世界の秩序と混沌・「漂泊論B」34



僕は、神や霊魂を信じていないのではない。
たぶん、心のどこかで信じている。
しかしそれは、そういうことを信じさせられてしまうような社会の制度性の中で生きているからであって、自分が信じているからそれが存在することの証拠だとは思わない。
僕は、それほど社会も自分も信じていない。
神や霊魂を信じている自分が信じられない。
神や霊魂それ自体を信じているのではなく、「神や霊魂が存在する」ということをどこかで信じてしまっているだけだ。神も霊魂も、見たことも感じたこともない。
しかし人は「神や霊魂が存在する」と信じたことの上に神や霊魂を信じてゆくのだろう。
「神や霊魂が存在する」という社会に定着した通念がなければ、「神や霊魂を信じる」という観念も生まれてこない。
人に神や霊魂を信じさせているのは、「神や霊魂が存在する」という社会の通念なのだ。
つまり、神や霊魂を信じているということは、「神や霊魂が存在する」という社会の通念を信じているその「自分」を信じているということだ。
人類は、時代を経るにしたがって「自分」という意識=自我が肥大化してきた。そういう自我意識が、神や霊魂という概念を生み出し、「神や霊魂が存在する」という社会通念が形成されていった。
共同体(国家)の発生以後の文明人の自我意識は、神や霊魂という概念を根拠にしてさらに肥大化していった。
神や霊魂という概念は、文明人の肥大化した自我意識を支える根拠になっている。
肥大化した自我意識を支えるために宗教が生まれ、肥大化した自我意識の持ち主が、神や霊魂という概念でこの世界やこの生の謎を解き明かしたつもりになってゆくのだろう。
自我意識で身体を支配しコントロールしてゆくことの根拠として霊魂という概念は有効だし、この世界を支配している神のイメージもまた自我意識の投影であるのだろう。
自我意識が肥大化すると、思考や行動がどんどん作為的なってゆく。そのことの根拠として神や霊魂という概念が生まれてきた。
僕は、釈迦やキリストだって、自我意識が肥大化した文明人だろうと思っている。
僕だってもちろん自我意識が肥大化した文明人だが、それでもやっぱり、「神や霊魂が存在する」という場に立つわけにはいかない。そこに立ってしまったら、原始人の心には迫れない。



原始人が最初から神や霊魂という概念を持っていたということはあり得ないだろう。
しかし原始人の世界にだって「祭り」はあった。
祭りの本質や起源を、神や霊魂で語ることはできない。
祭りが神や霊魂を止揚するためのものになってきたのは、おそらく氷河期明けの共同体(国家)発生以後のことなのだ。
祭りとは、何もかも忘れて気持ちが高揚する体験のこと。人間は、そういう体験を紡いで生きている。原初の人類が二本の足で立ち上がることがすでにそういう体験であったし、われわれがわれを忘れて何かに熱中してゆくこと自体がひとつの祭りであろう。
人間は、この自分やこの身体やこの生を忘れたがっている。
われわれのこの生は、身体の無力性や受苦性の上に成り立っている。それを忘れなければ生きられないし、忘れれば高揚感(カタルシス)が生まれてくる。
祭りとは、忘れる装置、この生を浄化する装置、何もかも忘れて生き返った心地になること。
そのようにして祭りが生まれてきた。
まあ、霊魂などという概念を持っていたら、原初の祭りは成り立たない。なぜならそれは、体も心も空っぽになる行為だったからだ。心や体を支配している鬱陶しいものを体から吐き出す行為である。つまり、霊魂を吐き出す行為だ。
原始人にとって霊魂は鬱陶しいものであり、霊魂など持たないことを前提にして生きていた。
したがって彼らは、この生を支配するものとしての霊魂という概念を持っていなかった。
彼らにとって霊魂は、ひとつの「けがれ」だった。つまり、「けがれ」という自覚は持っていたが、霊魂という自覚はなかった。
人間にとって生きてあることは、相手が他者であろうと神であろうと「生かされてある」などというありがたい事態でもなんでもない。鬱陶しくて、きれいさっぱり忘れてしまいたい事態なのだ。
きれいさっぱり忘れてしまうことに、生きてあることのカタルシスがある。これが、祭りの起源だ。



人間なんかほんらいは生きてあることをきれいさっぱり忘れてしまいたい存在なのに、「ありがたく生かされてある」という自覚を持たなければならないという社会の制度(合意)がある。そういう思考から、神や霊魂という概念が生まれてきた。
共同体(国家)の発生とともに作為的な自我意識が肥大化していった人類は、この生も何ものかの作為がはたらいていると思うようになっていった。「ありがたく生かされてある」などといっても、なんのことはない、みずからの作為的な自我意識を投影し正当化しているだけのことである。
そんな言葉をもてあそんでいい気になっている人間ほど作為的な生き方をしたがり、生きてあることに鈍感で、他人に対しても傲慢なのだ。彼らはそうやってこの生に対しても人間に対しても「なめている」というかたちで親密なのだ。
原始人は、「ありがたく生かされてある」と思えるほどの快適な暮らしなど持っていなかった。
ネアンデルタールは氷河期の極北の地で死と背中合わせのような生き方をしていたし、そもそも原初の人類が二本の足で立ち上がること自体、猿としての快適で安全な暮らしを放棄することだった。
原始人の暮らしに「ありがたく生かされてある」と思えるような余地などなかった。
まあ、好きこのんでしんどい生の中に飛び込んでゆきながら生きてあることをきれいさっぱり忘れてゆくカタルシスを汲み上げてゆくのが、直立二足歩行の開始以来の人間の自然な生態なのだ。
べつに原始人は飢えていたとか、そういうことではない。



生きてあることをきれいさっぱり忘れてゆく行事として祭りが生まれてきた。
心が旅立ってゆくこと。
そういう生態を持った原初の人類の集団は、とうぜん猿の群れのような安定した秩序を持って機能していたはずがない。
集団から飛び出してゆくものはいくらでもいたし、集団自身もかんたんにテリトリーを放棄してほかの土地に移住してゆくということをしていた。
まあ猿よりも弱い猿だったから、チンパンジーなどのほかのライバルの猿に追い払われることも多かった。
原初の人類の集団は、とてももろくていい加減な集団だった。彼らは、集団の秩序を維持しようとする意欲は希薄で、集団の秩序を忘れたがり、集団の秩序から逃れたがっていた。
チンパンジーの群れにもメスがほかの群れに駆け込むことはあるが、人類の集団はもっと頻繁に女を交換していた。
女でなくても、もともとの群れの秩序を維持しようとする意欲が希薄な集団だから、じゃまな個体を追い出そうとすることもしなければ、よその集団からやってくる個体もあたりまえのように受け入れていった。
つまり、原始人の集団は、離合集散を繰り返す無秩序なお祭り集団だったのだ。猿の社会のような秩序はなかった。
無秩序な集団だったから、結果的に地球の隅々まで拡散してゆくことが起きた。
人類が集団の秩序のこだわるようになってきたのは、氷河期が明けて、共同体(国家)が生まれ、農業が発達してきてからのことだ。それでももともと無秩序な集団を生きる歴史を七百万年も続けてきた生き物だから、とうぜんそれだけではすまない。さまざまなかたちで祭りをシステムの中に取り込んでいった。
昔は政治のことを「まつりごと」といったくらいで、祭りをプロデュースすることが政治の仕事だった。
実際の事務的なことは、そのつど人々が寄り集まった現場で語り合っていた。
最初は決まり事などとくになかったはずである。なくても、なんとなくわかり合って動いてゆくのが人間の集団である。
初期の共同体は、お祭り集団の性格が濃かった。
人間の集団の根源的なかたちは、無秩序なお祭り集団にある。
人々がどこからともなく集まってきて、わあっと盛り上がってゆくのが祭りである。
人間は、集団から離れて集団の中に潜り込んでゆく。
祭りは、集団の秩序の鬱陶しさからの解放であると同時に、集団を成り立たせている根源的な性格でもある。



原始人の集団は、無秩序なお祭り集団であったために、つねに離合集散を繰り返していた。
人間が集団の秩序の維持に目覚めたのは、6、7千年前の共同体(国家)の発生以降のことである。
日本列島においては、1500年前の大和朝廷成立以後のことだ。
秩序の維持を求めることが人間の本性であるはずがない。そんなものを振り捨てて猿から分かたれたのだ。
人間は、お祭りをしていないと生きられない。
それは、ただ陽気だからというのではない。根源において身体の「無力性」と「受苦性」を負って、身体=生きてあることを忘れようとしている存在だからだ。
そこで、原始人は霊魂や神という概念を持っていたかという問題になるのだが。
身体=生きてあることを忘れてしまえば、身体=生きてあることをつかさどる霊魂の存在など思い浮かびようもない。
無秩序な集団世界を生きていたのなら、この世界の秩序をつかさどる神など思い浮かびようもない。
したがって原始人は、この世界やこの生をつかさどる存在としての神や霊魂という概念を持っていなかった。それは、論理的にあり得ない。



西洋では神が世界も人間もつくったそうだが、この国の古事記の記述においては、神もまた、この世界の混沌から生まれ出たことになっている。
原初、世界は混沌であった……こちらの方が原始時代の世界観を残している。なぜなら1500年前の日本列島は、まだ共同体(国家)ができたばかりで、原始時代の気分が残っていたからだろう。そしてその気分は、われわれ現代人の中にも残っている。
日本列島の伝統的な世界観や生命観の文化は、原始時代のそれをそのまま洗練させたものであり、この世界やこの生をつかさどる神や霊魂という概念は組み込まれていない。世界も集団もこの生も、混沌のなりゆきまかせなのだ。
よく知らないが、会社の組織だって、ある程度柔らかい構造を持っていた方がよいのだろう。「ゆらぎ」というのか。それはつまり、人間の集団は根源において無秩序なお祭り集団である、ということだ。
縄文人の集団だって、神も霊魂もない無秩序なお祭り集団だった。だから、三内丸山遺跡の集落も、縄文中期に忽然と姿を消してしまった。
縄文時代の1万年は、ある集落が大きくなって都市化するということはまったくなかった。大きくなれば、解体していったし、集落ごと引っ越すということも珍しくなかった。
そうして、ほとんどの集落は女子供だけでいとなまれていた。
男たちの多くは、生涯を山道を旅して歩いていた。その旅集団は、女子供だけの集落を訪ねてゆき、そこで歌垣などの祭りをしたりセックスをしたりした。
そういう出会いと別れが頻繁に繰り返される混沌とした社会だった。
縄文時代の1万年ものあいだに大きな共同体が生まれなかったのは、とても不思議なことだ。農業をしなかったといっても、農業を知らなかったわけではない。すでに稲作の技術も持っていた。しようとしなかっただけだ。大陸に比べて文化水準が劣っていたわけではない。
農業をはじめ、大きな集落どうしの衝突が起きてきて、共同体(国家)が生まれてくる。日本列島は海に囲まれた孤島であったために、そういう集団の秩序を構築してゆくという世界の流れからすっかり取り残されてしまった。
集団の秩序を構築しようとする動きがなければ、神(ゴッド)や霊魂という概念は生まれてこない。
縄文人にとって、この世界もこの生も人と人の関係もすべて混沌としていた。このような世界観や生命観からは、そうした概念は生まれてこない。彼らにとってはすべての森羅万象が「なりゆき」であって、この世界をつかさどる「神(ゴッド)」など存在しなかったし、この生をつかさどる「霊魂」も意識しようがなかった。
日本列島の「なる=なりゆき」の世界観・生命観の文化の伝統は、神や霊魂という概念の上にはなり立たない。
われわれは、大和朝廷が生まれて大陸のそうした世界観・生命観が伝来したあとも、意識の底ではというか生活感情においては、ずっとこの「なる=なりゆき」の世界観・生命観で歴史を歩んできたのだ。
太平洋戦争を指導した戦犯の軍人や政治家たちだって、「なぜ戦争をはじめたのか?」という法廷の尋問に対して、口をそろえて「なりゆきだった」と証言している。
神や霊魂という概念をちゃんと持っている国の指導者なら、絶対にこんな無責任であいまいな答え方はしない。
この国の文化風土においては、この世界をつかさどる神もこの生をつかさどる霊魂も存在しない。
ここから原始神道が生まれてきた。
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