「漂泊論」67・「弱いもの」であること

きっと現在は、普通の人が生きにくい世の中になっているのだろう。
どうしてわれわれが、よりによって、内田樹とか上野千鶴子とか勝間和代とか、あんなへんてこりんな人間たちと同じ人種にならないといけないのか。
人間が生きてあることのほんらいのかたちは、あの連中がいうようなことではあるまい。
この「漂泊論」は、普通の人間が普通に生きてあるかたちを問う旅でもある。
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   1・「かなし」という喪失感
人間が旅をすることの基本は「身体の孤立性」にある。そしてここから人間的な連携が生まれ、文化や文明が発達してきた。
旅は「別れ」としてはじまる。「別れ」とは、たがいの身体の「孤立性」をあらためて深く思い知る体験である。そして人間は、この体験を止揚する存在だから、旅という習性を持っているのだ。
誰もが、いずれは死というかたちで旅立ってゆく。人間は、そのことを自覚している。
ものを失うことだって、ひとつの「別れ」である。われわれはそういうそういう大小さまざまな「喪失感」を体験しながら生きている。ある哲学者はこれを「小さな死」といった。
人間は、記憶力が旺盛な生き物だから、いろんな過去を記憶してしまう。記憶してしまうが、もう過去には戻れない。そういう「時間」に対する喪失感も深い。
生きることは「喪失感=別れ」を紡いでゆくことだ。
古代人は、この「喪失感」を「かなし」といった。それは、かなしみであると同時にひとつのときめきでもあった。「愛惜」などともいう。
「かなし」という言葉は、おもに、人を好きなることや、かわいい子供や花を見るときの感慨の表出として使われた。好きな人や子供や花がどんなさまをしているかということの説明ではない。あくまで、そういう対象に対する「感慨の表出」である。
人は、好きな相手や子供や花が「いまここ」だけの対象であることを知っている。それらの対象と出会った瞬間に、それらの対象との「別れ」を体験している。その出会いにときめきながら、別れをかなしんでいる。そういう感慨を「かなし」という。
人間は「身体の孤立性」を自覚している存在である。そんな無意識的な心の動きとしての「別れ」に対するかなしみとときめきが、「かなし」という言葉を生みだした。古代人にとっては、かなしみそのものがときめきだった。
まあわれわれ現代人だって、泣ける話が好きだ。それはもう、人間の普遍性であるにちがいない。
したがって、古代の「かなし」はポジティブな愛着やときめきをあらわす言葉だった、というだけでは説明になっていない。かなしみを含む言葉だったから、かなしみという意味になってきたのだし、むしろかなしみのニュアンスの方が濃かったから、かなしみをあらわす言葉として限定されてきたのだ。
それはすなわち「別れ」のかなしみである。生きてあることの心の底には、そういう感慨が疼いている。だから人は旅をする。
存在の孤立性とは、まあ「喪失感」のことである。われわれは、自分や自分の身体の物性を忘れ(喪失し)ながら生きている。その喪失は、かなしみであると同時にときめき(カタルシス)でもある。そのような生きてあるという実感のこころもとなさは、そのまま自分や身体を忘れて世界に気づきときめいてゆくというカタルシスでもある。
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   2・人間は、猿よりも弱い猿である
古代人は、喪失感がそのままときめきでもあるような心の動きをしていた。そこから「かなし」という言葉が生まれてきた。
それは、死という「別れ=喪失」と和解している心であり、「身体の孤立性」をちゃんと持っていたということでもある。日本列島の言葉をはじめとする伝統文化は、「身体の孤立性」から生まれ育ってきた。
生きることは、身体の物性(=存在)を忘れるいとなみである。その喪失感とときめきが、この生を成り立たせている。
身体も物質であるから人間もこの世界の現実の一部である、といっている人がいる。そんなことをいっても、それが客観的な事実であっても、それでもわれわれは、身体の物性を忘れるという主観性を生きているのであり、そこにおいてこそ生きてあることのカタルシスが体験されているのだ。
そんな科学者の半端な先入観だけで哲学を語るべきではない。
生きてあることは、何かを喪失していることだ。まあ単純にいえば、われわれは胎内の平安を喪失してこの世界にあらわれ出てきてしまったのであり、その喪失感は、胎内回帰をイメージすることによって解決されるのではなく、喪失感それ自体と和解し、喪失感がときめきになりカタルシスになることによって解決される。まあ古代人はそういう解決の仕方をしていて、いまどきの現代人は胎内回帰を目指しているのかもしれない。
「無」ということがすべての基本であるのなら、この生やこの世界の「ある」という状態の中に置かれてあることは、「無」を喪失している状態だともいえる。生まれる前と死んだあとがあたりまえの状態だとすれば、生きてある現在は、あたりまえを喪失した非常事態であるともいえる。
生きてあることの、何かを喪失しているようなこのいたたまれなさがどこからくるのか……そのような感慨が、おそらく誰の心の底にも疼いているのだ。
われわれは、何かをあきらめないと生きていられない。そして、何かをあきらめて死んでゆく。
生きてあることは、何かをあきらめてある事態なのだ。だから人は、あきらめることを捨ててみずから死を選ぶ。それは、何かを選びとる行為にちがいない。
みんなしょうがなく生きているだけじゃないか……というような感慨が日本列島の古代人にはあった。おそらくこれがこの国の伝統的な無常観のかたちなのだ。ここから「かなし」という言葉が生まれ、「あはれ」とか「はかなし」とか「わび」とか「さび」などの美意識が育ってきた。
日本列島の住民は、そういう感慨を携えて連携してきた。
みんなしょうがなく生きているだけの「弱いもの」だから、たがいに自分を捨てて助け合ってゆくことができる。
誰もが生きてあることが大事だと執着しているのなら、その連携にも限界がある。
古代人は、生きてあることの「嘆き」を共有していた。彼らは、そこで連携していた。そこに、日本的な連携の伝統がある。
誰もが「しょうがなく生きている」という「嘆き」を共有しているところで、もっとも深く高度な連携が生まれてくる。
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   3・ネアンデルタールの嘆き
ネアンデルタールだって、おそらくそのようにして連携していた。ろくな文明をもたない原始人が氷河期の北ヨーロッパに住み着いてゆくのは、誰もが死と和解していなければできることではない。死と和解していたから、死をもいとわないファイティングスピリットと連携で、マンモスなどの狩をすることができた。
象が怒ったら、ライオンだって踏み潰されてしまうのである。だったら、象よりも大きなマンモスを原始人が狩をしようとすれば、無傷でいられるはずがない。それでも彼らがその狩りに挑んでゆくことができたのは、死と和解していたからであり、それによって高度な連携をつくることができたからだ。
死と和解していたとは、自分を忘れてその行為にのめり込んでゆくことができた、ということだ。自分を捨てることができた、と言い換えてもよい。
彼らは、誰もが自分が生き延びようとする欲望を忘れて仲間を助けることができた。そうやってみんなが助け合って高度な連携プレーになっていった。
ネアンデルタールは、誰もが「弱いもの」として存在していた。そういう存在として助け合っていなければ生きていられない環境だったし、そういう連携のカタルシスが、彼らをその極寒の地に住まわせた。
氷河期の極北の地という厳しい環境のもとでは、誰もが「弱いもの」であるほかなく、生き延びるという目的など持ちようがなかった。生き延びるためなら、南の温暖な地に移住してゆく。
そのとき誰もがこの生を嘆いている「弱いもの」だった。
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   4・ともあれ民衆は「嘆き」を共有して連携してゆく
弱いものは弱いもが助ける。これは、歴史の法則である。
この生を嘆いている弱いものどうしが助け合うところに、もっとも高度な連携がある。
現在のアメリカは、誰にでもアメリカンドリームのチャンスがあるというスローガンのもとに、弱いものどうしを競争させる社会になっている。そうして、競争に負けたさらに弱いものは、アメリカンドリームの成功者が慈善事業として面倒を見る。その結果どうなっているかといえば、街にはホームレスなどの困窮者があふれかえって、何も問題は解決されていない。
弱いものどうしが助け合うという文化を持っていなければ、そうなるに決まっている。
人間的な高度な連携は、生きてあることの「嘆き」を共有したところから生まれてくる。弱いものを助けるのは、いつだって弱いものなのだ。古代の乞食に食い物を与えていたのは、下層の庶民たちだった。
江戸時代の農民たちは、「みんなで貧乏しよう」という合言葉で連携していった。それがいいことか悪いことかはともかく、それが人間的な連携の基本的なかたちなのだ。
いや、「生物多様性」の基本的なコンセプトは「共存共貧」というかたちになっている、という説もある。これは、生き物が生きてあることの普遍的なかたちなのだ。
サッカースタジアムの窮屈なスタンドに10万人がひしめき合っていることだって、まあ「みんなで貧乏しよう」というコンセプトだろう。そしてそこでいちばん盛り上がっているのは、観戦にはいちばん条件の悪いゴール裏のサポーター席のファンたちなのである。
生きてあることの「嘆き」を共有しながら、人と人は連携してゆく。
言い換えれば、民衆を支配するためにもっとも有効な方法は「嘆き」を共有させることであり、嘆きを共有している民衆はかんたんに支配されてしまう、ということだ。
第二次大戦前夜のドイツの民衆とナチスヒットラーとの関係は、その典型かもしれない。当時のドイツは、アメリカ・イギリス・フランス等の連合国によって徹底的に追いつめられ、民衆の生活は窮乏をきわめていた。ヒットラー政権を誕生させた元凶は連合国の正義ぶったエゴイズムにあった、ともいえる。
そして日本列島の住民もまた、「嘆き」を共有していることによって、とても支配されやすい民衆であるのだろう。
われわれは、戦後のアメリカによる占領統治にあっさりと従い、「ギブ・ミー・チョコレート」となついていったのだ。
と同時に、阪神淡路や北日本の大震災のときは、その「嘆き」を共有しながら、よその国が真似できないような民衆どうしの連携をつくっていった。
やまとことばは、「嘆き」を共有している言葉である。
日本語は、感情的に人と人を結びつけてしまうために、ファシズムの餌食になりやすい。しかし、感情的に結びつくから、高度でタイトな連携も生まれてくる。
日本列島の住民は、思想や倫理道徳では連携しない。
大衆を支配し結束させるためのもっとも有効な方法は、思想や倫理道徳ではなく、「嘆き(悲しみ)」を共有させることにある。このことをヒットラーはよく知っていたし、現代の広告マンや企業家や政治家たちだって、有能なものたちはみな多かれ少なかれファシストの性向をそなえているのだろう。
われわれは、ファシストにしてやられやすい民族なのだ。たぶん、日本語が、そういう構造を持っている。しかしそれがおそらく戦後復興のダイナミズムになったのだろうし、同時にそれによって現在の、年間の自殺者が3万人以上という病理を引き起こしてもいる。
つまり、それほどに弱いものが追いつめられてしまう社会になっている。
もともと弱いものどうしが「嘆き」を共有して連携してゆく社会であったのに、アメリカの真似をして弱いものどうしが競争し、正義という倫理道徳で支配し合う社会になってしまっている。
「正義」も「倫理」も「道徳」も、どうでもいいのだ。そういう言葉を振りかざすから、弱いものが追いつめられねばならない。そういう言葉を振りかざすものたちの人助けなど何の解決にもならないことは、貧窮者があふれる現在のアメリカが証明している。
ひとまず誰もが「弱いもの」になって連携してゆくところに人間社会の基本的なかたちがある。それはとても危ういことだが、その危うさこそが、人間だけでなく生き物の生のかたちなのだ。
そして「弱いもの」になるとは、単純に貧乏になるとか、僕はそういうことがいいたいのではない。それは、「この世界の孤立した観察者になる」ということだ。そういう嘆きや驚きやときめきがなければ生きてあることのカタルシスは生まれてこない、といいたいのだ。
人間はみな、世界や他者と別れそして出会い続けている「漂泊者」ではないか。
「共生している」などといっちゃいけない。
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