人類は、猿よりもずっとたがいの身体のあいだの「空間=すきま」を気にする存在になっていった。そうしてみんなで木の実の森や水飲み場に移動してゆくときだけでなく、休んでいるときも寝るときも、一日中他者の身体とのあいだの「空間=すきま」を按配していかなければならなかった。で、とうとうそういうことを一日中無意識のうちにしている生き物になり、他者と違う動きをしながら連携してゆくという関係性が発達していった。
まあ、イワシの群れだって、最前列が右に旋回すれば、それについてゆく最後尾は左に動いていかなければならない。これが連携という関係性の基礎であり、そういうことは意識ではなく、無意識のうちに体が反応していることである。
われわれの連携や集団性の作法は、身体=無意識としてそなわっている。だから言葉を持たない初期の人類でもそれができたし、言葉を持ったからといってそれを口にする必要もなかった。
言葉が人間の集団性=連携の作法をつくったのではない。それは、言葉以前の先験的にそなわっているものだった。そして言葉だって、意味以前の音声そのものを交わし合うことの醍醐味の上に成り立っていった。
人類の歴史は、文明社会になっても、その集団性=連携の作法が根源的であればあるほど、口に出していうことをしてこなかった。現在、そのために歴史の闇に消えてしまった伝統的な集団性=連携の作法がたくさんあるのかもしれない。人類全体の歴史においても、この国独自の歴史においても。
意味を伝達することよりも、無意味なおしゃべりの方がずっと高度な連携になるし、根源的でもあるのだ。



意識にとって「今ここ」に存在するのは、「自己」と「世界(他者)」である。そして意識は、「自己」と「世界(他者)」の両方を同時に意識することはできない。
現象学を借りていえば、意識はつねに何かについての意識である。
他者と抱き合えば、他者の体ばかり感じて自分の体に対する意識は消えている。机の表面を指先でなぞれば、机の表面の質感ばかり感じて、指先の感覚は消えている。意識は、そのようにして「世界(他者)」を認識する。
意識にとって「今ここ」には、「自己」か「世界(他者)」かのどちらかしか存在しない。主観的には、両方の存在を同時に認識するということはないのである。どちらかしか存在しない。「世界(他者)」を認識することは「自己」の存在を忘れている状態であり、「自己」を認識することは「世界(他者)」の存在を忘れている状態である。
二本の足で立っている人間は、自分の身体に対する居心地の悪さを抱えて存在している。そして氷河期の北ヨーロッパで暮らしていたネアンデルタール人は、身体の居心地の悪さの上に、自分が生きてあるということ自体に居心地の悪さ(=幻滅)を感じてそれを忘れたがっていた。彼らにとって意識が「世界(他者)」に憑依してゆくことは、この生やこの身体の居心地の悪さを忘れてゆく体験でもあった。彼らは、そういう「フェードアウト」の作法で文化を育ててきた。
つまり、彼らにとって「今ここ」に憑依してゆくことは、この生やこの身体を忘れて「世界(他者)」に憑依してゆく体験だった。彼らは、この生やこの身体に対する居心地の悪さのぶんだけ、現代人よりもずっと深く豊かに「世界(他者)」を認識していた。
意識は、自我によって「世界(他者)」を認識するのではない。自我をフェードアウトさせながら「世界(他者)」を認識してゆくのだ。自我をフェードアウトさせてゆくことは、より豊かに「世界(他者)」を認識してゆく体験であり、そうやって知性や感性が育ってくる。
自我をフェードアウトさせてゆく心の豊かなはたらきというものがある。それはけっして意識がぼんやりしてゆくことではない。そのときこそより豊かに「世界(他者)」に向かってはたらいている。
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