祭りと神の関係の嘘・「漂泊論B」33



<承前>
やまとことばの「なる」には、作為をあらわす意味はない。
作為的な意図がある場合は「なす」という。古代人は、そういう違いは分けておかないと落ち着きが悪かったらしい。
「な」は「なれる」「なじむ」の「な」、「親密」の語義。親密な感慨を込めて「なあ」と語りかける。深く感じ入ったときも「……だなあ」という。
物事の必然的な結果を「なる」といい「なす」という。
「なす」の「す」は「する」の「す」、作為の意味が込められている。だから、「することなすこと全部……」などという慣用句がある。
「なる」の「る」は、「見る」とか「見える」とか「上がる」とか「下がる」とか「生まれる」とか、たんなる現象をあらわしているだけで、作為的な意図は込められていない。
「今年も柿の実がなったなあ」と思う。
このとき、柿の実がなることを予測していたのだろうが、あらためて「なった」ことに深い感慨を抱く。「なるだろう」と予測はしていても、「なるに決まっている」と確信していたわけではない。
神を信じていたら、「なるに決まっている」と思うことができる。そうして神に感謝する。
後世の人間は、神に感謝することが先立ってというか、この世界は神の作為によって動いているという意識が頭にこびりついていて、「なったなあ」という感慨は希薄になっている。
しかし縄文人は、体ごと「なったなあ」と思った。それが、未来を思わない「無常」という感慨である。
柿の実がなるだろうと思っても、なるに決まっている、とは思わなかった。そんなことはなってみないとわからない、という思いが彼らにはあった。
いくら現代社会がスケジュールで動いていても、われわれの心のどこかしらで「なってみないとわからない」という思いが疼いている。
デートの約束をしても、相手が来るかどうかは来てみないことにはわからない。会社から帰って家に女房子供がちゃんと待っているかどうかはわからない。顔を見てほっとする。それが、日本列島の「無常」という感慨である。



縄文以来の日本列島の伝統である無常観は、神に感謝していないのだ。神の「する=なす」ことなど信じていないし、神が「する=なす」存在だとも思っていない。したがって、神が人間をつくったとも思っていない。
僕は、神に生かしてもらっているなどとは思っていない。生きることなど体が勝手にやっていることだし、生きてあることをありがたいとも思っていない。ただもう。心は自分が生きてあることに追いつけなくて、うろたえ途方に暮れているだけだ。
この生は、「なる」というかたちで、僕の一瞬前で生成している。
この国の古代の庶民や縄文人は、この世界やこの生をつかさどる存在としての神も霊魂も頭になかった。だから「なる」という言葉が生まれてきた。この生のしんどさを解決するどんな概念も持たなかった。しんどさそれ自体を生きた。そしてしんどさは「解決する」ものではなく、「忘れる」ものだと心得ていた。
しんどさそれ自体を生きていれば、自然にそれを忘れる心の動きや行動が起きていた。それは、霊魂が「なす」ことではなく、自然に「なる」ことだった。
霊魂など持っていない日本人の生は、いつだってなりゆきまかせなのだ。
この国の世界観・生命観においては、神であろうと人間だろうと、「生まれ出る=なる」のだ。そこには、何ものの作為もはたらいていない。
もちろん古代以前にも「かみ」とか「たま」という言葉があった。しかしそれは、この世界やこの生をつかさどる神や霊魂という概念とは別のものである。たんなる自然の摂理そのものとしての「かみ」、たんなる充実した心の動きとしての「たま」、古代以前の日本列島の住民は、そこまでしか考えなかった。
「かみ」と「たま」というやまとことばについては、またあとで考えたい。
ここではとにかく「なる」という言葉にこだわってみたい。
とはいえ僕はいま、神道の根源のかたちを探っているのかもしれない。そしてわれわれの伝統的な世界観や生命感が「なる」という言葉の上に成り立っているということは、日本人はどうやらこの世界やこの生をつかさどる「神(ゴッド)」とか「霊魂」という概念を心底から信じてゆくことがうまくできない民族らしい。
そういう世界観や生命観は、ただの外来の思想にすぎない。
われわれはそれを信じているつもりでも、基本的にというか生活感情としてというか、そういうものの思い方をしていない。そこにたぶん、この国のターミナルケアの難しさや、自殺が多発してしまう一因があるのだろうか。
神や霊魂を信じて死んでゆくのではなく、もしかしたら、死んで見せなければ神や霊魂を信じたことにならない、という強迫観念があるのかもしれない。
われわれのふだんの生活は、神や霊魂という概念の上に成り立っているのではない。死んでゆくときにはじめて神や霊魂を意識する。
なんのかのといっても、ふだんは、この世界の動きやこの生の成り立ちに何ものの作為もはたらいていないような気分があって、ついなりゆきまかせの思考や行動をしてしまう。
それが、「なる」という世界観であり生命観ではないだろうか。



日本人は、どうしてこうも米作りが好きなのだろう。それはいちばんしんどい農作業のはずなのに、それに熱中していった。しんどければしんどいほどそのしんどさを忘れてしまうカタルシスも深く体験されたからだろうか。これは、ネアンデルタールがあえて住みにくい氷河期の極北の地に住み着いていったことと、とてもよく似ている。
新嘗(にいなめ)祭という古い祭りがある。新しく収穫した米を神にそなえる祭り。
一般的には、この「なめ」という言葉は「舐める=食べる」という意味に解釈されているのだが、たぶんそうではない。
「な」は「親密」、「め」は「認識」「出現」の語義。親密な感慨を抱くことを「なめる」といったのだ。動物のお母さんは、生まれ出た子供をなめて清めている。まあ、そのような親密さのこと。「なめるように見る」などともいう。
そして「にい=にひ」とはもちろん「新しい」という意味だが、古代人にとっての新しいこととは隠れていたものに気づくことであり、隠れていたものがあらわれ出ることだった。
秋からだんだん冬になってゆくことは、秋の中に隠されていた冬があらわれ出ることである。米の実がなることだって、古代人は、そこに隠れていたものがあらわれ出たかのように驚きときめいていったのだ。
「に」は「似る」「煮る」の「に」、「接近」「到達」の語義。「ひ」は「秘密」「ひっそり」の「ひ」。
「にひなめ」とは、米の実があらわれ出たことに気づきときめいてゆくこと。まず、田んぼが金色の絨毯のように変わっていることに対するときめきがあった。そうして、それを収穫し、もみ殻からコメの実があらわれ出てくるよろこびがあった。
最初は、単純にそんな感慨をあらわす祭りだったのだ。
折口信夫によれば、「にひ=にへ」とは高貴な人の食べ物のことであり、神=天皇に献上して食べてもらう祭りだった、というようなことをいっているのだが、こんな説はぜんぜん信用できない。こじつけもいいとこである。「にひ」は「にひ」であって、どうして「にへ」であらねばならないのか。そして「なめ=食べる」という解釈も、いかにも薄っぺらだ。
「なめ」という言葉は、古代人にとっては必ずしも「なめる=食べる」という意味だけではなかった。もとはといえば、出現したものにときめいてゆく感慨をあらわす言葉として生まれてきたのだ。
「なめ」は、収穫のよろこびときめきをあらわす言葉だった。それだけのこと。
起源としての新嘗祭においては、「神に献上する」という意味などなかった。だからそのあと、あらためてそういう意味を込めた「神嘗「かん(む)なめ」という言葉が生まれてきた。
「にひなめ」という言葉に、神なんか関係ない。
すなわち古代人には、純粋に「なる」ということに対するときめきがあったということ。
そして「なる」は、「終わる」ことでもある。「終わる」ことのめでたさというものがある。古代人は、そのめでたさを体ごと祝っていった。そういうことは、神の存在やしわざがどうのこうのといっている人間にはわかるまい。「新嘗祭」は神もへったくれもない祭りだったのである。
ただもう、米の実がなって収穫することのよろこびがあり、ときめきがあったのだ。それが、日本列島の伝統の「なる」という世界観である。



そしてこの「なる=終わる」の世界観は、世界中の原始人の世界観でもあったはずである。その思考に神や霊魂のしわざなどということが入り込む余地はなかった。
原初の人類の「祭り」は、「なる=終わる」ことのめでたさに心が高揚したところから生まれてきた。
二本の足で立っている人間の身体はこの生の与件として「無力性」と「受苦性」を負っており、われわれは意識の根源において「死にたい」という願いを持って存在している。
人が死ぬことは「なる=終わる」ことのかなしさであると同時にめでたさでもある。病気で死んでいったものに対して「もう苦しまなくてもいいんだね」という思いは誰もが抱く。
病人でなくとも人間なら誰だって、根源において身体の「無力性」と「受苦性」を負って存在している。
人間は、「なる=終わる」ことのめでたさを称揚せずにいられない存在である。そういう事態に立つと、気持ちが高揚してくる。
まあ、原初の人類がみんなで二本の足で立ち上がっていったということ自体、ひとつの「なる=終わる」の祭りであったのかもしれない。そのようにして人類は、猿であることから決別した。
それが起きたのは、それによって自然界の生き物としてのアドバンテージを得たからとか、そういうことではない。それによって気持ちが高揚したのだ。それだけのことだし、それがなければ起きるはずもないことだったのだ。



人は、ルールの中に閉じ込められてあることによって意識をいきいきとはたらかせると同時に、閉じ込められてあることの鬱陶しさに耐えかねて旅に出る。
祭りも、一種の「旅に出る」行為であり、人間のこの習性は二本の足で立ち上がったところからはじまっている。原初の人類は、それによって密集の中に置かれてあるというルール=鬱陶しさを受け入れつつ忘れていった。
密集し過ぎた群れの鬱陶しさから旅立つようにして二本の足で立ち上がっていったのだ。
それは、ルールの中に閉じ込められながら、ルールのことを忘れてゆく行為だった。
稲穂が実れば、稲穂を育てるためのルールに縛られて心配しいしい過ごした時間のことをすべて忘れてしまう。
「終わる=忘れる」ことの高揚感、それが祭りである。人間は、「死にたい」という願いを根源において抱えている。だからそれが高揚感になる。
基本的に祭りは、「終わりのはじまり」の高揚感として生まれてくる。
まあ「死の衝動」といってもいい。
共同体の制度を維持し生き延びるための機能として生まれてきたのではない。そのように変質していっただけだ。
終わりがはじまりになるから日本人は自殺してしまうのだろうか。べつに天国だの極楽浄土だのという死後の世界を信じているわけではない。とにかく死んでしまわないことには何もはじまらない、と焦る気持ちがあるのだろうか。
人間は、「終わる=死ぬ」ことに対する親密な感慨を抱えて存在している。
自殺することにはそれなりの高揚感があるのだろうし、それはひとつのお祭りだろうか。
高揚感は、何もかも忘れさせてくれる。
人間は、忘れようとする生き物である。忘れることによって気持ちが高揚する。
死ねば、何もかも忘れられる。
生きることにも、忘れてしまうお祭りが必要だ。
自分を忘れて何かに熱中してゆく。
自分を忘れてしまう体験がなくなれば、生きていられない。
自分をまさぐってばかりして生きてくれば、最後の最後で「自分を忘れることができない」というかたちでしっぺ返しを食らってしまう。
もう、死ぬというかたちでしか自分=苦痛・無力感を忘れるすべはない。
老人の鬱病の多くは、自分を忘れるトレーニングをしてこなかった結果である場合が多い。そりゃあ無力でみすぼらしい老人になってもまだ自分のことばかり意識していれば、死にたくもなるだろうし、死なないことには自分を忘れることができない。
死ぬというかたちでしか自分を忘れるという祭りを体験できない。



人間は、「忘れる」ための機能として「祭り」という装置を持っている。そしてそれは「旅に出る」ということでもある。
われわれの心は、「旅に出る」というかたちで「忘れる」ということのカタルシスを汲み上げてゆく。
新嘗祭は、この国のもっとも古くから伝わっている祭りのひとつであるが、それは、生きてあることのしんどさを忘れて心が旅立ってゆく祭りだった。神に新米を捧げるとか、そんなことは共同体の制度があとからとってつけたコンセプトにすぎない。
人が生きてあることに必要なことは、神に新米を捧げる(神を祀る)ことか。冗談じゃない。いったん何もかも忘れて命のはたらきを活性化させることだ。人間の「祭り」は、そのようにして生まれてきたのだし、いまだって祭りの根源的な機能はそういうところにある。
神を祀って正しく生きましょう、だってさ。やめてくれよ。そんなことはどうでもいいのだ。神だの霊魂だのを祀って祭りをはじめたのは共同体の制度が生まれてからのことであって、この国の伝統としての神道の根源的なコンセプトとはなんの関係もない。
人間の命のはたらきに、神も霊魂も関係あるものか。それは、人間が生きてあることのしんどさそれ自体から生まれてくるのだ。
原始人や縄文人、さらにはこの国の古代人がどんな思いで祭りをしていたか、神だのへったくれだのという連中は、人間の生の切実さをなめているのだ。
人間にとって「忘れる」という体験をすることがどんなに切実なことか、おまえらにはわかるまい。
神も霊魂も関係ないんだよ。
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