しぐれてゆくうしろ姿の苦笑い・ネアンデルタール人論122

この生には、すでに死が隠されてある。
われわれの心のはたらきも命のはたらきも、霊魂などというものに牛耳られているのではない。
霊魂は死なない。しかし心も命も、「消えてゆく」というはたらきを持っていなければうまく機能しない。どちらも、この「消えてゆく」ことに対する親密さの上に成り立っている。
氷河期の北ヨーロッパという極寒の環境のもとで生きられなさを生きていたネアンデルタール人は、人の死に対してことのほか切実な思いがあった。そこは、人が次々に死んでゆく社会だった。乳幼児は、半数以上が寒さのために死んでいった。子供の死ほど傷ましいこともない。そして死なれると、さらに愛おしさが募る。現在のヨーロッパ人の探求心の執拗さは、その隠されてあるものとしての「死」に対する関心と愛着の深さでもあり、それはもうネアンデルタール人以来の伝統であるのかもしれない。
探究とは、隠されている答えを探し出すこと。人類は、この生に隠されてある「死」を問うてゆくことによって知能を進化発展させてきたのかもしれない。
知能とは、隠されてあるものに気づいてゆくこと。何かが隠されてある、と気づいてゆくこと。隠されてあるものに対する好奇心。
この生に隠されてあるものとしての「死」。「死」を意識することは「生」を意識することでもあり、それはひとまず「命のはたらき」があるかないかとして認識されていった。
死んだら体から霊魂が離れてあの世に旅立ってゆくとか、原始人がそんなややこしいことを考えるはずがない。霊魂だけは死なないということは、霊魂は「命のはたらき」とかかわっていないということで、霊魂はこの体に寄生しているだけだ、ということだろうか。
霊魂という概念は、ほんとによくわからない。
霊魂が離れていくから死ぬというのなら、死の直前は意識がはたらいていないということになるし、やっぱり死んでから離れてゆくのだろう。だったら、命のはたらきとは何の関係もない。
しかしおそらく人類が埋葬をはじめたのは、「生きているか、死んでいるか」という問題だったはずで、「死なない霊魂」などというものは、文明社会における生き延びようとする欲望とともにイメージされていったものにすぎない。
その苛酷な環境にほんろうされ尽くして生きていたネアンデルタール人にとって「死」は、ひとつの「救済」でもあった。このことは重要だ。このことを見落とすべきではない。
原始人にとって死はひとつの救済だった。だからこそ人類はどんな住みにくい土地にも住み着きながらとうとう地球の隅々まで拡散していったわけで、彼らは、現代人のように「死にたくない」「生き延びたい」というかたちで死を意識していったのではない。
とくにネアンデルタール人が住み着いた氷河期の北ヨーロッパは、「死にたくない」などと思っていたら発狂してしまうような苛酷な環境だった。
「死にたくない」のなら、だんだん死を意識しなくなってゆくのが進化というものだろう。
まあ文明社会は、「死にたくない」という意図のもとに「生の尊厳」を合唱している。しかしどんなに「生の尊厳」を叫んでも、死を意識することから逃れられない。そんなに生が大事なら、死のことなど忘れて生きればいいではないか。
人類700万年の歴史の699万年は原始時代だったのであり、原始時代は死を救済としながら歴史を歩んでいたのだ。どんなに「生の尊厳」を叫んでも、われわれの中にはもう、歴史の無意識として「死はひとつの救済である」という思いが避けがたく息づいている。
だから、人は人を殺す。「殺してもいい」と思ってしまう。ときに自殺したくもなる。

よく生きるからよく死んでゆける、などというのはただの幻想だ。そんなことを信じて生きてきた結果として、認知症鬱病やインポテンツになってゆくのだ。
人の一生なんて、つかの間のろくでもない体験にすぎない。
愚かでみじめに生きてきたものこそが、死を救済とすることができる。社会的な成功者であろうとあるまいと、生きることは愚かでみじめな行為だと思っているもののところに「死の救済」が訪れるのだ。
「よい人生を生きてきた」とうぬぼれているもののもとに「安らかな死」が訪れるなんて、そんな虫のいい理屈は成り立たない。そういうものほどいざとなったら悪あがきをする。
「とうとうそのときがやってきたか……」と苦笑いしながら死んでゆくことができる人は、そうそういない。
夏目漱石の死の床での最後の言葉は、
「もう泣いてもいいよ」
というものだったそうな。
これを聞いて枕元にいた奥さんはなんと思ったのだろう。
誰もが文豪の最後の言葉を聞き届けようと固唾をのんで見守っている中、その期待をはぐらかすように軽いジョークを吐いて死んでいった。
この夫婦は、二人ともわがままだったといわれている。家の中の漱石はいつも何かにいら立っていて、奥さんとしては世間並みににはいたわってもらえないという不満があったのだとか。
で、「ああ、この人は死ぬまで無責任な人だったなあ」と思ったかもしれない。そうやって悔しさとかなしさが入り混じった気持ちで泣きくずれたのだろうか。
ともあれこれは、「やさしさのかけらもない言葉だ」とも「これ以上やさしい言葉もない」ともいえる。
僕は、この言葉をどう評価すればいいのか、よくわからない。
平安時代歌人在原業平は、みずからの死を苦笑いしながらこう詠った。

ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを

死ぬときの準備をしておきなさいとかねてからいわれてはいたけれど、昨日今日の差し迫ったことだとは思っていなかったから、今さらなんと思えばいいかもなんと振る舞えばいいかもよくわからない……と苦笑いしている。
だったらもう、よけいなことは考えずに、夏目漱石のように「さようなら」といえばいいだけかもしれない。もうどうでもいい、どうにでもしてくれ、という気分。あんがいそれこそが「死の救済」で、漱石のいう「則天去私」だってそういう意味だともいえる。カッコつけて悟っただのなんだのと自分の死を飾るような言葉を吐いても野暮なだけで、それもまた「悪あがき」のひとつにすぎない。
自分の生を飾りたがるものは、死をも飾りたがる。そうやって生きることも死ぬときも「悪あがき」している。
文明人は、「霊魂」で生きているから、生も死も飾りたがる。「霊魂」という「自意識」が飾りたがる。その「自意識」にけりをつけてしまったら、生も死も飾るようなものではない。ただもう「命のはたらき」があるかないかの問題が残るだけであり、死を怖れなかった原始人はおそらく、生や死をそのような問題としてとらえていた。
生き延びようとする欲望から解き放たれているときに、心のはたらきも命のはたらきも活性化する。生き延びることができないというそのことが活性化させる。

原始人は、生き延びようとする欲望から解き放たれるようにして、「もう死んでもいい」という勢いで地球の隅々まで拡散していった。
命のはたらきも心のはたらきも、「もう死んでもいい」という勢いで活性化してゆく。
「もうどうでもいい」と思えるのなら「救済」だろう。そうやって心のはたらきすら「消えてゆく」ように苦笑いしながら死んでゆくことができるのなら、それもまたひとつの「救済」に違いない。
心は「自分」が消えてゆくことと引き換えに華やぎ、世界の輝きにときめき活性化してゆく。そのとき、世界は輝いている。それこそが「末期(まつご)の眼」というものではないだろうか。「自分の命なんかどうでもいい」と思いながら世界は輝いているのだ。
自分なんか生きていてもしょうがない無用の存在だ、と思うところから世界は輝いて立ちあらわれるし、高名な知識人であれ無名の庶民であれ、この世の中にはそういう感慨とともにそれこそ静かに「消えてゆく」ように死んでゆく人々がいる。
誰だって死ねば命のはたらきが消えて、この世を生きることができない無用の存在になってゆくのであり、そのことを自覚しそのことと和解できなければ安らかな死は訪れない。
漱石や業平は、そういう感慨になれるトレーニングをしながら生きていた人だったのかもしれない。死んでゆく準備をするというのではなく、そういう感慨で生きるところに知性や感性のはたらきがあり、そこでこそ世界が輝いて立ちあらわれている。

うしろすがたのしぐれてゆくか(種田山頭火

咳をしてもひとり(尾崎放哉)

字数にも季語にもとらわれない、自由律俳句、というらしい。彼らの代表作であるこれらの句には、妙にさびしい「苦笑い」がにじんでいる。
たぶん、この「苦笑い」こそが「末期の眼」なのだろう。
生まれてきたのだから生きるよりしょうがないけれど、生きることが素晴らしいというつもりもない。自分はもう、生きれば生きるほど無用の存在になってゆき、この世の宙ぶらりんのところに吊るされてあるだけ、咳をしてもひとり……そういう「苦笑い」ではないだろうか。
「しぐれてゆく」とは、じわじわ生気がなくなりあいまいになってゆくこと。この「しぐれてゆくか」と問うているところに「苦笑い」がある。山頭火は旅の人だったから、風に問うたのか、雲に問うたのか、鳥に問うたのか。
そしてこれらの句に多くの人が感動しているということは、人間なら誰だってそういう「しぐれてゆく=消えてゆく」トレーニングをして生きているということかもしれない。というか、したがっているのにさせてくれない現代社会の構造がある。
誰だって、この世に生まれてきてしまった、という悲劇を生きている。そしてこの二人は、その悲劇というか無惨そのものを生きた人たちだった。破滅的といっても、女やギャンブルに狂ったのではない。ただもう、ひたすら「しぐれて」いった。自分なんか生きていてもしょうがない、生きるに値するのは他人ばかりだ、と思いながら生きれば生きるほどしぐれていった。しかしそれとともに、この世界のどんなさやかなことにも「輝き」を見出す視線を獲得していった。苦笑いしながらその輝きにため息をついた。彼らは、われわれの代わりにそういう生き方をしてくれた、いわば殉教者であり生贄だったのかもしれない。気の毒だとも、うらやましいとも思う。
しぐれてゆかなければ、この世界の輝きに深く豊かに気づきときめいてゆく視線は持てない。

原始人は、この世界や他者の輝きにわが身を捧げるようにしながら、すなわちそうした「末期の眼」を携えさながらどんな住みにくさもいとわず世界の隅々まで拡散していった。
人は「末期の眼」を持たないと生きられないし、それが人間的な知性や感性にもなっている。世界は輝いている。この世界のすべてを許し、みずからの生のいたたまれなさも許していかないと生きられない。心は、そうやって華やぎ解き放たれてゆく。
原始人が生きられるはずもない氷河期の北ヨーロッパに住み着いていたネアンデルタール人とは「末期(まつご)の眼」をそなえた人たちだったのであり、彼らは、この世のもっとも輝いている存在は死者である、ということを発見した。人類は、そうやって葬送儀礼をはじめた。
死者の尊厳は、死体から離れた霊魂があの世に旅立ってゆくことにあるのではない。命のはたらきが消えていった死体そのものの、「消えてゆく」というその「悲劇」にこそ尊厳がある。そのことに対する体ごとの感動とともに原始人は「埋葬」をはじめたのだ。
そしてその感動は、われわれ現代人だって体験している。
死者の顔は、どんなにえげつない生き方をした人でも、そうした俗世の垢がすっかり洗い流されて、ほんとに美しい。というか、ほんとの人間の顔に戻る。
誰だって死に対する親密な感慨を持っている。魅力的な人ほど、豊かに持っている。そしてそれは、人間的な知性や感性の問題でもある。魅力的な人の顔は、俗世間の垢に汚されていない。こわばったり歪んだりしているところがない。言い換えれば誰の顔だって魅力的になれるのであり、ブサイクなのはこわばったり歪んだりしているからであって、顔のつくりそのものの問題とはちょっと違う。おそらく、顔つきの問題なのだ。そして、どんなにブサイクでも、死ねば仏の顔になる。
魅力的な人は、魅力的な顔つきを持っている。苦笑いしながら死と和解してゆくことができる。
人類は、死に対する親密な感慨とともに豊かにときめく心になってゆき、知性や感性を進化発展させてきた。
われわれは、「しぐれてゆく」という悲劇を、苦笑いしながら生きることができるか。苦笑いしながら死んでゆくことができるか。
この生に「尊厳」などというものはない。われわれは、何かのはずみでこの世に生まれ出てすぐに死んでゆくだけの存在ではないか。1年も100年も同じようなもの、あっという間ではないか。充実して生きようとむなしく生きようと、べつにどうという違いもない。
まあ生まれ出てきてしまったら、苦笑いして生きるしかない。べつに生き延びたいわけでも幸せであるのでもないが、因果なことにこの世界は輝いている。その輝きが人を生きさせている。生きていれば、生きている一瞬一瞬に夢中になってしまう。この生などどうでもいいからこそ、それを忘れて夢中になってしまう。心のはたらきも命のはたらきも、そういう仕組みになっているらしい。

人をそしる心捨て豆の皮むく
障子締め切ってさびしさをみたす
今朝の夢を忘れて草むしりをしていた
ただ風ばかり吹く日の雑念
うそをついたような昼の月がある
障子あけて置く海も暮れきる
淋しきままに熱冷めており
灰の中から針一つ拾ひ出し話す人もなく

こんな苦笑いのような句ばかりつくっていた尾崎放哉というのはすごいなあ、とあらためて思う。人の「かなしみ」の中には世界の輝きに対する「ときめき」が宿っているということがよくわかる。
生きてあることのかなしみと世界の輝きに対するときめきのはざまで苦笑いしている。
生き延びようと躍起になっている今どきの大人たちにとっては、自分がこの世に生まれ出てきたことは意味も価値もあるめでたいことなのだろうが、放哉にとってそれはまさに耐えがたい「受難」だったのであり、その耐えがたさを「かなしみ」にまで昇華させていった。
彼がそこまでたどり着くためにどれほど多くのものを支払ったか。もともと東大出のエリートサラリーマンとして社会人生活を出発しながら、そのライフスタイルになじめず、しだいに自滅してゆき、最後はあちこちの寺の寺男として寄宿というか居候をしながら創作活動を続けていた。
そうやって、まさに「しぐれていった」のだ。
まあ才能があったからそこまでたどり着けたともいえるが、そこまでこの世の無用者としてしぐれてゆかなければあの場所にはたどり着けない、ということもある。彼ほどの表現はできなくても、そこまでしぐれてゆく人はこの世にいくらでもいる。彼らはみな、生きてあることの「かなしみ」と世界の輝きに対する「ときめき」のはざまで「苦笑い」している。そんなにしぐれてしまってもまだ生きているのは世界の輝きにときめいているからであり、その「かなしみ」の向こうにこそ「死の救済」があるのだろう。