内田樹という迷惑・精神の輝き

安直な言い方かもしれないが、「精神の輝き」というものがある。そういうものを感じるから、人は、仲良くしたり尊敬し合ったりするのだろう。
人間としての格や宗教者としての格も、たぶんそういうところにある。
その感じ方が正確であろうとたんなる誤解であろうと、とにかくそういうものを感じるところで人と人の関係が生まれている。
塩野七生氏の書くものを読むと、ジュリアス・シーザーは圧倒的な「精神の輝き」をそなえた人物であったらしい。それが多くの兵士を統率する力になり、彼を偉大な英雄にした。
織田信長だって、まあそういうことかもしれない。彼は比叡山の僧侶や一向宗門徒を皆殺しにするようなことをしたが、そのとき相手を軽蔑したからではなく、ただもう邪魔だったからだ。彼は、他者の人格の卑しさをあげつらうことをしない。そういうことに鈍感であったはずはないのだが、あげつらうことに対しては無関心だった。ただもう、邪魔な存在であるかどうかで判断し行動した。相手の人格が高潔であろうと卑しかろうと、そんなものはどうでもいい。邪魔な存在であるかどうか、それだけが問題だった。
そういう無関心=非情さが、信長の「精神の輝き」だった。
弱く罪深い存在である人間は、他者に許されることを願っている。許すとはつまり、無関心であるということだ。信長は、どんな卑しい人間であろうと、邪魔にならないかぎり許した。それが信長に仕えるものの安心であり、彼らは信長のその態度に「精神の輝き」を見た。
秀吉のようにみずからの卑しさを深く自覚するものほど、信長を敬愛し、忠実に仕えた。そして、みずからの卑しさに対する自覚の希薄な明智光秀が、謀反を起こした。
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みずからの卑しさや罪深さを自覚するものが、釈迦のもとに集まっていった。釈迦は、他者の卑しさや罪深さに、誰よりも無関心だった。それに気づかないというのではない。むしろひといちばい敏感に気づいていたのかもしれないが、ひといちばいそれをあげつらうことに無関心だった。そこに、釈迦の「精神の輝き」があった。
釈迦は、妻と子を捨てて出家した。それはたぶん、真理に目覚めたからではなく、その束縛がどうしようもなくいやだったからだ。そうして、六年間の修行と漂泊の旅に出る。それは、みずからの罪に対する贖罪の旅でもあった。
人殺しをしようと妻子を捨てただけであろうと、釈迦ほどみずからの罪深さと卑しさを悔いた人はいない。それは、生涯の修行と漂泊によってしかあがなえなかった。みずからが乞食になって他者にひざまずいてゆくことによってしかあがなえなかった。
彼は、誰よりも深く人間の卑しさと罪深さを自覚していた。だから、誰よりも他者の卑しさや罪深さをあげつらうことに無関心だった。そういう「無関心」が、釈迦の「精神の輝き」だった。
「不殺生」は仏教の大きなテーマのひとつであるが、それは、やさしい心によってなされるのではない。みずからに対する深い罪の自覚によってなされるのだ。
やさしい心も悟りもないと思え、それが釈迦の教えだったのではないだろうか。
修行をせずにいられない心(精神)、それが悟りだ、ということではないだろうか。
仏道の修行は、えらくなるとか高貴な精神(魂)を得るとか、そんなことのためになされるのではない。罪深い存在であることの自覚のうえになされるのだ。
そういう自覚からくる「無関心」、それが「精神の輝き」なのだ。
命のはたらきに対する関心の深さが、他者の人格に対する無関心をもたらす。他者の人格を問う精神は卑しい。そんなことよりも、そこに命のはたらきがある、とときめくことのできる精神がある。そういう「精神の輝き」がある。そしてそれは誰の中にもある心の動きであり、そういう根源的な部分との通路を持っている人といない人がいる、というだけのことだ。
悟りを目指して修行をするのではない。悟りによって修行をするのだ。そういうかたちになるまで修行をするのだ。だから、死ぬまで修行が終わることはない。
たぶん、悟ることより、修行することのほうが大切なのだ。そして、修行をするとは、生きることだ。修行それじたいが生きることになるまで修行をするのだ。「修行は楽しい」、と釈迦も言っている。
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罪の意識を持てる精神と持てない精神がある。罪の意識の上に、精神が輝く。先験的に輝いている精神などというものはない。
人間の精神の卑しさに無関心になることはできない。それはむしろ、深く自覚されなければならない。人間なんてうんざりだという幻滅を深く自分に向けているものだけが、他者の人格の卑しさをあげつらうことに無関心になれる。
陰口をたたくことはしても、直接本人に言うことはできない。言えば、自分がいやになる。いやにならない人だけが、直接本人に言うことができる。他者の人格をあげつらうことの可能性と不可能性。
他者を支配しようとするものだけが言うことができるし、ひざまずいてゆくものはもう、陰口をたたいているしかない。酒場での上司の悪口が盛り上がるのは、そういうことだ。
信長が「邪魔な人間は殺すしかない」と思ったのは、相手を改心させようとする「関心」を持っていなかったからだ。
アキバ事件の若者が「皆殺しにしてやる」と思ったのも、他者を改心させようとする「関心=支配欲」の希薄な人間だったからだ。
シーザーも信長も、ひといちばい支配する能力をそなえていたが、支配欲が強かったわけではない。支配欲の強い人間は、支配することはできない。部下や民衆に嫌われる。
良くも悪くも、その「精神の輝き」が支配を可能にする。
塩野七生氏は「権力とは、影響力のことである」といっている。シーザーは、そういう権力=影響力で民衆や兵士を率いていったらしい。
ヒットラーは、ドイツ民族を支配したが、ユダヤ人を支配することは放棄した。彼は、ドイツ民族の人格をあげつらうことは一切しなかった。そういうことには、徹底的に「無関心」だった。
ヒットラーの皆殺しと信長の皆殺しは、どこか似たところがある。だから僕は、二人ともあまり好きじゃない。その「精神の輝き」が、好きじゃない。
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アキバ事件の若者に対しては、好き嫌いの態度を保留したい。ただ、とにもかくにも彼が一部の若者の共感を呼んでいったのは、有り余る人恋しさを持ちながら他者や社会を改心させようとする関心は持っていなかったという、その「精神の輝き」にあったのだろうと思えます。
彼は、社会や他人を憎んだが、社会や他人を改心させようとはしなかった。社会を憎んだが、抗議はしなかった。
それは、社会的テロというようなことではなかった。彼がなぜ銀座の歩行者天国ではなく秋葉原を選んだのかといえば、自分が最も親しみを抱いている街で、そこでなら許されるという直感があったのだろうし、そこでならびびらずにやれると思ったからだろう。彼は、思想的な動機を持ったテロリストではなかった。そして彼の直感した通り、アキバ系オタクの多くに許されていった。
アキバ系オタクと連帯したかったから、秋葉原を選んだのだ。それは、社会に対するメッセージではなく、アキバ系オタクに対するメッセージだったのだ。それほどに、人恋しくてたまらなかったのだ。
仏教を説いてまわった釈迦は、そんなにつらいのならいっしょに修行をしようよ、修行は楽しいよ、といったのであって、それではだめだから修行をしなさい、と命じたのではない。
だから、初期の釈迦集団には、泥棒や人殺しの罪人や遊女などの最下層のものたちが多く集まってきていた。それほどに彼は、他者の罪や卑しさをあげつらうことに無関心だった。誰よりも深く人間の罪や卑しさを自覚していたから、あげつらうことに無関心だった。
人間の罪深さや卑しさを自覚することは、釈迦の正義感ではなく、悲しみだった。
正義ぶって相手の罪や卑しさをあげつらうなんてくだらないことだ。そんな精神は、ちっとも輝いていない。人間としてそういうことを感じないのが無理であるのであれば、せいぜい陰口にとどめておいたほうがよい。
釈迦だって、いっぱい陰口をたたいている。しかし出会えば、ぜんぶ許した。その許してゆく(ひざまずいてゆく)タッチが、他の弟子たちを凌駕する宗教者としての「格」になっていたのだろうと思う。