「遠慮する」ということ・ネアンデルタール人と日本人・60


この国の「遠慮する」という作法はなかなか難しいものがあって、それを上手に表現するのは誰にでもできることではない。
まあ、お育ちの問題であると同時に、歴史的な無意識の問題でもある。
京都では、訪問した先で「あがってお茶漬けでも召しあがっていってください」と言われたらひとまず遠慮して断るのが礼儀だ、断らないと礼儀知らずだと軽蔑される、という話は有名である。
だから京都の人はいやらしい、などいってもしょうがない。これはもう、日本列島の歴史の無意識からきている。
日本列島では、伝統的に深くお辞儀をして挨拶してきた。それは、自分消す作法である。われわれは、そういう消失感覚の醍醐味を共有しながら歴史を歩んできた。
京都の人からしたら、そういう遠慮の作法を持っていないのはもう「あはれ」や「はかなし」の美意識がわからないのと同じだということになる。そういう宮廷文化が民衆のレベルに下りていって、そのような作法の習俗になっていったのだろう。
日本列島の美意識は、宮廷文化と武家文化の二つの流れがあるのだろうが、そのおおもとをたどれば、神道であり、さらには縄文文化にまでさかのぼることができる。
ともあれ日本列島では消失感覚を基礎にして文化をはぐくんできたのであり、そこから「遠慮する」という作法が生まれてきた。



もしも伊勢神宮がこの国の神社の最高峰だとすれば、どうしてほかの神社も伊勢神宮のような様式の神殿にしないのか。
それはきっと、伊勢神宮に遠慮しているからだろう。伊勢の町の民家だって、伊勢神宮の本殿が横に出入り口のある「棟入り」の様式になっているから、遠慮して逆の「妻入り」のかたちにしている。
べつに遠慮することの美徳というのではなく、そうやって自分を無化してゆく消失感覚こそが神道のコンセプトだからだ。神に手を合わせたって、神と一体化するのではなく、神を前にして自分が消えてゆく心地にカタルシスを覚えているだけである。
だから、自分を消して遠慮し、伊勢神宮の本殿と同じにはしない。
伊勢神宮の本殿は、縄文・弥生の高床式住居のようなもっとも原始的な建築様式である。それは、仏教以前の土着の宗教であること示そうとしているのだろうか。まあなんにせよ、「仏教ではない」ということを示しているのだろう。神道は、仏教伝来以後に、まあ仏教に対するカウンターカルチャーとしてもうひとつの宗教のかたちになってきた。
だから、仏教に対する遠慮があった。
自分を消すことが神道の作法なのだ。仏教よりいい宗教ですよ、というつもりなどさらさらない。だから、仏よりも一段下の神を拝んでいます(本地垂迹説)と平気でいえる。宗教という自覚が希薄なのだ。われわれの神はあなたたちの神よりもワンランク下です、といっている宗教がほかにあるだろうか。
神はべつになんでもいいのだ。自分を消すことができればいい。自分消す作法として神を拝んでいった。
仏を拝むことは、仏に帰依して自分の安心立命の心地に浸ってゆくことである。しかし深くお辞儀をして自分を消し合う作法で人間関係を築いてきた日本列島の住民は、それではどうも落ち着かなかった。
消失感覚の醍醐味が身にしみている民族なのだ。
その消失感覚に浸ってゆく作法として、仏よりもワンランク下の神を拝むという習俗が生まれていった。それは、ひとつの「遠慮」の作法だった。
そのとき神道は、仏教のようであらねばならないと同時に、仏教のようであってはならなかった。
仏教伝来以前の神道の本殿は、神のいるところでもなんでもなかった。ただもう、お祭りのときの舞の舞台とふだんの集会所の用途が果たせればよかった。だから、宗教施設になっても、神の威厳を見せつけるというかたちには、なかなか発展していかなかった。
伊勢神宮なんか、弥生時代の住居か倉庫そのままのかたちである。それはたぶん、祭りのときの舞の舞台であり、ふだんの集会所だった。おそらく最初の神道の神殿はみな、あのような高床式住居にすぎなかったのだろう。神なんか知らない人たちが祭りの舞台や集会所にしていただけなのだから、あれでじゅうぶんだった。そうしてひとまず宗教としての権威が生まれてくると、多くの神社が伊勢神宮に遠慮して違う様式の本殿にしていった。べつに神などいないし、神がなんであることなんか大した問題ではないのだから、それでよかった。
神道のコンセプトは、神のありがたさにあるのではない、自分が消えてゆくカタルシスにある。ほんとうに神のありがたさが第一であるのなら、神社の本殿はみな伊勢神宮のような「棟入り」にしないといけない、それが神を迎える正式の作法だとかなんとか、そういう規範になっていったことだろう。



神社はもう、仏よりもひとつ位が下の神を祀るところだから、遠慮してお寺のような瓦葺きにはけっしてしなかった。
「遠慮する」という消失感覚が神道の基本的なコンセプトであり、宗教以前の神も霊魂も知らない原始的な集団性である。みんなで火を囲んで語り合ったり歌い踊ったりしているときの親密さ、インティメイトというのだろうか、それは、宗教的な体験ではない。仏教が入ってきたとき、人々はそういう体験がなくなってしまいそうな居心地の悪さを覚えた。
「ほとけ」とは、「安心立命の他界の存在」というようなニュアンスだろうか。そのとき日本列島の住民は、そう理解していった。しかし「死んだら黄泉の国に行く」と思っている人たちにとってそのような死後の世界のことはピンとこないし、自分の安心立命すなわち自我の確立という観念世界も、自我の消失感覚を生きていた彼らの望むものではなかった。
仏教が日本列島の住民の心模様に沿うようなかたちになってきたのは鎌倉時代以降のことで、最初は庶民とは無縁のものだった。
庶民は、原始的なインティメイトの世界を生きていた。それは、人々が嘆きやかなしみを携えて寄り添い合ってゆく集団性の社会だった。そうやって祭りの賑わいが生まれていた。
仏教であれ何であれ、宗教は「自我の確立=安心立命」というコンセプトの上に成り立っており、そのとき日本列島の住民は、宗教以前の、自分を忘れて世界や他者にときめき寄り添ってゆくという原始的なインティメイトの体験を確保する場として神道を「宗教のような」かたちにしていった。それが、神道の「遠慮する」というコンセプトである。
宗教とは、神や仏の規範(戒律)に従ってゆくこと、それはすなわち共同体の制度に従うということであり、そういう「規範に従う」という観念性を持たないと生きられない社会になっていた。そういう状況に沿って、たんなる祭りの習俗だった神道が宗教のようなかたちに整えられていった。
神道は、もともと神にも建物にもあまりこだわりはなかった。どちらも、仏教に遠慮しいしい整えられてきただけである。
この「遠慮する」という消失感覚が、神道が持っている原始的なインティメイトの作法なのだ。
柏手を打つ……これはその音とともに自己に張り付いた意識を引きはがす作法である。そうやって自分を無化してゆくとともに神を迎える。神なんかなんでもいい。自分を無化している心の依り代になればいいだけだ。
遠慮するとは、自分を無化すること。柏手とともに自分と別れる。そのかなしみが、「遠慮する」という心である。
日本列島のおもてなしの作法は、自分を無化しながら遠慮しいしい寄り添ってゆく。寄り添ってゆくこと自体が、すでに「(自分との)別れのかなしみ」に浸されている。
日本列島の住民は、大陸からやってきた仏教を拒否しなかった。もしもそのとき神道が宗教として確立されていたら大きな確執があり、その後もずっと続いてきたはずだが、そんな歴史の事実はない。権力者の勝手な作り話が残っているだけである。いつだって権力者がそのときの都合でどちらかを優先してきただけで、民衆には仏教を排斥しようとする意識はなかった。
神道は、仏教に学びながら、そして仏教に遠慮しいしい宗教になってきただけである。
この自分を無にして寄り添ってゆくという作法がよいのか悪いのかということをいってもしょうがない、これが日本列島のインティメイトのかたちである。



ネアンデルタール人縄文人も、この消失感覚とともにあるインティメイトの心で寄り添ってゆく作法で歴史を歩んでいた。人類は、火を眺めながらそういう作法を身につけていった。この消失感覚は、宗教ではない。死後の世界も生まれ変わりもない。人間は、消失感覚を持ってしまっている。素直に原始的になれば宗教だけではすまないし、それを振り払って宗教者になりきってしまうこともできる。
しかし日本列島には、どうしても宗教者にはなりきれない原始的な消失感覚の風土がある。だから、神道が宗教の体裁をとって残されてきた。
世界中の人間が死後の世界や生まれ変わりを信じ切って宗教的になれば、人類は救われるのだろうか。
それでも人間には、原始的なインティメイトは残るだろう。それはきっと、男と女がいるからだ。男(オス)と女(メス)のいる生き物の世界はインティメイトの上に成り立っているし、命のはたらきは、命のはたらきを否定する消失感覚の上に成り立っている。命を否定するその消失感覚とともに、命がよりいきいきとはたらくのだ。
命のはたらきを肯定し止揚しながら死後の世界だの生まれ変わりだのという概念で「永遠の生」というかたちの観念世界を構築することは可能であるのかもしれないが、それでも人間であるかぎり生き物であるかぎり、消失感覚という命のはたらきは残る。
仏教伝来のときの日本列島の住民は、「命のはたらき」として、仏教による「永遠の生」を目指す宗教性だけではすまない原始的な消失感覚をすでに洗練させてしまっていた。
それでも、人々は仏教を受け入れた。日本人は軽薄な新し物好きで外来文化にすぐ飛びつくといわれているが、外来文化を受け入れることは、じつはとても厳しいことなのだ。そのとき人々は、ただのお祭りの習俗にすぎなかった神道を宗教のかたちにしながら仏教と和解し受け入れていった。つまり、自己主張をしないで遠慮する気持ちの、その自分を無化するという消失感覚で受け入れていったのだ。
日本人だからというより、われわれは、命のはたらきとして、すでに命のはたらきを自己否定する消失感覚を持ってしまっている。
欧米人はキリスト教だけ、アラブ人はイスラム教だけ、インド人はヒンズー教だけ、ビルマ人やチベット人は仏教だけ、しかし日本人は仏教だけというわけにはいかなかった。それは、「一つの宗教だけ」というのではなく、「宗教だけ」ではすまない原始的な生態をすでに洗練したかたちで持ってしまっていた、ということだ。
しかしそれは、おそらく日本人だけのことではない。人の心は、そのように神も霊魂も知らない原始性を宿しているのではないだろうか。



まあ神道は、「宗教もどき」なのだ。
だからそれをわきまえた遠慮の態度は持っていないといけない。
宗教が神だの仏だのという権威を称揚してゆくものであるのなら、ひとまずその権威は尊重しなければならない。神道が仏教に遠慮するかたちになっていったのは、とうぜんのなりゆきだった。そうして、自分たちの神道もまた権威を称揚するものにしてゆく必要があった。
しかしその権威の根拠は、仏と同じであってはならなかった。つまり、自分の安心立命を構築するのではなく、自分の消失感覚がコンセプトになっていった。それが「みそぎ」であり「遠慮する」という作法だった。
神道では、神とつながっているとか神に何かをしてもらうという関係はつくらない。
柏手を打って「神をお迎えする」という。神はまだそこに来ていない。つまり神との関係を持つ以前の状態が、神道の神との関係なのだ。遠慮して、神との関係など持たない。
神は、隠れている。それは、存在するのでもないし、存在しないのでもない。あくまでも「隠れている」ということ。これは、仏教の「色即是空・空即是色」ということとはちょっと違う。
「神はお隠れになっている」と遠慮しいしい神を拝んでいる。これが、もともと神など知らない民族の神を拝む態度である。
「お茶漬けでも……」といわれても、お茶漬けをよばれたらいけないのだ。そこにお茶漬けは存在するのでもないし、存在しないでもない……この感覚がわからなければ京都の人間とはいえないらしい。そこにお茶漬けが存在するという前提を持ってはいけないし、存在しないと思ってもいけない。これが「遠慮する」という作法である。
まあ、ややこしいといえば、ややこしい。しかし日本人なら、このややこしさを当たり前のようにしてわからないといけない。
こういうことを「呼吸」といったりする。人と人の関係の呼吸、そしてものを扱ったりするときの呼吸、日本人にとっては当たり前の自明のことが、外国人にはひどくややこしいことだったりする。
たとえば、「もの」と「こと」という言葉の使い分けはものすごくややこしくて、外国人は大いにとまどう。どのような法則・規則になっているのかといわれても、われわれ自身だってよくわかっていない。それでも間違えるということはまずない。
この日本的なややこしさは、神道の成り立ちからきているのかもしれない。神道と仏教を両立させるというのは、かなりアクロバティックなことだし、神道の神の信じ方はさらにアクロバティックだ。
しかしそれは、もともと神などというものは知らなかったということであり、この文明社会で知らない文化を残してくるということがアクロバティックな離れ業だったのかもしれない。
「遠慮する」というのは、とてもアクロバティックな作法なのだ。甘く見ると間違う。
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