山の姿と美意識・ネアンデルタール人と日本人・61


自分を捨てて世界や他者に寄り添ってゆく……そういう心で日本人は山の姿をありがたいと思ってきた。
石川啄木は「故郷の山に向かひていふことなし 故郷の山はありがたきかな」と詠った。
この「ありがたい」という思いは、どこからくるのだろう。
いろいろあるのだろうが、山が壁になってその向こうを見えなくさせてくれている、ということもあるのかもしれない。その向こうはもう何もない、という心地にさせてくれる。山の稜線が、この世界の果てのように見える。山の美しさは、稜線にある。だから、富士山は美しい。
山の稜線がこの世界の果てのように見えるということは、この世界はもうそこで完結しているということであり、そのとき人は、「今ここ」がこの生この世界のすべてだという感慨に浸される。
もし山の向こうのものをあれこれ思い描いているのなら、山の姿なんか美しくもなんともない。山のことなんか忘れている。
しかし日本人は、山の稜線にこの世界の果てを見て、その向こうのことなんか思いようがない、という心地になってゆく。
山の向こうを思わない心、それは、神の世界や死後の世界を思わない心である。人間にはそうやって「今ここ」に浸されてしまう心があり、浸されていることのカタルシスがある。それが、山の美しさになっている。
日本人が山の姿をありがたいと思う歴史の無意識を持っているということは、日本人はもともと神も死後の世界も知らない民族だったということを意味する。
山は神が下りてくる場所であるとか山の中には神が棲んでいるというようなことは、べつに縄文以来の伝統だというようなことではなく、後世に語られるようになってきた物語である。
まあ、神のことなどよくわからないまま「神が下りてくる」といっているのであり、「神が棲んでいる」ということは、山は神ではないといっているのと同じである。いずれにせよ、そんなことをいいながら人は、神ではなく山のありがたさを思っている。
はじめに「ありがたい」という気持ちがあり、その気持ちを表現するのに「神」という言葉をつかっているにすぎない。神がどのようなものかよく知らないし、どのようなものであってもよい。
「ありがたい」という感慨こそが日本人の歴史的な無意識なのだ。
そして、山の姿をありがたいと思うことは、山の向こうの神のことなどよく知らないということでもある。いいかえれば、山の向こうが神の国で山に神が下りてくるということは、山を前にすると山の向こうのことなんか何も思っていないということでもある。山の向こうにはもうひとつの世界が広がっていてそこに知らない人々が住んでいるということはちゃんと知っているのに、それでも山の向こうはもう神の国でこの世とはなんの関係もないと思う。それくらい山の稜線に「この世の果て」を見ている。
「やま」の「や」は「ヤッホー」の「や」、「遠い」というようなニュアンス。
「ま」は「まったり」「まるい」の「ま」、「完結」の語義。
人は「やま」を眺めながら、世界はもうあの稜線で完結しているという感慨に浸される。



この生は「今ここ」で完結している……ああもう死んでもいい……というさっぱりした気持になること、それを「みそぎ」という。
山は、神道の根本が「みそぎ」にあることの象徴である。
古代の神道では「死んだら何もない黄泉の国に行く」といった。それは、死んで天国や極楽浄土に行くことを思うよりも、「もう死んでもいい」というさっぱりした気持(=みそぎ)の方が大切だったということを意味する。
「みそぎ」こそ、神道の根本なのだ。それはべつに教義というほどのことではない。気分=感慨の問題、もう死んでもいいと思えるほどのさっぱりして気分が大切であり、そういう気分に浸りながら山に手を合わせる。山に神が下りてくるとかということは大した問題ではない、「もう死んでもいい」という「みそぎ」の気分こそが大切であり、山を「ありがたい」と思うことの方が大切なのだ。
山をありがたいと思えば、神のことを忘れている。というか、神を知らない心が山をありがたいと思う。これが縄文人の心であり、縄文人が神も霊魂も知らなかったという状況証拠はいくらでもある。縄文学者が呪術などを前提に火焔土器土偶や埋葬のことを語っているのは、彼らがそういう先入観でそう解釈しているというだけのことで、それがアニミズムの物的証拠だという根拠などじつはないのである。
日本列島にアニミズムの伝統があったら、日本人はこんなにも山のことをありがたいとは思わない。
山が神だと思っているのではない。山は神を迎える場所だと思っているのであり、神よりも山の姿の方がありがたいのだ。
神の存在を信じていたら、「みそぎ」という作法は生まれてこないし、「黄泉の国」などともいわない。
日本人が神の存在を信じる民族であるのなら、山を神だと思うか、山のことなど忘れて山の向こうの神に思いをはせる心になっていなければならない。
日本人は、この世界の果てとしての山の稜線に対する深い思い入れがある。
たたなづく 青垣山籠れる 大和し美(うるわ)し
これは古事記の中の有名な一節だが、奈良盆地の山に対する賛歌である。
「青垣山籠れる」とは、「青い垣根として山が連なっている」というようなことだろうか。で、この「たたなづく」という枕詞を一般的には「山が連なっている」というような意味に解釈されているのだが、これは違う。古代人だって、そんな蛇足のような言葉の使い方はしない。「たた」は「ただもう」というようなこと。「なづく」は「なつく」、すなわち「愛着する」ということ。「たたなづく」とは、「ひとえに愛着してやまない」という感慨の表出の言葉であり、ただ山の美しさを表現している以上に、どうしようもなく山のありがたさが胸にこみ上げてくる感慨を詠っている。
私はもうひとえに愛着してやまない、青い垣根のように山が連なっている大和はなんと美しいことか……心はもう、「いまここ」の山に対する感慨で完結してしまっている。
この「みそぎ」感覚はおそらく縄文時代以来のもので、日本人は「今ここ」の外を思うことは「けがれ」だという意識がある。まあ時代とともに「今ここ」の外の神や仏を思うようにもなっていったのだが、神道が山を神の依り代にしていったことは、意識が「今ここ」で完結してゆく「みそぎ」の感覚を守ろうとする無意識だったはずである。



日本人が山は神を迎える場所であるというとき、山をありがたいと思う心を表現するために神という言葉をつかっているだけで、神がなんであるかということはじつはよくわかっていないし、神はなんであってもよい。神は、山のありがたさを表現するためのたんなる言葉にすぎない。神がありがたいのではない、山の姿がありがたいのだ。
「ありがたい」と思うことが大切なのであって、神が大切なのではない。神とは、「ありがたい」と思うことの比喩にすぎない。
「ありがたい」と思うことは、自分が消えてゆく感覚である。そして自分が消えてしまえば、自分の創造主である神もまた消えている。そうしてそこには山の姿だけがある。人は、このようにして他者のことを思っている。たとえば、他者の体を抱きしめれば、自分の体に対する意識が消えて他者の体ばかり感じている。机の表面を指先でなぞれば、机の表面ばかり感じて、指先の感覚は消えている。人が何かを考えたり思ったりすることは、自分が消えてゆくことであり、自分が消えてゆくことのカタルシスがある。
自分が消えてゆくことは、「死ぬ」ということだ。命は、命を自己否定するようにしてはたらいている。命が消えてゆくときこそ、もっともいきいきと命がはたらいている。
だから人は、死ぬことを怖がる。死んでゆくときにこそ、もっともたしかに生きることと向き合っている。死後の世界や生まれ変わりのことを思っているのではない。死後の世界や生まれ変わりのことばかり思うようになるのは可能だろうが、人の心はもともとそのようにはできていない。
とくに日本人は、目の前の山の姿のありがたさばかり思って、山の向こうすなわち死後の世界や生まれ変わりに思いをはせることをしない作法で歴史を歩んできた。「今ここ」に消えてゆく「みそぎ」を作法とする歴史の無意識をすでに持ってしまっている。
自分が消えて他者の存在のありがたさばかりを思ってしまう。これはまあ、原始人の感覚である。ネアンデルタール人縄文人は、この感覚で人と人の関係を結んでいた。「ありがたさ」の感覚とは、自分が消えてゆく感覚のこと。これはべつに道徳でもなんでもなんでもない。意識はそのようなかたちでいきいきとはたらくというだけのことであり、知性や感性の基礎的なかたちの問題である。
神道の「みそぎ」は、原始人の生きてあるかたちをそのまま洗練させた作法であり、人間性の基礎の問題である。



どう考えても原始人に精霊信仰(アニミズム)があったとは思えないし、そのかたちを受け継いでいる日本列島の文化の伝統の基礎に神に対する信仰があるとは思えない。
仏教伝来以前の日本列島に神という概念は存在しなかった。
日本人は、山が神だという信仰は持っていない。山は神が下りてくる依り代であり、神を迎える場所なのだ。大切なのは「神を迎える心」であり、神の存在を実感することではない。神の存在を実感する心を持っていない。日本人の生態に、神の存在を実感している根拠はない。
神道はこの1500年のあいだずっと「神を迎える」ことばかり繰り返してきて、神の存在はつねに「たてまえ」にすぎなかった。
まあ「たてまえ」ということがたくさんある社会である。それは、神の存在を実感していないくせに「神を迎える」ことばかりしてきた社会だからだろう。
神よりも、山の姿そのものを「ありがたい」と思っている。そういう思い方をしてしまったらもう、目の前にないものを「ある」と思うような神の存在を実感する観念性はもてない。
これは、「三角関係」の問題だろうか。
氷河期明けの人類は、排除すべき第三者としての異民族を意識することによって共同体の結束をつくってきた。そうして神もまた、共同体の外の崇拝すべき第三者としてイメージされていった。そうやって、目の前にないものを「ある」と思う観念性が肥大化していった。
しかし絶海の孤島であった日本列島は、排除すべき第三者としての異民族を知らない歴史を歩んできた。
弥生時代に大陸との交易がはじまったといっても、それは排除すべき相手ではなかった。つまりその相手は「第三者」ではなく、あくまでも目の前に存在する「他者」であった。
排除するべき第三者を知らないから、その存在を実感しつつ崇拝してゆく第三者としての「神」も知らなかった。
そういう民族が、仏教伝来によって目の前に存在しない第三者としての仏や神を「ある」と信じなければならない状況がやってきた。人々は、そのような観念制度をけんめいに受け入れようとしていった。それはもう、新し物好きで外来文化にすぐ飛びついてゆく民族の本能のようなものだった。
そうして、神を知らないものが神を思う「神を迎える」という作法が見出されていった。神の存在を実感することはできないが、「神を思う」ことはできる。
というわけで、日本人が山の姿を眺めて「ありがたい」と思う心は、神とは関係ない。そこに神の存在を実感しているのではない。
ただもう山の姿が「ありがたい」のだ。
「ありがたい」とは、「みそぎ」の消失感覚。みずからの存在が消えてゆく心地の中でみずからの存在の造物主である神を実感することは原理的に不可能である。それは、神の神たるゆえんを否定している心地なのだから。
そしてこの「みそぎ」の消失感覚は、縄文時代から現在まで続いている日本列島の歴史風土の基礎になっている。
それは、原理的に神の存在を実感できない感覚なのだ。神の存在を実感できないからこそ、山の姿を「ありがたい」と思うことができる。



日本列島は、見えない神を「ある」と実感してゆくのではなく、ただもう直截に、目の前に見えるものの「姿」に反応してゆく風土なのだ。
「姿」とは「輪郭」である。なぜ「輪郭」に敏感かといえば、その向こうの「ない」ものを「ない」と感じる心の動きが豊かだからだ。
たとえば日本画の桜の木は、模様のように花のひとつひとつをびっしり描き込んであることが多い。西洋画は、こんな描き方をしない。花びらのかたちなどほとんど無視して全体のボリューム感を描写してゆく。しかし日本人は、花のひとつひとつの「輪郭=姿」がどうしても気になってしまう。
「輪郭」が気になるということは、その外側の「ない」を意識しているということである。その「ない=空間」がなければ、消失感覚も体験できない。消失感覚とは、「ない=空間」に気づいてゆくことでもある。
日本人は「ない=空間」をとても意識している。それが消失感覚であり、「あはれ」や「はかなし」の美意識である。だから、目の前に「ない」神を「ある」と思うことはできない。
「輪郭=姿」の美意識は、それ自体の存在感やボリューム感にこだわらない。それは、そこに何が宿っているかということにこだわらない、ということである。すなわち、木を見て「木に霊魂が宿っている」などとは思わない、ということだ。あくまで木の「輪郭=姿」が気になる。その中に宿っている「霊魂」よりも、その外の「ない=空間」が気になる。とにかくそれが、日本的な美意識なのだ。
日本列島は、神や霊魂という概念が自然発生的に生まれ育ってくるような風土にはなっていない。
かんたんに「縄文人や古代人は霊魂や生まれ変わりを信じていた」などといってもらっては困る。
日本人は、山の姿を美しいともありがたいとも思うが、山に神や霊魂が宿っているとは思っていない。山の本体(肉体)よりも、山の「輪郭=姿」を眺めているのだ。
そういう美意識を生きるためには、仏教だけでなく神道も宗教のようなかたちにしないわけにはいかなかった。そのせいでただのお祭りの習俗にすぎなかった神道もいろいろややこしい体裁になってきたのではあるが、基本は、神も霊魂も知らない民族の「みそぎ」の消失感覚であり美意識である。そして日本人の世界観や生命観は、仏教とはちょっと違っていた。
古文書には、そのとき仏教によって疫病の流行がおさまったなどと書いてあるらしいが、そんなこと以前に、人々の生きてある命の感覚が歴史という時間とかかわってゆくのだろう。
まあ古代人や縄文人がどんな思いで山を眺めていたかということは、安直に神だの霊魂だのという言葉ではかたづけられない。
彼らが山の向こうは何もないと思っていたのであれば、とうぜん海の水平線の向こうだって何もないわけで、だからこの生の向こうの死後の世界も何もない黄泉の国があるだけだという話になってくる。それはつまり、仏教伝来以前は神も霊魂も知らなかったということだ。そういう「向こう側は何も思わない」ということこそ、神道のもっとも基本的なコンセプトである「遠慮する」という心の動きではないだろうか。
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