原始人の自然観・「漂泊論B」36



現代では、科学者ですら、自然の森羅万象には神の作為がはたらいている、と言い出す人がいる。その「作為」を信じる観念性のことを「迷信」という。
原始人は、そんなものは信じていなかった。すべては何ものの作為もはたらいていない「なりゆき」の現象だと思っていた。
いったいどちらが科学的なのだろう。
科学であれば、神の作為を信じてもいいのか?
原始人は、この世界やこの生をつかさどる「神」とか「霊魂」などという概念は持っていなかった。
それは、氷河期明け以降の共同体(国家)の発生とともにイメージされていった。
原始人の世界観・生命観と、共同体(国家)の発生以降の人類のそれとは明らかに違う。
原始人の集団は「なりゆき」まかせのお祭り集団として離合集散を繰り返していたわけで、その勢いで地球の隅々まで拡散していった。
人類は、50万年前には、すでにアフリカとユーラシア大陸の隅々まで拡散していた。
なりゆきまかせのお祭り集団であったということは、集団の秩序や安定を目指すという目的意識など持っていなかったということだ。ただもう「いまここ」の高揚感に身をまかせて生きていた。彼らの生はそれほどしんどいものだったのであり、しんどい生を生きることに高揚感(カタルシス)があった。
だから、ろくな文明を持たない原始人の身で、氷河期の極北の地に住み着いていった。
原初の人類が二本の足で立ち上がることは、猿よりも弱い猿としてしんどい生を生きることを余儀なくされる体験だったのであり、しかしそのしんどい生を生きることに高揚感を発見してゆく体験でもあった。
彼らは、この生にも集団にも「秩序と安定」など求めなかった。それが人間の本性だ。われわれ人類は、直立二足歩行の開始以来の700万年を、そういう生き方の歴史を歩んできたのだ。
人間は、本性において、この生やこの世界の秩序と安定など求めていないし、したがってそのための神や霊魂という概念も根源においては信じていない。
そんな信仰を人間の本性であるかのようにいわれても困る。
しかし、人間がこの生や世界の秩序と安定をつかさどる神や霊魂という概念を持つようになってしまった必然性がないともいえない。
もともとしんどい生を生きる存在だったからこそ、「秩序と安定」を求めるようになってきたのだろう。
しかし、もともとしんどい生を生きる存在だからこそ、「秩序と安定」だけでは生きられない。そのへんの兼ね合いの問題があるはずなのに、「秩序と安定」だけを無上のものとして神や霊魂の絶対性を語られても困るのだ。
いまどきは、神や霊魂という言葉を口に出さなくても、「秩序と安定」さえあれば人間が生きてゆけるような言説があふれかえっている。
そんなことばかりいっているから、さまざまな社会病理が生まれてくるのだろう。
とにかく、原始人もすでにこの世界やこの生をつかさどる神や霊魂を意識していたように語られる歴史観など大嘘なのだ。



この国の原始神道がこの世界やこの生をつかさどる神や霊魂という概念の上に成り立っていたと語る宗教論も、ぜんぶ大嘘なのだ。
この国の神道世界宗教と本質を異にしているとはよくいわれることだが、それは、この世界やこの生の「秩序と安定」を生きるためのものではなく、原始的な「なりゆき」を生きるかたちをコンセプトにしているからだ。
そこに、日本列島の特異性がある。
日本列島は海に囲まれた孤島であったために、この世界やこの生の「秩序と安定」を求めて神や霊魂という概念を紡いでゆくという世界的な観念性が伝播してこなかったのだ。
そうして、ひたすら「なりゆき」を生きるという原始的な世界観や生命観を、縄文時代の1万年をかけて洗練させていった。
われわれが原始神道に見ることができるのは、神や霊魂の問題ではけっしてなく、原始的な世界観・生命観であり、人類がこの世界やこの生の「秩序と安定」を求める観念性を持つようになる前段階の世界観・生命観である。
やまとことばの「かみ」と「たま」は、けっして「神」と「霊魂」そのままの概念と同じではない。
どちらかといえば、原始的な「かみ」であり「たま」なのだ。
「かみ」とは、森羅万象をつかさどっている「神」ではなく、森羅万象それ自体であり、森羅万象に対する感慨を「かみ」と表出しているだけである。
縄文人の森羅万象に対する感慨は、森羅万象それ自体に対する感慨であって、森羅万象をつかさどっている神に対する感慨ではなかった。そのような神などというものは思い浮かべなかった。
森羅万象に対する驚きやときめきやおそれをこめて「かみ」といった。それは、「神」に対する驚きやときめきやおそれではなかった。
やまとことばは、基本的には「感慨」を表出する言語であり、それを説明しようとする「作為性」は込められていない。
彼らには「作為性」というものに対するイメージがなかった。この世界もこの生も、「なるようになる」という意識しかなかったのであり、これが日本列島の歴史全体を通じての通奏低音になっている。
「作為性」を意識しなければ、神という概念も霊魂という概念も生まれてこない。
この世界の森羅万象には何ものの作為もはたらいていない……日本人は、心の底ではそう思っている。
基本的には、自分は他人を殺そうとは思わないし、他人は自分を殺そうとは思っていない……そういう前提で人と人の関係が成り立っている。これが、異民族との出会いがなかった民族の文化である。
しかし、氷河期が明けて異民族との出会いを体験した大陸では、いち早く「作為性」に気づいていった。作為性を持つようになっていった。そういう情況から「この世界をつかさどる神」という概念が生まれてきたのだ。



「たま」という言葉にしても、この生をつかさどっている霊魂、というようなニュアンスはなかった。ただ高揚したり充足したりする心の動きのことを「たま」といっただけだ。
たとえばわれわれが「たまに」とか「たまたま」というときの「たま」には、「特別に」とか「一回だけ」というような「固有性」のニュアンスがこめられているが、霊魂という概念とはまったく無縁の言葉にちがいない。
「たまる」といえば、増えることであり充足してゆくことだ。
縄文人は、霊魂という意味で「たま」といっていたのではない。あえて漢字を当てるとしたら、「霊魂」という字になる、というだけのこと。霊魂という概念が定着して、高揚したり充足したりするのは霊魂のはたらきのおかげだという通念が社会に定着し、その字を当てるようになった。
しかしそれでも日本人は、「たま」という言葉をそんな意味で使っているわけではなかった。だから「たまに」とか「たまたま」とか「たまる」という表現が生まれてきた。それがもし「霊魂」という意味で使われていたのなら、そういう表現はけっして生まれてこなかった。
日本人には日本人の、縄文時代以来馴染んでいる「たま」という言葉のニュアンスがある。
もともと日本列島には、「霊魂」などという概念は存在しなかった。
大国魂神社」とか、神社の名前にそんな字がよく当てられているが、それは、日本人が高揚感とか充足というような心の動きをとても大切にする民族だからだろう。それは、霊魂の問題ではない、何もかもきれいさっぱり忘れてしまう高揚感であり充足であり、そこにこそしんどい生を生きていた原始人の心の動きがある。
縄文人は、原始的な心性をひたすら洗練させていった。その時代は、原始時代であって、原始時代ではなかった。そしてそれが1万年も続いたということは、そこでもう日本的な心性の原型が完成されてしまった、ということを意味するのかもしれない。
だからわれわれは、いつまでたっても「たま」という言葉を霊魂とは関係ないニュアンスで使っている。
もともと霊魂とは関係ない言葉だったのだ。
つまり原始神道に「神」とか「霊魂」などという概念はなかった。であればそれは宗教ですらなかった、ということかもしれない。
それは、「祭り」だったのだ。だから古代人は。「まつりごと」というかたちで政治に馴染んでいった。そういう名称を与えなければ政治などという作為的な行為に馴染むことができなかった、ということかもしれない。
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