最新のゲノム分析などの結果、今や、アフリカ人以外の現代人の遺伝子にはネアンデルタールの痕跡が残っているということは常識になりつつあるらしい。
だから、アフリカのホモ・サピエンスネアンデルタールは異種交配した、と盛んにいわれている。
10〜5万年前ころ、アフリカを出たホモ・サピエンスの集団は西アジアネアンデルタールと異種交配し、両者の血が混じり合った。このとき両者の人口比は前者が10に対して後者は1くらいで、その人々の子孫が世界中に散らばって世界中の先住民と交代した、という。
では世界中の先住民はどこに行ったかといえば、やっぱり新しくやってきた人々の群れよりも圧倒的に少数で、その群れに吸収されてしまったのだとか。
奇妙な話だ。どうしてこんなわけのわからない話が当たり前のように信じられてゆくのだろう。
17、8世紀のころ、大量のヨーロッパ人がアメリカ大陸に移住し、先住民であるインディアンを駆逐し吸収していった、という話、このケースをそのまま当てはめているのだろうか。どうやらそうらしい。
こんなことが原始人の世界で起こったと、彼らは当たり前のように信じることができるらしい。
「異種交配」だなんて、いかがわしい言葉だ。僕は、こんなことを原始人が当たり前のようにしていたとは思えないのだ。
また、ネアンデルタールホモ・サピエンスは同じ人間なのだから、生物学的には「異種」でもなんでもないだろう。
「異人種」とか「異民族」というのなら、わかる。両者は、言葉も生活習慣も、おそらく大きく違っていた。
そして、人類が旅をして異民族と交配するようになったのは、氷河期明けの1万年前以降のことであり、それ以前の原始人は、旅も異民族との交配もしていなかったはずである。
このブログでは、氷河期の北ヨーロッパあたりを生きていた人々をひとまずネアンデルタールと呼んで話を進めている。そうして彼らとアフリカのホモ・サピエンスが出会って交配したということなどあり得ないことで、アフリカからヨーロッパにやってきたホモ・サピエンスなどひとりもいないと考えている。
人間が旅をしなくても、すべての集落どうしが女の交換をしていれば、遺伝子は集落から集落へと手渡されて地球の果てまで伝播してゆく。
ホモ・サピエンスの遺伝子は、ゆっくり成長して長生きする性質を持っている。だからひとつの集落にひとりでもホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアの女がまぎれこめば、その女の産んだ子供の子孫がどんどん増えて、長いあいだには集落全体がホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアになってしまう。
たとえばヨーロッパのネアンデルタールの集落にまぎれこんだその女だって、べつにアフリカからやってきたわけではなく、隣の集落からやってきたひとまず同じ民族の女なのだ。ちょっと風変わりな風貌をしていたとしても、誰も異民族だとも異人種だとも思っていない。
アフリカとヨーロッパのあいだに位置する西アジアの遺跡からは、ネアンデルタールホモ・サピエンスかわからないような紛らわしい骨がいくらでも出てきている。そのあたりに住んでいた人々は両者の混血種に違いないのだが、それだってヨーロッパやアフリカから人がやってきたわけではなく、あくまで集落から集落へと遺伝子が伝播してきた結果なのだろう。
そしてそのように中間的な形質になったとしても、西アジアには西アジアの歴史と伝統があり、彼らはアフリカ人でもヨーロッパ人でもなかった。
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遺伝子分析のデータをどう解釈するかは、まだみんなでああだこうだと議論している段階である。言いかえれば、いかようにも解釈できるところまでしかまだわかっていない。
人間とはどのような存在かということを無視して勝手に人間の歴史を決めつけてしまえるほど遺伝子学のデータがオールマイティであるのではない。
何はともあれ原初の人類の歴史を考えるなら、まず人間とはどういう存在かという問いがあってしかるべきだろう。
何はともあれ人間の歴史なのだ。現代人の物差しで勝手な妄想を膨らませた物語をでっち上げてもしょうがない。
ろくな文明を持たない原始人が、道なき道の原野をどのように旅したのか。できるはずないじゃないか。しかも彼らは、女子供を連れた大集団で旅をしたといっているのである。
18世紀のヨーロッパ人が大きな船に乗ってアメリカ大陸の乗り込んでいったというような話ではないのだ。
原始人は誰も異民族と出会わなかったし、異民族と交配するというような体験は誰もしていないはずである。異民族が存在するということ自体知らなかったし、故郷を出ていこうという意識もなかった。
みんな、故郷で一生を送って死んでいったのだ。
誰もが、自分たちの生活圏から見渡すことのできる周囲の景色をこの世界のすべてだと認識して生きていた。世界はもっと広いということを知っていた原始人などひとりもいない。
つい5千年前まで、人類はみな、そんな世界の図を描いていたではないか。山並みで縁取られた円盤を大きな数頭のゾウが支えているとか、そんな絵ばかりだ。原始人が旅をしていたのなら、こんな絵は絶対生まれてこない。数万年数十万年前だったら、もっと世界は狭かっただろう。誰も、地平線の向こうにべつの世界があることなど知らなかった。
それでも、どの集落もまわりの集落との関係を持っていれば、遺伝子も文化も世界の隅々まで拡散していってしまう。
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ひとまず五十万年前には、人類の生息域は、アフリカからユーラシア大陸までの全域に拡散していた。
アフリカ以外のすべての人類にはホモ・サピエンスネアンデルタールの両方の遺伝子を持っているのだとしたら、アフリカのホモ・サピエンスとヨーロッパから西アジアにかけてのネアンデルタールと、どちらが行動範囲が広く拡散しやすい民族だっただろうか。
人類学の常識では、アフリカのホモ・サピエンスは社交的・進歩的で行動半径が広く、ネアンデルタールは保守的で閉鎖的だった、ということになっている。
本当にそうだろうか。そうではあるまい。大型草食獣にチームプレーで肉弾戦を挑んでゆくというような狩をしていた人々が、保守的閉鎖的であるはずないだろう。北ヨーロッパネアンデルタールは野営しながらそうとう遠くまで狩りに出かけていたことが、考古学の発掘調査ですでにわかっている。それは、アフリカのサバンナほどには大型肉食獣が多く生息している土地柄ではなかったことも幸いしているのだろう。
それに対してアフリカのサバンナではそんな事情もあって、そうむやみに広範囲を歩き回ることはできなかった。
彼らは、家族的小集団で同じ地域をぐるぐる回っていただけである。ブッシュマンと呼ばれる人たちとか、アフリカには、今でもそういう生活をしている部族がいる。
移動生活といってもその程度のもので、女子供を連れているからそう遠くまで行けるわけではないし、彼らは他の部族と関係を持つことは決してしなかった。だから現在のアフリカには、言葉の違う部族が無数にある。広いといっても地続きの土地なのだし、彼らが社交的な民族だというなら、どんどん混じり合い、世界に先駆けて大都市・大集落が生まれていてもいいはずである。
しかし、歴史はそうはならなかった。そこから逆算して、二十万年前に生まれたといわれているアフリカのホモ・サピエンス集団がどんな行動様式を持っていたかと推測すれば、彼らが世界中に旅してゆく民族だったとはどうしても思えないし、そんなことがあるはずない。
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ホモ・サピエンスの遺伝子は、20万年前の、おそらくアフリカ中央部で、たった一人の子供の突然変異の遺伝子として発生した。
ホモ・サピエンスの遺伝子のキャリアとして生まれた赤ん坊は、ゆっくり成長して、成人すればほかの個体以上に長生きする。
しかし、ゆっくり成長すれば、そのあいだに死んでしまうリスクもともなっている。現代の文明でそんな赤ん坊を育て上げることはなんでもないことだが、20万年前の原始時代の段階では、よほどの恵まれた気候環境の下でなければ育て上げることは不可能であったはずだ。氷河期の北ヨーロッパに連れてゆけば、たちまち死んでしまったことだろう。
アフリカの酷暑の下でも生き残ることは困難だ。
とすれば、暑からず寒からず、氷河期のアフリカ中央部の一年中温暖な気候条件ではじめて育つことができたのだろう。そうして氷河期は数万年続くから、アフリカ中央部ではもう、そいうひ弱だが長生きする個体ばかりになってしまった。酷暑の温暖期になれば乳幼児の死亡率が高くなって、なかなか人口は増えなかったことだろう。それでも、人間はもともと熱帯の猿なのだから、それで絶滅することはなかった。そうして、子育ての技術や食文化の発達とともに、やがてアフリカ中央部以外でも生き残ることができるようになっていった。
というか、温暖期は、赤道直下より少し外れたところのほうがかえって育てやすかったのかもしれない。そうやって少しずつその遺伝子が拡散していった。
14〜7万年前ころの温暖期には、西アジアまで拡散していた可能性がある。しかし、さすがに温暖期でも寒い冬のあるヨーロッパまでは拡散してゆくことはなかったらしい。
そのあと7万年前以降はまた氷河期に入ってゆくのだが、5〜2万5千年前の間は氷河期にしては比較的温暖な気候になった。
このころ、ネアンデルタールの形質を持った人々がアフリカ北部まで広がっていた。そこで、寒さに強いネアンデルタールの体質と長生きするホモ・サピエンスの体質が混じり合い、新しいホモ・サピエンスになって一挙に北ヨーロッパまで広がってゆくことになる。それは、北ヨーロッパネアンデルタールがすでに、ホモ・サピエンスの遺伝子を抱え込んでも子供を育てることのできるだけの文化を発達させていたからだろう。
ホモ・サピエンスの遺伝子の拡散は、子育ての文化の発達とともに起こってきた。
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そしてその遺伝子がその後世界じゅうに伝播してゆくことになるのだが、ミトコンドリア遺伝子は女親からしか伝わらなくて混じり合うことがないから、遺伝子全体の情報においては混じり合っていても、ミトコンドリア遺伝子のレベルだけならすべての個体がホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子のキャリアになっている。
たとえ混血種でも、ホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子のキャリアの方が長生きするから、最終的にはすべてそのかたちになってゆく。
そのアフリカ北部のネアンデルタール形質の集落に、ひとりのホモ・サピエンスの女がまぎれこんだ。それがはじまりだったのだろう。
ホモ・サピエンスの男たちがたとえ何万人のネアンデルタールの女と交雑しても、ホモ・サピエンスミトコンドリア遺伝子の子供はひとりも生まれてこない。みんなネアンデルタールミトコンドリア遺伝子の子供である。
もしも人類学者たちが言うように、アフリカのホモ・サピエンスがヨーロッパに上陸していってネアンデルタールの女と混血していったのなら、骨格はホモ・サピエンス的だがミトコンドリア遺伝子はネアンデルタールという個体がたくさんあらわれてこなければならない。そして氷河期の北ヨーロッパは極寒の地だから、けっきょくネアンデルタールミトコンドリア遺伝子のキャリアばかりが生き残ってゆくことになる。
また、北ヨーロッパでアフリカの黒人と白人であるネアンデルタールが混血すれば、もうその時点で北ヨーロッパは混血種ばかりで、純粋の白人なんかいなくなっているはずである。
アフリカ人が白人になってから北ヨーロッパに乗り込んでいったということは、進化論的にも遺伝学的にもあり得ない。寒い北ヨーロッパに何十万年も生息していたから、白人という人種が生まれてきたのだ。アフリカの黒人が西アジア南ヨーロッパに1万年や2万年いただけで白人に変わるということなどなどあり得ない。エスキモーは北極近くに1万年以上住み着いているが、いまだにモンゴロイドのままである。金髪にも目が青くもなっていない。
氷河期にアフリカの純粋ホモ・サピエンス北ヨーロッパに住み着いて子孫を増やすことなど不可能だったのだ。いや、西アジアにおいてさえ不可能だった。だから、現在のアフリカ以外の地域では、すべて混血になっている。
もしもアフリカ人がヨーロッパに移住して覇者になったのなら、今でもヨーロッパにはたくさんの純粋ホモ・サピエンスの白人がいるはずである。しかし、そんな白人は、ひとりもいない。
氷河期の純粋ホモ・サピエンスは、中央アフリカ以外の地で生き残ることはできなかった。それはもう、アフリカ以外の地ではすべてネアンデルタールの血が混じっているという現在のゲノム分析の結果が証明している。

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わかりやすいタイトルだけど、いちおう現在の若者論であり、日本人論として書きました。
社会学的なデータを集めて分析した評論とかコラムというわけではありません。
自分なりの思考の軌跡をつづった、いわば感想文です。
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