スピリチュアルって何?・ネアンデルタール人と日本人・49


スピリチュアルのブームだなんて、ほんとにうざったい。
江原啓之も伊勢白山道も、そしてあの麻原彰晃も、子供のころからひといちばい、「ない」はずのものを「ある」と感じてむやみに怖がったり憎悪したりする傾向が強かったのだろう。そういう恐怖や憎悪を支払って人は神や霊魂や死後の世界という概念に執着してゆくようになる。
死を前にして恐怖と憎悪のかたまりの人間になってしまわないように世話することをターミナルケアという。江原啓之や伊勢白山道や麻原彰晃がそういうオカルトをひといちばい強く信じられるのは、それだけ「ない」ものを「ある」と感じる恐怖や憎悪をたぎらせて生きてきた人間であることの証明である。まあ彼らだけでなく現代社会の多くの人間がそうした心理機制を共有しているのだろう。
オカルトなんて、恐怖や憎悪をたぎらせて生きてきた人間でなければ信じられるものではない。そんなオカルトで人を救おうなんて、人を憎悪や恐怖のかたまりになるところまで追い詰めることと同義なのだ。オウム事件の教訓はそこにあるというのに、いまだにスピリチュアルだなんだのとそんな空騒ぎを繰り返しているのが現在のこの国の状況であろう。
良いオカルトと悪いオカルトがあるのではない。オカルトなんて、みんなそのようなものだ。文明の歴史はオカルトの歴史でもあるのだからそうかんたんに解決するわけもないだろうが、それでも人の心の底には、「ない」ものを直截に「ない」と感じてゆく「別れのかなしみ」が息づいている。その原始的な知性・感性こそが、人間のもっとも高度な知性・感性でもある。



死の恐怖にもぐりこんで、はじめて天国や極楽浄土が見えてくる。天国や極楽浄土が信じたければ、死の恐怖にもぐりこんでゆけばいい。その恐怖なしにそんなものを信じようとするから、見てきたようなことをいう江原啓之とか伊勢白山道とか麻原彰晃にすがろうとする。すがろうとする時点で、すでに恐怖に片足突っ込んでいる。突っ込んでいるからすがろうとする。
また、あんなものくだらないというのはかんたんだ。とくに日本人は、神や霊魂を信じきれない部分を誰でも抱えている。しかしどこがどうくだらないのかということは、一筋縄ではゆかない。なにしろ人類史5000年の文明社会によって培養されてきた心の動きなのだから。
しかしそれは、たかだか5000年にすぎないともいえる。それ以前の数百万年の原始社会で培われてきた心の動きはもっと違うもので、その「別れのかなしみ」という基本こそ、日本列島で引き継がれてきた原始的な心性にほかならない。
日本人は、アマゾンやボルネオ奥地の未開の民よりももっと原始的なのである。
いいかえれば、この「別れのかなしみ」にこそ日本的な洗練がある。
この生やこの世界がフェードアウトしてゆくことのカタルシスがある。それが「わび・さび」の美意識であり、「あはれ」であり「はかなし」である。この「はかなし」の感慨とともに日本列島の古代人は「墓(はか)」といった。
ようするに死んでゆくとは、意識がフェードアウトしてゆく体験だろう。たったそれだけのことを、われわれはどうしてうまくイメージできないのだろう。原始人は、そういうフェードアウトの美意識をしっかり持っていた。
死ぬことは意識がフェードアウトしてゆくことじゃないといいたければいえばいいが、江原啓之も伊勢白山道も麻原彰晃とみごとに同じ人種であり、そういう美意識がいちじるしく欠落している人たちなのだ。彼らは楽しく生きて楽しく死んでゆくすべを伝授してくれるのかもしれないが、深くかなしんで生きて死んでゆく人が汲み上げているカタルシスとは無縁の人たちなのだ。
少なくともネアンデルタール人縄文人も、深くかなしんで生きて死んでいった人々であり、あのアホな教祖様たちより彼らの方がはるかに深く豊かな美意識を携えていた。
伊勢白山道の顔は知らないが、江原啓之という人の顔写真は、「かなしみ」というものを知らないどうしようもないアホヅラにしか見えない。まあアホヅラはあの人だけでなく今や日本人全体の表情に蔓延しているのかもしれないが、僕も含めて、それは用心しておいた方がいい。
おそらくネアンデルタール人縄文人は、そんなみすぼらしい顔つきはしていなかった。生きてあることのかなしみを知っている人たちだった。
伊勢白山道も江原啓之麻原彰晃も、死んだらどうなるかということを知っているつもりでいる。そして人々はそれを知りたがっている。現代社会におけるこの需給関係は盤石らしい。見えない向こう側を「ある」と感じ、そこがどのような世界であるかを知れば安心して死んでゆけるのだろう。アホヅラこいて安心して死んでゆくのだ。彼らはひといちばいの憎悪と恐怖の中をくぐってきた人たちだから、それはもうそのご褒美だろうか。



死んでゆくネアンデルタール人縄文人は、死んだらどこに行くかということなど知らなかったし、どこに行くかと問うこともしなかった。ただもう「今ここ」の「別れのかなしみ」があっただけだ。その「かなしみ」を深く味わい尽くしていっただけで、あとのことは考えなかった。彼らは、この世界やこの生がフェードアウトしてゆくことのカタルシスをよく知っていた。生きるいとなみそのものがフェードアウトのカタルシスとともにあったし、「ない」ものを「ない」と認識する直截な心の動きを持っていた。
いくら伊勢白山道や江原啓之麻原彰晃が自信たっぷりに死後の世界を語っても、人類は、いまだにそれを確かめることができずに、みんなでああだこうだと語り合っている。そりゃあ、見ることができないものをひとまず「ある」ということにして語り合っているだけだから、永久に語り合い続けるのだろう。
原始人には、見ることができないものを「ある」ということにして語り合う習俗などなかった。ただ、死者とはどのような存在かということを生物学的に知っていただけだろう。
人類は、一か所に定住したことによって、死んでゆく人を最後まで見届けるようになっていった。それによって得た経験知は、死後の世界があるということではなく、死んだら動かなくなるということであり、放っておけば腐ってゆくということだ。
だから、その前に土に埋めてやろうとした。もうどんなことをしてももとには戻らないし、そのまま腐ってゆく。腐ってゆくのを放置するのは忍びない。せめて、完全な姿であるうちに土の下に埋めて、その姿を記憶にとどめておきたい。それが最初の埋葬の動機だったのであり、やまとことばの「墓(はか)」という言葉はそういうことを教えてくれる。
死者は、動かなくなって腐ってゆくのだ。この事実から原始人がどれだけのことを知り得ただろう。もう元には戻らないということと、腐ってゆく直前の姿がどれほど貴重かということ。その「今ここ」を記憶にとどめておきたい。この先どうなってゆくかということは見たくないし思いたくない。
原始人は「死後のことは思わない」という流儀で死んでいった。動かなくなって腐ってゆくということなど思ってもしょうがない。ただもう「今ここ」の「別れのかなしみ」を味わい尽くしながらフェードアウトしてゆきたかった。彼らにとっては、フェードアウトしてゆくことこそ救いだったし、フェードアウトしてゆくカタルシスをよく知っていた。
たとえば、彼らにとって安らかな眠りはとても貴重なものだったにちがいない。ぐったり疲れ果てたときに、はじめてそれが体験できる。死んだように眠る、などというが、彼らの深い眠りに対するあこがれは、死に対する親密さでもあった。死後の世界を欲望することなどなかった。
「別れのかなしみ」は、死に対する親密さでもあった。人は、別れのときにもっと深く他者を思う。そうやって他者の死を体験してきたのであれば、自分が死んでゆくときだって、いつになく深く他者のことを思った。まわりの世界もまた、いつになく輝いて見えた。心は、死後の世界のことよりも、「今ここ」に向いている。彼らにとって死んでゆくことは、いつにも増して「今ここ」を深く豊かに感じてゆく体験だった。「もう死んでもいい」と思えるくらい世界が輝いて見えた。
人間にとって「もう死んでもいい」と思える体験は、死後の世界を思うことではない。より深く「今ここ」の世界の輝きに浸されてゆくことだ。原始人、少なくともネアンデルタール人はそういう体験を日常的にしていたし、縄文人もまたそういうカタルシスが豊かに生成する社会をつくっていた。



死後の世界を思うことは、人間性の普遍でもなんでもないし、人間は永久に死後の世界のことはわからない。そしていつの時代も妙な俗物があらわれては、わかったようなことをいって民衆をたぶらかす。彼らは、人間の自然にしたがってすんなりと死後の世界を見い出していったのではない。頭の中が恐怖と妄想で荒れ狂った果てに、そうした想念で収拾していっただけだ。そこにいたるためには、生まれ持った資質だけではなく、宗教的な修行をするとかドラッグまみれになるとか、まあいろいろと方法はあるのだろうが、いずれにせよあなたはそれを追体験したいか?
当人がそう思っているというだけのことで、ほんとうにそんな世界があるのかどうかなど永久にわからない。
そして原始人はたぶんそんなことは一切思わないという流儀でひたすら「別れのかなしみ」を生きたし、それはわれわれ現代人の中にも人間の本性として残っている。
なんのかのといっても、死後の世界が必要なのは生きている人間であって、死んでゆく人ではない。死後の世界が約束されていないことにはこの生が生きられない人たちがいる。この生がこの生だけのことだと思ったら、怖くて気が狂いそうになる。
死後の世界なんか、俗世間で右往左往して生きている人間たちが欲しがっているのだ。
そして、死が近くなればなるほど死後の世界が信じられなくなってゆくのが人間なのだ。なぜなら死が近くなればなるほどこの世界が美しく輝いて見えてくるからだ。天国や極楽浄土がどんどん色あせてゆく。天国のお花畑よりも、この世界の雑草の方がいとおしくなる。
けっきょく死んでゆく最後の瞬間には、死後の世界のことなんかなんの役にも立たない。誰だって「別れのかなしみ」に浸されながら死んでゆくのだろう。そうして日本列島では、死んでゆく人のそんな態度や心模様に思いをいたしながら、「別れのかなしみ」を美意識にまで昇華してゆく文化を育ててきた。
死んでゆく人たちがわれわれ生き残るものたちに残してくれるのは、死後の世界に対する信憑ではない。「別れのかなしみ」なのだ。そして江原啓之や伊勢白山道には、そんな感慨に思いをいたす美意識が決定的に欠落している。



日本列島には、「喪に服する」という期間がもうけられている。つまり死者との「別れ」がちゃんとできていない「けがれ」が残っている期間のことだ。死者に「けがれ」があるからではない。生き残ったものたちのあきらめきれない気持ちが「けがれ」なのだ。
死後の世界がどうのといっていたら、死者との別れなどできるはずがない。これは現在でもそうなのだが、死者の霊魂がまだそばに漂っているような気になり、宙に向かって勝手にぶつぶつ話したり、精神状態がおかしくなってしまう人がいる。そんな状態では、世間づきあいもうまくいかない。人間が霊魂という概念に冒されてしまったために、いろいろややこしい「けがれ」が生まれてきた。そうして「喪に服する」という期間をもうけなければならなくなった。
死者の霊魂と話してなどいたら、死者との「別れ」を果たすことはできない。日本列島では、初七日からはじまって、1周忌2周忌等々と、無限に死者との別れの儀式を繰り返す。死者の霊魂がまとわりついている状態を「けがれ」だと自覚する民族だからだ。死者の霊魂がかんたんに天国や極楽浄土に行ける精神風土にはなっていない。
伊勢白山道や江原啓之のように生まれついてオカルト体質の人間と違って普通の日本人は、オカルトだけでは生きてゆけない。普通の日本人が霊魂という概念に冒されてしまうと、いろいろとややこしい「けがれ」が生じてしまう。
もののあはれ」とか「はかなし」というこの世界やこの生がフェードアウトしてゆくことに対する美意識を持っている民族は、霊魂という概念をもてあそんで生きてゆくのが下手で、もてあそぼうとして精神を病んでしまう。
だから、もてあそぶのが上手な伊勢白山道や江原啓之がもてはやされる。いや人間は根源においてもてあそんで生きている存在ではないから、今どきはどこの国でもそうしたオカルト狂いのアジテーターが跋扈するのかもしれない。
とにかくまあ彼らは、おそろしく美意識の欠落した俗物なのだ。「別れのかなしみ」という人間としての根源的な感性が希薄で、霊魂を携えて永遠に生き続けようとする。
日本列島においては、この世界もこの生もフェードアウトしてゆくところで美が見出される。「ない」ものを「ない」と認識する直截で原始的な心こそ、もっとも高度な美意識なのだ。
たとえば、松尾芭蕉の俳句では、「蛙飛び込む水の音」とか「岩にしみいる蝉の声」といった瞬間にフェードアウトが起こってあたりは静寂に包まれる。まあ、このようなことだ。この「ない」ものは「ない」と認識してゆく原始的なフェードアウトの精神こそ日本的な美意識である。
「はかなし」とは、「墓(はか)のような」ということだ。死者とは、はかなくフェードアウトしていった存在であり、その見ることも言葉を交わすことも不可能な事態に立って「別れのかなしみ」とともに切なく思い出す場所を「墓(はか)」という。これが、日本列島の死者との関係であり、「もののあはれ」とは、この世界やこの生がフェードアウトしゆくことをいう。
霊魂という概念をもてあそぶことを覚えてしまうと、この美意識を生きることができなくなってしまう。日本列島では、霊魂という概念を持ってしまったからこそ、よけいにそれとは対極にあるフェードアウトの美意識が洗練発達していったのかもしれない。そうやって「はかなし=墓(はか)のような」という言葉が生まれてきたのかもしれない。日本列島の住民は、霊魂という概念との桎梏の歴史を歩んできた。だから浄土真宗では「死んだら極楽浄土にいけるということなど思ってはいけない」という。そうやっていまだにその歴史を歩みながら現代的なターミナルケアのコンセプトが模索されている。
じつは、死んでゆく人に必要なのは、霊魂や死後の世界という概念ではなく、「別れのかなしみ」というフェードアウトの美意識であり、おそらく実際には誰もがそのようにして死と和解しながら死んでいっているのだろう。
死んだらどうなるのかということは知らなくてもいい。どうやって死んでゆくか、という問題があるだけなのだ。
人間は根源において死後の世界など知らないのであり、死んでゆくときにこそ、死んだらどうなるかということどころではない問題と向き合わされるのだ。
死んでゆく人は「別れのかなしみ」とともに「今ここ」の中に溶けて消えてゆく。神や霊魂や死後の世界を語ることは、そういう「死んでゆく人」の心の尊厳に対する冒涜であり、まあ自分とか自分が生きてあることの正当性にしがみついてそうした「永遠の生」というイメージが捏造されてゆく。
伊勢白山道にしろ江原啓之にしろ、人が死んでゆくということに対する想像力がなさすぎる。死後の世界だの生まれ変わりだのといってしまえば、そういう体験がすっかり無意味になってしまう。そうやって問題を解決し、問題を無化してしまっている。
大切なのは、問題を解決するということではない。その問題を体験するということだ。そして誰もが体験するのだし、死後の世界があるとか生まれ変わりがあるといっても、それでもその現場においてまわりの人や世界と別れをするという体験から逃れられるわけではない。その体験においては、死後の世界も生まれ変わりもどうでもいい。さっさと別れて旅立ってゆく、というわけにもいかないだろう。また、死後の世界や生まれ変わりが待っているのなら、心はすでにその方に向いていて、対してかなしくもないのかもしれない。
しかし普通の人は、みんなかなしむのだ。死が怖かろうと平気だろうと別れをかなしむという体験からは誰も逃れられないし、そのとき死後の世界も生まれ変わりも思わない人の方がずっと深く切実にそれを体験することだろう。おそらくその場に置かれてしまったら、誰もがそれどころではなくなってしまうのだ。
伊勢白山道や江原啓之が死んでゆくときには、まわりの人たちは彼らに、こう声をかけるのだろうか。
「体に気をつけてね。天国に行って風邪ひかないようにね」
「向こうの世界ではいい子にしてないと人間に生まれ変われないわよ」
ずいぶんご立派な会話だこと。天国談議に花を咲かせるってか?
まあ、彼らといえども、実際はそうじゃないだろう。「今ここ」のまわりの人や世界との関係以外に何も考えられないだろう。その最後の関係を味わいつくして死んでゆくしかないのだ。それが、人間のまっとうな死んでゆく体験というものだろう。
正気であるかぎり、死んだあとのことなんか何も考えられない。考えようがない。おそらく人の心というのは、「今ここ」を思うようにできている。なぜなら意識は、根源において、みずからの身体も含めたこの世界に反応するはたらきだからだ。
「今ここをしっかり生きなさい」ということなんか、誰でもできる。しかし、今ここを死んでゆく人のフェードアウトしてゆく心模様を想像することは、神だの霊魂だの死後の世界だのとわめいているあの連中にはできない。死んでゆく人は、そんなスケベったらしく愚劣な概念を忘れてフェードアウトしてゆくのだ。
死んでゆくときは、誰もが神だの霊魂だの死後の世界だのということを忘れて、この世の一木一草がいとおしくてたまらなくなってしまう。さあそのとき、あなたならどうする?人は、その感慨で胸をいっぱいにして死んでゆくのだし、見送る人の目にも涙がいっぱいあふれてくるのだ。
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