死に対する親密さ・ネアンデルタール人と日本人・57


日本文化論を考えようとすると、いろんなキーワードが浮かんでくる。
まず「あはれ」と「はかなし」、これは重要だ。
そして、「原始性」「縄文時代」「別れのかなしみ」「死んでゆく=いつ死んでもいい」「漂泊」「無常」「美意識」……等々。
最後に「寄り添う」ということ。これはもう、普遍的な人間性の基礎を考える上でもどうしても気になる言葉である。地球のあちこちで文明が発生してゆく中にあって極東の絶海の孤島の縄文人だけがそういう原始的なメンタリティをネアンデルタール人から受け継ぎ洗練させていった。
ネアンデルタール人の遺伝子は、アフリカ以外の地球上のすべての人間の血の中に混入されているということが最近の遺伝子研究でわかってきた。
混入率の問題なんかどうでもいい。ネアンデルタール人自身の遺伝子がホモ・サピエンスの遺伝子なのだ、という議論だってはじまっているらしい。最初からホモ・サピエンスの遺伝子が混じっていて、そのネアンデルタール人うしの交配でだんだんホモ・サピエンスの遺伝子の混入率が高くなっていった、ということもありうる。
まあ、混入率なんか大した問題ではないし、そもそも遺伝子そのものがわれわれの主たる関心の対象ではない。
われわれが知りたいのは、ネアンデルタール縄文人や日本人がどのような心模様で歴史を歩んできたかということであり、そういう状況証拠の方がずっと大切なのだ。
遺伝子のことにしろ考古学の発掘証拠にしろ、そういう状況証拠を証明するものとして提出してくれればいい。
遺伝子ことも考古学の発掘証拠も、つまらない予断のせいで、ひところの「集団的置換説」ブームのようなひどくとんちんかんな解釈がなされてしまったりする。
まずは、予断のない率直な思考態度でその事実と向き合っていかねばならない。
ネアンデルタール人クロマニヨン人はどんな心模様と生態で歴史を歩んでいたのかということを考えようとすると、今どきの遺伝子学者も考古学者もさっぱり当てにならない。
われわれはもう、自分で考えるしかない。



とにかく、ネアンデルタール人の暮らしは火に対する親密さとともにあった。
彼らにとって火は、ただ暖を採ったり夜道や洞窟の中を明るく照らしたり肉を焼いたりするためだけにあったのではない。
火そのものに対する親密な感慨があり、たき火を囲んでみんなで語り合ったり歌い踊ったりすることのカタルシスがあった。火を見つめるということ自体に、彼らの生が癒される体験があった。
火に深く癒されるほどに彼らは過酷な環境の中で生きていた。
誰もが明日も生きてあることが保証されていない環境だった。
彼らにとって火を見つめることは、死を見つめることであり、死と和解してゆくことだった。
彼らが生きるために何を思い何をしていたかと考えると間違う。
彼らはまず「いつ死んでもいい」と思い定めるところから生きはじめた。それが、彼らの火に対する親密さだった。そしてそう思い定めることが、その苛酷な環境で生きることを可能にしていた。
ネアンデルタール人の男たちはみな、骨太の頑丈な体型をしていたといわれている。
それは、彼らが飢えていなかったことを意味する。飢えたらたちまち凍え死んでしまう環境だったのだから、飢えていたはずがない。
彼らは、豊富に食料を調達していた。彼らはいつも狩りに出かけていたし、マンモスや鹿や牛や馬など、大型の草食獣と格闘していた。彼らは、狩りが好きだったし、狩りでけがをしたり死んだりすることをいとわなかった。「いつ死んでもいい」と思い定めて生きていたからだ。
狩りの現場こそ、最高の死に場所だった。
生きるために狩りをしていたのではない。死と和解してゆく快楽(カタルシス)で狩りをしていた。
生きるためなら、戦わないのがいちばんだ。「いつ死んでもいい」と思い定めているからこそ勇敢に戦うことができる。
それは、生きるための行為ではなかった。
生きるためではなかったのだから、集落に持ち帰った獲物の肉を前にして、男たちが真っ先に食うということもなかった。真っ先に食わねばならないほど飢えていたわけではない。男たちの体は狩りの興奮で火照っていたし、寒さに震えて待っていた女子供から先に食わせた。
もっとも生きる権利があるのは、もっとも死に近いものだった。そういう集団の原則を持っていなければ、女子供が生きられる環境ではなかった。強い男ばかりで女子供が少ししかいない集団など楽しいはずがないし、そんな集団はすぐに滅んでしまうに決まっている。
誰もが、自分が生きることよりも他者が生きることを優先していた。自分はいつ死んでもよかった。そしてこれが、直立二足歩行の開始から現代にいたるまでの人間社会の普遍的基本的なかたちなのだ。
人間とは、いつ死んでもいいと思い定めて生きている存在なのだ。ネアンデルタール人は、このような人間の自然を、人類史上もっとも濃密に体現していた。われわれ現代人は、その自然を水で薄めて飲みやすくして生きているだけである。ほんのちょっとそれらしいふうをつくりながら生きているだけだ。
とにかく、ネアンデルタール人の生態を、「生き延びるため」というパラダイムで考えると間違う。
彼らにとっては、死と和解してゆく行為が生きる行為だった。それが、原始人の生の基本的なかたちだったのであり、そのかたちがネアンデルタール人のところで極まった。



彼らの死に対する親密さは、火に対する親密さでもあった。
ネアンデルタール人にせよ縄文人にせよ、かつての人類がどれほど深く火とかかわっていたかは、われわれにはもうわからない。
人間にとって火とは何だろう、という問題は、もっと深く根源的に考える必要がある。
ネアンデルタール人がどれほど深く死と和解していたことか。そうでなければ、ろくな文明の技術を持っていなかった原始人があんな厳しい環境のもとで生きていたはずがない。それはもう、どんなに驚いても驚き過ぎることはない。
そこは、深く死と和解していなければ生きられるはずのない環境であり、その心模様はきっと火との深いかかわりがなければ起きてこなかっただろう。
夜なかに家の中でじっとしていると、外の世界がいつも見ている景色と同じかどうかわからなくなってくることがある。もしも今ドアを開けて外に出たら一面の砂漠が広がっているかもしれない……などという想像が浮かんできたりする。
つまり、自分が今いるこの部屋の中そのものが何か異次元の空間であるかのような心地がしてくる。
ネアンデルタール人が夜の洞窟の中でたき火を囲んでいるときなら、もっと鮮やかに深く異次元空間に置かれている感覚に浸されていったにちがいない。
われわれの住んでいる場所なんか、人間の生存を拒否するような厳しい気配などない。外に出ても家があって道路があって車が走っているだけである。
しかし、氷河期のネアンデルタール人にとっての洞窟の外は、血も凍るような冷気の中の暗く何もない雪の原野である。そんなところにひとりで放り出されたら、30分で死んでしまう。
そのとき彼らはもう、世界から置き去りにされて洞窟の中に閉じ込められていた。死を思わないはずがないし、死と和解しなければ気が狂ってしまう。また、死と和解してゆく深いカタルシスがあったことだろう。
ほの暗い洞窟の中で、焚き火だけがあかあかと燃えている。
もし火がなかったら、ほんとうに狂ってしまうことだろう。もしも火がない闇の中だったら、もう闇に溶けてしまうしかない。火が燃えていることは、闇に溶けている状態を可視化している現象である。火を眺めながら、自分もまた火とともに闇に溶けてゆく。そういうカタルシスに浸されてゆく。
それがたぶん、原始人の死んでゆくイメージだった。
日本列島の古代人が「死んだら真っ暗で何もない黄泉の国に行く」といったのも、そのように闇に溶けてゆく体験として死をイメージしていたのだろう。おそらく「黄泉の国」というイメージは、火によってもたらされたのだろう。そしてそれは、「死後の世界」を語っているのではなく、じつは「死んでゆく」体験を語っているのだ。
まあ人間にとって「死後の世界」などどうでもいいことで、「死んでゆく」体験こそがもっとも切実な問題なのだ。
ネアンデルタール人も日本列島の古代人も、「死んでゆく」ということをきちんと体験できる人たちだった。それは、火の恩寵だった。



原始人には「いかに生きるべきか」という問題などなかった。「いかに死んでゆくか」ということこそもっとも切実な問題だった。
これこそ人類普遍の問題のはずである。
現代人はこの問題を見失っているのだろうか。そりゃあまあ、「いかに生きるべきか」とか「神」とか「霊魂」とか「死後の世界」だとか「生まれ変わり」だのということばかりいっていたら、見えなくなってしまうに決まっている。そしてそれは、「他者に寄り添ってゆく」というこの生のもっとも切実な問題を見失っているということでもあるのだ。
根源的には、人間にとって「死後の世界」などどうでもいいのだ。
そんなことよりも、この生の目の前に「闇=空間」が広がっているのであり、この「闇=空間」と和解してゆくことができなければ生も死もない。
目の前の空間も、未来という時間も、人間にとってはひとつの「闇」なのだ。
生きてある「今ここ」の目の前において、すでに「闇」が広がっている。まあ、そのような「実存の不安」のような感覚は、誰の中にもあるではないか。そうして火は、そのような「闇」に溶けてゆく体験へといざなってくれる。
快楽とは、ひとつの消失感覚である。それは、夜の闇の中において、もっとも鮮やかに体験される。夜の闇の中の火がその体験にいざなってくれる。そうやって人は、自分を忘れながら他者に寄り添ってゆく。自分を忘れることは、ひとつの闇であり、ひとつの死の体験である。
人間は、存在そのものにおいて、すでに死に対する親密さを持っている。
死んでゆくことが豊かな体験になる契機はたしかにあるのだ。
人間は、根源的には「いつ死んでもいい」という心地で生きている存在なのだ。
たぶん、介護をするということは、するものもされるものも、たがいに闇の中で燃えている火を眺めているような体験であるのだろう。これが人と人の関係の起源=究極のかたちであり、われわれは死んでゆくときにそういう体験をする。
現在のターミナルケアの問題は「死の恐怖を取り除く」ということにあり、それに対する間に合わせの対症療法というかつじつま合わせとして神だの霊魂だの死後の世界だの生まれ変わりだのという概念が提出されるのだろうが、人間はもっと純粋に「もう死んでもいい」という感慨を根源において持っているのではないだろうか。われわれは死んでゆくときにこそ、もっとも深く純粋にそうした人間性の根源に気づくのではないだろうか。
人間にとって火は闇とセットになっている対象であり、われわれはその火をこの生が闇に溶けてゆくことが可視化されている現象として眺めているのではないだろうか。
僕は、古代人の「死んだら黄泉の国に行く」ということをずっと考えている。それはもう、神だの霊魂だの死後の世界だの生まれ変わりだのということよりもずっと深く豊かな世界観であり生命観なのではないだろうか。おそらくこれが、人類の普遍的な原始性であり、同時に日本列島の伝統文化の真髄でもあるのだ。
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