人間が「危機」を生きようとする生き物であることは、「滅びる」ことにときめいてゆく心の動きを持っている、ということでもある。そういう死を親密なものとする心を持っていなければ危機は生きられない。
そしてこれが、人間の火に対する親密感の根源に息づいている心の動きである。
人間は、根源的には、弱い猿である。弱い猿として、つねに危機を生きてきた。言いかえれば、危機を生きることができるのが、人間の強みになっている。
50万年前の人類がろくな文明も持たない原始人の身で氷河期の極北の地に住み着いていったのは、まさに、危機を生きようとする人間の根源的な習性の上に起きたことだった。
死が親密なものではなく、あくまで回避するべきものであるのなら、そんな過酷な環境に住み着こうとはしない。
また、そんな過酷な環境であれば、好きこのんでそこに行ったのではない。人間の中でもことに弱い猿であるものたちが仕方なく逃れていっただけだろう。
しかしそうやって逃れていったものたちの末裔が、やがて地球上でもっとも進んだ文化を花開かせてゆくことになる。
もっとも弱いものたちがもっとも過酷な環境に置かれたからこそ、もっとも豊かな人と人の連携を生み出していった。
彼らは、連携しなければ、生き残ることができなかった。
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人間は、その歴史のはじめから、連携しなければ生きられない弱い猿だった。
原初の人類の直立二足歩行は、弱い猿の連携としてはじまった。
直立二足歩行する人間は、弱みを見せて向き合っている存在である。
だから、助け合おうとするし、殺し合おうともする。
胸・腹・性器等の急所(弱み)をさらして二本の足で立っているのだから、かんたんに殺せそうだし、殺してしまいたくもなる。しかしそれは、自分もまた相手から殺される可能性があるということでもある。だったらもう、そんなことは考えない方がよい。それは、もっとも殺意を抱きやすい関係であると同時に、もっとも殺意を抱くことが不可能な関係でもある。
そして原初の人類は、その不可能性を共有しながら二本の足で立ち上がっていった。
人間性の根源は、その不可能性の上に成り立っている。その不可能性の上に、人間的な限度を超えて密集した群れをつくることが可能になっている。
そのとき、誰かが率先して立ち上がったのではない。
それは、群れの中でいちばん弱く殺されるかもしれない存在になるということである。
生き物としての身体能力においては、四足歩行の方が圧倒的に有利なのだ。その方が速く走れるし、俊敏に動くこともできるし、胸・腹・性器等の急所を隠して戦うことができる。
であれば、群れのみんなが一緒に立ちあがった。そうでなければこの姿勢は成り立たない。
現代の赤ん坊でも立ち上がることができるということは、原初の人類の子供ならもっとかんたんに立ち上がることができたということを意味する。
猿が二本の足で立ち上がることなんか、かんたんなことなのだ。ただそれは、生き物としての生存戦略において圧倒的に不利な姿勢だから誰も実行しようとしない、というだけのこと。
しかしそのとき原初の人類は、誰もがいったん弱い猿になってでもそうするほかない事情を抱えていた。
それは、群れが密集しすぎて体をぶつけ合って行動しなければならない、ということだった。そして、余分な相手を追い出すところも自分が逃げ出すところもない孤立した森だった。そんな状況に置かれたら、どんな強いものでも、追い出そうという気にならない。追い出せるところがあるから、追い出そうという気になるのだ。孤立した森に置かれた人類は、そのとき、追い出そうとする意識や逃げ出そうとする意識を持つことが不可能な状況に置かれた。
そうして、誰もが二本の足で立ち上がれば、それぞれの身体が占めるスペースが最小になって、たがいの身体のあいだに「空間=すきま」をつくることができた。彼らにとっては、弱い猿になることの不安や怖れを回避することより、体ををぶつけ合わないで済むこと、すなわちたがいの身体のあいだに「空間=すきま」をつくることの方がずっとありがたいことだった。これでもう、追い出そうとすることも逃げ出そうとすることもしないですむ。
そのとき人類は、生き延びるために追い出そうとしたり逃げ出そうとしたりする「労働」から解放されて、体をぶつけ合わないですむために連携してゆく「遊び」に目覚めた。
はじめて二本の足で立ち上がった原初の人類は、二本の足で立ったことによろこんだのではない。連携して体をぶつけ合わないですむことによろこんだのだ。二本の足で立つこと自体は、今でも苦痛の方が多い姿勢である。
そのようにして人間は、未来に向かって生き延びる「労働」よりも、今ここで連携してゆく「遊び」の方が大切な生き物になった。
遊びとは、連携プレーである。それが恋やセックスであれ語り合うことであれトランプや将棋であれサッカーや野球のようなスポーツであれ、すべて連携プレー(=関係性)であることに醍醐味がある。
原初の人類が二本の足で立ち上がることは「遊び」だった」
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人間は、遊びを覚えたことによって人間になった。
50万年前の人類が氷河期の北ヨーロッパに住み着いていったことも、ひとつの遊びだったのであって、生き延びるための労働であったのではない。
生き延びるための労働であったのなら、住みよい南の地を目指している。
彼らは、遊びとして、危機を生きようとした。人間は、そういう生き物なのだ。
つまり、人間の根源にある生の問題は、今ここの他者との関係をどう生きるかということにあるのであって、「生き延びる」という命題が第一義的にあるのではない。そういう命題を振り切って、人間は人間になったのだ。
彼らは、他者との関係をどう生きるかという問題を携えて氷河期の北ヨーロッパに住み着いていった。さしあたって生き延びることができるかどうかという問題はどうでもよかった。
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人間は、せっかく稼いだお金をどうして使ってしまうのか。しかも、遊びというどうでもいいことにどうして使ってしまうのか。コンサートや遊園地に行きたいとかおしゃれをしたいとか、どうしてそんなどうでもいいことに使ってしまうのか。
基本的に、人間は、お金を使うためにお金を稼ぐ。それで、お金の世の中が成り立っている。人間はお金を使う生き物だから、お金が生まれてきた。お金を使うことが、人間を人間たらしめている。お金を稼ぐよろこびのためにお金が生まれてきたのではない。生き延びるためなら、お金を稼ぐだけで、なるべく使わない方がよい。そのとき、お金を使うことは非人間的な行為である。現代にはそういう人たちもたくさんいるのだろうが、お金の起源やお金の機能の本質においてはそういうことではない。生き延びることを振り切ってお金を使ってしまうことこそ、人間的な行為なのだ。そういう前提の上にお金が成り立っている。
人間が生きることの根源的な衝動は遊びにある。そうでなければ、この世の中のお金の機能なんか成り立たない。
基本的にお金は、「交換」というかたちで他者との関係を成り立たせる行為である。われわれはお金を使うとき、たとえば店員との「他者との関係」を生きている。お金を使うことは、払う人と受け取る人という「他者との関係」を生きる行為である。生き延びることよりそういうことの方が大事だからお金が成り立っているのだ。
他者の身体とのあいだの「空間=すきま」にお金を置いてその「空間=すきま」を祝福してゆくこと、これが、お金(貨幣)の起源だ。
お金を使うことの根源的なよろこびは、今ここの他者との関係を生きているというカタルシスにあるのであって、欲しいものが手に入ったということなど、二次的表層的なよろこびにすぎない。お金を使うということそれ自体に他者と関係することのカタルシスがあるから、お金が成り立っているのだ。
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人間は、今ここの他者との関係を生きようとする。それが人間性の基礎的なかたちであり、そうやって人は二本の足で立ち上がり、50万年前の原始人は厳寒の北ヨーロッパに住み着いていった。
彼らがその厳寒の地にたどりついたとき、すでにたくさんの動物がそこに生息していた。人間が住み着けるところなら、人間ほど暑さ寒さに敏感ではなく人間ほど身体に煩わされていないほかの動物が住み着けないはずがない。
そのとき人間には、猿と同じ体毛があった。だから、風のない洞窟の中でじっとしているぶんには、その寒さに耐えることができた。
しかし、男たちは狩りに出かけねばならなかった。もともと暑い南方の猿であった人間にとって、さすがに雪の舞う原野の寒さは耐え難かったに違いない。
ネアンデルタールは歯がすり減っていたらしい。人類学者はこれを、歯で皮をなめしていたからだという。こんなのは嘘だ。すでに道具を使うことを覚えていた人類が、どうしてそんな野蛮なことをしなければいけないのか。最近の発掘調査では、石や骨などの皮をなめす道具が発見されている。寒かったからけんめいに歯を噛みしめていたからだ。それだけのことだし、それほどに寒い土地だったのだ。
寒い土地では脂肪の多い食物が必要になるから、狙う獲物は、どうしても脂肪の乗った大型草食獣になってゆく。そしてこの相手に肉弾戦を挑んでゆけば、体が温まって寒さを忘れることができた。こうして、肉弾戦の狩の方法や、武器となる石器や獲物を切り分ける石器のつくり方が発達していった。
知能が発達したからチームプレーの肉弾戦の狩の方法を見出していったのではない。ひとつには寒かったからであり、チームプレーには根源的に人を高揚させるカタルシスがあったからだ。ネアンデルタールの男たちは生傷が絶えなかった。そういうことをいとわないほど寒かったし、一度体験したら忘れられないほどの高揚感があったのだ。
何はともあれ、そういう狩をしなければ生きてあることができなかったからだ。人類の歴史はいつだってそういう絶滅の危機に立たされてきたのであり、すなわちそういう危機を生きようとする生き物だから文化を発達させてきたのだ。
生き物は、けっして必要以上のものを欲しがろうとはしない。どんな生き物も、必要最低限のところで生きている。人間だって原始時代はそうだったのであり、人間が必要以上のものを欲しがるようになったのは、文明が高度化したつい最近のことだ。
知能によって文化が生まれてきたのではない。絶滅の危機があってはじめて文化が生まれてくる。
知能の高い人間ほど人をだますなどの処世術がうまいわけでもないだろう。そういう文化は、そうしないと生きられない人間が獲得してゆくのだ。まあ、そんなようなこと。誰だって、基本的には、そうしないと生きられないという最低限の条件の中で生きている。そんな処世術などなくても生きられる人間は、そんな処世術など覚えない。
言いかえれば、どんな愚かで邪悪な行為にも、そうしないと生きられなかった、という契機が隠されている。
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人類が火の使用を覚えたのも、チームプレーの狩の方法や石器が発達したのも、そうしないと生きられなかったからだ。そして人間は、他者との関係性による連携プレーという「遊び」から、生きられるすべを見出してゆく。
「寒い」という契機がなければ、けっして「チームプレーの肉弾戦」という狩の方法は生まれてこない。なぜなら生き物は、最低限の条件で生きようとするからだ。しなくてもすむならしようとはしない。どんなに知能が発達していてもしようとはしない。
したがって、こういう狩の方法は、暖かいアフリカの地では生まれてこない。断言する。ネアンデルタールが生きた30〜3万年前のアフリカに、こうした狩の方法は存在しなかった。
人類学の世界ではこういわれている。4万年前、アフリカのホモ・サピエンス(クロマニヨン)の大集団がヨーロッパに移住していって先住民であるネアンデルタールを滅ぼした(あるいは、吸収した)、と。
しかし、こんなことはあり得ない。
集団の肉弾戦で狩をすることを知らないアフリカ人がいきなり北ヨーロッパにいってすぐそんな狩をはじめることなんかできない。先住民たちだって、数10万年かけてやっと覚えたのだ。
そして人類学者たちは、アフリカ仁はすでに進んだ文化を持っていたからそういう狩の方法を覚えたのだというが、すでに進んだ防寒などの文化を持っていたら、そんな狩の方法を育てることはできないのである。
弱いものたちがけんめいに生きていったところから、そういう狩の方法が生まれてきたのだ。そういう伝統を歴史の無意識として持っていたからネアンデルタールは、そういう肉弾戦の狩に熱中していったのだ。
北ヨーロッパには、そういう歴史風土があった。それは、アフリカ人がいきなりそこにいって付け焼刃で身につくことではない。そのころ、北ヨーロッパに移住していったアフリカ人などひとりもいない。
700万年前の直立二足歩行の開始以来、人類が営々と築いてきた歴史というものを、あまり甘く見るべきではない。人類学者だって歴史家のはずなのに、歴史に対する視点や意識が安直すぎる。

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