人間の自然・ネアンデルタール人と日本人・56


現在の世界中のほとんどの人間の血の中にネアンデルタールの遺伝子が混じっていることはもう、常識になりつつあるらしい。
一部のアフリカ人だけが、ネアンデルタールの遺伝子が混じっていない純粋ホモ・サピエンスであるのだとか。
サバンナの民は拡散してゆかない習性を持っているし、外部の人間がサバンナにやってきたのは近代になってからである。そうやって純粋ホモ・サピエンスになっていった。彼らは、隣り合った部族どうしでも何万年も交渉がないような歴史を歩んできた。だから、高身長のマサイ族とか尻の大きなコイサン族(ホッテントット)とか低身長のピグミー族というような著しい体型の違いが生じてきた。
ホモ・サピエンスの遺伝子はそんな彼らのところから生まれてきたのであるが、それでもその遺伝子が今や世界中に広まっているのは、彼らがその遺伝子を世界中に持っていったということを意味するのではなく、遺伝子だけが世界中に伝播していったということだ。
7〜5万年前の氷河期は、ネアンデルタール人の遺伝子がアフリカ北部まで広がっていた。そこでそのネアンデルタール人の遺伝子のキャリアの人間がホモ・サピエンスの遺伝子を拾ってしまい、その混血の遺伝子が世界中に広まっていった。
そのとき世界中の人間は、地域どうしで交配していただけである。しかし、世界中のすべての集団がまわりの集団と交配していれば、ある遺伝子はたちまち世界中に広まってしまう。
おそらく、3〜4万年前にネアンデルタール人クロマニヨン人に変わっていったのと同じように、アジアでもホモ・エレクトスホモ・サピエンスになっていっただけだろう。そして、東南アジアとかオーストラリアの温かい地域は、ヨーロッパよりももっと早くホモ・サピエンス化していったのかもしれない。
ヨーロッパや北アジアだってその遺伝子はもっと早くから伝播してきていたのだが、極寒の環境という壁があって、つねに淘汰され続けてきた。しかし、4万年前ころに間氷期がきていったん気候が緩んだことと生活文化が進化したことによって、ホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアでも生きられるようになったし、生きられるならその方が長生きする。
ホモ・サピエンスの遺伝子は、とても遺伝力が強いらしい。もともと人間は、アフリカの中央部に生息していた熱帯種の猿だったのだ。人間の身体はもともとそのようにできているわけで、その組成に沿って進化してきたホモ・サピエンスの遺伝子がいちばん人間の身体にフィットしていることになる。
それに対してネアンデルタール人の遺伝子は熱帯種であることに逆らってぎくしゃくしながら進化してきたのだから、いったんホモ・サピエンスの遺伝子が混じると、ネアンデルタール人の遺伝子はどんどん淘汰されていってしまう。ほんの少しのホモ・サピエンスの遺伝子が混じったネアンデルタール人うしの交配を繰り返してきた北ヨーロッパのような地域でも、生活文化が発達してホモ・サピエンスの遺伝子だけで生きてゆけるようになってくれば、どんどんホモ・サピエンス化してゆく。
べつに、アフリカ人がやって来てそこにホモ・サピエンスの遺伝子をばらまいていったのではない。ネアンデルタール人がそのままクロマニヨン人になり、現在のヨーロッパ人になってきただけだろう。
現在のヨーロッパの文化は、そこに人が住み着いて以来の70〜100万年の歴史を持っている。3〜4万年前にアフリカから人がやってきてつくった文化ではない。アフリカの土着の文化とヨーロッパの土着の文化がどれほど異質かということを、人類学者たちはなんにも考えていない。



そして、原始的な土着の文化とはアニミズムではない、ということだ。
何はともあれ、人と人はどのように寄り添い合ってゆくのか、という問題がある。
僕は「おまえみたいな人間嫌いのやつはろくなもんじゃない」といわれ続けて生きてきたが、それでもそういう問題ははたしかにある、と思う。
僕は、人間なんか大嫌いだが、人間に対する恨みや憎しみがあるわけではない。恨みや憎しみを持った人間が、それを隠して人間賛歌だの生命賛歌だの神や霊魂だのといいたててくるのだ。
人間は、神や霊魂を知らない心を持っている。それが、原始的な心だ。
原初の人類がなぜ火に対する親しみを持ったかといえば、それをみんなで眺めていると人に寄り添ってゆく心がしみじみと湧いてきたからだろう。人間の火に対する親しみは、人に対する親しみでもある。
火は、動物を本能的に怖がらせる。それは、身体の危機をもたらす。
だけど原始人は、みんなで火を眺めていると心が和んできた。それは、人間が身体の危機にあまり頓着しない存在だったからだろう。身体の危機に頓着することなく、住みにくい地住みにくい地へと拡散していったのだ。人間は、ほかの動物よりも身体のことを忘れてしまう快楽を知っていた。
人間の二本の足で立つ姿勢は、危険で不安定で、身体が危機にさらされている姿勢である。それでもその危機を忘れてときめき合ってゆくことによって、その姿勢が常態化されてきた。そうしてそこから歩いてゆくことは、身体のことを忘れてゆく作法である。
身体(の物性)の危機を忘れてしまう快楽が、人間を人間たらしめている。
原初の人類は、火を見て怖がる前に、すでに身体のことは忘れていた。火に対して親しみを持つことは、より深く身体のことを忘れている体験になった。すなわちそれは「自分」というものを忘れてゆく体験である。火を眺めていると、自分を忘れてまわりの世界や他者のことばかり思っている状態になってゆく。
人間は、自分の命や身体のことを忘れてゆく快楽を知っている。
火を眺めていると、心は、自分の命や身体のことを忘れて他者に寄り添ってゆく。
まあ、氷河期の極寒の地を生きたネアンデルタール人は、自分の命や身体のことは忘れて他者に寄り添ってゆくということをしなければ誰も生きられない環境に置かれていた。
ネアンデルタール人の火に対する思いの切実さと豊かさは、われわれ現代人の想像をはるかに超えるレベルだったはずである。
そこは、現在の北ヨーロッパよりももっと寒いところだったのだ。生活技術の未熟な原始人が生きられるはずのない土地だった。それでも彼らはそこで生きていた。自分の命や身体を忘れてしまう快楽が彼らを生かし、そこに住み着かせていた。
現在、ヨーロッパ人は、暖炉やキャンドルやキャンプ・ファイアの文化など、世界でいちばん火が好きな人たちである。彼らが現在の東京や上海のように夜の街を昼間のように煌々と照らしだすことをしないのも、火に対する親しみを深く持っている人たちだからだろう。彼らの美意識の基準として、火に照らされた景観というのがあるらしい。あまり明るくしてしまうことは、火の尊厳に対する冒涜のような気がするのだろうか。きっと、そういう無意識がどこかにはたらいている。
そしてそれはもう、ネアンデルタール人以来の伝統であって、アフリカ人が持ち込んだ文化ではない。
ヨーロッパ人は、自分たちがネアンデルタール人の伝統を受け継いでいるということをもっと深く自覚してもいい。彼らの論理思考や公共心やレディファーストの習俗だって、ぜんぶネアンデルタール人以来の伝統なのだ。



人類の人と人が寄り添い合う文化は火とともに深化してきた、ともいえる。
火葬も、火に対する親しみから生まれてきた習俗かもしれない。そうやって死体を清めているのだろうか。
縄文人にとっても、火はことさら大切で親密なものだったにちがいない。山道を旅している男たちにとっても、山の中の小集落の女子供にとっても、火を焚いていなければたちまちオオカミの群れに襲撃される環境だった。火がなければ、山の中の暮らしは成り立たない。
氷河期の日本人は、低地の平原で大型草食獣の狩りをして暮らしていた。しかし氷河期が明けて気候が温暖化湿潤化すると、それらの平地はすべて湿原になり、大型草食獣もいなくなってしまった。で、縄文人は、追われるようにして山の中に入っていった。
しかし、もともとそこでの暮らしを知らない人たちだったのだから、生きてゆくのに大いに難渋しただろう。彼らもまたネアンデルタール人と同じように「生きられない」環境に身を置いた人たちだってのであり、そこでの「いつ死んでしまうかわからない」という生の条件を受け入れてゆく心の動きをもたらしたのが、火に対する親しみだったはずである。
日本列島にも、薪能とかドンド焼きとかいろんな火祭りがあるから、火に対する親しみの文化はけっこう盛んなのだろう。二月堂のお水取りでは、火の粉をかぶれば無病息災だ、などという。
縄文人が土器作りが好きだったのも、火に対する親しみもあったにちがいない。
みんなで火を囲みながら語り合ったり踊ったり歌ったりする文化。それは、火に対する親しみというだけではすまない。それによって世界や他者に寄り添ってゆく気持ちが生まれ、さらには、その自分の命や身体のことを忘れてゆくというカタルシスとともに「いつ死んでもいい」という心地になってゆく。
この心地は、厳しい環境の下で生きていたネアンデルタール人縄文人にとっては、とても重要であったはずである。この気分を持っていなければ、誰も生きられなかった。まあ、原初の人類はこの気分とともに二本の足で立ち上がったともいえる。
すなわち、火に対する親密さとは、死に対する親密さでもあるのだ。そこから、人間的なさまざまな文化が生まれ育ってきた。
現代社会の死んでゆく人にだって、この気分は必要だろう。
「いつ死んでもいい」という気分を持つことが人間の自然=普遍であり、そういう気分で生きているのが人間なのだ。
だから、火に対して親密になっていった。
「いつ死んでもいい」と思えば、生き延びようとする欲望も強く湧いてこない。自分の命や身体のことは忘れてしまうのが、彼らの生きる作法だった。他者が生きられるかどうかということこそ彼らの関心だったのであり、そういう関心を募らせることによって、厳しい環境のもとであえいでいる自分の命や身体のことを忘れることができた。
「いつ死んでもいい」と思いながら他者に寄り添ってゆくことが彼らを生かしていた。
彼らの行動は、何はさておいても他者を生かすことだった。他者が生きていてくれないことには、自分の命や身体を忘れることはできなかった。自分の命や身体を忘れてしまわなければ生きてあることはできなかった。
ネアンデルタール人の社会でもっとも生きられない存在は、子供だった。だからけんめいに子供を生かそうとしたのだが、子供がかんたんに死んでゆく環境でもあった。その嘆きが極まって、洞窟の土の下に子供を埋葬するということがはじまった。まあ子供の骨は大人の骨よりも早く土に溶けてしまうから、何十万年も前の子供の骨が発掘されることはまずないだろうが、おそらく子供を埋葬したのがはじまりだった。
その習俗は、彼らの、他者に寄り添い他者を生かそうとする心によってはじまった。
原始人にとっての死者とは、二度と動き出すことなく、体が腐乱してゆく存在であるという認識だった。そのことと、もう生かすことができないという痛切な思いによって、埋葬という行為になっていった。
自分のことを「いつ死んでもいい」と思うなら他者の死も粗末に扱うかといえばそうではなく、他者を生かそうとすることによって「いつ死んでもいい」という気持ちになることができたのだから、その死に対する思いも痛切だった。彼らは死に対して親密であると同時に、他者の死に対しては深くかなしんだ。
彼らは、死んでゆく人に対してけんめいに寄り添っていった。死に対して親密であるがゆえに、死を深くかなしんだ。
まあ人間なら誰だって、「いつ死んでもいい」という気分を心の底に持っている。その気分とともに人類の歴史がはじまった。おそらくそこに人間性の基礎がある。その気分とともに人類は拡散してゆき、氷河期の北ヨーロッパネアンデルタール人のところでその気分が極まった。



人類は、火との暮らしとともに死に対する親密な気分を深くしていった。日本列島の文化はこの原始性を引き継ぎ洗練させてきたわけだが、一方大陸の四大文明の地はこの原始性を清算するかたちで戦争の時代に突入してゆき、共同体の制度を発展させてきた。
エジプト・メソポタミアの末裔である中近東がやっかいなのは、原始的であるからではなく、世界でもっとも共同体の制度すなわち文明の歴史が長いことにある。このあたりが一夫多妻制で女性の地位が低いのは、共同体の権力制度を守ってゆくシステムが高度に発展し確立してしまっているからだろう。そうかんたんには崩れないほどに確立してしまっている。
女性は自由な恋愛どころか恋愛それ自体が許されていない。そんなことをする娘は親が殺してもいい国もある。それほどに観念が制度に浸されてしまって、今でも娘を殺すことに何の罪悪も感じないし、ちゃんと法律で許されている。というか、名誉なこととして奨励されてさえいる。意識が丸ごと共同体の制度性に浸されてしまったら、娘を殺すことだって平気なってしまうのだ。それが正義だというのなら、正義とは人に寄り添ってゆく心を失うことだ。彼らにとって女なんか制度を守るための道具で人間の範疇に入っていない。そこまで思うことができるということは、宗教も含めてそれほどに制度意識が発達しているということで、神も霊魂も知らない原始的な心性がとても希薄なのだ。
日本列島の宗教意識・制度(共同体)意識などたかだか1500年だが、エジプト・メソポタミアはもう6000年以上の伝統がある。
どんなに精緻な制度をつくっても、民衆の意識が原始的だったらうまく機能するはずがない。原始人は何も知らないからかんたんに支配できるかといえば、そういうものではない。支配される側の制度意識が発達していて、それが初めて機能する。中近東の人々は、制度意識がものすごく発達しているからこそ、女をモノとして扱うことができる。彼らは、原始的だから近代文明から置き去りにされたのではない。制度意識が発達しすぎていて、原始性をミックスしたヨーロッパ文明の動きについてゆけなくなってしまった。
彼らは、共同体文明の発生以来、人と人がときめき寄り添い合うという原始性をどんどん排除していった。そうして、恋愛も友情もない社会になっていった。彼らの人と人の関係は、制度が支配している。個人がないというのではなく、個人的すぎて、寄り添い合う関係を喪失している。共同体の制度によって、個々の関係が分断されてしまっている。ものすごく自己主張の強い人々であるのだが、その自己が、すっかり共同体の制度に染め上げられてしまっている。彼らには寄り添い合うという関係意識があまりない。誰の意識も共同体の制度がすっぽりかぶさっているから、そのまま自己主張し合うだけで関係が成り立ち、社会が動いてゆく。人と人が寄り添い合いながら関係をやりくりしてゆくというような原始性は、すでにそぎ落としてしまっている。
寄り添い合わなくても関係が成り立つほどに、制度性が発達し確立されているのだ。
そういう人たちだから、あの9・11のようなテロ事件を起こすこともできるのだろう。死ぬのが怖くないのは天国や生まれ変わりが約束されているからで、共同体の制度性を信じ込むのと同じように、そういうこともかんたんに信じ込んでゆくことができる。「信じる」という観念のはたらきがおそろしく強い。それは、原始性ではない。もっとも高度な制度性なのだ。
エジプト・メソポタミアは、人類史における制度性の発生の本家である。
彼らの人に寄り添うセンスのなさや自己主張の強さは、そのまま高度な制度性の持ち主だということでもある。もともとメソポタミアの民であったユダヤ人が、ネアンデルタール人以来の原始性を残しているヨーロッパ人とそりが合わないのも、そういうところにあるのだろう。
イスラム教が偶像崇拝を禁止しているのも、もともと恋愛を禁止している社会だったからだろう。そしてモスクの壁面を抽象模様で覆い尽くしているのは、偶像崇拝をしないことのアリバイであり、われわれは偶像崇拝をしないという自己主張の強さだ。彼らは、目の前にないもの「ある」と信じ込んでゆく制度的な観念が地球上のどこよりも発達している。偶像崇拝を禁止した方が「信じる」気持ちが強くなるし、「信じる」気持ちの強い人々だったから偶像崇拝の禁止が性に合った。
彼らが女を人間扱いしないのも、男にとって女がもっとも偶像崇拝の罠に陥りやすい対象だからであり、それもまた偶像崇拝を断ち切っていることのアリバイ証明になっている。
見えないあの山の向こうに異民族の集団を「ある」と信じて憎悪を募らせてゆくことによって戦争が起きる。目の前に偶像を置いて崇拝してゆくことを禁止した方が、目の前にないものを「ある」と信じて憎悪を募らせてゆく心の動きが強くなる。目の前の他者に寄り添ってゆく関係を禁止した方が、目の前のものではない共同体の制度はより強く信じられ、より確かに機能してゆく。
まあ文明の発生の問題をつついているときりがないのだが、中近東すなわちエジプト・メソポタミア文明発祥の地では制度的な観念性を現在までえんえんと磨いてきたのであり、彼らは高度に人工的文明的なのであって、けっして原始的であるのではない。



ネアンデルタール人が死体を洞窟の土の下に埋めたのも、その頭部の皮を剥いで拝んだのも、一種の偶像崇拝だといえるのかもしれない。しかしこれは、けっして宗教とは関係ない。あくまで目の前のものに寄り添ってゆく心である。
エジプト・メソポタミア文明は、その原始性を清算して、見えない山の向こうの集団に対する憎悪や恐怖を共有してゆくことによって共同体(国家)をつくりあげていった。
目の前のものに寄り添ってゆく心が薄ければ、女を人間の範疇に入れないような社会をつくっても平気だし、その方が男(長男)の権力や私有財産を半永久的に守ってゆくことができる。
人類史における階層や権力や私有財産の発生は人間の自然ではなく、あくまで文明の自然なのだ。文明=制度性の自然は、人間の自然=原始性を薄くしてゆくことにある。
文明とは、山の向こうの他の集団だろうと目の前の隣人だろうと、とにかく「他者」の不幸や死の上に自分の幸福や生をつくってゆくことであり、それが戦争であり共同体の制度である。そのような人間の自然を削ぎ落としたメンタリティは、なにしろ本家だから四大文明の地がいちばん発達している。
しかし彼らも含めて人間は、自分を忘れて目の前の人間に寄り添ってゆく心をどこかしらに抱えている。
その寄り添ってゆく心から高度な「文化」が生まれてくる。共同体の制度性のことは、「文明」だといえても、「文化」とはいわない。
文化の基礎は、人間の自然である。人間の自然を守ろうとする文化は、どんな民族も持っている。そして人間の自然という基礎が希薄な「文明的な」人は、どの時代にもどの世界にもいる。また、文明的な人にかぎって自分は誰よりも文化的だと思い込みがちな傾向もある。
とかく人の世は、ややこしく住みにくい。
エジプト・メソポタミア地域の問題は、エジプト・メソポタミア地域だけの問題ではない。彼らはひとつの典型ではあるが、エジプト・メソポタミア的な観念傾向の人は、この国にもたくさんいる。そしてエジプト・メソポタミア地域にも、「文化的な」人に寄り添う心を色濃く抱えて生きにくい思いをしている人だっていくらでもいることだろう。
人間は、けっして人間の自然という原始性を手放さない。古代ヨーロッパはその原始性を手放さなかったからエジプト・メソポタミアを凌駕していったのだし、エジプト・メソポタミアは、その自然をうち捨てて制度的な観念を特化させていったからやがて置き去りにされていった。
おそらく現在の中近東諸国の女性蔑視の社会制度がすぐに改まるということもないのだろうが、それでもそれらの国が世界の先進国になれるわけでもなく、遠い未来には人間の自然に沿うようなかたちになってゆくのだろう。
人間の自然を生きることは、生きにくさを生きることだ。そのようにして人は人に寄り添ってゆく。共同体の制度性にまるごと観念をあずけてしまえば生きやすいだろうが、そこから文化としての高度な知性や感性は生まれてこないし、人にときめきときめかれる関係を体験することも中途半端に終わってしまうだろうし、それがさまざまな社会病理の原因にもなっている。
日本列島は、エジプト・メソポタミアの地のような制度的な観念だけで生きられる文化の伝統になっていない。だからそのような観念だけで生きようとして運が悪いと、どうしてもぎくしゃくして心的外傷を負ってしまったりする。
日本列島には、生き延びるための権謀術数の文化が希薄である。だから、いつまでたっても外交交渉がうまくできない。つまりこの国は、四大文明の地とは逆の「生き延びるための文化」ではなく「いつ死んでもいいための文化」であり、そういう無常観の「死んでゆく=別れのかなしみ」の文化なのだ。そしてそれは、じつはネアンデルタール人の文化でもあった。
日本列島の無常観は、ネアンデルタール人から受け継いだ原始性であり、人間の自然でもある。そしてそれは、火および死に対する親密さの上に成り立っている文化だった。
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