出会いと別れ・ネアンデルタール人と日本人・44


根源的には、人と人の関係は、「共生」しているのではなく、「出会い」と「別れ」を繰り返していることにある。意識のはたらきの根源というか、実存的にそのような関係になっているのだ。
すべての生き物は「個体」として存在しているのであり、その「個体」としてあろうとするはたらきのなりゆきで集団になったりしているだけである。
鉄の塊だってじつは微粒子の集まりでその粒子と粒子のあいだには「空間=すきま」があるというのだから、生物の体も含めた「物質」とはいったいなんだろうと思ってしまう。
命とは、根源的には死んでゆくはたらきである。その死んでゆくはたらきが「生きる」という現象になっているだけである。
生き物は、根源において、生きようとする本能など持っていない。生きることは、死んでゆくはたらきなのだ。
死んでゆくことは、「別れる」という現象である。
「個体」として存在しているということは、別れて(=分かれて)存在しているということである。
「別れ」は、この生の根源のかたちである。別れるということは、死んでゆくということである。別れながら出会っているのが人と人の関係であり、粒子と粒子の関係である。
別れているから、「出会う」という関係になる。出会っていることは、別れていることでもある。
この身体は、この世界の孤立した存在である。それを携えてわれわれは、人や世界との関係を生きている。



縄文社会では、男たちの小集団が山道を旅しながら女たちの小集落を訪ね歩くという関係になっていた。そこでは、「出会い」と「別れ」がたえず生成していた。これは、すごいことだ。生き物の根源のかたちにかなっている。ただの偶然ではないし、作為的にそういう関係をつくっていったのでもない。生き物は、根源においてそういう関係になってゆくような存在の仕方をしているのだ。
「出会い」と「別れ」こそが、命のはたらきの根源のかたちである。縄文人は、そういう命のはたらきの根源のかたちと対話しながら暮らし、歴史を歩んでいた。
縄文社会がなぜ1万年も変わらず続いたのかのかといえば、そういう命はたらきの根源のかたちとともにあったからであり、たえず「出会い」と「別れ」が繰り返されていたからであり、つまり「死んでゆく」というかたちで「生きる」といういとなみがなされていたからだ。
具体的にいえば、四大文明の地のような、集団が大きくなってゆくということが起きなかった。そのころ日本列島の平地はほとんどが湿地帯で大きな集落をつくれるスペースがなかったということもあるが、「出会い」と「別れ」の関係を生きている人たちには、大きな集団になってしまうことに対する拒否反応があった。
おそらく日本列島の「憂き世」という感慨の伝統は、縄文時代の1万年の歴史が基礎になっているのだろう。彼らは、目の前にない世界や人のことはいったん忘れ、「今ここ」の目の前の人や世界をこの生のすべてと思い定めていた。それが「憂き世」という感慨の正味のかたちであり、だから縄文人は大きな集団(=共同体)をつくらなかった。
彼らは、集落ごと別の場所に移動するということもよくしていた。この狭い日本列島で、誰もが人間の普遍的な生態である「拡散」という行動をしながら生きていた。
拡散してゆくことは、「別れ」と「出会い」、すなわち「死」と「生」を体験してゆくことである。
死んでゆくこと、すなわち別れること、そうして彼らは、一瞬一瞬1日1日1年1年、たえず新しく生まれ変わりながら生きていた。
生きることは、死んでゆくいとなみである。死んでゆくことが生きることになる。縄文人は、そういう命の根源と対話していた。
縄文時代の根源性と原始性、それが日本列島の伝統の基礎になっている。


原初の人類が二本の足で立ち上がることは、新しく生まれ変わって新しい世界や他者と出会う体験だった。そしてそれは、猿としての身体能力を失い、猿であることと別れる体験でもあった。
何かと出会うことは、何かと別れる体験でもある。
身体がここから別の場所に動けば、ここと別れて、べつの場所と出会っている。それは、ここにおいて死に、別場所において生まれ変わる、ということでもある。そうやって命のはたらきは、死んでゆくことが生きることになっている。
おそらく原初の生命において、死んでゆくはたらきとして「体が動く」ということが起きてきたのだ。体が動くことは、「今ここ」から消えることであり死んでゆくことである。
息をすることは、息苦しくなってもがくことだろう。息苦しいということが息をするという行為になっているのであって、生きようとするからではない。
生きるという行為は、生きられない事態に身を置くことである。
痛いとか苦しいとか、人間は、そういう苦痛の体験から「別れる」ということを学習し、苦痛が消えてゆく体験から「出会う」ということを学習してゆく。命のはたらきが起きることは、この生と別れ、この生と出会うという体験である。
二本の足で立ち上がった人類は、歴史とともに「出会い」と「別れ」の体験を学習していった。
人類は、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」とともに歴史を歩んできた。
まあ、生き延びるために食糧生産に頑張ってきたとか、そういう歴史ではないのである。
生き物は、生き延びる未来のことなど考えていない。
ゴキブリが人間に叩かれそうになって逃げるのは、生き延びるためではない、ただ目障りで気持ち悪いだけだろう。それはもう、おたがいさまだ。人間だって、生き延びるために叩こうとしているのではない。そのときゴキブリは「今ここ」から消えようとしているのであり、死の衝動というか死んでゆく現象だろう。つまり、体が動くことを封じられそうな事態と出会い、体中の細胞が揺らぎ暴れる。そうやって「逃げる」という行為になるのだろうか。身体の細胞が暴れることはエネルギーを消費することであり、「死んでゆく」という現象だろう。生きることは、エネルギーを消費するという死んでゆく現象であり、エネルギーを消費してエネルギーを蓄積する。生きることは死んでゆくこと……ここのところのややこしいからくりを、われわれはどう考えればいいのだろうか。
いずれにせよ、「生き物は生き延びようとする本能持っている」などとかんたんにはいえない。
ようするにそれは、「出会い」に反応する、という現象だ。
命のはたらきは、根源的には「出会い」と「別れ」のコンセプトの上に成り立っているのであって、べつに生きようとする衝動がどうのという問題ではない。生きていれば「今ここ」に対するあれこれの反応が起きてくるのであり、根源的には未来に対する意識などはたらいていない。それは、根源的には、生きようとする行為ではなく、死のうとするというか、エネルギーを消費するという死んでゆく現象なのだ。
まあ、知性や感性においても命のはたらきにおいても、「死ぬ」というコンセプト持っている方が豊かにはたらく。
「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」こそが命のはたらきなのだ。その体験こそが意識を活発にはたらかせ、人間の歴史になっていった。
食料を得るためとか生き延びるためなら、地球の隅々まで拡散してゆく必要など何もなかった。
「出会いのときめきと」と「別れのかなしみ」が豊かに交錯しながら地球の隅々まで拡散していったのだ。縄文人の生態だって、そのことなしにはありえなかった。それは、生き延びるための構想でもなんでもなかった。そんな構想として人類の歴史がつくられてきたのではない。



生き延びるためのハウツウを探索構想して人類の歴史が流れてきたのではない。
いくらハウツウ本流行りの世の中だからといって、人類学の探求もその思考でいいというわけにはいかないのだ。
「下部構造決定論」なんか、ただのハウツウ思考じゃないかと思う。
おそらく20世紀の共産主義の破綻は、政治や経済の下部構造を構想するばかりで、人と人の「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」、すなわち人間社会は人と人の関係の上に成り立っているということに対するイメージがなさすぎたことにあるのだろう。
みんなが平和で豊かな暮らしができるようになることを構想する前にまず、みんながときめき合う関係をイメージできないといけなかった。基本的人権としての「文化的」とは、平和で豊かな暮らしをすることではなく、人と人がときめき合うことなのだ。
デパートの店員がろくなおもてなしもできない社会をつくって成功するはずがない。それは、仕事に対する忠誠度の問題ではなく、人に対する感受性の問題なのだ。どんなにマニュアルを徹底しようと、人に対するときめきがないのなら空々しいだけだろう。
言いかえれば、人間はときめき合う関係を持っているからおもてなしのマナーが洗練してきたのだ。「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」を豊かに汲み上げながら生きている存在だから、というか、そういう人と人の関係が人間の集団性の基礎になっている。
集団のかたちを構想するのが人間性であるのではない。まあマルクス主義は、そこにおいて最初の一歩からすでにつまずいている。マルクス主義の挫折は、集団を構想することの挫折でもあった。
人間は、根源的には、集団を構想することなど忘れて、「今ここ」の「出会い」と「別れ」の中を生きている存在なのだ。息をすること自体がもう、そういう体験になっている。
集団のダイナミズムは、集団(の運営)を構想することではなく、「今ここ」で人と人がときめき合ってゆくことによって生まれてくる。まあ共産主義社会においても、人々が集団を構想することよりも人と人がときめき合ってゆくことを優先して暮らしていったから、その制度を維持することに挫折したのだろう。
われわれの社会だって、「集団を構想する」という作為的なことばかりしていたら、きっとどんどん停滞してゆくのだろう。



息を吸うことと吐くこと、食うことと排泄すること、そういう命のはたらきそのものがひとまず「出会い」と「別れ」というかたちの上に成り立っている。新陳代謝というのだろうか。われわれの身体は、同じ細胞で一生をまかなうことなんかできない。つねに古い細胞と別れて新しい細胞の出現と出会いながら身体を維持している。
生き物の意識は、世界との「出会いのときめき」として発生する。そして、出会いのときめきの喪失として、別れをかなしむ。
「出会う」という体験は、命のはたらきをうながす。
世界と出会って、意識が発生する。それは、世界との出会いによって、命というか身体の細胞が揺れることだ。
この世界に生まれ出てきた赤ん坊はまず、この世界の空気=空間と出会う。そうして命(=細胞)が揺れて「おぎゃあ」と泣く。「出会う」という体験が、赤ん坊のこの世界における意識のはたらきの基礎になっている。いや、人間の一生を通じての意識のはたらきの基礎になっている。意識は、「出会う」というコンセプトではたらいている。
意識とは、身体が世界と出会って脳の細胞が揺れることだ。何はともあれ「出会う」という体験によって意識が発生する。
この世界のすべてのものがわれわれの「出会う」対象であって、われわれが支配するべき対象ではない。
この世界のすべてのものがわれわれより先に存在していて、われわれはこの世界を訪れた旅人としてそれらと出会う。
人間はなぜ旅に出るのだろう。
孤独になるために旅に出るのではない。孤独だから旅に出る。たくさんの人に囲まれて暮らしていると、どんどん孤独になってゆく。そこには「出会う」という体験がない。「出会う」という体験がないことを孤独という。
意識は、「出会う」という体験として他者や世界を認識する。
いつも同じ場所にいていつも同じたくさんの人に囲まれて暮らしていると、「出会う」という心の動きが麻痺してくる。それは、他者や世界に対して鈍感になってくるということで、そうやって孤独になってゆく。孤独とは、心が停滞している状態である。
やまとことばでは、心が停滞していることを「けがれ」という。「けがれ」のもとの語義は、「心が離れてゆく」というようなニュアンスである。人や世界から心が離れてしまうこと、そういう孤独のことを「けがれ」という。一緒にいるからこそ、心が離れてしまう。意識は、「出会う」というかたちでしか世界や他者を認識することができない。一緒にいると、そういう心の動きがどんどん麻痺してゆく。
そういう停滞した心が「出会う」という体験に引き寄せられるようにして旅に出る。
心が停滞していることのいたたまれなさを抱えて旅に出る。「けがれ」とは、「いたたまれなさ」の別名でもある。
関西では、罵る言葉として「……けつかれ」という言い方をよくする。「勝手によろこんでけつかれ!」とか。いたたまれない思いを込めて「けつかれ=けっかれ=けがれ」という。
思春期の娘が、自分の部屋のベッドに寝ころんでぐだーっとしている。これも「けがれ」の状態である。成長してきた自分の身体や生きてあることに対するいたたまれなさを持て余しながら、ぐだーっとしているのだ。
この「けがれ」のいたたまれなさを抱えて人類は拡散していった。
人間は「出会いのときめき」を豊かに体験する存在であるがゆえに、心が停滞する「けがれ」のいたたまれなさも深く体験してしまう。
何はともあれいたたまれなくなって拡散していったのであって、べつに生きるためとか現実の下部構造論的な目的があったのではない。未来の何かを「構想」したのではない。
人間は、生きてあることがいたたまれなくなってしまう存在なのだ。生きようとするほどのご立派な「生=命」など、誰も持ち合わせていない。しかしだからこそ豊かに命がはたらき、地球の隅々まで拡散していった。
いたたまれなさを抱えた存在だからこそ、その出会いにときめき、別れをかなしむ。
いたたまれなさを抱えている存在だからこそ、どうしても「別れる」ということを体験してしまう。かなしくても、その体験から逃れることはできない。誰もが死んでゆく存在であるし、死んでゆくというかたちが命のはたらきのかたちなのだ。
体が動くということ自体が「別れる=死んでゆく」という体験であると同時に「出会う」という体験でもある。そこに、この生の根源のかたちがある。生きようとする構想ではなく、生きてあることのいたたまれなさが人類の歴史をつくってきたのだ。
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